36.行き場のない気持ち
冠耀から馬車を走らせ数時間。
夜もすっかり更け、馬車は街道脇の開けた場所に停められていた。
焚き火の暖かな光が、暗闇の中にポツンと円を描いて照らしている。
馬車の中では、紅蓮が眠る翠鳳の様子を静かに見守っていた。
かなり深く眠りに入っており、今日一日でどれだけ疲労していたのかを感じられる。
一方、外では祐基と孫覇が焚き火を挟むように腰を下ろしている。
孫覇は何も喋らない。
ただ膝に肘を置き、揺れる炎を見つめているだけだ。
薪が燃える音だけが、静寂の空間に響いていた。
(.......気まずい)
紅蓮との過去を聞くタイミングを見計らい、すでに1時間近くこの状態が続いていた。
孫覇は口を開く気配がなく、ただ無言で炎を見つめ続けている。
これでは永遠にタイミングなど来ないと、祐基は思い始めていた。
(何か喋った方がいいのかな......こっちから無理にでもきっかけを作るべきか……でも何を?)
雑談?
今日の戦い?
焰秋のこと?
それとも、いきなり本題に切り込むべきか。
考えれば考えるほど、言葉は喉の奥で固まり口を出てこず、時間は経過していく。
(ていうか翠鳳さん、すぐに寝ちゃったけど.....紅蓮隊長から何も聞いてないよな絶対.....)
数時間前に言ったことを忘れる何て流石にないと信じたい祐基。
けどあの翠鳳さんなら普通に忘れてそうと、短い付き合いながら、既に確信に近いものを感じていた。
小さく息を吐き、祐基は意識を切り替える。
(しかし何て聞けばいいのかな.......「紅蓮隊長と昔同じ部隊だったんですよね?」.....いや紅蓮隊長の名前は出さない方がいい気がする......)
孫覇が紅蓮に向ける、あの剥き出しの怒り。
あれを見る限り、紅蓮の名を出した瞬間に空気が凍りつく未来しか見えなかった。
(もっと遠回りに.....さりげなくついでに教えてもらう感じで.....)
「なぁ」
そう祐基が必死に頭を回転していたその時、孫覇が突然口を開いた。
「ふぁい!?」
「ふぁい?どうした?」
祐基は驚き、思わず変な声で応えてしまった。
「あ、いや何でもないです!それで何ですか?」
小さく咳払いをし、喉を整えてから改めて聞き返す。
「祐基.....お前の兄貴、屈釖って言ったか」
「兄貴?」
「兄貴が死んだ時.....どう思った」
「.......え」
何を言い出すのかと思えば、屈釖の名が出てきた。
だがそれに驚く間もなく、胸の奥を直接えぐるような問いが投げつけられる。
どう思ったか。
酷い質問だ。
なぜ今それを聞くのか、その意図がまったく読めない。
(......あまり思い出したくない。それを聞いてどうするのだろう。というかそんなこと普通聞くか.....?)
祐基が言葉を失っていると、孫覇は低く息を吐いた。
「すまん、言い方が悪かった」
孫覇は言葉を選ぶように続ける。
「兄貴を殺した奴をどう思ってる。復讐したいか?」
「......復讐....」
今度の問いは、殺した相手への憎しみの有無を問うものだった。
だが、やはりわからない。
なぜ孫覇がそんなことを自分に尋ねるのか、その意味がどうしても祐基は掴めなかった。
(殺した奴....亜人王か。憎んではいる。あいつがいなければ、今も兄貴と笑い合って喋ってたはずなのだから.....けど)
「そりゃ憎んではいますよ。けど復讐したいかって言われると.....そんな暗いこと、兄貴は望んでないと思いますし。あ、勿論倒しはしたいですよ!」
「.....そうか、きっとそうだな」
祐基がそう答えると、孫覇は焚き火を見つめたまま、遠い記憶をなぞっているような表情を浮かべた。
「.....孫覇さんにも、兄貴みたいな人がいたんですか?」
「兄貴じゃない.....姉さんがいたんだ。五つ上の」
「......お姉さんですか」
一瞬、聞き流しそうになったが祐基の耳には確かに残った。
“いた”という過去形。
その言葉が意味するものを、考えずにはいられない。
「ああ、誰にでも穏やかに接した.....心が優しすぎるくらいの姉だった。俺が小さい頃から、いつも姉さんが俺の面倒を見てくれたんだ」
「良いお姉さんですね....」
「ああ......俺が生まれてすぐに、両親は揃って戦死したから、親の顔を俺は知らない。だから姉さんは姉であり、俺にとっては母みたいなもんだった。俺はいつか、姉さんを支えられるような人になりたい......子供の頃、誓ったんだ」
(似てるな.....俺も同じような経験がある)
祐基の胸の奥に共感が広がり、屈釖との記憶が自然と脳裏に浮かぶ。
(兵士となって、兄貴が国1番の兵士となった時、俺はその背中を守れる存在になりたいと....そう思ったこともあった)
「けど、その夢はある日......永遠に叶わないものになった」
空気が変わった。
祐基はそれを、肌ではっきりと感じ取った。
孫覇の顔も声も、果てしなく重い感覚を祐基に味合わせてきた。
「......何があったんですか?」
孫覇はしばらく沈黙し、そして答えた。
「姉さんは兵士だった、若くして一部隊を任される程の。俺も姉さんの下で働きたくて、18歳で兵士に志願したんだ」
祐基は内心で計算する。
(18.....お姉さんは五つ上って言ってたし、23歳か.....紅蓮隊長と似て確かに若いな)
普通、部隊長を任されるのは30代後半からが多い。
同じくらい若い紅蓮は、副司令から直接認められるほどの実力ゆえに任されたと考えられる。
となれば孫覇の姉も、紅蓮と同じように特別な理由で任されたのだろう。
実力か、功績か、あるいはそれ以外の何かか。
「軍は俺の要望を聞いてくれて、姉さんの部隊に入れたんだ。けど.....その時一緒に入ったのが、紅蓮だった」
「隊長.....」
その時、祐基の脳裏に紅蓮が前に話していた昔話が流れ出した。
『私は第三回偵察任務で、取り返しのつかない過ちを犯した』
その先に何が起きたのか。
『そいつは私にトドメを刺そうとしたが』
孫覇の姉がどうなったのか。
『その時....私を生かしてくれたのが.....』
その最悪の結末を、思い描いてしまう。
「あいつは姉さんを殺した.....俺の.....ただ1人の家族をッ......!!!」
吐き出されるような叫び、怒りと悲しみが混ざり合い、言葉そのものが刃となって突き刺さる。
祐基の背筋は一瞬で凍りついた。
今すぐこの場から逃げ出したい。
そう思うも足は動かない。
いや、指一本、髪の毛一本すら動かせないほど、体全体に正体不明の重力がのしかかっていた。
「あいつが生きてるところを見るだけで.....殺したくて仕方なかったっ......!!」
「っ.....!」
孫覇の顔は行き場のない怒り、憎しみを溜め込んでいるような、酷い顔に染まっていた。
今にでも馬車の中にいる紅蓮を殺しかねないほどの危うさが伝わってくる。
その表情を見た瞬間、祐基は無意識のうちに弓へと手を伸ばしていた。
止めるためなのか何なのか、自分でもわからない。
「....でも、お前の言う通り....姉さんはそんなこと望んでない。歯が砕ける程食いしばって.....どれだけ血が垂れようと拳を握り締め続け.....我慢した。.....どうすりゃいいんだろうな、この気持ち....」
祐基に問いかけるような声だった。
だが、祐基は何も言えなかった。
もし自分が同じ立場だったら.....そう思った瞬間、思考はそこで止まる。
答えなど出るはずがない。
数秒にも数時間にも感じる沈黙の後、孫覇は小さく息を吐き、ゆっくりと立ち上がった。
「少し話しすぎた....先に寝てろ。2時間後見張り交代だ」
そう言い残し、孫覇は焚き火から離れていった。
想像を絶する過去に、祐基の心中はまだ落ち着かない。
翠鳳と共にどうにかしようと考えていた自分の浅はかさが胸に刺さる。
祐基は地面に横になった。
しかし、結局その夜は一睡もできず、静かに夜は明けた。
◆
「祐基くん、目元にクマできてますよ?眠れなかったんですか?」
馬車に揺られながら、翠鳳がじっと祐基の顔を覗き込む。
その翠鳳の顔には疲れの色が全く無く、昨夜はぐっすり眠れたことがよくわかる。
「え、あぁはい....」
「ダメですよしっかり寝ないと!戦いはこれからです、それこそ次いつ戦闘になるか!」
「そうですね....すいません。じゃあちょっと寝てます」
「あ、膝枕使いますか?」
「え」
一瞬聞き間違いかと祐基は思ったが、翠鳳は自身の太ももを軽く叩き、ここに頭を乗せろと視線を向けてきている。
(この人には恥じらいとかないのかな.....)
また一つ、翠鳳という人物を理解できた祐基は「いえ大丈夫です....」と手を振って断り、馬車の中で薄い毛布を丸めて枕代わりにし、そのまま横になった。
「祐基、悪いが寝てる時間はなさそうだ」
孫覇の声に祐基は閉じた目を開き、体を起こした。
「前を見てみろ」
一同は御者台に座る孫覇の視線の先へと目を向ける。
「あれって....!」
「街だぁ〜!」
遠くに見えたのは、分厚い城壁に囲まれた都市の姿だった。
冠耀よりもひと回り以上大きく、その遠くからでも堅牢さを感じる目算20メートルを超える壁は、何人も街への侵入を許さない絶対的な安全圏を表象している。
「あれが都の西隣の都市、張按だ」




