7
彼の騎士、だと男は言った。
「俺はあの人を守り、共に戦う彼の騎士だ」
皇帝にも皇子にも必ず1人、騎士が側に仕えるという。センセイは、フィッツの唯一無二の騎士だ。それは戦い、命の果てまで共にする者。
「騙して悪かった。だが、フィッツへの安全を考慮すると、お前に正体を明かすのはやや不安があったのも事実だ」
だが今はもう無いという。
「あのジョウゼンがバラしても良いと言っていたしな」
珍しい事だ、と彼は続ける。
あの男は見た目に反した腹黒さと、用心深さを持っており、心を許す相手はそうそういないという。女好き、と言うのに心を許さないというのは…。
「ジョウゼンはまぁ…少しあれだが…信頼は出来る男だ」
見透かしたフォローのようにそう言われる。私生活に難あり、というところだろう。そしてどこか納得が出来た。この男が国を治める姿よりも、騎士として戦う姿の方が容易に思い描く事ができたからだ。ライスでも振り下ろされる剣からオウリを守ったのは彼だ。
「俺の部屋はすぐに隣だから、何かあればすぐに知らせてくれ。ノックは不要だ」
その言葉につい、オウリは笑ってしまう。こちらはノックの後に、是非とも返事を待ってから扉を開けてほしい。そう伝えると、男は「悪かった」と言った。
「ところで、朝食は済んだようだな?」
「うん。ジョウゼンさんがさっきサンドウィッチを」
「…なるほど。食まで同じなのか」
オウリもそう思った。見たところ料理の殆どは洋食だ。思えば、彼らの服装もどちらかといえば、他国のものに近い。
「ならば、腹は減ってないな」
「センセイは……」
と、そこでオウリは彼の事をどう呼ぶべきか迷った。ジョウゼンは敬語はやめてほしいと言う。センセイは皇子ではなかった。そしてどう考えても、彼は年上だろう。
「ーーーーーーそれで、いい」
すると男は少しだけ微笑んだ。
オウリは思わずどきりとする。あまり表情がないと思っていた。どちらかといえば無表情ばかり見ていたからだろう。
笑うと、整った造作が更に際立つ。
「呼び捨てで構わない」
「ーーーーーーわかった」
オウリは言いかけていた言葉をつなげる。自分は確かに朝食を食べたが、彼はもう食べたのだろうか。
「朝ごはんは食べたの?」
「まだ済ませていないが、適当に済ませる」
そりよりも、と男は続ける。
「時間が出来たから、ここを案内しようと思ったんだが」
まだここの事をよくわかっていないオウリにしてみれば、それはありがたいことであった。話しているうちに、また同じ事象が出てくるかもしれない。
「ありがとう。でも、しっかり朝食は食べた方がいいと思う。ほら、確かここ、食堂みたいなのが…」
するとセンセイは眉を寄せる。
「……食堂に行ったのか?」
「あ……あー……クアロアさんが…」
間違ってはいない。
連れて行かれたのは確かだ。
彼は大きくため息をつく。
「危険があるかもしれないからやめろとあれほど言っておいたんだが…」
なるほど。あの行動は独断だったのか。だがたくさんの料理を前に嬉々としている美女はとても楽しげであったし、実際オウリも和らいだ気がした。
「私が言うのもなんだけど…こう言ったことの情報統制はなかなか難しいと思う」
オウリの存在を隠し通す事は、難しいはずだ。
「ーーーーーー確かに、そうだな」
そもそもフィッツは反対していたと言う。隠そうとするから、暴こうとするものが現れる。ならば、堂々とその存在を知らしめてしまえば良い、と。
「だが、「その人」だとわかれば、ここは戦場になるかもしれない」
オウリはぞくりとした。確かにその通りだ。数えきれないほどの人間が、オウリの力を手にしようとしているのだから。
「フィッツの案が無難かもしれないな」
「…案?」
「彼の寵姫にしてしまえば、ここにいても不思議ではない」
「…ちょうき…って…」
「愛人…いや、恋人か」
オウリはこの国の内部事情に詳しいわけではない。だがそれそれで、危険な事がありそうな気がする。
「フィッツの相手となれば、俺が守る大義が出来る」
「ーーーーーーなるほど…あ、でも…」
オウリは昨日食堂に行ってしまった。皇子の相手があんな風に食事をするのは、少し違和感がある。
「ああ、食堂に行ったんだろう?」
彼も同じように思っていたようだ。
「あそこは兵やここで働く者たちの食堂だからな……まったく、クアロアはどうしてもあそこが好きらしいな。周りの者たちの事も考えろと言っているんだが」
センセイは苛立ちを振り払うように前髪を掻き上げた。それに関しては、オウリも答えを持っていなかった。だが彼女は、ボリュームのある食事がしたいと言うようなことを言っていた気がする。
「顔を見られているだろうし、クアロアと一緒にいればどうしても目立つ」
ああいった場所で食事をする立場ではない、と言う。
「クアロアさんも…皇帝の一族なの…?」
「は?何言ってる。あの人は…」
センセイが驚いたように組んでいた腕を解いた時、その後ろの扉からノックの音が聞こえた。どうやら訪問者が後を絶たないらしい。
「ーーーーーーどうぞ」
オウリがそう答えると、センセイが扉を開けたくれた。そこにいたのは、メイだった。
「…陛下が呼んでるぞ」
ぶっきらぼうに言われたそれは、オウリへのものだった。先ほどの一件を根に持っているようだ。
「その陛下っていうのは、フィッツさんのこと?」
「ーーーーーーそうだよ。名前で呼ぶなんて失礼だろ」
「メイ」
センセイの嗜めるような声に、彼はこれみよがしにため息をつく。
「……場所はわかるか?ここの2つ先の部屋だ」
メイは顔を顰めたまま親指を立てると、それを右方向へと倒す。どうやら国の皇子の自室に呼ばれてしまったようだ。まさか、本当に例の案とやらで通そうとしているのだろうか。
「センセイ。さっきシンのやつが探してたぜ」
そこで、オウリの知らない名が出てきた。
「…また厄介事か…?」
「さぁ。でも、こいつの件だろ。情報ダダ漏れ」
次にはオウリのことを顎で指す。やはり態度が悪い。良い気分ではない。
「悪いな、オウリ。案内はまた今度だ。フィッツの部屋まで案内する」
センセイは言いながらメイの頭に手を置いた。そしてそのままグッと下に押す。自然と彼の頭は、オウリに向かって下げられる形になった。
「ちょっ…!何すんだよ!センセイ!」
暴れようとするが、腕力と身長差がそれをさせなかった。
「いいか。メイ。お前の言動や行動はフィッツの評判にも繋がるんだぞ。その事について自覚を持て」
「ーーーーーーっ、わかってるよ!」
「まだ、お前に外交など任せられないな」
「……テイにやってもらうよ」
不貞腐れたように言う彼から、またオウリの知らない名が出る。センセイは拳を作ると頭の上から一発振らせた。
「……お前がやるんだ、メイ」
「ーーーーーー……ッ……」
どうにかセンセイの手から逃れると、メイは埃でも落とすような仕草で頭を左右に数度振る。そしてやはり文句でもありそうな表情のまま、
「………悪かったよ」
そう、オウリに言った。先ほど、ジョウゼンからは24歳だと聞いたが、それよりも幼く感じるのは、こういった態度からだろう。見た目は違うが、まるで10代の少年のようだ。
「彼女はフィッツの寵姫にするかもしれないんだぞ」
「ふり、だろ?」
「だが公衆の前でその態度か?」
「ーーーーーー………」
メイはオウリを見た。
その時だった。彼がこれまでとは少し違うと思ったのは、いつも険しかった眉がそうではなくなったからだろう。いや、そうではない。そして次の瞬間だった。オウリは僅かな違和感をメイに覚える。姿形は何も変わっていないのに、明らかに何かが違う。
「ーーーーーーごめん」
そう言った声もメイのものだ。それなのに、何故だろう。理由はわからないが、何かが絶対的に違う気がする。
「……いや、大丈夫だから」
言葉にはするが、違和感が拭えない。それが何であるか確かめる前に、メイは踵を返してしまった。
まるで嵐が去ったように、室内は静かになった。と言うよりも、消えない違和感にオウリの思考が追いつかない。
センセイにフィッツの部屋まで案内される時もまだ、彼女の頭は半分以上、メイの事を考えていた。
「オウリ」
センセイに呼ばれ、ハッとする。部屋の扉が開かれ、奥の大きな椅子に深く座るフィッツを見た時、オウリはやはり彼の方が皇子である事に納得がいくと改めて思った。
それは、頭上に光る冠のせいか。いや、どちらかと言えば女性のティアラのようにも見える。だがとても美しい装飾品があるからだけではないだろう。
「ーーーーーーやっと正式に、「その人」と話せるな」
彼はそう言うと、長い足を組み替え、楽しそうに微笑んだのだった。
「おいで、稀有の麗人」
フィッツはそう言ったのだった。
了