8
「麗人…?」
フィッツはニコニコしながらオウリを手招きする。よくわからない呼び名につい、傍のセンセイを仰ぎ見ると、彼は肩をすくめた。
当たり前だが、部屋はオウリのものよりも随分広かった。だが基本的な作りは同じで、片側が全てガラス張りになっており、とても開放的だ。
部屋の奥、一段上がったところに彼の椅子がある。玉座なのだろう。
オウリは呼ばれるまま、部屋をまっすぐ進み男の前まで来た。改めて見ると、この男もとても美しい容貌の持ち主だ。黒い髪に黒い瞳は同じだが、その髪はまっすぐ長く腰のあたりまである。背は高いが細身のせいか、どこか中性的な美を感じた。
「こちらへ」
そう言われさらに手招きをされる。そこは、玉座の真横であった。この国の法制度はわからないが、皇族と同列に並ぶ事など、良いのだろうか。
思わずまたセンセイを振り返る。
「ーーーーーーなるほど。「その人」は、私の騎士がお気に召したようだな」
「……フィッツ」
咎めるような言い方をしたセンセイは、
「あまり畏まらなくていい。この男は確かに皇子だが身分には無頓着だ。あまりオウリを困らせるな」
そうして主人に向かい言い放つ。なるほど、皇子と騎士の関係性が少し見えてきた。
「俺はシンに呼ばれているからこれで行く。オウリ、明日はここを案内できる時間を取るから、朝食後に迎えに行く」
「…ありがとう…」
センセイはあまり変わらない表情のままそうして踵を返してしまった。
この部屋に2人きりはやはり居心地が悪い。変わらず男はニコニコと美しい笑みを漏らしている。
「たくさん話が聞きたいんだ、「その人」の」
「ーーーーーー……」
オウリが一歩も踏み出せずにいると、男は玉座から立ち上がり、オウリの前まで来た。少しだけ背をかがめる。
「あまり警戒しないでくれ。騙していたことは謝ろう」
「ーーーーーーはい…」
「でも、こちらとしても「その人」に関する情報があまりにも少なくてね」
タコのようなうねる生物だったらどうしようかと思った、と男は続ける。
「ああ、タコはわかるか?」
「…はい」
「この国では食用にする習慣があるがあなたのところは?」
「……同じです。私の国でも、タコは食べていました」
なるほど、と彼は頷いた。
「確かに、共通点が多い」
するとフィッツは突然、オウリの右手を取った。ひやり、とする感覚に驚く。
「こちらだ」
そうして手を引かれる。彼が進む先は更に奥の部屋だった。その扉が開かれた時、思わずオウリは足を止める。
天蓋付きの豪華な寝台。さすが皇族だ。大人5人くらいなら余裕で眠れそうなベッドがそこにはあった。そういえば、趙姫として…というような話があったが…。
「向こうだ」
男が指した先は、バルコニーのようであった。今までの部屋は、片側がガラス張りであったが、この部屋はその一角が扉になっていた。その先には人が出られるような場所がある。
「わ…」
扉を開け放つと、鼻腔をくすぐる花の香りに思わず声が出た。久々にこうして、外の空気と太陽の光に触れた気がする。尤もここは地下であり、今オウリの目に映っている空も太陽の光も全ては作りものだという。
そこからは、街が一望できた。ここで1番高い建物の最上階なのだ。どこよりも景色は良い。
「ここが、私の第三皇国だ」
心地よい風は吹かれ、オウリは靡く髪の毛を耳にかけた。
燦々と輝く太陽光のもと、たくさんの人々がそこには行き交っている。ガラス張りの建物の間には道が通っており、それは正方形をいくつも並べたように正確な間隔で引かれていた。
「あれは……馬車?」
オウリが見たそこには、高い建物の間の道を優雅に馬車が走っていた。
「馬車もあなたの国にあるのか」
「はい…ほとんどの人が移動は馬車です」
「そうか……国の規模は?」
オウリはやや首を捻る。
この目の前に広がる大都市の大きさがわからない以上、規模の説明は難しい。
「いくつもの国があります。私のいたところは…」
「ああ、オウリ。私に敬語は不要だ」
「ーーーーーーあ、でも…」
皇子相手でもあるし、年上の男性だ。何かしらの関係性が確立していない状況で、敬語をやめる事はなかなかに難しい。
「センセイにも敬語じゃないだろう」
「ーーーーーー…確かに」
だがどうにも、センセイと話をしている時よりもやや緊張をする。それは相手がこの皇子だからか。
フィッツは少しだけ笑うと、風に靡く長い髪を手で押さえた。
「私は、向き不向きというものが人に対しても存在していると思っている」
彼は街を見下ろしながら、そう話し始めた。
「直感で自分と合うと感じる時と、第一印象は良くなくとも人となりを知っていくにつれ、その人に惹かれている時…どちらも向いているかいないか、という事だと思っている」
「ーーーーーー……」
オウリは男の意図がわからなかった。この高い場所から美しい大都市を見渡しつつ、そんな話をする男の意図が。
「オウリにとっては、向いている人の1人がセンセイなのかもしれないな」
「…向いている…」
「出会えることも、出会えないこともある、向いている人だ」
見てくれ、と男が指差したのはその大都市だった。人々が多く行き交う場所だ。
「あの中のどこかに、自分に向いている人がいるかもしれない。だがいたとしても、出会えないかもしれない」
この地にどれほどの人数の人間が住んでいるのかは、オウリにはわからない。だが、見渡す限りの大都市は、きっとオウリが知る世界の大国と呼ばれるそれに相当するだろう。
隣りを見ると、フィッツと目が合った。
「そう思うと、私たちの出会いは奇跡に近いと思わないか?」
少し照れくさいのか、苦笑のような笑みが漏らされる。見た目からすると、恐らく彼は20代後半だろう。一国の皇子とこれまで知り合いになった事がないからわからないが、オウリは彼が、皇族というよりも、こうして大都市の中で営まれている人々の生活をよく知る1人の青年に思えた。
「セイトにある書物の話を聞いたとき「その人」は未知の生命体だと思った。人の形をしていないかもしれない、と。だがライスからあなたを助け出した時、どこかでやはり未知の存在だと感じた。ちゃんと人であるのに」
どうやら自分は、多くのここの人から、本に出てきるような宇宙人のように思われていたようだ。尤も、自分も別の宇宙だと聞いた時は、彼と同じようにタコのような生命体を想像した。
「あなたが人であるということはこの上ない喜びであり、同時に、最大の利用価値のひとつであると言える」
切れ長がオウリを映し、そしてすっと細められる。
「人であるならば、生存本能も生殖反応も同じ」
オウリは少しだけ顔を顰めた。
「私とあなたの間に子ができれば、「その人」の血を引く者がこの国を治めることになる。その力を受け継いでいるとすれば、それは他国に対して最大の防御壁になる」
「…子ども…って…」
「女性に年齢を聞くことは失礼だが、あなたは20代半ばだろう?適齢期でもある。だからこの美貌でたぶらかし、抱いてしまえば」
するりと彼の手が、オウリの腕を掴んだ。長く細い指だが、力は強い。きっとこのまま引き寄せられたら、簡単にオウリの体は傾いてしまうだろう。ここは寝室だ。彼女は瞬時に、体を硬くする。もし引き寄せられたとしたら、自分は次にどんな行動に出るべきか。皇族相手とはいえ、こちらも防衛手段に出るしかない。まずは、反対側の腕を掴み、そのまま捻り上げ体勢を崩したところで背負い投げるしかーーー。
すると、フィッツは笑った。
「それが、この国の策士の暴言だ」
いとも簡単に掴まれていた腕は解放された。オウリも頭のなかに描いた背負い投げを消す。
「……ジョウゼンさん、のこと?」
男は美しい笑みを漏らした。
確かに、あのジョウゼンならばそんな事を進言しそうだ。
暴言、と言っているあたり、彼もあの男の言葉に呆れているのだろう。
「あいつも悪い男ではない。だが、メイと似ていて忠誠心というものが強い」
もっとも、と男は続けた。その忠誠心が自分へのものなのか、国へのものなのか。
「…皇帝へのものなのかは、わからないが」
引っかかる物言いに、オウリは口を開いた。
「フィッツは皇子でしょ?なら、皇帝はあなたの父親って事なんだよね?」
「父親だが、血は繋がっていない。それに今は、ほぼ死んでいるようなものだ」
だから実質この国は皇子であるこの男が動かしている。そんな中で、いるかいないかわからないような皇帝に忠誠心を捧げているとすれば、それはフィッツにとって敵と言っても、過言ではないのではないか。
「…頭をフル回転させている、という顔だね」
見透かされたのか、とオウリはまた表情をかたくした。
「自分の周りに、本当に信用できる人物だけを配置したいのは山々だが、それだけでは国は回らない。周りに友だけでは、人は生きることなどできない」
オウリは男から視線を外した。
見えるのは、大都市。
彼の言葉から、やはり彼が皇族として生きてきたのだと思い知った。彼はきっと、多くを疑いながら、多くの人を疑いながら、生きる人生なのだ。
「…私の友人は、私のことを諌めることができる」
「ーーーーーー………」
「確かに、自分と合う人たちばかりとずっと生きることは難しいかもしれない」
フィッツが治めているというこの大都市がここまで美しいのは、その営みが優れている事を反映しているはずだ。だがそれだけではもちろんない事も、この男は理解をしている。
「国を治める人事とも違うだろうけど」
人の向き不向きがあるというなばら。
「不向きがあるからこそ、向いているとわかるに過ぎない」
「……デュアリズムか」
彼は苦笑をするとそう言った。
「ジョウゼンさんが誰に忠誠心を誓っているのか、正直なところ私にはわからないけど」
フィッツの正体を隠すように言ったり、オウリの事を探ろうとしたその様子は、決してフィッツに害をなそうとしているようには見えなかった。
「フィッツの敵には、見えない」
「ーーーーーー………」
黒い瞳が、一瞬揺らぐ。
風が吹くたび、彼の長い髪が靡いた。
手すりに肘を付くと、彼は少し屈むようにして顔を手のひらで支える。子供じみた仕草だが、造作の良いそれが優雅に微笑むさまは、絵画のようだ。
「…ジョウゼンの暴言も、少し魅力的ではあるな」
そう漏らし、
「ーーーーーーオウリが「その人」でよかった」
そう続けたのだった。
フィッツの部屋から出た途端、少しだけ力が抜けた。気がつかないところで緊張をしていたのかもしれない。
オウリが両手を上に伸ばすと、肩甲骨が音をだす。あまりここに来てから体を動かす機会に恵まれていない。せめてランニングくらい、どこかでさせてもらえたらよいのだが。
と、その時だった。
長い廊下のその先に、人影をとらえた。
こちらに向かって歩いてきている。
ここはフィッツとセンセイ、そしてオウリに与えられた部屋があるだけの階だ。他の人間がいてもおかしくはないのかもしれないが、皇子の部屋があるのだからこの階に入る前の警備は厳しい。
そこを通過してきたとしたら問題ないのだろうが、何故か…嫌な感じがする。
オウリは歩みを止めると、その影を見つめた。
近づくにつれ、それが男だとわかる。背格好はセンセイくらいだろうか。高身長だ。
光がさしこみ男の姿が見えた時、オウリはつい先ほど覚えた違和感にまた襲われる。
それが何であるのかわかる前に、男の姿が見えた。
「ーーーーーー……セン、セイ?」
自分でも何故、そんな言葉がでたのかわからない。目の前まできた男は背格好こそ似ているが、オウリが知っているあの騎士ではないのだ。
「お前がオウリか?」
声がセンセイよりもずっと低い。口調も荒っぽい印象だ。何よりも彼と同じ黒い瞳は鋭く、オウリを睨んでいる。
「………………」
「お前が、オウリか?」
苛ついたような口調に、オウリは思わず一歩下がる。それを肯定ととったのだろう、男はわかりやすい舌打ちをすると、オウリへ手を伸ばしてきた。先ほどよりもずっと強い力で腕を掴まれると、彼女の視界は反転した。すぐそばに床が見える。オウリは腰から抱き上げられ、まるで大きな荷物でも運ぶかのように、男の片腕に抱えられていたのだ。
「ちょっと……おろして!」
「うるせぇ」
低い声が面倒くさそうにいう。
一体この男は誰なのか。ライスの侵入者か。いや、だがあそこの特徴は、金色の髪に緑か青の瞳だと言っていた。では、話に出てきたセイトからの侵入者か。確かその国とは休戦中だと聞いている。もしかしたらセイトの人間ならば、ここの侵入しやすいのかもしれないが、いかんせん、オウリには情報が少なすぎた。
手足をばたつかせ、
「離して!!一体、どこに連れていく気?!」
「…黙ってろ」
そう言われ、黙るような人間ではない。
「荷物じゃないんだから!おろして!!」
「ちっ…黙らねぇとここで犯すぞ」
「ーーーーーーっ」
とんでもないことを宣う男にオウリはますます暴れた。
そして階段をおり、ひとつ下の階まで来ると、男はある部屋に入る。
窓際にあるソファの上ではなく、その下の床に無造作に投げられる。冷たい床と頬がぶつかり、「痛った…ぁ……」と声がでた。
見上げた先には、先ほどの男。こちらを見下ろすそれはやはり鋭く、面倒臭いという感情が見てとれた。
黒い瞳に黒い髪。髪型はセンセイによく似ている。そこでまたオウリは違和感に襲われた。メイの時に感じたそれと酷似している。違和感というよりこれはーーーーー既視感。
「そこで待ってろ」
男はそれだけいうと、踵を返し部屋からでていってしまった。
オウリは体を起こすと、部屋を見渡す。知らない部屋だが、作りは彼女に与えられた部屋とよく似ていた。片面は全てガラス張りの窓際だ。輝くような光が降り注いでいる。ふわりと香るそれは、茶葉のものか。不思議と茶の香りは気分を落ち着かせるという。香りにつられるようにあたりを見渡すと、机の上には試験管らしいものがいくつも置かれていた。奥の戸棚にはたくさんの薬も見える。
可能性をいくつも頭に浮かべるが、どれもオウリにとってそれほどの危険はないと告げていた。
つまりこの部屋はーーーーー。
がちゃりと、先ほど入ってきた扉がまた開く。
そこにいたのは彼女の予想通りの人物。
「…ジョウゼン…さん」
「おや。やはりあの男は女性の扱いを理解していないようですね」
ソファの下に腰を下ろしたオウリを見ると、ジョウゼンはにっこりと微笑みながらそう言ったのだった
了