第15話 家庭の温もり
「どうぞお上がりください、狭いところですが」
「失礼します」
ここが井上さんのお宅か。
なんだか家庭訪問してる先生の気分になるな。
誰かの親御さんと話す機会なんてそうそうないもんだからな。
「夢花はお部屋を片付けてきなさい。課長さんに見られたら恥ずかしいでしょ」
「ちょ、っと!お母さんがそれ言わなきゃ分からなかったじゃん!余計なこと言い過ぎだよ!」
「いいからやっておきなさい、ほらほら、いったいった。課長さんはこちらにどうぞ~」
いい感じの親子の会話だな。
母とはそんなもんだ。
間違っても井上さんの部屋を見ることなんてない。
興味はなくはないが、見てはいけない。
何をセクハラ判定されるか分からんからな。
もうお母さんってばほんと最悪だよ。
恥ずかしくてどうにかなっちゃいそう。
でも誘ってくれたのは本当にナイスだよ!
課長のために考えたメニューを食べてもらえるんだ。
心が弾むの分かる、今私、すごい嬉しいんだ。
早く片付けて用意しなきゃ!
「強引に誘ってしまってごめんなさいね。あの子は会社で迷惑はかけていませんか?」
「いえいえ、とてもありがたいです。井上さんは会社でもとても元気で、やる気もあって、こちらも助かっているんです」
「そう言って頂けると嬉しいです。女手一つで育てたので、ちゃんと社会でやれているか不安でして」
他愛ない話を井上さんのお母さんとしている。
顔は井上さんにそっくりだ。
俺より若く見えるが、同年代か年上か。
俺もやもめ暮らしじゃなきゃ、井上さんくらいの娘がいたのかもしれない。
そうだったら今より楽しい生活だったのだろうか。
「私は食事の準備してくるのでお待ちくださいね、ゆっくりなさってて下さい」
井上さんのお母さんは、そう言って台所へと行ってしまう。
人の家に入ることも珍しいんだが、飲み会の日に玉木さんの部屋にも入ったな。
今月だけで2回か。
一人でいることが多かったから、なんかこう⋯落ち着かないな。
台所では食事の用意をする母。
部屋で掃除をしている娘。
リビングのテーブルでくつろぐ俺。
家族じゃないか⋯
なんだ、俺はいつの間にかパラレルワールドに迷い込んだのか?
よく分からない感覚に陥ってしまうな。
「課長、お待たせしました!今から課長の為に考えた、胃に優しいお料理作っちゃいますねっ!」
不思議な感覚になっていた俺は、一瞬井上さんが娘に思えてしまう。
「ああ、楽しみにしてるよ。夢花は料理が得意なんだもんな」
さもいつも食べてるような感じで返答している。
「え、な、ゆ、え?かちょ、え?名前で?」
井上さんが動揺しているのを見て俺は一気に現実に引き戻される。
「ああ、ごめん井上さん、馴れ馴れしすぎたな、もう言わない」
「いやいやいやいやいやいや、いいんです!名前で、そのまま呼び捨てでいいんです!今もこれからもずっと!」
そう言って井上さんは台所へと消えていく。
その後ろ姿はなんだかとても嬉しいにみえた。
びっくりし過ぎだよ。
でも嬉しい、飛び跳ねそう。
夢花って⋯⋯⋯えへへへへ。
今の私の顔、絶対緩んでる。
嬉しい嬉しい嬉しい。
「きゃー、お母さんどうしよう!」
「うるさいわね夢花は。なんて顔してんの。ほらほら、早く作っちゃいなさい」
「もぉ~いいもん!美味しいの作っちゃうんだから!」
やっぱりゆるゆるの顔だったのかな?
でもいいの、緩んじゃうよこんなの~。
よし、張り切っちゃうんだからっ!
ここはマンションなんだろか。
母子家庭なのにしっかりとしたところに住んでるってことは、お母さんがそれだけしっかりしているんだろう。
家の中も煩雑な様子は無いし、ゴテゴテと飾り付けがあるような感じでもない。
スッキリとしているし統一感もあってオシャレだ。
家の中を見渡していると、台所の方から小気味いい包丁がまな板を叩く音が聞こえてくる。
鍋で煮ているものもあるんだろう。
色々な音が台所から聞こえてくる。
時間と共に増す匂いと共に、俺は家庭の温かさを感じている。
ストレスなんて無縁な世界だな。
これが家庭、家族と言うものなのだろうか。
自分が子供の頃にはこんなこと思ったことなんてない。
全てが当たり前だったからな。
それをもう20年以上していないんだ。
懐かしすぎて涙が出そうになってくる。
この匂いと音と環境だけで俺は癒されているようだ。
この家とお母さんのおかげなんだろう、井上さんがあんなにも優しくていい子なのは。
⋯⋯⋯そうか。
井上さんが俺を求めてるのは、父性なのかもしれない。
母子家庭なんだもんな。
男親の、父親の愛情が足りないのかもしれない。
それを恋と思っている可能性が高いかもな。
井上さんがそれに気づいてくれると嬉しいんだが。
だがそうじゃない場合はどうするんだろうか。
俺は本気になれるのか?
もう何回この自問を繰り返しただろうか。
答えが見つからない。
俺は井上さんに何を求めているんだろうか。
もし本当に井上さんが俺に恋をしているのなら、受け入れるのか?
こんな年の差のあるおじさんが幸せにできるのか?
受け入れたい、幸せにしたい、そんな気持ちも湧き上がる。
だが全ての想いがすぐに霧散する。
部下と上司、年齢差、母親の承諾、社会的問題、色んなことを考慮してしまうからだ。
障害が多すぎる。
1歩を踏み出すのなんて無理だ。
俺には若さも勢いもない。
勇気を出す出さないの問題ではない。
出会うのが、生まれたのが遅かった。
遅かった⋯⋯⋯ただ、それだけだ。
ふぅ、そうか、わかった。
簡単なことだ。
俺はこの子に惹かれている。
だからこんなにも答えの出ない迷路にいるんだろう。
惹かれていないなら相手にしないだろうからな。
ははは⋯⋯はぁ、辛いな。
目を瞑り、天を仰ぐ。
迷路からは出れた。
迷路の後は障害だらけだ。
俺が惹かれているのなんて隠せばいい。
あの子が俺への気持ちが父性なのか恋なのか、それ次第だろう。
後者の場合は辛い選択になるのは分かりきっている。
恋だとしても俺は受け入れることは出来ないから⋯⋯⋯⋯
「課長!出来ました!」
俺の考えていたことを全て吹き飛ばす笑顔で井上さんが料理を両手に持ってやってきた。
とてもいい匂いが俺の鼻腔をくすぐる。
「とてもいい匂いがするよ。食べるのが待ち遠しいな」
「ふふ、今運びますからお待ちくださいねっ」
「はいはい、残りも運ぶのよ」
「もぉ、お母さんいちいちうるさいよ!わかってるって!」
「ははは、賑やかで最高ですね。この家の家族になりたくなってしまいます」
何を言ってるのか、ダメだろこんなこと言ったら。
でもこれが俺の本心なんだ。
温かかった、何かもが。
声が、音が、場所が、雰囲気が、匂いが、俺の五感で感じる全てで、今を求めている。
「あらやだ課長さん、私と結婚してくれるんですか?」
それも良いかもしれない。
間違いを犯すことなく、この雰囲気を環境を手に入れられる。
最高じゃないか。
でもそうじゃない。
そうじゃないのが辛かった。
「何言ってるのお母さん!」
「あらあら、冗談なのになーに本気になってるの?」
お母さんってばなんてことを言うの?
課長と結婚?
ダメに決まってるじゃない。
⋯⋯⋯⋯なんでダメって思うんだろう。
でも課長がお母さんだろうと結婚するなんてやなの。
「ごめんなさい課長、母が変なことを言って⋯」
「いやいや、変なことを言ったは私ですから。お母さんも申し訳ございません」
「大丈夫ですよ、ご冗談だったのは分かりますから。それなのにこの子ったら本気にしてねぇ」
そっか、冗談⋯だよね。
「でもでも、冗談でそんなこと言ったらダメだよ!」
「はいはい、何をムキになってるのかねこの子は。夢花が課長さんと結婚したいの?」
「な、へ、私?え?」
ちょっとどういうこと?
何言ってるのお母さん。
私と課長が?いいの?
全然いやじゃない。
ううん、むしろしたい。
なんで?なんで結婚したいって思ったの?
「何を本気にしてるかねこの子は。ごめんなさいね課長さん。それじゃあ冷める前に召し上がってください」
すごいパンチをぶっ込んでくるお母さんだな。
見ろ井上さんを。
顔が耳まで真っ赤じゃないか。
俺が失言したせいだから申し訳ないが⋯
「美味しそうです。では、いただきます」
「ゆっくり食べてくださいね!」
「そうですね、どれも美味しそうです」
本当に美味しそうだ。
俺は雑炊から手をつける。
「うん、美味しい!」
「それは鶏雑炊なんです!味付けは薄くなかったですか?」
「しょうがが効いていてとっても美味しいです」
本当に美味しい。
胃に、身体に染みていくようだ。
こんなに温かくて美味しく感じるのなんていつぶりなんだろうか。
「こっちもこっちも、こっちも食べてみてくださいっ」
「これは?」
「白身魚の煮付けです!課長のお口に合うと嬉しいです!」
「忙しい子だね、課長さんにゆっくり食べさせてあげなさい」
「も~分かってるよお母さん!」
「あはは、賑やかだし温かいし美味しいし、最高の食卓ですね」
「ふふ、こんなに賑やかなのは課長さんが来てくれたからですよ、私達もいただきましょう」
「いただきます!課長、残しても大丈夫ですからね!」
みんなで食卓を囲む。
美味しい料理に家庭的な雰囲気。
この温かい雰囲気で心が和むし癒される。
でも何故だろう、涙が溢れそうになる。
懐かしいからなのだろうか。
それともこれが俺の求めているものなのだからなのか。
求めているのに手に入らないからなのだろうか。
俺は零れそうな涙を堪えながら井上さんの手料理を食べていた。
「食後のお茶も美味しかったです。今日は本当にお世話になりました。そろそろお暇させていただきます」
「え、もう帰っちゃうんですか!」
「そんなに長居するわけにもいきませんから」
「もうちょっと居てくれても⋯」
「無理言うんじゃないの、課長さん、良かったらまたいらしてくださいね」
「はい、こんな美味しいものが食べられるなら毎日でも嬉しいですね」
「夢花が喜んじゃうわね」
「もぉ、お母さんは余計なこと言い過ぎだよ!」
「ははは、名残惜しいけど今日は帰ります。ご馳走様でした。それでは失礼します」
「ほら、課長さんをそこまで送っていきなさい」
「わかってるよ!行きましょ課長!」
「そんな気にしなくて大丈夫ですよ」
「いいからいいから、行きましょう!」
「今日は本当にありがとうございました。ここで大丈夫ですからね」
「いえいえ、私がお世話になってるお礼をしたかったので!」
「井上さんがあんなに料理が得意だったのは驚きました」
「小さい頃から作ることが多かったので。あの課長⋯」
「どうしました?」
「少しお散歩しませんか?」
何故だろう、してはいけない気がする。
これ以上はダメ、そう思ってしまっていた。
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