32.伝説の弓
「祐基くんっ!!!」
「ごめんなさい、翠鳳さん。遅れちゃって」
翠鳳は涙を滲ませながら叫んだ。
ずっと祐基を待っていたかのような、恐怖と安堵が入り混じっている声で。
「亜人王を殺す......?」
ラージャンが低く呟く。
彼は血走った右眼で祐基を睨みつけていた。
「『双刀』でもなければ異名もないクソガキの人間が......奴を殺すだと......?」
ラージャンは体をワナワナと震わせている。
その憤怒に染まった気配が、宮殿内部の空気を重くした。
「この武器と.....あの野郎の眼を射抜いた礼に見逃してやろうと思ったが..........貴様如きにッ!!!この俺ですらできなかった事をするだとッ!!?それは俺に対する挑発.....侮辱発言だッ!!!ここで惨めに殺してやろうッ!!!!」
「やってみろ」
祐基は矢筒から一本の矢を抜き、静かに番えた。
対してラージャンは、不敵に笑った。
「おっと....!!その弓はそこに置くんだな!?仲間がどうなってもいいというなら、止めはしないが....!!」
その発言に祐基は、すぐにラージャンから翠鳳へと視線を移す。
見えたのは、三体の水のオークがまるで人質のように剣を翠鳳に突きつけていた光景だった。
「祐基くん!!私たちのことはいいから、早く秘宝を持って逃げてっ!!!」
翠鳳の震えた叫びに、祐基は目を細め駆け出した。
「ザバババ!!!動くなって言ったんだよ俺はッ!!!」
ラージャンが怒声を上げると同時に手を振り下ろす。
その合図で、水のオークたちが一斉に翠鳳へ剣を振り下ろした。
だが。
「そこ」
祐基は矢を放つ。
矢は一直線に飛び1体の水のオークの剣を弾いた。
その衝撃で逸れた剣は、他2本の剣とぶつかり合い、それぞれの剣は空を切る。
さらに、弾かれた剣の1本は、仲間である1体の水のオークの膝を切った。
「アッゴメン!」
切った仲間に謝った直後、その水のオークの顔を横から矢が貫いた。
他の2体がそれに反応して動こうとした瞬間、同じ角度から2本の矢が続けざまに飛び、頭部を射抜く。
「なっ....!?」
ラージャンは驚いたのか、声を漏らした。
祐基もまた、信じられないほどの早射ちに一瞬目を見開く。
今までの限界、1秒に二射だったが今は違う。
確かな感覚があった。
今の自分なら1秒で五本は放てる。
祐基を包む、今ならなんでもできるような高揚感がそう言っている。
心が熱く高鳴る。
(これが俺の本気の力.....兄貴が昔から言ってた俺の本当の......!)
ようやく、昔から祐基の弓の腕を熱く語っていた屈釖の意味を、祐基は理解した。
屈釖、あの兄貴だけは祐基の本当の才能を見抜いていた。
だが今までの祐基はそれを信じようとはしなかった。
どんなに言おうと「自分なんか....」と卑屈になり認めなかった、逃げていた。
けど、今ならわかる。
「翠鳳さん!焰秋さんと紅蓮隊長をお願いします!」
「え....!あっ!はいっ!」
祐基が声を上げると、翠鳳はすぐに頷き、焰秋を抱えて壁際で倒れている紅蓮のもとへ駆け出した。
祐基はそれを見届け、再び弓を構える。
「ザバババ!!なるほど口だけの事はあるようだ...!!」
ラージャンは秘宝の弓を床に投げ捨て、杖を再び握る。
「『痛みの雨』!!」
ラージャンが杖を掲げると、祐基は無意識に天井を見る。
そこには水の雲があった。
その雲から異様な何かを感じ取った祐基は、ラージャンの周囲を回るように駆け出した。
雲から徐々に水が降り始める。
その水は異様な速度、異様な威力で宮殿の床に小さな穴を空けてゆき、やがて崩す。
雲は逃げる祐基を追いかける。
「逃げても無駄だ!!」とラージャンが嘲笑うように叫ぶが、祐基は走るのをやめない。
目はじっとラージャンを観察していた。
(これが水を操る権能.....下手をすれば即死の技。けど....!)
祐基は矢を番え、狙いを定める。
そして、ラージャンの残る右眼目掛けて放たれた。
だが矢が届く寸前、雨が止み、ラージャンの眼前の小さな水の球体が水のカーテンを形成し、矢はそのカーテンに弾かれた。
「『瞬間の硬水』....!」
(矢を弾いた.....相当な硬度の水.....?)
間髪入れず、祐基は再び矢を放とうとしたが。
「『造形の水体』....!!」
水のカーテンはぬるりと、ラージャンの欠損している左肩に吸い込まれるように入ると、欠けた部分を埋め、水の肩を作り上げる。
ラージャンはぐっと肩を回し、まるで完全に治ったかのように左腕は機能を取り戻していた。
「ザバババ!!片手じゃやばそうだ、こっからは本気で行くぞッ!!」
ラージャンは左手を地面に叩きつけた。
「『串刺しの水棘』!!」
ラージャンの叫びと同時に祐基の足元、そして床一面に散らばっていた水が震え出し、無数の棘となって鋭く突き上がる。
水というにはあまりに凶器な塊。
祐基は反射的に身を翻し、飛び退いた。
ラージャンはすぐに次の動作へ移る。
杖を高く掲げると、宙に浮かぶ一つの水の球体が天井の穴を突き抜け、空へと昇り消えた。
その意図はわからないが、祐基は隙を逃さず矢を番え、ラージャンの心臓めがけて放つ。
だが、ラージャンの左肩を形成する水が、まるで生きているかのように伸び、左腕全体を包み込む盾を作った。
矢はその盾に当たると、石にでも当たったような音を立てて弾かれる。
「ザバババ!!この水は剣をも受けれる強度を誇る....!!矢なんざ効くかァ!!」
ラージャンの嘲笑に、ならばと走りながら再び矢を番え、矢を軽く捻り、放った。
ラージャンは先ほどと同様に、盾を体の前に置き弾こうとした。
しかし、矢は先程放ったものよりも数段速く、水を貫通し左腕に突き刺さる。
貫かれた水の中に鮮紅の液体が混ざり、ラージャンの表情が苦痛に歪む。
「ぐっ....馬鹿なッ!!?」
「矢に回転力を加えれば、甲冑7枚程度なら貫ける。俺の矢をそう簡単に防げると思うなよ」
勿論やった事はない。
これもまた、そのくらいならできるという確信と高揚から来る言葉だ。
突き刺さる矢を引き抜き捨てたラージャンは傷口を押さえながらも、かすかに笑った。
その笑みに不気味な違和感を覚えた祐基は警戒を強める。
その時、背後から声が轟いた。
「祐基ッ.....!!そこから離れろッ!!!」
「紅蓮隊長!」
振り返ると、壁際で血を吐きながら紅蓮が叫んでいた。
命を削るような必死さがこもっている。
「ザバババ!!もう遅い!!『沈みの大地』ッ!!!!」
ラージャンが杖を振り下ろす。
直後、天井が衝撃音と共に崩れ落ちた。
祐基がとっさに上を見上げると、瓦礫の隙間から覗いたのは、家1軒分はあろう巨大な水の塊だった。
「っ....!!」
「祐基くんっ!!」
「鉄の塊だ!!!潰れ沈めッ!!!」
ラージャンの咆哮と同時に、水の塊が瓦礫を巻き込みながら落下した。
その破壊力と衝撃は宮殿全体を揺らし、巨大な初代皇帝の石像がゆっくりと傾き、やがて倒れた。
落下した水の塊は地を抉り、激突の瞬間に四方へ飛び散る。
床には巨大な円形の穴がぽっかりと空き、その中心は水で深く沈んでいる。
その破壊の跡は、まるで天から隕石でも落ちたかのようだ。
ラージャンは満足げに高笑いをした。
「ザバババババ!!どれ、無惨な姿となった死体を見ておこうか!!」
翠鳳は必死に祐基の名を叫んだ。
しかし、祐基の返事はない。
ラージャンはゆっくりと衝突地点へと近寄る。
だが歩を進めるごとに、その笑みは徐々に消えていった。
「.......あ?」
穴を見下ろすラージャンだったが、その表情に明らかな戸惑いが浮かんだ。
祐基の姿がないのだ。
水の中にも、瓦礫の影にも、血の跡すら見当たらない。
確かに、あの瞬間そこにいたはずなのに。
「....どういうことだ?」
「こっちだ」
そう声を出すと、ラージャンの体は瞬時に振り向いた。
そして、声と同時に放った矢がラージャンの左肩に突き刺さる。
矢の回転による衝撃で、左肩を形成する水の装甲が砕け、肉を抉る。
「グァッ!!?.....てめっ.....避けやがったのかっ......!?」
「体力はなくても、逃げ足だけは昔から速いんだよ」
水の塊が降ってきた場所とは反対、ラージャンの背後に祐基は立っていた。
「祐基くん!良かった.....!」
翠鳳はホッと息を吐き、顔に安堵の色が広がる。
しかし次の瞬間、その表情はまたも一変した。
「祐基......なるほど鬱陶しいチビだ.....ザバババ」
ラージャンが床を杖で叩くと、宮殿中の水が動き出した。
一つ一つの水が自我を持つように、地を這い、空を飛び、ラージャンの足元へと集まっていく。
やがて水はラージャンの体を包み込み、床がきしみを上げ始めた。
「矢の腕も確かに見事......だがそれだけ......魔導士でなければ権能も持っていない......ただの弓使い......。矢が通じなければ手も足も出ないだろ.....ザバババ!!」
全ての水が集まり終えラージャンの顔を包むと、水は一気に膨れ上がった。
水の層はさらに厚みを増し、初代皇帝の像ほどの高さに達したその水の塊は、次第に人型を形成する。
「な、なにあれ!?」
「まだ......こんな力を隠してたのか.......」
祐基は息を呑んでその光景を見上げた。
水の巨体の胸の中心...そこに、ラージャンが浮かんでいる。
まるで神像のように、両眼を光らせて祐基を睨みつけていた。
「ザバババ!!褒めてやる、これを使ったのはクライケンの野郎と亜人王だけだ!!」
奴は水中にいるが、声はしっかりと聞こえた。
水のオークは水中でも呼吸や会話ができる事を習ったなと、祐基が訓練時代を思い出していると、水は体を形成し終えた。
13メートルを超える水の巨人が、宮殿の床を砕きながら立ち上がる。
その姿はまるで、水の神そのものが人の形を借りて現れたかのようだ。
「これなるは水の神スイレンへの信仰の形。寵愛を受けた我が権能の結晶」
その瞬間、天井の割れ目から光が差し込み、水面がそれを反射し宮殿中が美しき水模様に覆われた。
あたかも、自分自身も水中にいるかのような錯覚が起こる中、ラージャンは叫んだ。
「『水神の降誕』ッッッ!!!!」
すぐさま祐基は矢を番え、捻り射つ。
放たれた矢は狙った箇所に命中し、水の巨体の表面を貫いた。
だが矢は水中で止まり、ラージャンのもとまでは届かなかった。
「届かない.....!?」
「ザバババババッ!!!この体の水は硬度に加え、さらに水の抵抗も加わる.....!!もう矢なんざ効かねぇんだよッ!!!」
無視して矢をさらに強く捻り射つ。
しかし矢は、前より深く水の中を突き進むも、やはり途中で減速し止まってしまった。
これ以上回転力を加えれば、弓が耐え切れず折れる。
仮にそれ覚悟で射ったとしても、この厚い水を貫くことができないのがわかる。
(どうすれば......兄貴なら.....どうする......)
焦燥に駆られる中、ラージャンが嗤う。
「ザバババババ!!!終わりか?なら次はこっちの番だな!!」
水の体が動き出す。
右腕が上がり、祐基めがけて振り下ろされた。
「っ!!」
祐基は咄嗟に横へ跳び、拳が床を粉砕する衝撃波が背中を押す。
砕けた床の破片が宙を舞う中、間髪入れず次は左腕が襲いかかる。
祐基は転がるようにしてなんとか避けるが、ラージャンの攻撃は止まらない。
何度も何度も拳が襲い、避けるのに手一杯となり反撃の隙を一向に掴むことができない。
仮に掴めたとしても、奴に効く攻撃がわからない以上、何をしても無駄だろう。
ただ必死に逃げて、かわして、徐々に体力が削られていく。
「ザバババ!!こっちは体力を使わない!!だがお前はいつまで避け続けられるかな....!!?」
ラージャンは玩具で遊んでいるかのような楽しげな声で笑い、休む暇も与えず連撃を浴びせてくる。
巨大な水の腕は次々と床を叩き砕き、まともに走れる足場が少なくなってきていた。
(何か....何かないか.....!このままじゃ.......!!)
焦りが顔に滲み、思考が熱を帯びる。
矢が通じないなら直接あの水の中に潜り込み、泳いでラージャンを倒しにいくのはどうか。
どういう原理かはわからないが恐らくあの水の硬さは、高いところから物が落下し水に衝突した時の瞬間的な抵抗で硬くなるあの現象に似たようなもの。
もしくは水を操作し、逃げ場を無くし硬くさせているか。
どちらにせよ硬いのは表面だけ、それも一瞬。
そこさえ超えれれば入る事は可能だろう。
だがそれは自殺行為だ。
水の中なので当然息ができない。
ラージャンがあの状態で動けるのか知らないが、もし奴が体の中で逃げに徹すれば、水中の移動速度の速い水のオーク相手に追いつけるわけがないので無駄に終わる。
それどころか、閉じ込められでもすれば息が切れて死ぬ。
水の中はさらに向こうに軍配が上がってしまうだけだ、だからこれはできない。
(じゃあ他には.....何か.......!)
何も思い浮かばなかった。
「祐基くんッ!!」
そう頭を悩ましていると、翠鳳の声が聞こえてきた。
はっ!と顔を上げると、彼女は紅蓮たちから離れ、何かを抱えて祐基に向かって走ってくるのが見えた。
「翠鳳さん.....!?」
「これ!!!」
なんで出てきたのか、そう問うより早く、翠鳳は手にしていたものを祐基へと投げた。
祐基は迫る水の腕をかわしながら、反射的にそれを掴み取る。
「いっ!?」
それを手に持った瞬間、手にビリッと一瞬電気が走り、体全体に痺れる感覚が駆け抜けた。
「これ......雷衝動......!!」
それは国の秘宝、地下で見つけた黄金の弓、雷衝動だった。
「何だ!!貴様から死にたいのかァッ!!?」
ラージャンの怒声が轟く。
狙いを翠鳳に変え、水の体を動かし右腕を振り上げた。
だが、祐基はもう動いていた。
思考より先に、本能が弦を引いていた。
まるで心臓が雷と化したような感覚、迸る電流が腕を伝って矢へと流れ込む。
矢に青白い稲光が走り、雷撃音が響く。
「祐基くん!!いっけぇぇぇぇッ!!!」
翠鳳の叫びと同時、ラージャンの右腕が振り下ろされ。
雷が解き放たれた。
放たれた矢は、もはや矢ではなかった。
雷そのものと化し、雷鳴を轟かせ一直線に、目にも止まらぬ速度で水の巨体へ突き刺さる。
そして、水の体に巨大な穴を穿ち、水ごとラージャン本体の左半身を抉り抜けた。
さらに水全体が感電、眩い閃光が宮殿全体をを激しく照らし、ラージャンの声にならない悲鳴が響き続けた。
その信じられない威力を前に、祐基は弓を握ったまま唖然と立ち尽くす。
翠鳳も紅蓮も、声を失っていた。
やがて、水の巨体は轟音を立てて崩れ落ち、床に流れ広がる。
後に残ったのはボロボロに焼け焦げ、瀕死の重傷を負う、意識を失っているラージャンだった。




