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男の名は、ジョウゼンと言った。銀縁のメガネはどこか冷たい印象を与える。白衣に似た羽織をしているせいか、医者のようにも見えた。それはあながち、間違いではなかった。
「私は、皇帝付きの主治医兼、研究者というところです」
男は茶を入れながら、そう話し始めた。
「センセイから聞いています。あなたの言語のことと、つきのことを、これから調べていきます。言語については原本がライスにあるので、メイの報告待ちですが…」
ジョウゼンは茶が入ったカップをオウリに差し出す。湯気が出ているそれからは、深い香りがした。
「ああ、メイはわかりますか?先程、あなたに言い負かされた…」
と、そこまで言うと男は思い出したように口元をあげた。
「なかなか愉快な光景でした。でもメイは悪い奴ではないんです。ただ、陛下への忠誠心が強い」
だから喰ってかかってきたのだ。全ては、自分の主人を守りたいと思うが故に。
「本題に入る前に、少し、あなたの話を聞いても?」
カップを受け取ると、オウリは頷いた。
食事もどうぞと勧められ、カゴの中を見るとそこにはサンドウィッチのようなものが詰まっていた。サラダもある。
「オウリさん、と呼んでも?」
「……はい」
ジョウゼンは形の良い唇を、笑みに彩る。
「良かった。ああ、お口に合うかわかりませんが朝、私が作ったんです」
それは驚きである。料理をするようには見えなかった。むしろ試験管を振っていそうなイメージであり、食に興味があるとは意外だ。
口に入れたそれは、明らかにサンドウィッチだった。ふわふわのキメの細かいパンに、マヨネーズとハム、レタスにチーズ。
オウリが咀嚼する姿を見ると、ジョウゼンは納得したのかそれに手を伸ばし、2人での朝食が始まった。
「失礼ですが、年齢は?」
「…26です」
「そうですか。なら私の一つ下ですね」
そう言われて彼女は驚いた。ずいぶん落ち着いて見える。地元にいる歳が近い男性にこんなタイプは居なかった。
「ちなみにメイは24歳で年下ですから、タメ口でいいですよ。あれは呼び捨てでも構いません」
そう続けられ、ついオウリは笑みを溢した。やはり年下だったか。彼らにとって、年若のメイは揶揄い甲斐のあるかわいい弟のようなのかもしれない。
「笑ってくださって良かった」
「ーーーーーー……あ……」
「今朝もずっと、顔がこわばっていましたよ。まぁ、仕方がないですけどね」
確かにそうだ。ここにきて、笑ったのは初めてかもしれない。不思議だった。口元が緩んだだけで、心の緊張感がほぐれる。
笑うとは、そう言うことなのか。
「私相手に敬語は不要ですよ。私のこれは、癖みたいなものなので…。それで、私の認識不足でないと良いのですが、あなたのその力は簡単に言うと瞬間移動、と言うことですよね?」
ジョウゼンの知識はやはり書物からであるという。
「古くから伝わる言語が様々あるように、伝承や物語も数多くあります。その中で、数年前に単なる夢物語ではないとされたものがありました。それが、あなたのその力です」
夢物語かと思われていたそれが、現実に存在すると知ると、国々はこぞってその力を手にしようと調べ始めた。特にライスはその筆頭で、どの国よりもその力に近いとされていた。
「どうして、私のこの力が実在するとわかったんですか?」
敬語はやめてください、と優しく前置きをされ、
「ーーーーーーあなたの力については、セイトと言う国に伝わる伝承のひとつでした。物質を移動させる力を持つ女性の伝承です。ですが先の戦いで、その力を実際に使える者が現れたんです」
「……私と、同じ力…?」
尤も、どこまでそれが酷似しているのか詳細はわからないという。だが、その力の持ち主は自身を消したと言うのだ。
「彼女は元々この世界で特異な力を持つ存在でした。ですがその力は、何かを消すというようなものではありませんでした。でも我々との戦いの最中、彼女は自分とその腹心を消した…というよりは、瞬間移動させたんです」
確かにそれは、オウリの力に似ている。
「その事実はある一部の人間しか知らない事でした。ですがその中の一部が、あなたの力の伝承に行き当たり、伝承の力が存在するという事が公になってしまったんです」
同じものなのかはわからない。だが、物質を違う場所へと飛ばす現象として、酷似しているのだ。
「…その人、今は…?」
ジョウゼンは少し言い淀むと、
「亡くなった…と、聞いています」
だから、オウリの力にみなが目を向けたのか。
「あなたのその力について、もう少し詳しく教えてください」
ジョウゼンは中指でメガネを押し上げた。
詳しくと言われたところで、オウリも全てを知っている訳ではなかった。
「私の世界には、それぞれ特殊な能力を持った人間が国に存在してる」
オウリの国では代々、物や人を瞬間的に移動させる能力を持つ人がいた。国々はその能力を各々持つ事で、均衡をとっていたのだ。
「諍いがないわけではなかったけど…戦争、というまでには至ってなかった」
それは各国が特殊な能力を持つゆえ、争えなかったとも言える。
「では、あなたの国はあなたが統治していたのですか?」
それには首を横に振った。
「私はあくまで一般人として生きてただけ。必要に応じて、上に呼び出されて力を使ってた」
「なるほど…では、あなたがその能力を持っていると言うことを知っているのは」
「母だけが知ってた」
だからこそ。
「なんで、ライスの人たちが私の事を知ったのか…それがわからない…」
どうして存在がわかったのか。居場所まで把握されていたのか。
「……なるほど。やはり、あの国に行くしかないかもしれませんね。尤も、あなたをここから出す事にセンセイが許可するとは思えませんが…」
ジョウゼンはそう言うと、小さく息を吐き出した。
オウリは、またか、と思った。このジョウゼンもそうだがクアロアも、彼のことを名で呼ぶ。「センセイ」と。皇子に対しての態度としては、メイもあまり良くなかった。
「……あれ?」
オウリはつい声をあげた。
「さっき、センセイのことを「へいか」って、呼んでた気がするんだけど…」
フィッツもメイも、確かにセンセイのことを「へいか」と呼んでいた。皇子、と呼んではいなかったが、彼は自身のことをこの国の皇子だと言っていた。
「ーーーーーーふむ。まぁ、あの人たちは、嘘がつけないんですよ」
あっさりと言われ、
「……信じて欲しいって言っといて…嘘つくんだ……」
「そうですね。こと、この嘘に関しては私がみなにつくように言ったので…不本意だったのでしょう」
ジョウゼンはにっこりと笑った。
「あなたのことを信用できないので、こちらの安全の為にも嘘をつく必要があったんです」
これは笑いながら言う内容ではない。この男の腹の中はきっとその瞳と同じ、真っ黒なのだろう。
「それは、どんな嘘?」
ジョウゼンは机に肘をつくと、その手に自分の顔を乗せる。そして覗き込むようにしてオウリを見てきた。
「それを、あなたに話すとでも?」
「ーーーーーー…………」
メガネの奥の瞳が楽しそうに細められた。オウリは一度天を仰ぎ、目を閉じると頭の中で先程の会話を思い返した。
「センセイを名で呼び、忠誠心が強いと言うメイは彼に対して愚痴を言ってた。センセイはセンセイでただ1人にだけ、敬語を使って話していたし、メイも同じ人物に敬語を使って話してた。あなたも皇帝付きと言っていたけど、昨日も今日もむしろここにいる事が多いように思える」
「ーーーーーーほぅ」
ジョウゼンはメガネを外すと、それを机に置く。レンズに隠されていた瞳が直接、オウリを見てきた。彼は椅子の背もたれに背を預けた。
「センセイは自分を皇子と言っていたけど、この国が私を攫うのだとしたら皇子だけの決定ではないと思う。もしかしたら、西の勢力というのが皇帝のもので、皇子と対立している可能性も考えられるけど…」
オウリは首を傾げた。
「この国の中心は確かにここだと思う。そうなると皇子が皇帝を追いやった。なら、センセイが自分の事をいまだ「皇子」と称するのはちょっとおかしい気がする」
それに言っていたではないか。
「この国が大戦で国民と結んだ誓いというものが本当であるのなら、お家騒動なんてやっている場合じゃない。なら皇子と名乗ってはいるだけで、実質は皇帝。周りの者もそれを認めているから「陛下」と呼ぶ。でも本人は…なにか理由があってまだ自らを皇子としてしか名乗らない」
これは仮説だと前置きをした。
「この国の皇子は皇帝と同じ位置にある。でもセンセイはこの国の皇子じゃない。違う?」
するとジョウゼンは、嬉しそうに微笑んだ。美丈夫が漏らす笑みは、言葉よりも雄弁だ。
「困りましたね。あなたを好きになってしまいそうだ」
「……は?」
繋がりのない事を唐突に言われ、オウリは眉を寄せる。何故、今の話の流れから好きだの嫌いだのという話題になるのか。
すると、男の長い指がオウリの髪を絡めた。整った顔が近くなる。
「伝承の力を持つ者と聞いた時は、私たちとは違う見た目の生物を想像したのですが、まさかあなたのような女性だとは良い誤算でした」
「ーーーーーー………」
そして男はオウリの髪を一房取ると、そこに唇を落とした。
「……っ………」
思わず反り返るように身を引くが、いつの間にか腰に回されていた手がそれを許さなかった。
「オウリさん。正解を教えますよ」
小さく漏らされた声は、半分ほどは息だった。それはどこか色気を持っており、オウリは本能的に更に体を離そうとする。
その時だった。
3回のノックの後、こちらの返事を待たずに開いた扉に目をやると、そこにはセンセイその人がいた。
「ーーーーーーっ、ジョウゼン!」
センセイは顔を顰める。その姿にジョウゼンは、パッとオウリから手を退けた。
「全く……あなたはいつも、タイミングが悪いですね」
「お前はいつも色々手が早すぎる」
「ーーーーーー…………」
ジョウゼンはメガネを掛け直すと、
「こんな魅力的な人がいるのに何もしないでいるあなたの方がおかしいと思いますけどね」
彼は大袈裟に肩をすくめる。
「さて、無駄話はこれくらいで」
食事はこのまま食べてください、と言い、飲み終えたカップやカゴを片付け始めた。
「前にも言いましたが、女性の部屋に入る時はノックの後、返事を待つように」
「ーーーーーー………」
センセイはオウリを見る。確かに、ノックの後にはしばらく待って欲しい。
ジョウゼンは手早く朝食の片付けを終えると、椅子から立ち上がった。
「お邪魔しました、オウリさん。また教えて頂きたい事が出来たら来ます」
そうして扉へと向かっていった。扉の前にいるセンセイとすれ違いざま、
「どうやら、嘘がバレたようですよ」
「………お前のせいだろ」
「まぁ、彼女にならバラしても良いとは思いますが」
それでは、と手を左右に振ると、そのまま彼は去っていった。
後ろ姿を見届けているセンセイは、また大きなため息をもらした。
「大丈夫か?あいつは、どうにも女性に目がない…」
「あ、ああ……そゆことか…」
どうやら女好きであるようだ。あの見た目ならば、むしろ女性が放っておかないような気もする。だが今は、彼の女好きについて話している場合ではない。
彼は、オウリに嘘を付いていたのだ。どうやらジョウゼンがそうしろ、と言ったようだが、嘘があったことに変わりはない。
「私に、嘘をついていたんでしょ?」
「ーーーーーー………そうだな」
センセイは部屋に入ると扉を閉め、それに背を預けた。長い足を交差させ、腕を組む。
「悪かった。でも、あいつの言うことにも一理あったんだ」
謝っている体勢とは思えないが、確かに素性のわからない者に事実が話せないという事は理解ができる。皇子の命を狙っているかもしれないのだから。
「ーーーーーー俺は、皇子じゃない」
「だと思った。フィッツ…さんが?」
彼は頷いた。
みな、彼にだけは敬語を使っていた。
「この国の皇子で、皇軍の長」
センセイは、長めの前髪をかきあげた。
「俺は、彼の騎士だ」
了