30.戦え
「やりましたね祐基くん!!早くこれを持って皆んなのところに戻りましょ!」
「......いいです」
「え?」
「僕はもう......戻らない.......」
「はい?」
翠鳳は、祐基の言葉に固まった。
「祐基くんいきなり何言ってるんですか!戻らないって......ここに暮らしたいって事ですか!?餓死しちゃいますよ!」
「もう嫌なんだ.....兄貴のいない世界なんて.....生きたくない......」
「兄貴....さっき言ってた人ですか」
涙が溢れ、祐基の身体から力が抜けていく。
そのまま、崩れるようにその場に座り込んだ。
「僕が弱かったせいだ......!!僕が何もできない奴だから....兄貴を見殺しにしたんだ....!!僕なんかが........生きてても意味がない........」
拳を握り締め、床を叩く音が響く。
「僕はもう......戦えない......」
祐基の心に残っているのは絶望と恐怖だけ。
ずっと自分の憧れであり、進む先を示してくれた兄貴の存在。
それを容易く壊した亜人王。
兄貴が勝てない存在を誰が倒せる、兄貴がいないこの世界で生きる理由はなんだ。
もう、歩きたくもない。
「祐基くん.....」
「早く行って.....皆んなで逃げて.........もう....無理なんだ.....僕も....この国も」
一人、深い絶望の沼に沈んでいく祐基。
その瞳は光を失い、生気が抜け落ちたようだった。
翠鳳は黙って祐基の前に屈み込み、そっとその頬へ手を伸ばした。
「ちょっと痛いですよ〜」
次の瞬間、パァン!と音が響いた。
「え.....?」
突然の痛みに祐基は目を見開き頬を押さえ、翠鳳を見た。
「ね.....手が痛いです!!」
翠鳳はそう言って、叩いた自分の掌を痛そうに摩っていた。
「な、なに......?」
「どうやら祐基くんは、まだまだ人生というのをわかっていないようですから、お姉さんが教えてあげます」
翠鳳は祐基の目をまっすぐに見つめ、真剣な眼差しのまま、静かに口を開いた。
「あなたは誰かに言われて生まれてきたんですか?いいえ。あなたが生まれたのは、自分が“生まれたい”と望んだから。あなたが生きる意味なんて、あなた自身がそう望んだからでしかありません。人のせいにして勝手に生きる理由にしないでください」
「......は?あなたに何がわかるんですか......!」
祐基は睨んだ、怒りと悲しみが混ざり合った瞳で。
だが翠鳳は一歩も退かなかった。
「分かりませんよ何も」
翠鳳は平然と言った。
「ただ、そうやって何でもかんでも兄貴さんのせいにしたら........兄貴さんが可哀想じゃないですか。今の祐基くんの姿を見て、兄貴さんは何て言うと思います?」
「......兄貴なら」
考えたくない。
何と言うかなんて、分かりきっているのに、認めたくなかった。
「わからない.....兄貴はいつだって、僕の考えなんか及ばなかった.....」
「嘘ですね祐基くん、考えたくないだけでしょ?」
その言葉は冷たい刃のように祐基の胸に突き刺さった。
「自分が怖いのを兄貴さんのせいにして、逃げてるだけですよね」
翠鳳は、まるで心の奥を見透かしているかのように、淡々と言い切る。
「祐基くん、怖いものは怖いでいいんです。恥ずかしがることではありません。けど、1番恥ずべきなのは....それから逃げることです」
「.....僕は....兄貴が思うほど強くなんかなかった......兄貴がいないと.....自分が進む方向もわからない........何一つ....自分では決められない臆病な男だ.........僕は.....兵士になれなかった......」
祐基がうつむいてそう言うと、翠鳳は不思議そうに首を傾げた。
「じゃあ.....なんであなたはあの時、弓を握ったんですか?」
「.....え?」
あの時?
翠鳳と出会ってから、弓を手にした覚えなど一度もない。
心当たりのない祐基に、翠鳳は答えた。
「気付いてなかったんですか?あの水のオークたちが現れた時、誰よりも真っ先に武器を構えてましたよ?」
そんなはずはない。
戦うなんて考えていなかった。
ただ、みんなと早く逃げないと....それしか思っていなかった。
「そんなの......知らない....」
「じゃあきっと、体が勝手に動いたってやつですね。祐基くんの体はしっかりものなんですね」
そう言って、翠鳳は優しく祐基の肩に手を置いた。
「祐基くん、あなたは自分が今なにをするべきか、誰よりも自分自身が既に理解しているはずです。あとは、あなたが一歩踏み出すだけ。兄貴さんでも仲間でもない、決めるのはあなた自身です」
そう、翠鳳が優しく語り終えたその瞬間。
ドゥゥゥゥンッ.....!!
地下を大きく揺らす地響きと同時に、地上から凄まじい衝撃音が地面を伝って響き渡った。
「な、なに今の!?」
翠鳳は驚きに目を見開き、天井を見上げる。
「祐基くんごめん!私、先に行くね!」
翠鳳は慌てて秘宝の弓のもとへ駆け寄り、その弓を手に取る。
「ビリッ!!?え!何この弓.....!?触ってるとビリビリする.....!?」
驚いて弓をまじまじと見つめる翠鳳。
だが、すぐにその表情を引き締め、右手に錫杖、左手に弓を握りしめて階段へと向かう。
そのまま階段を駆け上がろうとしたその時。
「あ!あともう一つ!」
足を止め、振り返った翠鳳は、祐基の方に顔を向けて言った。
「祐基くん.....頑張って!」
短く、それでいて力強い笑みを浮かべて。
翠鳳は階段を駆け上がっていった。
その一言は、祐基の胸の中にあるモヤモヤに深く食い刺さり、気持ち悪さを感じさせる。
祐基は口を閉ざし、顔を膝に埋めた。
1人となった地下室に、音一つない静寂が戻ってくる。
まだ翠鳳がいなくなって10秒しか経っていないが、既に10分かそれ以上の時間が過ぎているように思えた。
もう動かす気はないが、体が重く動きそうにない。
まるで、上から誰かに強く抑えつけられているような感覚だ。
『わかるぜ祐基!男にはなんか体動かねぇ時っていうか、動きたくねぇ時ってもんがあるからな!いや女もそうか』
「兄貴.....?」
不意に聞こえた声に、祐基は顔を上げた。
少しボヤけて見えるが、目の前に立っていたのは間違いなく....屈釖だ。
『色々ごちゃごちゃ考えて動けなくなった事は俺にもある。けど、今どうしても動かなくちゃいけねぇ。そんな時どうするか、言ったよな!?.......あれ、言ってなかったっけ?』
「.....知らない.......多分....言ってない」
『はははっ!そうかそうか!んじゃ教えてやる!いいか祐基、これが俺の最期の教えにして、人生で最も大切なことだ!!』
(人生で......大切な事......)
『馬鹿になりゃあいいんだよ!一回頭空っぽにしてやりたい事だけ考えろ!その他は考えんな!』
「ーーー」
......なんだそれ。
『あれやこれや考えてたら、そりゃ動けねぇし不安も溜まる。だから俺は自分のやりてぇ事だけ考えて生きた!心残りは少しあるが、悔いのない人生だった!なぁ祐基、お前が今やりたい事は何だ?』
なんて単純で、バカらしくて.....。
『そこでメソメソしてんのが、お前のやりてぇことか?じゃあ何でお前は今、弓を握ってる!なんでお前はここまで来た!お前の本当にやりたい事は何だッ!!』
なんて.......兄貴らしい答えだろうか......。
「僕は.......」
『じゃあ.....なんであなたはあの時、弓を握ったんですか?』
脳内でずっと流れる翠鳳さんの言葉。
なんで?どうして?理由は?意味は?
『この弓で戦い始めたなら.......最後まで弓握り続けろ.....!!』
兄貴の最期の言葉が聞こえる。
いや、ずっと聞こえてたはずだ。
僕はずっと、聞こえないフリをしていたんだ。
あの時には.....もう、決めていたはずだった。
僕のやりたいことなんて.....ずっと変わらない.....!
「僕はっ!!......兵士になりたいッ!!!!」
僕の声が、地下室の静寂を破った。
それと同時に、僕自身が僕を閉じ込めていた殻を、破れた気がした。
原点を思い出せば、僕は子供の頃からそれが夢だった。
輝かしい英雄譚も未知への探究も興味がなかった。
ただ....国を守る、強い男になりたかった。
誰かのために立ち上がり、戦える兵士になりたかったんだ。
(兄貴.....ごめん。僕....兄貴を理由にして逃げてた)
「情けないよね、兄貴に死んだ後も迷惑かけて......でも、もう大丈夫だよ。今までありがとう.....兄貴!」
祐基は真っ直ぐに屈釖の目を見つめ、ゆっくりと立ち上がる。
背筋はしっかりと伸び、手は確かな力で弓を握り締めていた。
そして、兄貴にもう心配かけまいと、精一杯の笑顔を見せた。
『へっ.....ようやく言えたじゃねぇか。これで俺も、安心して寝れるってもんだ』
「あ、けど最後に一つだけ....お願いしてもいい?」
『あん?なんだ』
怖いからだとかじゃない。
ただ、どうしてもそうしてほしかった。
「この戦いが終わるまででいいから.....見守っててほしい。僕の事を」
僕が兵士になるところを、見ていてほしい。
誰よりも、兄貴に見ていてほしい。
『ばーか。いつまでも見守ってんぜ.....兄弟』
その声に、祐基は静かに目を閉じた。
そして再び目を開いた時、そこに屈釖の姿はもうなかった。
祐基は振り返り、階段に向かう。
「行ってきます.....兄貴!」
行ってこいと背中を押されたような感覚と共に、祐基は階段を駆け上がる。
もう2度と泣かない、迷わない。




