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龍華の英雄〜亜人戦記と弓を握りし臆病な少年〜  作者: オルレアンの人
第一章『崩れた平和』

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9.勝利の酒

 龍鱗の長城・東部方面総司令部。


 それは第30地区に存在する四層構造で築かれた、東部防衛の要と呼ぶにふさわしい堅牢な要塞である。

 長城東部の心臓部として、日夜ここで数万の兵を動かし、各地へ指令を飛ばす。


 一層目には、夥しい量の武器が保管されている武器庫。

 重要な書類や地図に軍事記録、戦史を納めた紙の束が棚を埋め尽くしている資料室がある。


 二層目は、数百人が同時に食事を取れるほどの広大な食堂。

 籠城戦を想定し、少なくとも一ヶ月は耐えられるだけの食料が備蓄されている。


 三層目には総司令部に配属されている兵士、将軍に軍師、参謀官や記室などの寝室が並び、疲れを癒やすための娯楽室も備えられている。

 将軍こと総司令官の部屋は、要塞内とは思えないほど豪華な作りとなっており、副司令官が「ズルい」とよく問題にしている。


 四層目、そこは軍議の間。

 階全体が一つの大広間となっており、中央には巨大な円卓、その周囲をぐるりと囲うように重厚な椅子が並んでいる。

 さらに、東部全域への素早い伝達を可能にするため、伝書鳩の小屋が12羽分、壁際に設けられていた。

 この場所こそが、龍鱗の長城・東部防衛を司る中枢なのである。


 そして屋上には、荒野と長城を一望できる回廊が伸び、荒野の方角には四台の望遠鏡が据え付けられており、敵の接近をいち早く察知できるよう、常に監視兵が詰めている。


 そんな一つの要塞である総司令部の二階、夜の食堂。

 本来であれば、兵士たちが品位を保ち、静かに黙々と食事を取る場である。

 だが、この日に限っては違った。


 耳に届くのは、あちこちで響く高らかな笑い声と、金属の食器を打ち鳴らす賑やかな音。

 まるで戦場の喧噪をそのまま持ち込んだような、活気と熱気に満ちていた。


 それもそのはず、長城の兵士たちは先の防衛戦での勝利を祝っていたのだ。

 彼らの前に並ぶのは、普段よりも幾分か豪勢な料理。

 湯気を立てる肉料理に、香辛料を効かせたスープ。

 勝者の晩餐としては、申し分のない一品揃いだった。


 そんな中、兵士達が群がり注目を集めていたのは一人の新兵、屈釖だった。


 防衛戦終結後、紅蓮率いる部隊はその功績に、総司令よりこの場の宴に招かれ、ここにいた。

 だが肝心の総司令は、西部方面の長城総司令部へ会議に向かい、明後日までは戻れないようでいなかった。


「あれが初陣で亜人を5体も倒した新兵か.....」

「今回の新兵はなかなかやるようだな!」

「『赤龍』に『眼龍(がんりゅう)』、『俺龍(おれりゅう)』も初陣で武勲を上げた、あいつもその一人になるかもな」


 兵士や参謀官達は称賛の声と眼差しを屈釖へ送っていた。

 その中心にいる屈釖は、杯を片手に大きく胸を張ると。


「聞いて驚き知って驚き、そしてその眼で見て驚きやがれぃ!!!龍華帝国に雲を突き聳える...かの皇山っ!!獰猛な獣犇く野生の国のその頂点っ!!ユンピョウを倒し、さらに!!迫り来る亜人を返り討ちにした男、屈釖だッ!!覚えていきやがれいっ!!!!」

「あのユンピョウをかっ!!?」

「龍華帝国一の獣だぞ?嘘つけぇ!!」

「いいぞ新兵〜!!!」


 歓声が上がるたび、屈釖は得意げに顎を上げ酒を一気にあおる。

 その姿はまるで、戦場の荒波をも笑い飛ばす豪胆な戦士そのものだった。

 

「それだけじゃないぞ諸君!!」


 さらにそこに、一人の男の声が響く。

 全員がその声に振り向くと、そこには副司令の師羽藺がいた。

 彼もまた、兵士達に混ざり酒を飲んでいたようだ。


「なんと屈釖君......あの『赤龍』と一対一の試合を行い、引き分けにまで持っていったのだ!!」


 副司令の言葉に食堂はさらに熱狂した。

 兵士達は立ち上がり、杯を掲げ、屈釖の名を叫ぶ。

 まるで英雄の帰還を祝うかのような喝采が、石造りの天井を揺らした。


「当然だ!屈釖は俺ら新兵の代表....俺らの星だ!!」


 さらにそこに同期の新兵たちも加わり、次々と屈釖の肩を叩き、笑顔で声を張り上げる。

 皆は屈釖と同期であることを誇りに思っているようで、まるで自分のことのように喜んでいた。


 屈釖が兵たちの喝采を一身に浴び、肩を叩かれ、笑いの中心に立っている一方、食堂の隅の静かな席に祐基の姿はあった。

 周囲の喧騒とは対照的に彼は一人、杯を両手で包み込むように持ち、果物ジュースを口にしていた。

 その瞳は屈釖の姿を追いながらも、どこか遠くを見つめているようだった。


 そんな祐基の背後から、控えめに、それでいて芯のある声が届く。


「お前は行かないのか?」


 祐基が振り向くと、そこには紅蓮が立っていた。

 片手を腰に当て、静かに祐基を見つめるその姿は、喧騒の中でも凛としていて、彼女の周囲だけ、まるで空気が一段静まり返ったように感じられた。


 だが、1箇所だけ(....ん?)と気になる点があった。

 彼女の片手に持つ皿、龍華帝国発祥の食べ物である麻婆豆腐が入っているが、その上に赤い粉が山のようにかけられている。


「紅蓮隊長......それは....?」

「ん?麻婆豆腐だが?」

「いや...その上にかけられているのは.....」

地獄乃椒(じごくのいただき)の粉だ。特別に取り寄せている」


 地獄乃椒....世界中を旅する辛い物好きの商人が一口食べただけで失神し「世界一辛い、人間が口にしていい物じゃない」と評した唐辛子だ。

 それを山盛りで。


「.......食うか?」

「大丈夫です」


 祐基は即答した。

 紅蓮の視線は動き、屈釖のはしゃぐ姿をじっと見据える。

 その表情は呆れが半分、感心が半分といったところだ。


「お前は常にあいつのそばにいると思っていたが、どうした?」

「僕は.....あの中に入るのは....ちょっと抵抗が....」

「そうか。.....昔からああなのか、あいつは?」

「兄貴ですか?兄貴は....そうですね、昔と特に変わった感じはしません。昔から兄貴は兄貴でした」


 祐基の脳裏に幼少期の記憶が蘇る。

 幼い頃から屈釖は怖いもの知らずだった。

 大人が相手だろうと喧嘩には必ず勝ち、村の周囲の森で目撃された人喰いの獣を、軍が来る前に一人で仕留めたこともある。

 金欠になったら悪事を働くマフィアから金を盗み、祐基が道に迷い、誤って皇山に足を踏み入れた時には、遭遇したユンピョウを傷だらけになりながらも倒し、祐基を村にまで連れ帰った。

 無鉄砲で、破天荒で、けれど誰よりも頼りがいがある。

 それが祐基にとっての屈釖だ。

 そんな誰よりも強い男である屈釖に憧れたからこそ、祐基は彼を“兄貴”と呼ぶのだ。


「そうか、馬鹿はいつまでも馬鹿ということか」


 紅蓮は鼻で少し笑った。

 だが、その声音には微かな親しみも混じっている気がした。


「ああいった馬鹿は経験上、人の下に付けるタイプじゃない。困ったものだ、隊長となったばかりの私には荷が重い」

「大丈夫ですよ。兄貴はなんだかんだで言う事は一応聞いてくれますよ。気に食わなければですけど.....」


 祐基が苦笑しながらそう言うと、紅蓮は一瞬だけ視線を落とした。

 彼女の瞳の奥に、少しの翳りが宿る。


「.....実は、私も昔はそうだった」


 紅蓮の声が少し重くなった。


「紅蓮隊長がですか?」

「ああ」


 紅蓮は祐基の隣に腰を下ろし、手に持つ麻婆豆腐をテーブルの上に置くと遠くを見つめた。


「私も兵士となった頃はあんな感じだった。訓練時代、誰よりも強かった私は、亜人なんて敵じゃないと思っていた。荒野での偵察任務中、当時の上官の命令を無視して、亜人を見つけては倒し...見つけては倒し。屈釖と違うのは....私はとにかく手柄が欲しかった。早く上に立ち、下品だが金が欲しかったんだ」


 紅蓮は苦笑を浮かべ、俯く。


「けど....私は第三回偵察任務で、取り返しのつかない過ちを犯した。その日も私は上官の命令を無視し、亜人を見つけるとすぐに殺した。.....けど、それが原因で奴に見つかった」

「奴?」


 祐基が首を傾げると、紅蓮は口をゆっくりと開いた。


六荒王(ろっこうおう).....その1体、フォルネスト・アース....蔓絡人(マングルマン)の祖だ」

 

『六荒王』、それは荒野に住む亜人。

 その中で最も強い6体の亜人を指す言葉であり、フォルネスト・アースはその内の1体である。

 荒王の戦闘力は龍華帝国最強の二人、皇帝と(みやこ)を守る『双刀(そうとう)』に匹敵すると言われており、龍鱗の長城の兵士達が最も危険視している敵である。


「荒王....!訓練時代に習いました.....恐ろしく強い亜人のボス格達だと」

「ああ、その荒王だ。私はそいつと戦い.....完敗した。そいつは私にトドメを刺そうとしたが、その時....私を生かしてくれたのが.....私が散々命令を無視した上官だった」


 紅蓮はそっと目を閉じ、静かに言葉を続けた。


「私を庇った上官は、そのままそいつに殺され.....私は生きて長城に戻れた。部隊の仲間達は上官の死と、上官を殺した私を許せず、長城から去っていったがな。屈釖を見ていると、昔の私を思い出すんだ.....次は、私の番なのかなと」

「紅蓮隊長.....?」

「.....冗談だ。辛い物を食べて酔うと、ついつい昔話をしたくなってしまう質でな」


 (辛い物って食べると酔うの.....?)


 祐基の中で疑問が生まれる中、紅蓮は顔を上げ、ほんの少しだけ普段の凛々しい表情を取り戻していた。


「よければもっと教えてくれないか、屈釖と.....祐基、お前の話を」


 紅蓮の言葉に、祐基の目はパっと輝いた。


「....!!はい!兄貴はですね、僕が生まれてくる前の三歳ですでに大人を蹴り倒せるほど強かったらしくてですね!!しかも山で一人自給自足の生活もしてたらしくてそれでそれで.......」


 祐基は勢いよく屈釖を語り出した。

 まるで少年に戻ったかのように表情を輝かせて。

 紅蓮はそんな祐基を静かに見つめ、口元をわずかに緩める。


 その夜、龍鱗の長城・東部方面総司令部からは戦場にはない、穏やかで賑やかな笑い声が響き渡った。


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