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真っ暗だった。
それはそうかもしれない。オウリがここで知っている場所はあの草原の廊下か、扉のない部屋。そしてこの浮いている棺のような箱の中だけだ。
「……どうやら、助けられたみたいだな」
「ーーーーーーっ!」
すぐ傍でした低い声に、思わず肩を揺らす。先程と違うのは、この狭い空間に大きな男と一緒に閉じ込められている事だろう。一枚羽織っただけのオウリは男と密着するしか無い。
「お前、やはり『その人』か」
だが今は、そんなことはどうでも良かった。
彼らは知っている。
オウリが何者であるか、を。
「開けるから、しっかり受け身を取ってくれ」
そう言われて返答する前に、またオウリの体は背中から真下へと落ちていた。今は、彼女を抱き止めてくれるエメラルドの瞳はない。なんとか頭を守ったものの、体が痛む。
「……いっ……たぁ…」
箱を浮かせることが出来るなら、人の体も空かせて欲しい。
オウリは黒髪の男を見た。男はしっかりと両足で着地をしたらしい。どこも痛めている様子はないが、不意に視線を逸らされた。
「服を整えてくれないか」
そう言われ、慌てて彼女はその乱れを直す。そこに先程置かれたままであった服を見つけ、手に掴み胸に抱き込んだ。
「…助けたわけじゃ…ない」
この男を助けたつもりはない。ただ振り下ろされる刀を、この男が防いだことは確かだ。
ここは扉がないあの白い部屋だ。ふと、廊下にはあの2人がまだいるのではないだろうかとそんな不安が過ぎる。すぐにここから脱出しなければ、飛んだ意味がない。
「あいつらは、すぐには気がつかないはずだ」
男はオウリの思考を読んだかのようにそう言う。
「早く着替てくれ。ここから逃げるぞ」
「…逃げる?」
一緒にここから出ると言うことだ。確かに先程も、この男はオウリに向かい「来い」と言った。だが、この男は信用できるのだろうか。廊下にいた2人と何が違うのか。
「悪いが今のお前に選択肢はない。ここにいれば、あいつらに殺されるぞ」
「ーーーーーーあなたが、それをしないという保証は?」
そう返すと、男は少しだけ驚いたように目を見張った。切れ長の瞳がオウリを見つめる。
「無いな。俺たちの目的も、お前の力である事は変わらない」
だが、守るーーーーと。
男は言った。
「目的はお前のその力だ。だが、俺はお前を守る」
廊下の男はオウリが手に入らないくらいなら、撃つと言った。この黒髪の男の手に渡るくらいならば、殺すと。
だがこの目の前の男は、守ると言う。
「あいつらから…私を守るってこと…?」
「あいつらと、その他大勢。お前を狙う連中全てから」
「ーーーーーー……」
その連中とやらの目的も彼女の力だ。
『その人』と呼ばれる、彼女の力。
「守る代わりに、力を寄こせって?」
そうですか、と簡単に渡せるものでも無いだろう。だが確かに、今のオウリに選択肢など、無い。頭でそれもわかっているのに、流されるまま飲み込まれそうになる己が、彼女には恐怖でしか無かった。
「後で説明する。だが今は、ここから出ることが最優先だろう。服を着替えて、お前の力を使ってくれ」
そしてわかるのだ。
男が正しい、と。
黒いワンピースのような服に着替え終わると、白い部屋が一瞬にして草原に変わった。あの廊下と同じだ。
「この景色のところに行けるか?」
オウリは辺りを見渡した。
するとその中に、一つの小屋を見つける。それは木材で出来た古屋のようだった。
「…あの小屋は?」
「この草原にある唯一の人工物だ。材質は木材」
彼女は頷く。別の宇宙であるはずのここは、地球との類似点が多い。正直なところ、地球外の知識は殆どないが、似たような状況下で生まれた星は地球のように知的生命体がいるという。彼らの祖先もオウリたちと同じなのだろうか。だがそもそも、言葉が通じるとは不思議では無いだろうか。
「大きさは…」
男は実に明瞭にその説明をした。頭の中にどんどん湧いて出る疑問よりも、まずはここから出ることが先決だ。
「理解したか?」
オウリは頷く。しっかりと目を見開き、草原の中の小屋を描いた。大きさ、中に広がる空間、そして木材。全て把握した。
オウリは男に手を伸ばす。
「飛べ」
次の瞬間、視界が一気に暗転する。胃が持ち上げられるような浮遊感と、胸を貫くような鼓動。そうして次に瞳が光をとらえた時、オウリたちは小屋の目の前にいた。
まさか1日で2回も飛ぶとは思わなかった。辛いとまではいかないが、やや息が苦しい。何度か大きく息を吐き出すと、オウリは傍の男を見上げる。慣れていない人間ならば、一度の跳躍で嘔吐することがほとんどだ。だがこの男は先程と変わらない表情で辺りを見回していた。
男は人影がない事を確認すると、小屋の扉を開いた。
「こっちだ」
「ーーーーーー……」
信用しているわけではない。だが変わらずオウリに選択肢は無い。ここがどこで、彼が誰であるかもわからない。家に帰る術すら。自分を守ると言った男に付いていくしかない。
小屋には何も無かった。見ると、窓がひとつもない。
男は小屋の中央まで行くと、そのに片膝をついた。よくよく見ると、床に取手のようなものが付いている。それを持ちあげると、その一角だけが扇状に開いた。
覗き込むそこは真っ暗であったが、床の下からは階段が伸びていた。男は先にその階段に降りると、オウリに向かい手を伸ばした。躊躇をしていると、
「暗いから危ないぞ」
そう宣う。警戒心を解いてはいけないと思いものの、やはり言葉が通じている時点で、少しの安堵が彼女の中にあった。だがその手を取ることなく、オウリは一段、階段を降りる。男はすっと手を引くと、そのまま下へと続く階段を進んだ。
確かに真っ暗だ。男の背が近くになければ、足を前に出す事を躊躇っていただろう。しばらく降りていくと、小さな空間に出た。だがやはりあたりは暗い。
男は壁に向かい手をかざす。次には何もないと思っていたところが、開いた。オウリは空間が割れたのかと思った。そんなことはないとわかってはいるが、それほどまでに、暗闇から突如として眩い光を放ち、扉が開いたのだ。
そこには大きな空間が広がっていた。だが単なる空間ではない、たくさんの人が行き来しするまるで、大都会のようだ。見上げると、そこには真っ青な空が広がっていた。だが本物では無い。あの草原同様、天井に空の映像が映っているようだ。見渡すそこにはいくつもの建物が建っており、それらはガラス張りのようだった。先が見えないほどの大きな空間だ。小屋から入ったせいか、少しだけ空間把握が難しいが、あの小さな階段の奥に、言葉通りの大都市が広がっていたのだ。
「ーーーーーー……ここ、は?」
「俺の国だ」
「国…?」
男は頷いた。
「ここは、第三皇国だ」
そう言った。
了