21.弓を握れ
「はぁ....はぁ....はぁ....!!」
兄貴の手を引き、森の中を息を切らしながら僕は走っている。
森はひたすらに静かで、聞こえるのは自分たちの足音と荒い呼吸だけ。
既に長城から数キロは離れたはずだ。
周囲に亜人の気配はしない。
けど、それでも走り続けた。
どこを目指しているのか、なぜまだ走り続けているのか自分でもわからない。
ただ....今立ち止まったらダメだ、今止まれば失う、大切な存在を失ってしまう......そんな気がしてならなかった。
「.....おい....!祐基......止まれ.....!」
背後から兄貴の声が聞こえた。
けど僕は振り返らず、手を引いたまま走り続けた。
「大丈夫だよ兄貴!!僕まだ走れるから!!すぐに近くの街まで行けるから!!」
近くの街とはなんだ、そんなのどこにある。
そもそも今、自分がどこにいるのかもわからない。
ただがむしゃらに足を動かし、恐怖から逃げるように森を駆けているだけだ。
「いいから....止まれっ....!!」
次の瞬間、掴んでいた手が強く振り解かれた。
振り返る間もなく、兄貴の体が重力に引かれるように前のめりに倒れ込んだ。
「兄貴っ!!」
僕はすぐに、倒れた兄貴のもとへ駆け寄り、その体を持ち上げようとした。
しかし、右肩に走る激痛が.....刺された傷が、今になって悲鳴を上げるように疼いた。
いや、たとえ怪我を負ってなくても、僕の腕じゃ兄貴の体を持ち上げるには力が足りなかった。
止むを得ず、僕は兄貴の体を支えながら近くの木にもたれかけさせる。
「ゴフッ.......!」
その途端、兄貴は口から血を吐き、僕の頬に赤い飛沫が散った。
頬から伝わる現実は生々しく、恐ろしくて.....僕は一瞬、呼吸を忘れた。
「あ....兄貴......」
再び兄貴に触れようと手を伸ばす。
その時、ふと視線を落とした僕の目に映ったのは、真っ赤に染まった自分の手だった。
「....なぁ....祐基、ありがとな....」
「え.....」
兄貴はかすれた声で、いつもの笑みを浮かべて言った。
その笑顔がやけに穏やかで、やけに遠く感じた。
「俺はよ.....特に夢だとか.....やりてぇこと......なかったんだ........ただ....その日1日.......楽しく過ごせりゃ......それで....よかったんだ.........」
兄貴の目は、僕を見つめながらもどこか遠く......誰にも届かない場所を見ていた。
聞きたくない。
「けど......あの日、お前と出会って.......夢を見たんだ.........覚えてるか.....お前が村の外れで.....弓の的当て....してたの..........」
覚えてる....覚えてるよ。
あの日、兄貴と出会った。
「あの後......お前の夢....聞いて.........俺は....夢ができたんだ..............お前の弓の腕........あれ見て.......俺は.....お前を.....国一番の......兵士にしてやりたくなった..........」
知ってる....知ってるよ兄貴.......あの時も、そう言ってたじゃないか。
だからもう喋らないで。
「ハハっ.......お前と出会った時.......柄にもなく....運命を....感じた.......きっと俺は.....お前を......臆病なお前を........兵士にするために.......生まれてきたんだ..........何の意味もない.....俺の....生まれついての腕っぷしは........きっと.....そのために.......」
違う....違うよ兄貴。
そんなことのために、兄貴が生まれてきたんじゃない。
兄貴は.....僕なんかよりもずっと強くて...ずっと、頼りになって......お願いだから......黙って......!
「できれば......お前が.....双刀になるところ......見たかったんだけどなぁ.......ここまでらしい........でも......お前なら.....もう....俺がいなくても........大丈夫だ.......誰よりも......強い.......お前なら.......」
「......やめて.....僕は.....兄貴がいないと.....」
「祐基......あいつが......あの亜人王って奴が......この....襲撃の......元凶だ........あれでも.....人らしい..........おかしな体だが......きっとお前なら.....倒せる........」
「嫌だ......嫌だよ兄貴っ!!!兄貴が勝てなかったのに僕が勝てるわけない......!このまま二人で逃げようよ!!すぐに治療すれば兄貴のこんな怪我だって絶対治るからっ......!!!」
涙が視界を滲ませ、握る弓が血と涙で滑りそうになる。
兄貴の手がゆっくりと動き、僕の手から弓を取るように掴んだ瞬間、胸にぐっと押し当ててきた。
「お前は.....あいつの眼を射抜いた.......!この弓で戦い始めたなら.......最後まで弓握り続けろ.....!!まだ戦いは終わってねぇ......男が.....めそめそと逃げんな........祐基ッ.....!!!」
兄貴は僕の胸に力強く弓を押し続け、僕を激しく睨んだ。
「兄貴.........」
次の瞬間、兄貴の睨みと手の力は、糸が切れたようにふっと抜けた。
最後に薄く笑みを見せた兄貴の顔は静かに俯き、腕はだらりと落ちる。
その瞳から、光が消えた。
風が森を抜け、木々の葉がざわめく。
まるでその音が、兄貴の最期を告げる鐘の音のように、静かに響いた。
「兄貴......?兄貴.....!兄貴っ....!!兄貴っ!!!兄貴っ!!!!嫌だよ起きてよっ!!!1人にしないでっ!!!!行かないでっ!!!!ずっと一緒にいてくれるって言ったじゃんっ!!!!兄貴っ!!!!兄貴ぃぃぃぃぃぃぃぃぃっっ!!!!!!」
森に、悲嘆の叫びが響き渡る。
けれど、それに応えてくれる人は......もう、どこにもいなかった。
この日、龍鱗の長城は破られ。
僕は....かけがえのない大切な人を..........失った。




