31.覚えていきやがれ
「え.....これは.....!?」
息を切らしながら階段を駆け上がった翠鳳は、目の前の光景に思わず息を呑んだ。
一部天井が崩れており、壁の至る所に穴が空き、まるで嵐のような戦闘が繰り広げられたことを語る、変わり果てた宮殿内部。
そこに見えたのは傷だらけの紅蓮、対峙する水のオーク族長ラージャン・パラードの姿だった。
ラージャンの周囲には、蛇のように蠢く水の縄が漂っている。
「紅蓮さん!!」
紅蓮は額から血を流し、肩で息をしている。
その姿を見て、早く治さなくちゃと翠鳳が駆け出す。
「っ.....!来るなら翠鳳!!」
紅蓮の叫びが響く。
しかし、その警告は一歩遅かった。
翠鳳の行く手を阻むように、水のオークが五体立ち塞がる。
「ん.....?貴様、今どっから現れた.....」
ラージャンの瞳が翠鳳を捉えた。
その声には、敵意と共にわずかな興味が滲んでいるように感じる。
「.....おい」
「.....何ですか?」
ラージャンの視線は翠鳳の顔から下へ、手に持っている秘宝の弓へと移った。
「強大なエネルギーを感じる.....それが赤白髪が言っていた亜人王を討てる宝か....!!」
「....!?」
赤白髪、恐らく焰秋隊長の事だろうと、翠鳳は瞬時に理解した。
なぜ言ったのかはわからない。
だが、知られてしまった以上、この弓だけは絶対に渡してはいけない。
「だったら何ですか....!」
「お前ら、それを奪え。女は殺せ」
ラージャンが指示を出し、命を受けた水のオークたちは剣を構え、一斉に翠鳳を囲むように前へ進み出た。
「くっ....!させるかっ!!」
「『赤龍』!!お前の相手は俺だ!!!ザバババババ!!!!」
翠鳳へと駆け出した紅蓮だったが、阻止しようとラージャンが動く。
ラージャンの周囲に浮く水が突如膨張し、一気に紅蓮へ向けて、細長く凄まじく高圧の三本の水が放たれた。
細く、鋭く、まるで槍のような水流が紅蓮を貫かんと迫る。
それに気づいた紅蓮は咄嗟に避けると、水は床を穿ち突き破る。
その威力は、鉄をも穿ちそうなほどだ。
しかも、水は放たれ続けているのに、浮いている水の量がまるで減っていない。
あれは魔法の力か、それとも権能の力なのか、わからないがどちらにせよ恐ろしい力だ。
「ザババ!!」
「ラージャンッ!!」
ラージャンが手に持つ杖を振ると、水は紅蓮を追い始め、紅蓮は走り出す。
「ザバババ....正直期待外れだな!噂の『赤龍』がこの程度の実力とは、顔にはっきりと迷いが見えるぞ!!」
「黙れっ!!!」
ラージャンは笑みを浮かべながら、紅蓮に水を執拗に放ち続けた。
(一旦ここから離れないと紅蓮さんの足を引っ張っちゃう....!)
翠鳳は徐々に迫ってくる水のオークたちを睨みながら、必死に策を巡らせた。
けれど、現実は残酷だ。
戦う力なんてない自分に、できることなど何一つない。
(.....あ!そうだ!この弓を使えば....!!)
脳裏に閃光のようなひらめきが走る。
しかしすぐに問題が浮かぶ。
生まれてから一度も弓なんて使ったことがない上、そもそも射つための矢がない。
ならどうやって使う。
「......何ノマネダ人間」
水のオークたちの足が止まり、困惑の声が出た。
「秘宝.....なんか強そうな響きだし.....きっと強い武器!だから、殴打武器としても使えるでしょ!!多分!!」
翠鳳は錫杖を床に置き、弓を杖のように構えた。
自信満々の表情を浮かべながら。
「翠鳳!!ふざけてないで早く逃げろ!!」
そんな翠鳳に紅蓮は怒号を発した。
しかし、翠鳳は真剣な顔でこう返す。
「ふざけてなんかいません!!大真面目です!!」
「ザバババ、大真面目であれか。人間ってのはもっと頭が良い奴らだと思ったんだがな」
「ああ全く、愉快な部下を持って幸せだよ....」
ラージャンが呆れた眼を向けて鼻で笑うと、さらに一人、翠鳳の背後から男の声が聞こえると同時に地を蹴る音が響いた。
翠鳳が振り向くと、影は宙を飛ぶ。
そして、水のオークたちの前へと着地すると、すぐに剣を薙いだ。
「ワシはッ!!」
剣は水のオーク1体の首を飛ばし、そのままもう1体切ろうとしたが、紙一重で躱された。
水のオークたちは一歩退き、警戒の構えを取る。
「くそっ....やっぱ『双刀』や紅蓮殿のようにはいかないな。そもそも戦闘とか得意じゃないのよ」
「焰秋隊長!!」
その特徴的な髪色は背後からでも誰か、すぐにわかった。
焰秋隊長だ。
「翠鳳ちゃん.....」
焰秋はゆっくりと振り返り、喜ぶ翠鳳と目が合うと。
「アホかぁッ!!」
「痛ったぁぁぁ!?」
脳天を軽く拳で叩いた。
「大事な国の宝の....しかも弓をだぞ!?殴打武器として使おうとすんなっ!!」
「仕方ないじゃないですか!この状況どうにかできそうなのそれしかなかったんですもん!」
「もんじゃない!」
焰秋はまるで娘を叱る父親のように怒鳴りつける。
だがその直後、ふと何かを思い出したように顔つきが変わった。
「あ、いや.....それよりも翠鳳ちゃん、外に孫覇がいる。その弓持って都へ帰還しろ。それさえあれば六荒王に勝てるはずだ」
焰秋は宮殿の入り口を指差した。
「焰秋隊長は....?」
「ワシは殿だ。お前たちが離脱したのを見届けてから、遅れて都へ向かう.....」
どうやって?
そんな言葉が喉まで出かかったが、飲み込んだ。
それを聞くのは野暮だろう。
焰秋の顔を見ればわかる、あの覚悟を決めた顔を見れば。
翠鳳もそれを汲み取り、行きたいところだったが、そうもいかない理由があった。
「ダメです隊長!まだ祐基くんが!!」
「祐基?そういえば祐基はどこに行った!一緒に行動してたんじゃないのか?」
「祐基くんは....まだ地下に......」
説得する時間が足りず、地下に置き去りにしてきてしまった祐基。
チラチラと地下の入り口を見やるが、全く姿は現れない。
「そうか.....」
一瞬だけ、焰秋の表情に影ができた。
だが次の瞬間には、隊長の顔に戻った。
「仕方ない。先に行くんだ翠鳳!!」
「置いていくんですか!?そんな.....!」
「残念だが彼はそこまでの男だったって事だ。今この状況で面倒は見れない!!」
翠鳳が驚愕する中、焰秋は冷静に決断した。
「イツマデ喋ッテルツモリダ!!」
静観していた水のオークたちが一斉に動き出し、剣を焰秋に向けて振り下ろす。
間一髪で身を捻り避け、焰秋は叫ぶ。
「早く行ってくれ翠鳳ちゃん!!ワシの代わりに必ず都に届けてくれよ!!」
焰秋が敵の剣を受け止める。
その一瞬の隙に、翠鳳は唇を噛みしめ駆け出す。
ここで行かなければ、どのみち全員殺されてしまう。
胸の奥に鋭い痛みを感じながらも、翠鳳は耐える、耐えて走った。
だが。
「二人共避けろォォォォッ!!!!」
紅蓮の必死の叫びが響く。
反射的に振り返ると、ラージャンの腰を囲うように水の輪が浮かび上がっていた。
「水の刃......『両断の波動』ッ!!!」
次の瞬間、風をも追い抜くほどの凄まじい速度で、刃物の様に細い水が四方へ放たれた。
翠鳳は二つ、理解してしまう。
直感ではない、生物的本能とでもいうものか。
これは受けれない。
剣や錫杖で防ごうとすれば、それごと切られてしまうだろう。
そしてもう一つ、自身の不可避の死。
あの速度ではもう避けることもできなければ防ぐ術もない。
このまま水に体を真っ二つに斬られてしまう。
そう理解した瞬間、体中の血が凍りつくような冷気が駆け抜けた。
「翠鳳っ!!!」
水の刃は周囲を切り進んだ。
初代皇帝の石像も、宮殿の壁も容赦なく切断される。
だが、どちらも崩れはしなかった。
まるで倒れることを拒んでいるかのように、立ち続けている。
「......あれ....?」
床に倒れていた翠鳳は、ゆっくりと目を開ける。
息がある、痛みもない。
慌てて腹や胸に手を当てたが、どこにも切られた痕跡はなかった。
「私....生きてる......?」
翠鳳は何が起きたのか、周囲を確認する。
そして、自分が助かった答えはすぐ後ろ、血を流し倒れている人を見て理解した。
「.......焰秋....隊長.......!?」
右腕と右脚が無く、血溜まりの内に倒れていたのは、焰秋だった。
近くには、彼のものと思われる切断された腕と脚が転がっている。
その現実とは思えない....いや、思いたくない光景に翠鳳の喉が詰まり、声が震えた。
「う.....うぅ.......まさか......仲間ごと.....切るとは.......」
掠れた声で呟く焰秋。
その背後には、水のオークたちの下半身が立ち尽くしていた。
上半身は床に転がり、鮮血が床を染めていく。
「我ら水のオークは水を信仰する。水に殺されるのは本望だ」
ラージャンは淡々と告げた。
その声には悲しみも怒りもない。
「焰秋隊長っ!!!!」
すぐに翠鳳が駆け寄り、震えた声で「<ヒール>!!」と唱え、奇跡の光で焰秋の傷を治そうとするが、治らない。
翠鳳は震える手で再び詠唱する。
しかし結果は同じだった。
ヒールが治せる怪我には上限があり、腕や足の欠損となると、ヒール・シールという腕は二度と生やせなくなるが欠損部分を塞ぎ血は止められる魔法を使うか、上級治癒魔法が必要となる。
そのことは翠鳳が誰よりも理解しており、そしてそれらの魔法を彼女は習得していない。
つまり、彼女の目の前で倒れている焰秋を救う術は、もうない。
「貴様ァァァッ!!!!」
紅蓮の怒号が宮殿内に響き渡る。
彼女は偃月刀を構えると、地を蹴り、一気にラージャンへ突っ込んだ。
素早い紅蓮の動きにラージャンは一瞬反応が遅れたが、「壁ッ!!」と一言叫ぶ。
すると何処からか2体の水のオークが現れ、盾のようにラージャンの前に立つ。
「フン、残念だった......」
ラージャンの口元に嘲笑が浮かんだが、その笑みは次の瞬間、紅蓮の咆哮に掻き消された。
「『赤・突』ッ!!!!』」
紅蓮は止まらず、突き出された偃月刀をそのまま左側に立つ水のオークの胸に突き刺した。
直後、刺さった偃月刀は衝撃波のようなエネルギーを発し、水のオークごとラージャンの左肩を吹き飛ばした。
「グアァアッッ!!!!??」
ラージャンは苦悶の声を漏らし、よろめきながらも倒れなかった。
すぐさま左足に水流を纏わせ、反撃する。
「衝撃は鉄を超える!!『瞬間の硬水』ッ!!!」
紅蓮は左腕で身を庇おうとした。
だが、当たると同時に骨が砕ける音が響く。
そしてそのまま、宮殿の壁まで蹴り飛ばされた。
背中から壁に激突した紅蓮はそのまま倒れ、手から偃月刀が離れた。
「紅蓮さんっ!!!」
翠鳳は叫ぶも、紅蓮は倒れたまま動かない。
意識があるのかすらわからない。
ただ、今の一撃で戦闘不能に陥ったのは明らかだった。
「はぁ....はぁ....!!ザババババッ!!!!」
ラージャンは息を荒げながらも、不敵な笑みを浮かべていた。
「左肩はくれてやる.....最後の最後に『赤龍』を見た気がするぞ.......仲間を殺された怒りで蘇ったか.....?」
杖を支えにしながら、ラージャンはゆっくりと一歩ずつ前進する。
大きく欠損した左肩からは止めどなく血が溢れ落ち、左腕は力が入らないのか、ぶらんぶらんと垂れている。
「ザバババ.....しかし.....これか.......」
ラージャンは、翠鳳が焰秋に庇われた際に床に落とした秘宝の弓の元へ着くと、弓を拾い上げた。
「ザバババババ!!!なるほどこれなら確かに奴を殺せるかもしれん.....!!まさかこんなところで思わぬ副産物が手に入るとは......!!!」
ラージャンの笑い声が帝の間に響いた。
弓を回し、その造りと装飾を舐めるように見渡す。
秘宝が亜人の手に渡ってしまったその絶望的状況を、唯一動ける翠鳳はただ黙って見ていることしかできなかった。
「くそっ........陛下の.....雷衝動.......!!」
笑みを浮かべるラージャンは、その眼をギョロッと、弓から翠鳳へ向けた。
視線の合った翠鳳の全身は凍りつく。
まるで蛇に睨まれたかのように体は震え出し、指すら全く動かなくなり、声一つ上げることができなくなった。
「ザバババ.....!せっかくだ.....こんな武器をくれた礼に、お前たちを水で殺してやろう......!!」
そう言ってラージャンはゆっくりと一歩、また一歩と距離を詰めてくる。
「光栄に思え....!!水で死ねるとは、生命を司る水の神スイレンのご加護を冥界で得ること!!魂は生命の海へと還れるぞッ!!!」
ラージャンの声が朗々と響く。
翠鳳は唇を噛み、ただ心の中で祈ることしかできない。
(いや.....来ないで......)
奴の足音が重く響いてくる。
聞こえるたびに思わず目を強く瞑ってしまう。
距離はまだ完全に詰まってはいないはずだが、翠鳳の全身には既に耳元にまで迫った恐怖のような圧がのしかかっていた。
どうにもならない絶望の現実に、翠鳳は一筋の涙を垂らす。
そして、最後に強く祈った。
(誰か......助けて.......っ)
その時だった。
ヒュッと風を切る音がした。
そして、ラージャンの怯む声と離れていく足音が聞こえる。
翠鳳は恐る恐る目を開き、ラージャンを見た。
「えっ.....!」
ラージャンの左眼に、一本の矢が深々と突き刺さっていた。
苦痛に顔を歪めた彼は、矢を引き抜くと左眼を右手で強く押し当てた。
やがて右眼に怒りの炎を宿し、咆哮した。
「誰だッッ!!!!!」
「誰だ?」
その怒声に、静かに応える声が一つ。
男の声だ、若い男の。
翠鳳はハッと、声の聞こえた地下の入り口の方を振り向く。
そこに、一人の男が立っていた。
背は低く、髪は灰色のポニーテール。
自身の体を超える弓を構え、ラージャンを鋭く睨んでいる。
「知らないなら教えてやる」
翠鳳の胸が高鳴る。
その声、その姿を彼女は知っていた。
だが今そこに立つ彼は、少し前とはまるで違う。
何かを決意した、男の眼をしていた。
その名は。
「聞いて驚き知って驚き、そしてその眼で見て驚けっ!僕は....いや、俺は楊 祐基ッ!!!誰よりも強い兄貴の弟分にして......亜人王を倒す者ッ!!!そして今、お前を倒す者だッ!!覚えていきやがれッ!!」




