第38話 待っててくれ
「お祝いと言ったらケーキだと思うんです!」
洗い物も終わって一息ついたところだった。
夢花が着替えたいとの事で席を外し、戻ってきたらそんなことを言った。
「ケーキなんて久しく食べていないな」
「そうなんですか?ケーキも作っておきましたから、食べませんか?」
ケーキまで作ってくれているのか。
至れり尽くせりとはこのことか?
しかし⋯⋯⋯もう21時を回るというのにお母さんは帰って来ないんだな。
「今用意しますね!」
冷蔵庫に入れてたあったケーキを取り出す。
米粉のシフォンケーキ。
小麦粉より米粉の方が消化にいいって書いてあったから作ってみた。
美味しいと思うけど、大地さんのお口に合うかな。
カットしてお皿に乗せた。
生クリームを添えてテーブルへと運んだ。
「どうぞ!シフォンケーキを米粉で作ると胃に優しいって聞いたので作ってみました!」
そんなことまで調べてくれているんだな。
「甘いものを前にすると、コーヒーが飲みたくなってしまうな」
「分かります。少しだけ飲んでも大丈夫じゃないですか?」
そうだなぁ、1杯くらいは許されるんじゃないだろうか。
「じゃあ頂こうか。俺に合わせてたら夢花も飲めないもんな」
「私のことは気にしないでください!でもでも、大地さんとコーヒー飲めるのは嬉しいです!」
「夢花はまだお酒は飲めないからな」
「あー!お子様って言いたいんですかっ!」
「ははは、そうじゃないさ。そんな怖い顔したら可愛い顔が台無しだぞ?」
おっと⋯⋯⋯⋯いや、もういい、思ったことを口にしよう。
夢花をかわいいと思うことは自然なことじゃないか。
「え?え?か、え?かわい?まっ、え?」
「あはは、何を焦ってるんだ?夢花はいつもかわいいよ」
え、また、え?ほんとにどうしたの?
いつもの大地さんじゃない。
なんで2回もかわいいなんて言われたの?
男の人にかわいいって言われたのなんて大地さんが初めてで、どうしたらいいかわかんないよ。
顔を真っ赤にしてるな。
少し言い過ぎたか?
固まっている夢花から目を離し、久しぶりにコーヒーを飲むためにカップを持った。
顔に近づけると更に香りを強く感じる。
久しぶりのコーヒーの香り。
ほうじ茶の香りも良かったが、コーヒーのこの香ばしさに勝てる飲み物など存在しないだろう。
そう思えるほどに俺はコーヒーを愛飲していた。
バリスタを目指してみようか、そう思ったこともあるほどだ。
今じゃあカフェのコーヒーしか飲まなくなったがなぁ。
最近はそれすらも出来ていなかったからホッとする。
大地さんの言葉に驚いて完全にフリーズしていた。
でも大地さんがコーヒーを飲む仕草に見入っている。
相変わらず私はこれを見るのが好きだ。
いつから好きなんだろう。
入社式の時からだと思うの。
あの日の朝にカフェで見た時から、多分私はあなたに恋してたのかも。
「ふぅ⋯⋯⋯美味しいな」
目を開ける。
久しぶりの美味しさを目を瞑り感じていたからだ。
カップを戻そうとした時、夢花が視界に入った。
「どう⋯⋯⋯した?」
俺を見つめたまま惚けた顔をしている。
何かあったのかと思い、声をかける。
「は、はい、あの、その⋯⋯⋯」
大地さんの言葉で我に返る。
でも焦りすぎて何を言ってるのか分からなくなっちゃった。
カッコよすぎですって言っちゃいそうになったけど、なんとか我慢できた。
「なんでもないんです!私もコーヒー飲も!」
誤魔化すために私もコーヒーを飲む。
この香りと味で落ち着くのよ。
よく分からないが、ケーキを頂こうとしよう。
シフォンケーキは食べた記憶がないが、どんな味がするのだろうか。
まずは生クリームを付けずに1口。
柔らかい甘さが口に広がる。
思った以上にパサつくこともない。
むしろしっとりとした滑らかな口当たりだ。
喉に引っかかることなどなく、自然に飲み込まれていく。
「美味しい⋯な」
「ほ、本当ですか!やったやった!嬉しいです!」
「本当に美味しいな。シフォンケーキは食べたことがなかったが、こんなに美味しいならハマってしまいそうだ」
「えへへ、それなら定期的に作っちゃいますね!」
そんなに嬉しそうにしてくれるなんて、食べてるだけなのに俺も嬉しくなってくる。
この子の笑顔がさらに美味しくしている。
そんな気がしてくる。
生クリームを付けて食べてみる。
甘みが増すが、コクが出るというのだろうか、また違った美味しさがある。
甘すぎないからだろうか。
俺に合わせて甘味を抑えてくれているのかもしれない。
それに合わせて飲むコーヒー。
甘さを消すコーヒーの苦味で口内がリフレッシュされる。
そしてまたシフォンケーキを頂く。
これは美味しいな。
コーヒーと甘味、この組み合わせは素晴らしい。
あまり甘味は食べないが、癖になるかもしれない。
あっという間に食べてくれた。
気に入ってくれたのかな。
くれてるよね?
お世辞じゃないよね?
「美味しかったよ、もっと食べたくなるが、また今度食べさせてくれると嬉しいよ」
「はい!いつでも作りますね!」
また今度ってことは次も期待されてるんだもんね。
嬉しい。
でも今度じゃなくて、毎日、ですからね?
明日の朝も、昼も、夜も、これから毎日大地さんは私の料理を食べて貰うんだから。
「もう22時か。夢花は明日も仕事だろう?そろそろお暇しようかと思うんだ」
さすがにこんな時間だからな、お母さんもいない状況で長居する訳にもいかない。
「そう⋯⋯⋯ですよね」
このまま一緒に居たい、そんなことが言えるならどれだけいいか。
でもそれはまだだめだ。
少し前の俺ならこんなこと思わないようにしていたな。
まだ、だめなんだ。
ちゃんとしよう。
ここまでしくれている夢花の為に。
だからそんな悲しい顔をしないでくれ。
「あ、あの、明日の朝ごはん⋯」
どうしよう。
どうやって朝ごはんとか食べてもらうか考えてなかったじゃん。
「朝ごはんか。夢花のご飯を3食食べれたら幸せだろうなぁ」
それって⋯⋯⋯⋯
「えっと、あの⋯⋯⋯⋯」
「さすがにそれは難しいからな。またご馳走してくれるか?」
「は、はい!でも、大地さんは自炊が苦手って言うから⋯⋯⋯」
もう大地さんにあんな風になってもらいたくないから。
だから私が全部したいのに⋯⋯⋯⋯
「そうだな。一人暮らしは長いが、なかなかなぁ。ははは、ダメな大人だよな」
ダメだなんて、そんなことありません。
誰だって苦手なことはあるから。
「だから⋯⋯⋯だから私が作ってあげたいです!」
そんなこと言わないでくれ⋯⋯⋯
帰れなくなるじゃないか。
作って欲しいんだ。
夢花と一緒に居たいんだ。
どうすればいいだろうか。
夢花の気持ちを受け入れたいんだ。
だけど今じゃない。
なんて言えばいいだろうか。
「夢花、あのな⋯⋯⋯」
くそ、考えがまとまらない。
「えと、えと、迷惑⋯ですよね⋯⋯」
「迷惑なわけ、ないじゃないか」
「じゃ、じゃあ⋯⋯⋯」
「夢花、聞いてくれ。嬉しいんだ。夢花のその気持ちが。気遣いが、優しさが」
物理的に難しいとかそういうことじゃない。
俺と夢花はまだ恋人じゃないんだ。
それなのにそんなに頻繁に会うのも、手料理を振る舞われるのも違うんだ。
「夢花、もう少し待ってくれ。ちゃんとするから。だからそれまで⋯待っててくれないか?」
「え⋯⋯⋯⋯」
それってどういう意味ですか?
ちゃんとって⋯⋯⋯なに?
「夢花の料理をもっと食べたいと俺も思ってる。だけど今の関係じゃこれ以上はダメだと思うんだ」
「は、はい⋯⋯⋯」
本当にどういう意味なんですか?
今の関係ってなんですか?
部下と上司?
それ以上?
それ以上の関係って⋯⋯どういうこと?
今以上の関係って、まさか⋯⋯
「わかり⋯⋯ました」
力なく返答してくれた夢花。
わかってくれたのだろうか。
上手く言えたようにも思えないが、これ以上なんて言えばいいのか俺にも分からない。
「だから今日はこれで帰るな。このまま一緒にいるのは良くない」
「はい⋯⋯⋯」
部屋着姿の夢花も目に毒なんだ。
今日は少し暑いのは確かなんだが、タンクトップに短パンはラフすぎる。
夢花の白い肌と細い手足。
短パンが短すぎるのは座っていればわからないからいいんだが、本当にやめてほしい。
この無防備すぎる夢花を前にしたら、何をしでかすかわからない。
酒が出なくて本当に良かった。
大地さんが席を立ち上がった。
行って欲しくない。
でも私も今の状況は良くないと思ってしまった。
それに大地さんが今以上の関係を望んでくれているんだもん。
嬉しさと寂しさがごちゃ混ぜになってよく分からなくなっちゃう。
「そろそろ行くよ」
「はい⋯⋯⋯」
玄関に向かう大地さんの後を無言でついて行くしかなかった。
「夢花、今日は本当にありがとう」
俺は靴を履く手前で振り返り、夢花にお礼を告げる。
「大地さん⋯⋯⋯」
「ゆ、夢花⋯⋯⋯⋯」
病院以来だろうか、夢花と俺の身体が重なる。
あの時と違うのはお互いが立っていることだろう。
俺は思わず背中に手を添えてしまう。
あの時のようにしがみつく夢花。
少し肩が震えているのがわかる。
落ち着かせるように優しく背中を撫でる。
「ごめんなさい⋯もう、大丈夫⋯です」
私が離れようとすると、大地さんの腕の力が増した。
病院で私が押し倒した時とは違う。
大地さんの力で抱きしめられているのが分かる。
包まれている。
大きい大地さんの身体に全て。
なんていう安心感なんだろう。
私も手を回した方がいいのかな⋯
しがみつくようにしていた手を、恐る恐る背中に回してみる。
密着度がさらに増す。
大地さんの体温をもっと感じてしまう。
大地さんの大きさがもっと伝わってくる。
今以上の関係って⋯⋯そういうこと、ですよね?
私、期待していいんですよね?
何分そうしていたんだろうか。
病院以来の夢花の感触を、温もりを匂いを感じている。
まだこんなことをしてはいけないんだろう。
だが離せなかった、離したくなかった。
さらに力を込める。
確たる想いを夢花に告げるんだ。
「夢花⋯⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯はい」
少し身体を離した。
見下ろすように夢花を見つめる。
潤んだ瞳が俺を見ている。
今じゃない。
今じゃないのに想いを伝えようとしてしまう。
なに?
なんで見つめられてるの?
恥ずかしいのに目を逸らせない。
どうしたらいいの?
「夢花⋯⋯⋯⋯」
何をしようとしてるんだ俺は⋯
夢花の顔に自分の顔を近づける。
だめだ、止まるんだ。
「⋯⋯⋯⋯大地さん」
大地さんの顔が近づいてくる。
私は反射的に目を閉じてしまう。
ダメだ夢花。
ああ、もう止まらない。
柔らかな感触がおでこを優しく刺激する。
一瞬だった。
だから直ぐに何が起こったか理解できない。
目を開けると大地さんと身体が離れていた。
「すまない⋯⋯⋯今日は、帰るよ」
危なかった。
キスをしてしまうところだった。
しでかすところだった。
いや、ほぼアウトかもしれない。
「夢花、また連絡するよ、おやすみ」
惚けた夢花に別れを告げ、俺は家へ帰った。
ここまでしてしまったんだ。
少し待っててくれ。
私はぼーっとしながら玄関に立ち尽くしていた。
キス⋯⋯⋯だよね?
おでこだけど、キス。
じわりじわりとその状況を認識していく。
確信じゃないけど、キスをされた。
おでこだけどキスをされた。
その事実に気付き、へなへなと床に座り込む。
「大地さん⋯不意打ちすぎるよ⋯⋯⋯⋯」
誰もいない家で私は一人呟いていた。




