独りの世界
……何にも音が聞こえない。いや唯一、怖いぐらいに、自分の心臓と呼吸の音がする。どくん、どくんと心臓が叫声をあげている。ここまで、はっきりと聞こえたことは無いんじゃないか。しかし、それ以外は、本当に何も聞こえない。
私はそぉっと、入っていた個室から出た。
そして、歩華が走っていったであろう方向へ、同じく向かう。……もし、まだナ二カが潜んでいたときに備えて、僅かにも音を立てないように。
しかし、私の心配もどこへ、"ナニカ"も、歩華も……何もかも、全て消えていた。
私の気にし過ぎなんかではない。だって、何にも音が聞こえなかったのだから。何の気配も感じられなかったのだから。
ただ、風のみがヒュオオオゥと声を溢している。
ーー怖い。
本当に、何もない。
私は、とうとう音をバタバタ鳴らして外へ逃げ出した。
誰かに会いたい。
怖い。
一人ぼっち。
独りぼっち。
何も聞こえてこない。
虫の羽音も。
鳥の鳴き声も。
猫の威嚇も。
犬の唸り声も。
子供のはしゃぐ声も。
老夫婦の笑い声も。
一人分の荒い呼吸と、せかせかとした足音だけが響き渡る。たん、たんと波紋が広がってゆく。
私を中心に、遠く、遠くまで響いてゆく。
……外に出てから、どのくらい時間が経ったのだろう。
どんなに町のあちこちを駆け回っても、世界は同じだった。
できることが何もない。
とにかく、戻ろう。この世界の原点に。何か、手がかりが残っているかもしれない。
学校へ引き返した。
そのときだった。
背後で、何かが光った。
思わず振り返ると、そこには元凶とそっくりな、無底穴のようなものがあった。私の背丈よりもやや大きい。
あの元凶と違うところは、おどろおどろしい触手は一つも生えておらず、橙や黄色の朝焼けに似た色をしていたところくらいだろうか。
あちらとは違い、穏やかで優しげな光を放っている。とはいえ、その中に何があるのか、何が起こっているのか全くわからない。
……でも、この恐ろしい世界から逃げ出したくて。とにかく動き出したくて。
私は、ゆっくり、慎重に、その無底穴の中へ歩き出した。