33.最期の声
「これが雷衝動の力.......」
倒れたラージャンを前に、祐基は手にした弓をじっと見つめた。
先ほどまで自分を追い詰めていた、水の体を打ち破ったその凄まじい一撃。
これがあれば、確かに六荒王と戦える。
それどころか、あの亜人王だって倒せるかもしれない。
そんな希望の光が、祐基の胸に灯った。
「祐基くん!」
翠鳳が駆け寄ってくる。
「翠鳳さん!怪我は!」
「大丈夫!それより.....ラージャンは.....!」
翠鳳の視線が動き、祐基も同じようにラージャンを見た。
ぴくりとも動かず、抉れた左半身から血がドクドクと出続けている。
もしまだ生きていたとしても、あと2分もしないうちに絶命するだろう。
「.....トドメを刺す。まだ離れてて」
だが念には念を。
どれだけ死にかけでも、権能という未知の力を持つ以上、最後に何をしてくるか分からない。
確実にトドメを刺す必要がある。
祐基は矢を持ち、ラージャンに一歩ずつ近づく。
殺すために。
「悪イケド、ソウハイカナイワ」
祐基の耳に入ってきたのは、知らない声。
人間ではない、亜人の特徴的な声。
祐基は即座に身を引き、翠鳳の前に立って守るように構えた。
その視線の先、倒れたラージャンの傍らに、いつの間にか1体の亜人が立っていた。
金糸の文様が目立つ深紅の衣、龍華帝国の結婚式で新婦が着るウェディングドレスを着ている。
だがその下から覗く茶褐色の2本の脚と、その腰より生えているもう1つの体に4本の細い足、先端に針の付いた尾、そして何より顔が、それを亜人と認識させる。
外骨格に覆われた顔は感情を読ませず、黒い複眼が祐基を見つめている。
右手の鋏がかすかに開閉し、金属音のような響きを放つ。
左手にはモーニングスターに似ている、先端が棘だらけの長い杖の武器を握っていた。
「毒蠍人!!?水のオークに続いてなんでここに!!」
翠鳳がその存在に声を上げ、祐基は矢を番えて構える。
その存在は、ただ立っているだけでラージャンに匹敵する圧を放っている。
間違いなく、ただの毒蠍人ではない。
「祐基....!!」
背後から紅蓮の声が響いた。
振り向くと、偃月刀を杖代わりに体を支えながら立ちあがろうとする紅蓮の姿が見えた。
「気をつけろ....!そいつは毒蠍人の女王だ!!」
その言葉にやはりと祐基は納得し、緊張を強める。
毒蠍人の女王、それはラージャンと同じ六荒王の1体だ。
何の目的があって来たかはわからないが、その存在が目の前に現れた以上、戦闘は避けられない。
だが状況は最悪だ。
まともに動けるのは祐基と翠鳳のみ。
外の三人がどうなったかわからないが、例え来ても六荒王が相手では分が悪い。
祐基も祐基で、ラージャンとの戦闘で体力を消耗しており、どんな力を持つかわからない女王を相手に勝てるかどうか。
つまりここでの最善は逃げの一手。
逃げ切れるかどうかはわからない、翠鳳が紅蓮たちを連れて馬車に戻るまで足止めできるかどうか。
それと、なんとしても瀕死のラージャンの息の根を、今ここで止めなければならない。
祐基は覚悟を決め、弓を握る手に力を込める。
だが。
「『赤龍』ネ。トリアエズ、今私ハ戦ウツモリハナイノ。貴方ニハイズレ、オ礼ヲシニ行クカラ、マダ落チ着イテ寝テイナサイ」
その声には、奇妙な柔らかさと静かな威圧があった。
そして、なぜだか本当に戦う意思がないことが心に伝わってくる。
「私ノ名前ハ、ポリズン。セッカクノ勝利ダロウケド、コイツヲマダ死ナス訳ニハイカナイノ」
女王...ポリズンはそう言いながら、倒れるラージャンを抱えた。
「そのまま行かせると....?もしそいつが復活すれば今度こそどうなるか!」
「ソレハ無理ネ。モウ、ラージャンノ命ハ持ッテ数分。私ナラ多少ノ延命ハデキルケド、助カル術ハナイワヨ」
「....?だったら何でラージャンを?」
翠鳳が首を傾げ問う。
「アラ、アナタノ服......」
ポリズンはゆっくりと翠鳳に顔を向け、じっと見つめた。
目線からして恐らく翠鳳が着ている服を。
「ナカナカイイワネ。覚エテオクワ」
「え、あ....ありがとうございます?」
思わぬ褒め言葉に、翠鳳は戸惑いながらも礼を言った。
「コイツニハ、死ヌ前ニ襲名式ヲヤッテモラウ必要ガアルノヨ」
「襲名式?」
「水ノオーク達ノ伝統デ、ラージャンノ名ヲ、次期族長ニ受ケ継ガセルノヨ」
へぇ〜と、翠鳳が頷く。
翠鳳から警戒の色が少しずつ消えていくのを、祐基は横目で感じていた。
だがそれを注意するより、ポリズンの動きから目を離さないことを優先する。
「荒野ニモバランスガアル。コイツガコノママ死ネバ水ノオーク達ノ統率者ガ消エ、鱗魚人ヘノ対抗ガ出来ナクナル」
「それでラージャンを....」
「ソウイウコト。ダカラコイツハ貰ッテイクワ」
ポリズンはそう言い、ラージャンの体を抱えたまま静かに背を向ける。
「行かせるか!!」
祐基は思わず叫び、雷衝動に矢を番えた。
ポリズンの話は龍華帝国にとってはどうでもいいことだ。
確かに荒野は、亜人勢力がぶつかり合う事でバランスが保たれ、長城を守り抜けた歴史がある。
だがそれより、ラージャンを回復させる術を隠している可能性がある分、逃がす方がよほど危険だと祐基は判断した。
「甘イワネ坊ヤ、後ロヲ見テミナサイ」
その声に、祐基と翠鳳は反射的に振り向く。
「......!?」
背後には何もなかった。
破壊された宮殿の床と壁しかなく、特に敵や注意すべき何かはない。
安全を確認した祐基は、再び前方へ視線を戻した。
「っ....いない!?」
そこにポリズンもラージャンの姿もなかった。
騙されたんだ、しかも結構間抜けなやり方で。
祐基はすぐにそう理解し、少し恥ずかしい気分を味わった。
「最後ニ1ツダケ言ッテオクワ」
ポリズンの声が何処からか、宮殿全体に響き聞こえた。
祐基と翠鳳は驚き、すぐに警戒し周囲を見渡すも、姿はどこにも見えない。
「少ナクトモ私ハ、コノ侵攻ニ興味ガナイノ。一部ノ亜人ハ、奴ニ無理矢理従ワサレテルダケ」
「奴......?」
翠鳳が呟く。
「水ノオーク達モソウ。モシ奴ヲ殺シタナラ、スグニコノ国カラ出テイクコトヲ約束スルワ。モシカシタラ、貴方ナラ......」
声は次第に遠のき、最後の言葉が空気に溶けて消えた。
破壊し尽くされた宮殿に静寂の空気が戻る。
「......いなくなった?」
翠鳳が小さく呟く。
祐基はその言葉を聞きながら、力が抜けたようにその場へ座り込んだ。
一気に押し寄せる疲労と緊張の反動に、思わず深く息を吐く。
「祐基くん!?どこか怪我でも!」
「いや大丈夫です......少し疲れちゃいまして......」
翠鳳の瞳が心配そうに祐基の体を隅々まで見回す。
「それより.....焰秋さんは.....」
祐基がそう尋ねると、安堵していた翠鳳の表情が、ゆっくりと曇っていった。
その顔を見ただけで、祐基はすべてを察してしまった。
無言のまま祐基は立ち上がり、翠鳳と共に紅蓮と焰秋のもとへ向かう。
距離にすれば 20秒もかからない。
だが、体感では3分程かかったような重い感覚の中、祐基達はそこへ着いた。
「焰秋さん......」
倒れている焰秋の肌色は白く、血の気が薄い。
応急処置で布を切断面に巻いているが、完全に止血はできておらず、血が流れすぎてしまったのだろう。
呼吸はしているがか細く、何度も何度も早い速度で息を吸っては吐いている。
目はほぼ閉じかけており、薄っすらと隙間から覗く瞳が、祐基を向いているのがわかる。
翠鳳は焰秋の左手をそっと握りしめた。
目には涙が溜まり、堪えきれずにこぼれ落ちている。
紅蓮は黙って焰秋を見つめていた。
その顔には、はっきりと悔しさが滲んでいる。
「祐基........しかと見た.........お前の.....力......」
焰秋は、今にも途切れそうな弱々しい声を発した。
「翠鳳ちゃん......そう悲しそうな顔すんな.......兵士は...悔いを残さない........こうなる覚悟は.....いつだってできていた.......未来ある命一つ....守れて死ねるんだ......これ以上に......理想的な兵士の死に方を......俺は知らない......」
焰秋の瞳が僅かに動き、紅蓮を見る。
「紅蓮殿........取り返しのつかない.....過去なら.....誰にでもある.........あまり背負い込まない方がいい..........この部隊を......あなたに預ける........都まで........皆を......送り届けてくれ.........」
「......はい、必ず......」
紅蓮は静かに答えた。
「翠鳳ちゃん.........あまり.......紅蓮殿の.......足、引っ張らないよう.......気をつけなよ........けど.....その能天気ぶり.........ちょっとだけ......冒険者だった頃思い出して........楽しかったぜ...........いつか......帝国一の僧侶に........なってみろ......」
「っ.......はいっ!!」
翠鳳は涙の混ざる声を高く上げ、答えた。
「祐基.......わしのように......兵士の最期は....いつも突然だ.........同期か親友か.......わからんが.....その悲しみを乗り越えれば........強くなれる.........お前は今....殻を破った..........ようやく.....一人前の兵士と....なったんだ........亜人をこの国から........追い出せ......兵士よ......」
「......はい!」
祐基は力強く答えた。
その瞳には焰秋の意思を継いだかのような、確かな闘志が宿っていた。
焰秋はその答えに、薄く笑みを浮かべ、天を見た。
「始まりは....17だったか.......いや.....お前と出会ったのは....18か........長く....戦い続けた.......ようやく.......そっちへ行けるぞ.........」
声は次第に小さくなり、呼吸の音が途切れ始めた。
もう、時間だと誰もが悟った。
「あぁ......おまえたち.........妻よ.......いま....いくぞ...............」
ゆっくりと、そして安らかに。
声が一つ、宮殿から消えた。




