第1話
わたしはきっと、キミになりたかったんだと思う
なんて、今更だよね。
「おーい、みらいー、聞いてる?」
綿吹みらいは振り返った。セミロングの黒髪が軽やかに跳ねる。
ショートカットの快活な少女、絵美が悪戯っぽく笑い、みらいの頬を指でつつく。
「むー、聞いてるってば」
みらいが頬を膨らませる。
それを見て、金髪ハーフアップの少女、藍沙がクスクスと笑う。
絵美は気を良くしたのか、得意げに語り始める。
「でさー、ファミイレでバイト始めたんだけど、早番入ると毎回客で超絶イケメンが来んの。いっつもゼリー飲料?アレしか買わないんだけど、この前追加でちっちゃなケーキ1個買ってて。自分へのご褒美的なやつかなって思ったらさー、マジ萌えるじゃん?」
「はいはい、えみぺ。面食いは分かるけど、あんまり他人のプライベート詮索するのは良くないぞ?」
藍沙がメガネの縁を押さえて言う。
「出た、優等生」
「元生徒会長ですから。」
えっへん、藍沙が控えめな胸を張る。
「大学デビューで講義遅刻しまくってるくせに。」
ジト目で藍沙を見る絵美。
「それはまぁ、パン屋のバイトって忙しいし?遅番だと睡眠時間が……ふわぁ」
口元に手を当て、あくびをする藍沙。そんな仕草にもどことなく育ちの良さが表れている。
「みらいは?バイト決まった?」
絵美がみらいの方を見て訊ねた。
「えっと、一応?」
「なになに?」
絵美が興味津々といった表情でみらいを見つめる。
「秘密」
「えー」
絵美がずっこける真似をする。
「ふーん、何か言えない仕事ってこと?まさか、闇バイトとか、パパ活なんてしちゃったりして?」
きゃーっと言う風に身をくねらせる藍沙。
「違うよー、人聞き悪いなー。」
みらいは笑いつつ、内心冷や汗をかいた。
普通の女子大生が想像する危ないことより、多分もっとブラックなバイト。
言えるわけがない。
この街を守るため、命懸けで怪人と戦っているだなんて。
夕方、みらいはひと気のないグラウンドにいた。既に日は沈み、辺りは薄暗い。廃校になり、解体を待つ校舎がグラウンドに重く影を落としていた。
がさり、グラウンド隅の植え込みから物音がした。
1人の青年が息を切らしてグラウンドへ駆け込んでくる。
続いて植え込みの背後のフェンスを飛び越え、2つの人影が現れた。
青年を追う2つの人影。その1つが、ふと向きを変えた。みらいの方へ。
若い女だった。女の虚ろな目が、みらいを捉えた。
「お願い、血を吸わせて……。ほんのちょっと……。ほんのちょっとでいいから……。」
女が牙をむき出して笑った。
「あなた、美味しそう……。とっても甘い匂いがする……。」
女の頭がぐしゃりと縮み、茶色い光沢を放つ。口端から伸びた牙が鋏状の顎に変わる。女の腹が膨張し、ブラウスの胸部を裂いて3対の槍、否、虫の脚が飛び出した。破れた衣服から脱皮するかのように、蜘蛛のような怪人がその姿を現す。マダニ型旧ミライ人と呼ばれる存在――。
「ひぃっ!」
みらいは小石を踏んで体勢を崩した。尻もちをついた恰好のみらいに、マダニ型旧ミライ人が迫る。
突如、鋭い銃声が響き、みらいは我に返った。
「怯むな!撃て!!」
少し離れた場所からもう一体のマダニ型と交戦中らしい青年ー林代の声が聞こえた。
「そう、言われてもっ……!」
まったく、人遣いの荒い上司め。
「こっちはシロウトなのに!!」
みらいは一時的に右手とグリップを一体化―融着させた銃を構えた。銃と言っても一見すると玩具の大型水鉄砲。蛍光グリーンのカラーリングが眩しい、ふざけた見た目の武器だ。だが今のみらいにとってはこれが命綱だった。
みらいの逸る鼓動と同調するように、銃身に鮮やかな黄緑色の光が奔る。
「当たれえぇぇぇぇっ!!」
みらいはマダニ型旧ミライ人に向けてめちゃくちゃに銃を乱射した。
「ぎゃっ」
射撃の反動に、みらいの小柄な身体は吹っ飛びそうになる。
マダニ型は軽く首を左右に振るだけで、みらいの銃撃を悉く躱した。
みらいは震える腕を押さえながら尚も撃ち続けた。だが、標的を大きく逸れた弾丸は虚空を切るばかりだ。
「ひゃ、弾切れ?!」
りろーど?って、どうするんだっけ?
涙目になるみらいの眼前でマダニ型が鋏状の顎を開いた。
「伏せろ綿吹!!」
背後から林代の声がした。
咄嗟に頭を下げたみらいの髪を突風が撫でた。
直後、爆発音と共にマダニ型の頭部が粉々に砕け散った。
頭部を失ったマダニ型は夥しい体液を流しながらも、胸部から生えた脚を蠢かせてみらいに迫った。
「わっ、ちょっ、ちょっと!」
慌てて避けるみらいの肩にぽん、と手が置かれた。
「ハヤシロさん?!」
「よくやった。その調子だ、綿吹」
林代が呟いた。
「え?私、何もしてないし……」
「30秒、稼いでくれた。上出来だろ。」
みらいは背の高い林代を見上げた。普段通りのビジネスカジュアルな全身黒コーデ。その姿は痩せた体型と相まってどことなくカラスを思わせる。冷たく澄んだ瞳。どこか遠くを見ているような表情。綺麗な顔だな―不意に、みらいはそう思った。
林代は黙ってみらいの前に進み、よろめくマダニ型を蹴り飛ばした。
仰向けに倒れたマダニ型の左胸に水鉄砲型銃を突きつけ、止めを撃ち込む。
マダニ型の動きが止まったことを確認し、林代が顔を上げた。
「メイン業務終了。お疲れ様。」
林代が微笑む。
「あー、怖かったぁー」
緊張の糸が切れ、みらいはその場に座り込んだ。
「さ、撤収だ。」
林代がマダニ型の死体を担ぎ上げ、みらいを促す。
休憩くらいさせてくれても、そう思いつつ、みらいは立ち上がりもう一つのマダニ型の死体を林代と共同で社用のワゴン車に運んだ。
死体のぬるりとした体液の感触に、みらいは思わず顔を顰めた。しかし林代は慣れているらしく、眉一つ動かさない。
死体運び慣れてる上司って何か嫌だな、みらいは思った。もし戦闘中に私が死んだなら、この男はやはり淡々と私の死体も運ぶのだろうか。
マダニ型の死体を積み終え、林代が車のエンジンをかける。
死体を会社が持つ焼却施設へ運んで解散、という流れだ。
助手席に乗り込んだみらいは、林代の足元に置かれたレジ袋に目を止めた。
大手コンビニチェーン、ファミリーイレブンの袋だ。
視線に気付いたらしい林代が袋からゼリー飲料を取り出し、みらいに差し出した。
「飲むか?」
「いや、いいです……。」
林代は不思議そうな顔でみらいを一瞥し、キャップを開けてゼリー飲料を飲み始めた。