10.長い一日
防衛戦から一夜明け、空に太陽が登り始める。
新兵たちは昨日の勝利の宴に酔い潰れ、第45地区第3兵舎の2階、第三偵察部隊用の寝室でぐっすりと眠っていた。
寝室は木製の二段ベッドが規則正しく並び、一人一つのクローゼットが備え付けられている簡素な部屋だ。
私物の持ち込みは許可されているが、クローゼットに収まるものに限定されており、どこを見ても変わり映えはしない。
部屋の中は男らしい獣のようないびきが響き渡っている。
だが突如、その音を押し潰すような長城の鐘の音が鳴り響いた。
「ふぁっ!!?」
「にゃ....なんだなんだっ!!?」
飛び起きた新兵たちは慌ててベッドから飛び降り、寝ぼけ眼のまま窓へ駆け寄る。
祐基も肩を震わせて飛び起き、急いで外をのぞき込んだ。
眼下では、警備兵たちが慌ただしく走り回っている。
昨日の、鐘が鳴り響いた時よりも、はるかに緊迫した表情を浮かべて。
「なんだ?また亜人の襲撃か?」
「それにしちゃ昨日よりも慌ててねぇか?」
「ん?なんか廊下も騒がしいな」
扉の向こう、兵舎2階の廊下から慌ただしく走る騒音が響き、兵舎全体が地響きのように僅かに揺れている。
鐘の音もまた、絶え間なく鳴り響き続き、止まる気配がない。
「あ〜.....ん?なんだ?」
「兄貴!なんか外の様子が変だよ!!また亜人が来たのかも!!」
「何っ!!?」
祐基の声に、屈釖は眠そうな目を見開かせ、勢いよく飛び起きる。
だが次の瞬間、二段ベッドの上段に勢いよく頭をぶつけ、鈍い音が響いた。
屈釖は額を押さえながらうめき、祐基はそんな兄貴に呆れたため息を吐く。
「っ〜〜〜....!!!」
「何やってるの兄貴.....」
祐基は兄貴の頭に怪我がないか確かめる。
その時、寝室の扉が勢いよく開かれた。
「全員起きてるかッ!!!」
怒号が響き、そこには息を切らし、額に汗を滲ませた紅蓮の姿があった。
「隊長っ!おはようございます!!」
「「「おはようございます!!」」」
「やってる場合か!!鐘の音は聞こえているだろ!」
紅蓮の顔には焦りの色が見え、敬礼する仲間たちを睨みつけた。
「あの、紅蓮隊長!また亜人の襲撃ですか!?」
「そうだ!!」
短く、しかし鋭く言い放つ。
寝室の空気が一変した。
寝ぼけ眼は一瞬で消え、誰もが表情を引き締めた。
「全員、軍服に着替えて兵舎広場に整列してろッ!!!」
命令を残し、紅蓮はすぐに何処かへと走っていく。
「よし....急いで着替えて広場に行くぞ!」
「「「おお!!」」」
掛け声とともに、仲間たちは一斉に動き出す。
クローゼットの扉が乱暴に開かれ、軍服が次々と引きずり出される。
まだ動きがぎこちない者もいれば、焦りのあまり靴を逆に履く者もいた。
「兄貴も急いで!」
「おう!また追っ払ってやろうぜ祐基!!」
屈釖は笑いながらも、その手つきは素早かった。
軍服を着込み、剣を腰に差すと、祐基と共に駆け出す。
◆
祐基たちが広場に出ると、遠くに紅蓮が見えた。
二人の長城の部隊指揮官の男と、激しく何かを言い争っている様子だ。
その顔は怒りと焦りが顕になっており、昨日の落ち着いた様子の紅蓮とはまるで別人のようだった。
何を言い合っているのか、祐基たちは気になりながらも広場へと整列し、紅蓮を姿勢を正して待つ。
「何やってんだ紅蓮の奴?」
「さぁ....?」
やがて言い争っていた二人の指揮官はその場を駆け去り、残された紅蓮は拳を固く握り締め、悔しさを噛み殺すような顔を見せた。
紅蓮は深く息を吸って吐き、頭を振った。
そして何かを振り切るように、顔を上げ、整列する祐基たちの元へと歩み寄ってくる。
「紅蓮隊長!東部方面第三偵察部隊総員15名、集合しました!」
「ああ、ご苦労」
「隊長!昨日に続き亜人の襲撃....俺らはどうすれば!?」
紅蓮は祐基たちの前に立ち、告げた。
「今回の防衛戦は...前代未聞の緊急事態のため、お前達も参加してもらう」
「そ....それはつまり.....」
「亜人と戦ってもらう」
広場の空気が凍りついた。
風の音すら止んだかのような静寂の中で、誰もが顔を見合わせる。
屈釖以外は皆、顔から血の気が引いていた。
「紅蓮隊長.......我々はまだ.......」
「わかっている、対亜人の訓練を十分に受けていない....だが、これは強制参加だ。先程そう指示が下った」
紅蓮の声には苦渋が滲んでいた。
彼女自身も、それに納得していないのであろう事が伝わってくる。
「命令とあらば喜んで引き受けますが....我々は新兵、お役に立てれるか.....今回の亜人の襲撃はそれだけ、人手がいるのですか....?」
「....ああ」
短い言葉。
だがその一言の重さに、誰もが息を呑んだ。
紅蓮は背を向け、静かに手を上げ「ついて来い」と示す。
新兵たちは不安げに顔を見合わせながらも、次々とその背中を追う。
「兄貴....」
祐基の胸の奥に、再び恐れに似た重たい感情が芽生えた。
先日の防衛戦で見せた紅蓮の圧倒的な戦いぶり。
その彼女があれほど取り乱した姿を見せるなど、ただ事ではない。
何が起きているのか分からない、それが余計に胸の鼓動を早めていく。
「なにしけたツラしてんだよ祐基!俺がいるから何が起きても平気だっての!」
祐基は肩を叩かれ、ハッと顔を上げる。
隣には、いつも通りの笑みを浮かべている屈釖がいた。
その笑顔には、緊張や不安の色は一切ない。
「ほら行くぞ祐基!お前だってもう亜人1体倒した立派な兵士の1人だ!今日は俺らで100体倒して長城の英雄になってやろうぜ!!」
屈釖の声は、心を奮い立たせるように響く。
祐基は小さく息を吐き、こくりと頷いた。
「....うん!」
不安の影は完全には消えなかった。
だが屈釖の背中を見ていると、確かな安心感が心に灯る。
頼もしさと、どこか眩しいほどの勇気。
祐基たちは仲間の後に続き、長城内部へと足を踏み入れた。




