23.ごめんな.....
あれから数時間、紅蓮は祐基を担いだまま、息を切らしながら森の中を走り続けた。
木々の隙間から漏れる夕陽は次第に赤みを失い、森は薄闇に包まれ始めている。
(はぁ...はぁ...そろそろ、どこか野宿できる場所を探さないと....)
紅蓮は、呼吸を整えながら木々の間を慎重に進んだ。
体力の限界もそうだが、夜の森の中を歩くわけにもいかないと、周囲に野営に適した場所がないか、目を凝らして探す。
(祐基も.....右肩の傷が酷い.....指の皮も捲れている......弦を引きすぎたか)
担いだ祐基の軍服は、右肩あたりが赤に染まっている。
さらに右手の親指は皮膚が裂けており、見てるだけで痛々しくなる。
(血が固まって出血は止まってるようだが、早いところ治療しないと......)
夜風が木々を撫で、ざわりと音を立てた。
それがまるで、急げと急かす声のように聞こえ、紅蓮はさらに歩を速めた。
(どこか休める場所......村でも近くにあればいいのだが.......)
そう思いながら紅蓮は足を止め、耳を澄ませる。
風に混じって、水が流れるような音が微かに聞こえた気がした。
その音が聞こえた方向、木々の間にぼんやりとした影が見えた。
「......ん、あれは....」
目を凝らす。
森の奥、黒々とした木々の隙間に一軒の建物がぽつんと建っていた。
夕闇の中、形はぼやけているが確かに人工の直線が見える。
紅蓮は慎重に足音を殺しながら近づき、その家の前に立つ。
(廃墟の...山小屋か......?)
木の壁は風雨に晒されて黒ずみ、窓ガラスは割れ、蔦が家全体に這っている。
扉は半ば開きかけ、軋む音を立ててわずかに揺れていた。
人の気配は感じない。
(ひとまず、ここで一晩過ごすしかないか.....)
紅蓮は扉を押し開け、慎重に中へと入った。
中は、古びてはいるが整っていた。
人ふたりが暮らせるほどの小さなワンルーム。
奥の片隅には古いベッド、中央に埃を被った丸い小さな木のテーブル、丸太でできた腰掛けがある。
壁際には簡素な棚と、大の大人1人が入れる程大きいクローゼットが置かれていた。
棚には乾ききった草束が並んでいる。
恐らく、かつて狩人が拠点として使っていたのだろう。
(誰のかは知らんが、ありがたく使わせてもらうぞ....)
紅蓮は祐基の背負っている弓をテーブルの上に置き、慎重にベッドの埃を払い、祐基をそっと横たえた。
祐基は相変わらず意識がない。
紅蓮はその顔を一瞬見つめ、息を整えると家の中を漁り始めた。
包帯か、包帯の代わりになる布がないかを探して。
(....!運が良いな.....)
紅蓮が棚の奥を漁ると、埃をかぶった瓶や壊れた道具の中から、ひときわ白く目立つものを見つけた。
それは、長年放置されていたであろう廃墟にある物にしては、不自然なほど綺麗な包帯だった。
まるでつい最近、誰かがここに置いていったかのように汚れ1つない完璧な包帯。
紅蓮はそれを取り出し、ベッドの脇に置くと、壁際に置いてあった木製バケツを手に取った。
(まず傷を洗わなければ.....ここに小屋を建てたなら、近くに水が取れる場所もあるはず.....)
「祐基、少し出てくる。すぐ戻るから大人しくしててくれ」
紅蓮は静かに扉を開け、外の冷たい空気を吸い込む。
外は、夜の帳がすでに森を覆っていた。
紅蓮は耳を澄ませ、かすかに水の流れる音を聴くと、それを頼りに歩き出す。
(........くそっ....!)
森の中を進むたび靴が落ち葉を踏み、やけに大きく響く。
1人きりになった瞬間、抑えていた感情が、堰を切ったように心を埋めていく。
新兵たち。
笑いながら話していた、あの目。
戦場で散った彼らの叫び。
気を抜けば、胸の奥から自分の何かが崩れ落ちそうだった。
(.....今は、考えるな。考えたら........動けなくなる)
紅蓮は歩を速める。
風が強くなり、枝が鳴る。
水音が、次第に近づいてくる。
(早く水を汲み....小屋へ戻らなければ....)
◆
水を汲んで小屋に戻った紅蓮は、扉をそっと閉める。
包帯と水を手に入れた紅蓮は、早速ベッドに横たわる祐基の上体を起こし、慎重に軍服を脱がせた。
(傷は.....そこまで深くないな)
右肩の刺し傷は、乾いている血が黒ずんでいた。
紅蓮はバケツの水に自分のハンカチを浸し、冷たい布でその血を拭う。
拭い終えると、慣れた手つきで包帯を肩に巻き、さらに皮の剥がれた親指にも丁寧に包帯を巻いた。
「.....ひとまずこれでいいか、明朝出発する。今日はゆっくり休め」
紅蓮は小さく息をつき、そう祐基に告げた。
祐基の体をゆっくりと寝かせ、かけ布を整える。
彼女は壁に偃月刀を立てかけ、腰掛けをベッドの傍に寄せて座り込んだ。
背もたれのない小さな椅子。
腕を組み、背筋を伸ばしたまま、紅蓮はただ祐基の顔を見つめる。
祐基の瞼はいつの間にか閉じていた。
(.....お前はいいな。そうやって悲しんでいられて)
祐基を見つめていると、紅蓮は胸の奥に沈む重たい物を感じていた。
それは剣よりも甲冑よりも何倍も重い、“責任”という名の錘だった。
兵士である以上、仲間の死など珍しくもない。
戦場に立つ者なら、誰もがいずれは経験することだ。
だが、悲しみを表に出せば心が鈍る。
迷いがあれば次の瞬間、自分が倒れる。
それが、世界の理だ。
ましてや隊を率いる者であるならば、涙を流す暇などない。
どれだけ部下を失おうとも、前へ進まねばならない。
悲嘆に暮れる背中を見せれば、次に倒れるのは残された者たちだ。
隊長は泣けない。
心の奥でどれほど嘆こうとも、それを表情に出すことは許されない。
静まり返った小屋に月の光と、天星という惑星の淡い明かりが差し込む。
木の壁が冷たく、夜風が窓の割れ目を抜けるたび、わずかに軋む音がした。
紅蓮はベッドに横たわる祐基の手を、そっと握りしめる。
その掌はまだ若干温かく、かすかに脈を打っていた。
紅蓮は微かに唇を震わせ、誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。
「......私なんかが.....隊長で.....ごめんな........」
返事はない。
ただ、握った手の小さな温もりだけが、紅蓮の心を締めつけていた。




