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龍華の英雄〜亜人戦記と弓を握りし臆病な少年〜  作者: オルレアンの人
第二章『水の試練』

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30.戦え

「やりましたね祐基くん!!早くこれを持って皆んなのところに戻りましょ!」

「......いいです」

「え?」

「僕はもう......戻らない.......」

「はい?」

 

 翠鳳は、祐基の言葉に固まった。


「祐基くんいきなり何言ってるんですか!戻らないって......ここに暮らしたいって事ですか!?餓死しちゃいますよ!」

「もう嫌なんだ.....兄貴のいない世界なんて.....生きたくない......」

「兄貴....さっき言ってた人ですか」


 涙が溢れ、祐基の身体から力が抜けていく。

 そのまま、崩れるようにその場に座り込んだ。


「僕が弱かったせいだ......!!僕が何もできない奴だから....兄貴を見殺しにしたんだ....!!僕なんかが........生きてても意味がない........」


 拳を握り締め、床を叩く音が響く。

 

「僕はもう......戦えない......」


 祐基の心に残っているのは絶望と恐怖だけ。

 ずっと自分の憧れであり、進む先を示してくれた兄貴の存在。

 それを容易く壊した亜人王。

 兄貴が勝てない存在を誰が倒せる、兄貴がいないこの世界で生きる理由はなんだ。


 もう、歩きたくもない。


「祐基くん.....」

「早く行って.....皆んなで逃げて.........もう....無理なんだ.....僕も....この国も」


 一人、深い絶望の沼に沈んでいく祐基。

 その瞳は光を失い、生気が抜け落ちたようだった。

 翠鳳は黙って祐基の前に屈み込み、そっとその頬へ手を伸ばした。


「ちょっと痛いですよ〜」


 次の瞬間、パァン!と音が響いた。


「え.....?」


 突然の痛みに祐基は目を見開き頬を押さえ、翠鳳を見た。


「ね.....手が痛いです!!」


 翠鳳はそう言って、叩いた自分の掌を痛そうに摩っていた。


「な、なに......?」

「どうやら祐基くんは、まだまだ人生というのをわかっていないようですから、お姉さんが教えてあげます」


 翠鳳は祐基の目をまっすぐに見つめ、真剣な眼差しのまま、静かに口を開いた。


「あなたは誰かに言われて生まれてきたんですか?いいえ。あなたが生まれたのは、自分が“生まれたい”と望んだから。あなたが生きる意味なんて、あなた自身がそう望んだからでしかありません。人のせいにして勝手に生きる理由にしないでください」

「......は?あなたに何がわかるんですか......!」


 祐基は睨んだ、怒りと悲しみが混ざり合った瞳で。

 だが翠鳳は一歩も退かなかった。


「分かりませんよ何も」


 翠鳳は平然と言った。


「ただ、そうやって何でもかんでも兄貴さんのせいにしたら........兄貴さんが可哀想じゃないですか。今の祐基くんの姿を見て、兄貴さんは何て言うと思います?」

「......兄貴なら」


 考えたくない。

 何と言うかなんて、分かりきっているのに、認めたくなかった。


「わからない.....兄貴はいつだって、僕の考えなんか及ばなかった.....」

「嘘ですね祐基くん、考えたくないだけでしょ?」

 

 その言葉は冷たい刃のように祐基の胸に突き刺さった。


「自分が怖いのを兄貴さんのせいにして、逃げてるだけですよね」


 翠鳳は、まるで心の奥を見透かしているかのように、淡々と言い切る。


「祐基くん、怖いものは怖いでいいんです。恥ずかしがることではありません。けど、1番恥ずべきなのは....それから逃げることです」

「.....僕は....兄貴が思うほど強くなんかなかった......兄貴がいないと.....自分が進む方向もわからない........何一つ....自分では決められない臆病な男だ.........僕は.....兵士になれなかった......」


 祐基がうつむいてそう言うと、翠鳳は不思議そうに首を傾げた。


「じゃあ.....なんであなたはあの時、弓を握ったんですか?」

「.....え?」


 あの時?

 翠鳳と出会ってから、弓を手にした覚えなど一度もない。

 心当たりのない祐基に、翠鳳は答えた。


「気付いてなかったんですか?あの水のオークたちが現れた時、誰よりも真っ先に武器を構えてましたよ?」

 

 そんなはずはない。

 戦うなんて考えていなかった。

 ただ、みんなと早く逃げないと....それしか思っていなかった。

 

「そんなの......知らない....」

「じゃあきっと、体が勝手に動いたってやつですね。祐基くんの体はしっかりものなんですね」


 そう言って、翠鳳は優しく祐基の肩に手を置いた。


「祐基くん、あなたは自分が今なにをするべきか、誰よりも自分自身が既に理解しているはずです。あとは、あなたが一歩踏み出すだけ。兄貴さんでも仲間でもない、決めるのはあなた自身です」


 そう、翠鳳が優しく語り終えたその瞬間。


 ドゥゥゥゥンッ.....!!


 地下を大きく揺らす地響きと同時に、地上から凄まじい衝撃音が地面を伝って響き渡った。


「な、なに今の!?」


 翠鳳は驚きに目を見開き、天井を見上げる。

 

「祐基くんごめん!私、先に行くね!」


 翠鳳は慌てて秘宝の弓のもとへ駆け寄り、その弓を手に取る。


「ビリッ!!?え!何この弓.....!?触ってるとビリビリする.....!?」


 驚いて弓をまじまじと見つめる翠鳳。

 だが、すぐにその表情を引き締め、右手に錫杖、左手に弓を握りしめて階段へと向かう。

 そのまま階段を駆け上がろうとしたその時。


「あ!あともう一つ!」


 足を止め、振り返った翠鳳は、祐基の方に顔を向けて言った。


「祐基くん.....頑張って!」


 短く、それでいて力強い笑みを浮かべて。


 翠鳳は階段を駆け上がっていった。

 その一言は、祐基の胸の中にあるモヤモヤに深く食い刺さり、気持ち悪さを感じさせる。

 祐基は口を閉ざし、顔を膝に埋めた。

 1人となった地下室に、音一つない静寂が戻ってくる。


 まだ翠鳳がいなくなって10秒しか経っていないが、既に10分かそれ以上の時間が過ぎているように思えた。

 もう動かす気はないが、体が重く動きそうにない。

 まるで、上から誰かに強く抑えつけられているような感覚だ。

 

『わかるぜ祐基!男にはなんか体動かねぇ時っていうか、動きたくねぇ時ってもんがあるからな!いや女もそうか』

「兄貴.....?」


 不意に聞こえた声に、祐基は顔を上げた。

 少しボヤけて見えるが、目の前に立っていたのは間違いなく....屈釖だ。


『色々ごちゃごちゃ考えて動けなくなった事は俺にもある。けど、今どうしても動かなくちゃいけねぇ。そんな時どうするか、言ったよな!?.......あれ、言ってなかったっけ?』

「.....知らない.......多分....言ってない」

『はははっ!そうかそうか!んじゃ教えてやる!いいか祐基、これが俺の最期の教えにして、人生で最も大切なことだ!!』


 (人生で......大切な事......)


『馬鹿になりゃあいいんだよ!一回頭空っぽにしてやりたい事だけ考えろ!その他は考えんな!』

「ーーー」


 ......なんだそれ。


『あれやこれや考えてたら、そりゃ動けねぇし不安も溜まる。だから俺は自分のやりてぇ事だけ考えて生きた!心残りは少しあるが、悔いのない人生だった!なぁ祐基、お前が今やりたい事は何だ?』


 なんて単純で、バカらしくて.....。


『そこでメソメソしてんのが、お前のやりてぇことか?じゃあ何でお前は今、弓を握ってる!なんでお前はここまで来た!お前の本当にやりたい事は何だッ!!』


 なんて.......兄貴らしい答えだろうか......。


「僕は.......」


『じゃあ.....なんであなたはあの時、弓を握ったんですか?』


 脳内でずっと流れる翠鳳さんの言葉。

 なんで?どうして?理由は?意味は?


『この弓で戦い始めたなら.......最後まで弓握り続けろ.....!!』


 兄貴の最期の言葉が聞こえる。

 いや、ずっと聞こえてたはずだ。

 僕はずっと、聞こえないフリをしていたんだ。

 

 あの時には.....もう、決めていたはずだった。

 僕のやりたいことなんて.....ずっと変わらない.....!



「僕はっ!!......兵士になりたいッ!!!!」



 僕の声が、地下室の静寂を破った。

 それと同時に、僕自身が僕を閉じ込めていた殻を、破れた気がした。


 原点を思い出せば、僕は子供の頃からそれが夢だった。

 輝かしい英雄譚も未知への探究も興味がなかった。

 ただ....国を守る、強い男になりたかった。

 誰かのために立ち上がり、戦える兵士になりたかったんだ。


 (兄貴.....ごめん。僕....兄貴を理由にして逃げてた)


「情けないよね、兄貴に死んだ後も迷惑かけて......でも、もう大丈夫だよ。今までありがとう.....兄貴!」


 祐基は真っ直ぐに屈釖の目を見つめ、ゆっくりと立ち上がる。

 背筋はしっかりと伸び、手は確かな力で弓を握り締めていた。

 そして、兄貴にもう心配かけまいと、精一杯の笑顔を見せた。


『へっ.....ようやく言えたじゃねぇか。これで俺も、安心して寝れるってもんだ』

「あ、けど最後に一つだけ....お願いしてもいい?」

『あん?なんだ』


 怖いからだとかじゃない。

 ただ、どうしてもそうしてほしかった。

 

「この戦いが終わるまででいいから.....見守っててほしい。僕の事を」


 僕が兵士になるところを、見ていてほしい。

 誰よりも、兄貴に見ていてほしい。


『ばーか。いつまでも見守ってんぜ.....兄弟』


 その声に、祐基は静かに目を閉じた。

 そして再び目を開いた時、そこに屈釖の姿はもうなかった。

 祐基は振り返り、階段に向かう。

 

「行ってきます.....兄貴!」

 

 行ってこいと背中を押されたような感覚と共に、祐基は階段を駆け上がる。


 もう2度と泣かない、迷わない。

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