第31話 危険信号
あれから1ヶ月がたった。
季節はもう夏だ。
新入社員の3人も少しずつ仕事を覚えて、ちゃんとやれているようだった。
玉木さんとはあれ以来話す回数が増えている。
もちろん社内限定だ。
夢花とは距離を置いているかのようで、話すことがほぼ無くなってしまった。
ずっと元気がないように見える。
笑顔を見せたり元気な声で振舞っているが、どこか無理しているような、そん感じがした。
早く夢花の気持ちが楽になるといいんだが。
「課長、お話があります」
今日の仕事もそろそろ終わる、そんな時にアリサが話しかけてきた。
仕事の話だろうか。
「どうしましたか?」
「内密のお話があります」
コソッとみんなに聞こえないように伝えてくる。
内密⋯怖すぎないか?
「本日のお仕事が終わり次第お時間を頂ければと思います」
「そこまで言うなら分かりました。時間を作りましょう。会議室でいいですか?」
「⋯⋯⋯わかりました。会議室へ終わり次第向かいます」
変な間がなかったか?
仕事で何かあったのかもしれない、上司として、しっかりと対応しなければな。
終礼をした後に会議室へと向かった。
既にアリサは会議室で待っていた。
「お時間を作って下さりありがとうございます」
「いや、いいんですよ、大事な話なんでしょうから」
長机に横並びで座る。
面談って訳でもないし、早速本題にでも入るか。
「どうしたんですか?こんなに改まって」
「それがですね⋯」
なんだろうか、そんなに言い難いことか?
まさか重大なミスをしたとか言わないよな⋯⋯⋯⋯
「井上さんについてなんです」
「井上さん?4月に入った?」
「はい、そうです」
夢花に何かあったのか?
まさかの夢花の名前に心臓がドクンと大きく脈打った。
「最近元気がないのにはお気づきではなかったですか?」
気付いているし思い当たる節はある。
というか俺のせいだろう。
「そういえば元気がないように感じる時もありますね」
「仕事に身が入っていないのもあるんですが、精神的に参っているよう感じがするんです」
「そういえば井上さんの教育担当は坂下さんでしたね」
「はい、そうです。先月くらいからミスや元気がない事が目立ちまして」
そうだよなぁ。
まさに先月の話なんだ。
1ヶ月で立ち直るのは無理があるよな。
「井上さんとはそれについて面談はしたりしてますか?」
「はい、何度か。その度に大丈夫です、頑張ります、と答えてはくれるのですが⋯」
「改善しない⋯⋯⋯という訳ですね」
「はい⋯⋯⋯」
俺が解決する問題なのだろうか。
夢花と俺が直接面談したところで悪化しそうな気がするな。
最近落ち着いてきて胃の具合も良くなってきたはずなのになぁ。
また胃が痛い⋯⋯⋯
「分かりました、私の方でも井上さんに色々聞いてみます」
「ありがとうございます。メンタル的なものだと、私にもどうすることも出来なくて」
医者やカウンセラーじゃないから難しいよなぁ。
それは俺も一緒なんだが⋯
はぁ、どうしたらいいんだろうか。
アリサから夢花の最近の様子を細かく聞き、話し合いは終わった。
席を立ちお疲れ様と声をかけ帰ろうとする。
「課長、いえ、大地さん、飲みに行きましょう」
なんで呼び止めるんだ、帰ろうよ⋯
「は?帰ら⋯ないのか?」
「こういう時は誘うのが上司じゃないんですか!」
どんな時でも軽々しく女性を誘うのは昭和の男には難しいぞ?
「だいたいなんで話があるって言った時に誘ってくれないんですか!」
そんなに怒らなくていいじゃないか⋯
「悪かったよ、お詫びに奢るから行かないか?」
「ふふ、じゃあ高いところですよ?」
はぁ、なんでそうなるんだ。
それに社内で名前で呼ぶのはやめなさい。
まぁいいか。
アリサもストレスを抱えていたんだろう。
結局高いとこに連れてかれたな。
どこで調べてるんだか。
朝までコースじゃなかっただけ良かった。
家に戻り夢花のことを考える。
最近は思い出さないようにしていたのになぁ。
甘くて辛い、幸せで苦痛な、ひと月前までの気持ちが顔を出す。
その想いに支配されそうになる。
ダメだ、ダメなんだ、そう繰り返しその気持ちに無理やり蓋をしていく。
せっかく胃の調子も良かったのに、これじゃあ前と変わらないじゃないか。
俺が夢花に近づくのはよくないんだ。
上司として接しなくてはいけない時もあるのはわかっている。
それでも距離を近づけたくなかった。
夢花がどうこうなんじゃない。
俺が耐えられなくなりそうだったから。
⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯
そうか。
結局俺は自分を守りたいだけだったのか。
はぁ、なんて馬鹿なんだ。
自分のことしか考えてないじゃないか。
何が夢花の為だ。
自分の心を守って夢花を壊しているんじゃないのか?
何が時間が解決してくれるだ。
1ヶ月経って悪化してるだけじゃないか。
その間、俺は忘れようと、自分の心を守ろうと必死になっていただけだ。
こんなにも真っ直ぐに俺を見てくれた女の子を苦しめてるだけじゃないか。
馬鹿だな俺は。
何してるんだろうな。
どうにかしなきいけないよな。
くそっ、どうしたらいいんだ。
考えでも考えても答えは出ない。
それどころか蓋をしようとした気持ちが溢れてくる。
⋯⋯⋯⋯⋯⋯
⋯⋯⋯⋯⋯
⋯⋯⋯⋯
⋯⋯⋯
⋯⋯
⋯
寝れな⋯かったな。
永遠に俺の脳内を巡る夢花への想い。
朝に近づけば近づくほど、蓋をしようとする気持ちが薄れていく。
モウオサエキレナイ⋯⋯⋯
「おはようございます」
朝の朝礼が始まった。
伝達事項などを伝え、いつものように終わらす。
朝礼の終わる間際に夢花に声を掛ける。
「井上さん、朝礼が終わり次第、私のところへ来てください」
「は、はいっ!」
ふぅ、なんでだか緊張するな。
最後の挨拶をし朝礼を終わらした。
そのまま夢花が俺のデスクへとやってくる。
「おはようございます井上さん」
「おはよう⋯ございます」
本当に元気がないな。
「坂下さんからお時間は頂いてるので、少しいいですか?会議室へ行きましょう」
「はい、分かりました」
課長の後ろについて会議室へと向かう。
久しぶりに大地さんと話した気がする。
社内の簡単なやり取りだけど、それでもすごい久しぶり。
嬉しいけど緊張しちゃう。
それに話ってなんだろう。
なにか悪いことしたのかな。
それともまた前みたいにお話してくれるの?
突然の呼び出しで頭が混乱する。
今日の私、変じゃないかな。
化粧ちゃんと出来てるよね?
髪型も服も大丈夫だよね?
話があるなら事前に言ってよ大地さん。
また大地さんが話してくれるかもって毎日メイクの練習してるんですよ?
大人の女性になれば大地さんが振り向いてくれるかなって。
それなのにずっとそっけないのは辛いです。
いつの間にか会議室に着いていた。
「じゃあここに座ってください」
「はい⋯」
大地さんに着席を促されたので座る。
「最近お仕事はどうですか?」
「⋯⋯⋯どう?」
そんな話はチャットでしてくれればいいのに⋯
そんな話すら私とプライベートでしてくれないんですね。
「もう3ヶ月が経ったので、順調かなと思いまして」
「⋯⋯⋯はい、怒られてばっかりですけど、私なりに頑張っています」
そんな話をするために会議室に?
でも社内だもんね、プライベートな話なんてそんなにできる訳じゃないから。
「最近見てて、元気がない時があるなって感じる時があるんです。体調などはどうなのかなと心配しているんです」
「⋯⋯⋯え?しん、ぱい?」
大地さんが心配してくれているの?
もう見てくれないのかと思ってたのに⋯
それだけで嬉しくなる。
でもやっぱりプライベートではもう話してくれないんですね。
「坂下さんからも聞いています。最近の井上さんは調子が悪そうで心配だって」
「そうなんですね⋯先輩もそんなふうに思ってるんですか⋯⋯⋯」
自覚症状がない、のか?
それはそれでまずいような気がするな。
このまま一気に心が壊れてしまいそうな、そんな儚げな雰囲気が夢花から出ている。
こんな風に俺がしてしまったのか?
いや、したのは俺だろう。
夢花の恋心に気づき、自分の恋心に気づき、そして自分を守るために逃げたのは俺だ。
こんな風になると思ってなかった、なんてことは言い訳だ。
しっかり向き合いもせず、ダラダラと夢花との関係を続けたのは誰だ?
続けたのに責任も取らず逃げたのは俺だろ。
済まなかった夢花。
ちゃんと、ちゃんとしないとだよな。
「あ、あの、課長、私って何かヘマしちゃったんですか?」
確かに仕事に集中出来なかったり、余計なことを考えてしまって失敗することも多かった。
でも、そんなに大きな失敗はしてないと思うんだけど⋯
「そんなことはありませんよ。坂下さんも私も先輩として、上司として、新入社員の井上さんが心配でして」
上司として⋯なんですね。
やっぱり大地さんは私の事なんてなんとも思ってないんだ。
それなのにドライブの時はなんで手を握ってくれたんですか?
私が何か大地さんに気に触るようなことしたんですか?
あの後何度も何度もメッセージしようとスマホを操作してはやめて、メッセージ作っては消して⋯
何百回やったか分かりません。
聞くに聞けない、聞いたら怖いでも聞けない。
ずっとそんな感じなんです。
全然わからないんです。
何があったのか教えてください。
じゃないと、じゃないと私⋯⋯⋯
そんなに辛そうな顔をしないでくれ。
もうダメだ。
今すぐ抱きしめてしまいそうになる。
今なら誰もいない、会社でそんなことする馬鹿がいるか、でも見られる心配は無い⋯
天使と悪魔がせめぎ合う。
ああ、胃が痛い。
⋯⋯⋯⋯⋯⋯なんだ、本当に胃が⋯
「か、課長?」
「ゴホゴホ、ゴホッゴホッ、ガハッッ」
「きゃあああああ!」
何⋯だ、こ⋯れ⋯⋯⋯血?
「大地さん、大地さん大丈夫ですか!」
夢花の声が聞こえる⋯でもなんて言っているのか分からない⋯
「誰か、誰か助けて!大地さんが死んじゃう!死なないで大地さん、大地さん!」
もう何が何だか⋯⋯⋯⋯
「いやあああああああああ」
なに?何が起こったの?
なんで?
なんで大地さんが血を吐いて倒れたの?
私の叫び声に反応した社員が会議室に入ってくる。
私は倒れている大地さんを見ていることしか出来なかった。
大地さんはピクリとも動かない。
嗚咽を漏らしながら泣くことしかできない。
サイレンの音が聞こえた。
大地さんはどうなるの?
教えて⋯⋯⋯⋯




