第29話 お礼をさせてください
あれから夢花からのメッセージもめっきり少なくなった。
突き放したみたいになったからな。
でもこれでいいんだ。
この歳で恋をしたんだ。
甘くて切なくて⋯⋯⋯⋯
それだけでいいんだ。
毎日自分に言い聞かせている。
会社で夢花を見ると元気がない。
それも少しの間だろう。
時が解決してくれるはずだ。
夢花は一般的に見ても可愛いだろう。
だから男が放って置かないと思う。
どう考えても俺なんかより、若い男と付き合う方がいいんだ。
俺みたいなおじさんが恋していい相手じゃない。
夢のような時間をもらえたんだ。
しかも何回も。
それでいいじゃないか。
何もやる気にならない。
大地さんと話したい。
大地さんとまたドライブしたい。
大地さんと食事したい。
大地さんにメッセージしたい。
大地さんと一緒に出勤したい。
あのドライブ以降、何一つ出来てない。
ぽっかり心に穴が空いたみたい。
もうあれから何日経ったんだろう。
仕事もアリサさんに怒られてばっかり。
はぁ⋯⋯⋯大地さんとお話したいよ⋯
元気の無い夢花がデスクに座って書類と格闘している。
その姿を見て声を掛けようと席を立つ。
何しているんだ俺は。
俺から突き放したんだ。
声を掛けようとするんじゃない。
「課長、どうされました?」
不意に席を立つ俺にアリサが声を掛けてきた。
「いや、なんでもないですよ。少し気分転換をと思いまして⋯⋯⋯」
「お疲れなんじゃないですか?顔色も優れない気がします」
顔色にまで出ていたか?
そんなことはないはずなんだが⋯
いつものようにしているはずだ。
「そうですか?私は今日も元気ですよ」
元気アピールをするために力こぶを見せつけるポーズをする。
俺のガラじゃないか。
「⋯⋯⋯⋯課長、本当に大丈夫ですか?」
やばい⋯完全に滑ったようだ。
俺もそうだと思ってたよ。
アリサさんが大地さんと楽しそうに話してる。
羨ましいなぁ。
私もあの輪に入りたい。
はぁ⋯⋯⋯⋯
「井上さん、元気ないね?この後のお昼、みんなで食べに行かないか?」
山下先輩だ。
外回りをしてない時はよく私を誘ってくれる。
「はい、お願いします」
お誘いを断るなんてことできないから、いつも先輩のみんなと食事に行く事が多い。
でもなんだが食欲がわかない。
大地さんも一緒だと嬉しいのにな。
まだアリサさんと何か話してる。
いいなぁ。
大地さんとご飯に行く約束でもしてるのかな。
「今日は食事はどうしますか?良かったらご一緒にいかがでしょうか」
アリサが俺を食事に誘ってきた。
どうしたものか。
食欲がないわけではないが、今日は食べる気がしないな。
「少しやることがありまして。食事はササッと1人で済まそうかと思ってるんです」
「そうですか。ご無理をなさらないようにしてくださいね」
アリサが俺を気遣ってくれる。
ありがとうと告げ、席に座り作業を始めた。
夢花はみんなと食事に行くんだな。
今日はどこに食べに行くんだろうな。
とは言ってもそこまで色んなところがある訳じゃない。
みんなでどこにするか案を出したがら会社を出る。
私にも意見を求められるが、今はなんでもいい。
結局定食屋さんに決まった。
何食べようかなぁ。
しばらく俺はパソコンで残っている仕事を片付けている。
「か、課長、お茶です」
そこに玉木さんがお茶を用意してくれた。
「玉木さんありがとうございます。お昼は食べに行かないんですか?」
「はい、いつもお昼は食べないんです」
そうだったのか。
「ダイエットでもされてるんですか?」
「い、いえ、そういう訳じゃなくて⋯えっとその⋯」
「ごめんなさい、理由なんて聞くのは野暮でしたね。無理をしてないなら大丈夫なんです」
「は、はい。あの、課長は食べてないんですか?」
「今日は食欲もないからお昼は抜こうと思ってまして」
「そうでしたか。私はいつもお昼は誰もいない社内でゆっくりしてるのが好きなんです」
なるほど、静かな空間を好むのかもな。
「それじゃあ私がいるとお邪魔ですか?」
「まま、まさか!課長とご一緒できるならむしろ⋯⋯⋯⋯」
むしろなんだ?
声が小さすぎて聞こえんが、嫌じゃないなら安心だな。
淹れてもらったお茶に口をつけ、俺はそのままPC作業を続けた。
定食屋でみんなで食事を楽しんでいる。
「井上さんは土日の休みは何しているんだい?」
「今度みんなでどこかに行かない?」
「こうやってお昼だけじゃなくて、帰りにもどこか寄ってかない?」
「趣味は何かあるの?」
「ゴルフに興味ある?俺はハマっちゃっててさ、営業課でやってる奴も多いから井上さんもどう?」
いつも隣に座る山下先輩が、いつものように色んな話をしてくれる。
今は誰かとなにかする気になれないから、やんわりと全部お断りしている。
大地さんに誘われたら全部ついていくのになぁ。
またドライブしたいな。
またお食事したいな。
また運転してる姿みたいな。
また手を繋ぎたいな。
また夜景を見たいな。
あの日の出来事が頭から離れない。
楽しかった、幸せだった、なのになんでなんだろう。
なんでこんなに大地さんと気まずい雰囲気なんだろう。
毎日していたメッセージも、一昨日はついにしなくなった。
あの日の帰り道、何かあったの?
突き放されるような、拒絶されたような、そんな気になった。
何か悪いことしたの?
何がいけないの?
教えて大地さん。
教えてくないとわかんないよ⋯⋯⋯
「あ、あの課長」
「どうしました?」
「よ、よかったらこれ⋯⋯⋯」
「これは⋯」
焼き菓子か?
「わ、私、料理とか好きで、お菓子も作るんです⋯良かったら、た、食べてください⋯⋯」
「ありがとうございます、遠慮なく頂きますね」
マドレーヌだろうか。
美味しそうじゃないか。
玉木さんが手を前で祈るように組んで見ている。
不安なんだろう。
目の前で1口頬張る。
口の中にくどくない、甘すぎない、スッキリとした甘さが広がる。
滑らかな口触り、そのまま喉に吸い込まれていく。
「⋯⋯⋯美味しい⋯とっても美味しいですよ」
「ほ、ほんとうですか!よかったぁ⋯⋯」
本当に美味しかった。
食欲はないのにまだまだ食べれそうなくらい美味しかった。
「玉木さんは料理が得意なんですね。こんな美味しいのなら毎日食べたくなっちゃいますね」
「ええ⋯⋯⋯⋯ま、毎日⋯⋯⋯そんな、でも、はぅ⋯⋯⋯⋯」
なんで悶えてるんだ?
まぁいい、美味しかったな。
「ありがとうございます、やっぱり糖分は取らないとですからね」
「は、はい、だから私も少しだけは食べるんです」
「玉木さんの分を食べたわけじゃないですよね?」
「はい、たまたま!たまたま今日は余分にあったので⋯⋯⋯」
「そう⋯⋯⋯ですか?それなら安心です」
玉木さんがそう言うなら大丈夫か。
ありがたいな本当に。
え、玉木さんと楽しそうに話してるのはなんで?
食事から戻ると、大地さんのデスクを挟んで楽しそうに話す2人がいた。
「課長!新人の玉木さんと2人で何してたんですか~?」
そうだよ、本当に何話してたの?
ずるいよ玉木さん。
私なんて大地さんと全然話せてないのに。
「何を馬鹿なこと言ってるんですか。普通に話していただけですよ」
「怪しいな~本当ですか~?」
「はいはい、茶化したってなんにもなりませんよ。玉木さんも困ってるじゃないですか。新人の女の子に嫌われたいんですか?」
「あー!うそうそ、玉木さんもごめん!課長も冗談なんで許してください!」
「はぁ、調子がいいですね、午後からの仕事はキッチリ頼みますよ?」
「それはもちろんです!」
本当に何も無かったのかな。
玉木さん、凄く嬉しそう。
いいなぁ。
俺が手を出すわけないじゃないか。
しかも社内で。
新人の子に課長の俺が手を出したら怒られ⋯⋯⋯
もう夢花に手を出しそうになってたな。
はぁ、自重しなければ。
なんだか疲れてるのかな。
身体が重く感じる。
デスクに座り、大地さんを見る。
なんだか顔色が優れない気がする。
大丈夫かな。
心配だよ。
私が声掛けてもいいのかな。
前は気にしなかったのに、今は気にしちゃう。
気にしちゃうというより、気が引けちゃうのかも。
話すのが怖いよ。
また拒絶されたらどうしよう。
今日も一日が終わったな。
早く帰って休もう。
午後には外に出る用事があったので、会社に寄らずに直帰する。
いつもと違う駅からだから間違えないようにしないとな。
しっかりと確認し電車に乗る。
ここからだと、ここで乗り換えか。
比較的大きな駅で乗り換えのため構内を歩く。
「課長?」
「はい?」
そこに居たのは玉木さんだった。
「出先からの帰り⋯ですか?」
「そうですね、このまま直帰しようと思ってます」
「お疲れ様です」
「玉木さんも気をつけて帰ってくださいね」
「は、はい、ありがとうございます⋯」
動こうとしないな。
俺から先に行かないとか?
「あの!」
「はい、どうされました?」
「良かったら、お礼をさせてください!」
お礼?させてください?
なんの事だ?
「えっとその⋯課長には色々ご迷惑をおかけしてて⋯だからその、1度ちゃんとお礼をしないとってずっと思ってて⋯」
なんだ、そんなことか。
気にしなくていいのにな。
優しい子なんだろう。
「大丈夫ですよ、お礼とか気にしないでください。上司として当たり前ですからね部下を守るのは」
「で、でも、その、本当にお願いします!」
お礼するのをお願いするもおかしいな。
なんだか面白いなぁ。
断るのが正解か。
無下にするのもなぁ。
この子の性格的に頑張って言ってくれたことだろうに。
ここは誘いに乗るべきか。




