第34話 おかえり
入院生活4日目だ。
やっと入浴の許可が降りた。
清拭と言われる身体を拭くことは自分でしていたが、どうにもスッキリしない。
入浴と言ってもシャワー浴なんだがな。
もう車椅子も必要ないくらいには回復している。
朝からとっても美味しい⋯うん、美味しいんだ、一生懸命調理師の方が頑張って作ってくれてるんだ、美味しいと思え。
その美味しいと思い込んで食べる流動食も食べたし元気だ。
午後から咲ちゃんとの約束があるしな。
売店で髭剃りを買って風呂で剃るとしよう。
昨日はたくさんお話できて良かった。
今日も朝から大地さんにメッセージもした。
寝る前にもメッセージした。
すぐに返事が来るから本当に嬉しい。
この前までまなかなか来なかったりしたから。
またメッセージもたくさんしてもいいんですよね?
でも大地さんには困っちゃう。
ちゃっかり女の子とも仲良くなってるし。
小学生だとしても嫉妬しちゃいます。
なんですか折り紙が得意って。
そんなの小学生の女の子が喜ぶに決まってるじゃないですか。
帰り際に私も大地さんからひとつ貰った。
ふふ、可愛い。
ちゃんとお部屋に飾ってますからね。
ふぅ、かなりスッキリしたな。
髭も剃ったし、これで夢花がいつ来ても恥ずかしくないな。
咲ちゃんも髭面のおっさんより、こっちの方がいいんじゃないだろうか。
さて、お昼ご飯まで少し時間があるし、くす玉でも作るかな。
どうせなら見た事のないのを作ってあげようと、少し凝った作りのくす玉を作ることにした。
カッターやノリがないから作れる幅は少なくなるが、それは仕方ない。
サイズ感も大きくなるが⋯
そこは我慢してもらうしかないな。
昨日から作っていたから、なんとか昼ごはんまでには間に合ったな。
「今日も私は行けそうにないわ。大地さんのことよろしく頼んだわ」
アリサさんは毎日忙しそうだ。
アリサさんの分も大地さんのことお世話してきますね。
玉木さんも今日は行かないみたい。
昨日のうちに折り紙は買っといたし、今日も頑張って終わらせよう!
「おじさん、こんにちは!」
咲ちゃんはもういるのか。
俺はくす玉を背中に隠しながら近付く。
「こんにちは咲ちゃん。今日も頑張ってるね」
「だってやることないんだもん。動画ばっかり見てたらママに怒られるし、ゲームしてたらパパに怒られるし、だからこうして折り紙してるのっ」
「あはは、入院生活はつまんないもんなぁ。そんな咲ちゃんにプレゼントだ」
背中に隠していたくす玉を咲ちゃんに見せる。
その大きさにもびっくりしたんだろう。
咲ちゃんの顔より大きい。
「わぁ、これくす玉だ!咲も作ろうかなって思ってたやつ!これ咲にくれるの?」
「咲ちゃんへのプレゼントだよ。もらってくれるかい?」
「やったやったぁ!おじさんありがとうっ」
すごい喜んでくれるんだな。
可愛いなぁ。
くす玉を持って、嬉しいに眺めている咲ちゃんの頭を撫でていた。
「ママとパパにも見せてあげないと!おじさん本当にありがとうっ」
「昨日約束したもんな。喜んでくれて嬉しいぞ」
「うんっ!とっても嬉しい!作り方教えてね!咲も作れるようになりたい!」
「もちろん一緒に作ろうな」
咲ちゃんは明るくていい子だなぁ。
どこが悪いんだろうか。
深いことを聞くのも悪いし聞かないでおくか。
それに一般病棟に来れるくらいだから、そこまで悪くないんだろう。
今日も私は頑張ったわ。
もう大地さんの病室の前にいる。
ノックをしお部屋に入った。
メッセージで事前に面会に行くことは伝えてある。
お返事があったのでそのまま入室した。
「大地さんこんばんは!」
「おかえり夢花」
おかえり、その言葉にドキッとしてしまう。
ただいまって言っていいのかな。
言ったら変?
そんなことないよね、だって大地さんがおかえりって言ったんだもん。
俺は何と言ったのか。
夢花が来てくれたのが嬉しかったのは確かだが⋯
おかえりはないだろう。
見ろ、夢花も動揺してるじゃないか。
「え、えっと、その、た⋯ただいま⋯です⋯⋯⋯」
なんだこの雰囲気は。
どうすればいい。
誤魔化すことなんて出来ないぞ。
「すまない、変なことを言ってしまったな」
「い、いえ」
ここは素直に謝っておくか。
「嬉しい⋯⋯⋯です⋯」
「⋯⋯⋯え?」
「帰る時は、行ってきます、ですね」
「あ、ああ、そう⋯⋯⋯だな」
なんだこれは⋯⋯⋯甘々カップルか。
新婚の夫婦か?
なんだこの空気感は。
顔が緩んでしまう。
ただいま、おかえり、行ってきます、行ってらっしゃい、ただそれだけの言葉が嬉しい。
社内では外回りに行く時に行ったり言われたりしている。
もちろんお母さんとも。
でもそれとは全然違う。
当たり前の言葉なのに特別に思えてしまう。
大地さんのいるところに帰ってきていいんだ。
そう思えたら胸がキュンっと高鳴ってしまう。
私の帰る場所は大地さんのいる場所でいいんですね?
大地さんもですよ?
大地さんの帰る場所も私の元に⋯⋯
そうなって欲しいなぁ。
伝えてもいいの?
私のこの気持ちをあなたに。
今じゃないのは分かってる。
でも⋯⋯⋯⋯もう抑えきれません。
なんだこの空気感は⋯甘い⋯甘すぎる。
嫌じゃないし居心地も悪くないんだが、気恥しさが勝ってしまう。
もういい大人だしおじさんなのに、なんなんだこれは。
学生時代の甘酸っぱい記憶の中にある恋愛に似ている。
いや、あの時もこんなに甘いだけの雰囲気になっただろうか。
これは恥ずかしい⋯⋯⋯
だけど心が温かくなるんだ。
夢花といるといつもそうだ。
何でだろうか。
だからおかえりって言ってしまったのだろうか。
夢花が来るのを、帰ってくるのを望んでいた。
寂しさがあるわけじゃない。
一人の時間が長かったから。
そんなことを思うことすら無くなっていた。
夢花と会って、夢花と過ごしてわかったんだ。
優しい穏やかなこの雰囲気を、ゆったり流れる時間を、俺は求めていたんだろう。
夢花となら⋯⋯⋯⋯
どうしよ、嬉しすぎて無言になっちゃってた。
でもいやな雰囲気じゃない。
大地さんとの時間。
仕事の疲れも吹っ飛んじゃう。
大地さんと目が合った。
優しい笑顔をしてくれる。
またその笑顔を私に向けてくれるんですか?
大地さんの笑顔に合わせて私も口角が上がってしまう。
頬が緩んでいるのがわかる。
「大地さん、あの⋯⋯⋯」
「ん?どうしたんだ?」
何言おう、なんか言いたいんだけど、どうしよう。
今何も考えずに発言したら、絶対事故っちゃう予感しかしないよ。
ちゃんと考えて、考えて考えて考え⋯⋯
「あの!ひげ⋯剃っちゃったんですね」
何言ってるのよ。
どうでもいいのにそんなこと。
「ああ、だらしないし汚らしかっただろ?夢花にあんな姿見せたくなかったからな」
「いえ、お髭の生えてる大地さんが新鮮だったですし、その⋯えっと、かっこよゴニョニョ⋯」
やっぱりだめ、またかっこいいとか言いそうになってるよ。
ちゃんと考えて!
「シャワー浴だけだが許可も降りたからな。久しぶりにさっぱりしてきたんだ」
「そうなんですね、もっと見たかったのに⋯」
髭面なんていいもんじゃないと思うんだが⋯見たかったのか?
「あ、そうです!折り紙買ってきました!ノリとカッターも買ってきました」
そうそう、折り紙で色々やるために夢花に追加で買ってきて貰ってたんだ。
「ありがとう、代金は退院してからでいいか?」
「気にしないでください!」
「いやいや、そういう訳にはいかないだろう?」
部下に立て替えじゃなくて買ってもらうなんてなぁ。
どうしたもんか。
「あっ、じゃぁ、私にも咲ちゃんみたいにくす玉とか作って欲しいです!」
そんなのでいいのか?
「わかった、じゃあ可愛いの作っておくな」
「やったぁ、嬉しいです!」
こんなことで喜んでくれるならいくらでも作るぞ?
咲ちゃんにも作っておいてあげないとな。
「あとあと、バラももっとほしいですし、私も大地さんと一緒に折り紙したいです!」
「あはは、そんなに気に入ってくれたのか?退院したらいくらでも教えてあげるからな」
「ほんとにほんとですか?約束ですよ?」
「ああ、本当に本当だ」
もう突き放すことはしないと決めたんだ。
俺は俺の心に従おう。
自分も夢花も苦しめていたんだ。
ダメなのは分かっている。
こんなに喜んでくれるんだ。
俺も夢花と一緒にいたい。
素直になろう。
何度も思う、ダメなのは分かっている。
だがもういいんじゃないんだろうか。
お互いがお互いを求めている。
自惚れなんかじゃないだろう。
夢花も俺を求めているはずだ。
その結果、誰かが不幸になろうとも⋯
嬉しい、来てよかった。
ううん、帰ってきて良かった。
大地さんの所へ戻ってきた、そう思ってるだけなのににやけちゃうし恥ずかしくなる。
もう少しで行かなきゃだけど、明日また帰って来れんだもん。
寂しいけど頑張らないと。
大地さんとの時間が退院後もある。
それがわかったの。
またドライブした時みたいなデートもできますよね?
たくさんたくさん、デートしてくれますよね?
私は毎日大地さんの為に料理作ります。
えへへ、奥さんみたいだ。
結婚しちゃうのかな?
しちゃうのかな?しちゃうの?
わぁぁぁ、大地さんが旦那さん?
わぁ、わぁ、わぁ、だめ、だめだめ、家に帰ってゆっくり妄想しよう!
ってそうじゃない、落ち着くのよ。
夢花はなんだか1人で楽しそうだな。
何を考えているんだ?
「夢花、そろそろ時間になりそうだ」
「あっ、もうそんな時間⋯」
もうそんな時間なんだな。
夢花は立ち上がり手荷物を持った。
俺もベッドから出て立ち上がる。
「無理しないでください!」
「このくらい大丈夫だよ。もう普通に歩けるんだ」
慎重に立ち上がり、入口まで付き添おうとした。
さぁ行こう、そう声をかけようとした時だった。
急に一瞬膝の力が抜ける。
「大地さん!」
びっくりした。
あの時の事がフラッシュバックしそうになる。
私は急いで手を伸ばす。
必死で大地さんにしがみついた。
やだ、大地さんに何かあったら嫌なの。
夢花がタックルをするかの如く突っ込んできた。
膝が折れ、後ろ荷重の俺にだ。
「うぉっ」
「きゃっっっ」
真後ろがベッドで良かった。
良かったが⋯⋯ダメだこれは。
「夢花⋯⋯⋯」
「大地さん、大丈夫ですか!」
必死だった。
また私の目の前で大地さんに何かあるのが怖かった。
でもこれ⋯⋯⋯⋯え?
私が大地さんを押し倒した?
「ご、ごめんなさい!」
体勢がおかしいのか力が上手く入らなくて起き上がらない。
まて、モゾモゾ動かさないでくれ⋯
必死にもがいて動こうとする夢花を抑えつける。
「夢花、落ち着いてくれ。ただ足がもつれただけだから、なんともないから落ち着いてくれ」
「は、はい⋯⋯⋯」
なんなんだこれは⋯
夢花の荒い息遣いが聞こえる。
心音も早くなり、肩で呼吸をしているのが分かる。
俺は落ち着かせるように背中を優しく撫でる。
「大丈夫だ夢花。落ち着くんだ。俺はなんともないからな」
「はい⋯⋯⋯⋯」
何だこの状況は。
ただ抱きしめてるだけじゃないか。
なんてちっちゃくて細いんだろうか。
それに軽い。
息を整えたいのに整えられない。
どんどん心拍数が上がっちゃう。
大地さんに抱きしめられてる。
身体を動かしたいけど動かしたくない。
ずっとこの大きな身体に包まれていたい。
安心感に包まれているようなの。
でも心音は外にまで聞こえてしまう程に動いている。
背中を大地さんが撫でてくれる。
落ち着かせるためなんだよね。
大きい大地さんの手に触られている。
それが更に心拍数を跳ね上げる。
でも少しくすぐったい⋯⋯⋯
嬉しいけど恥ずかしい。
やめて欲しいけどずっとこうしてたい。
男性と抱き合うなんて初めて。
初めてが大地さんで嬉しい。
でも恥ずかしい。
離れたいけど離れたくないよ。
この体勢はダメだ。
色々ダメだ。
体調不良の俺でもダメだ。
社会的に死ぬぞこのままじゃ。
「夢花、そろそろ⋯⋯」
「もう少し⋯」
夢花はしがみつく手に力を込めた。
自然と頭を撫でていた。
夢花は髪の毛が綺麗だ。
ずっと触ってみたいと思っていた。
セミロングの亜麻色の髪。
柔らかく滑らかだった。
はぅ⋯今度は頭⋯
お母さん以外にそんなことされたことないよ。
なんて大きな手なんだろう。
手を繋いだ時も思ったけど、本当に大きい。
全部、私全部が大地さんに包まれているよう。
心音が治まってくる。
安心感と温もりに包まれて眠くなっちゃう。
「夢花、時間もあるし、そろそろ、な?」
「は、はい⋯」
ゆっくりと夢花を横にずらす。
やっと離れられた⋯
危なかった。
細いがやはり女の子だ。
女の子特有の柔らかさと匂いでクラクラしてしまった。
もう1時間あったら確実に俺は社会的に死んでいただろう。
夢花は乱れた着衣を直し、ドアへと向かった。
俺はベッドに座りながらだ。
「それじゃあ大地さん、いってきます」
「ああ、行ってらっしゃい。帰ってくるの⋯待ってるな」
恥ずかしそうにしていた顔から、弾けるような笑顔に変わる。
「はい!行ってきます!」
「行ってらっしゃい」
音が鳴るんじゃないかと思うほど手を振りながら去っていった。
可愛い⋯⋯⋯な。
ふと病室を眺める。
急に寂しさが襲いかかる。
そこにあった温もりがない。
温かかった俺の身体がゆっくりと熱を失っていく。
それが寂しさを加速させる。
早く明日にならないか。
この感じだと、また抱きしめてしまいそうだな。




