第三章 6 さよならのパーティ③
御坊ちゃま。
私はまだ希望を持ったままこの場所に存在することが許されるのでしょうか。
夕方になり、日が落ちたテーマパークにはお客様は存在しません。こんなこと、と言っては語弊がありますが、御坊ちゃまのお付き合いするお相手を決めるためだけに巨大施設を貸切にするなど、私には考えられないことでした。
お客様はいないものの、ただただパレードだけが行進しています。電飾まみれの煌びやかなそれが、閑散とした敷地内を御坊ちゃまのためだけに廻っているのでした。
もちろん、それは御坊ちゃまが望んだものではないでしょうが。
広場でした。
そこは普段であれば何か劇のイベントが行われるような。その真ん中に御坊ちゃまが夕日を浴びて立っております。
手元にはキンセンカ。残りのそれは一本しかございません。
それを渡された少女は御坊ちゃまのフィアンセになることができないのです。
私ごとを話させて貰えば、この催しに参加させていただいたのも王沢豪一郎様の計らいでした。私は十歳のときに御坊ちゃまの付き人を一年ほどさせていただきました。その際に情が混じっていると判断されて別のものに片側月夜の任を譲ることになりました。その後、別の王沢の護衛や付き人を経ても、私は心の中で御坊ちゃまを思っておりました。
だって彼は、私の初めての家族ですから。
そして十六歳のある日、その通達を受けました。
「『王沢の伴侶選び』に参加せよ。伴侶に選ばれた場合、王沢怜の妻として彼を支えよ」
王沢豪一郎様に直接おおせつかったわけではもちろんなく、ただの書面での通達です。だから、理由や目的は分かりません。
しかし、私はそれを受け取って、涙が止まらなくなってしまったのです。
そしてもう一つ思い出したことがあります。
『あとで決めるか、そりゃあいい』
私が豪一郎様に唯一出会ったあの日、豪一郎様がパパになるかどうかは私が決めるようおっしゃりました。私が『あとで決めるね』と言ったときに、王沢豪一郎様の言った言葉がそれでした。御坊ちゃまと結婚できれば、確かに豪一郎様はパパです。
あとで決める、とは自分で言った言葉でございますが、ひょっとしたらこの瞬間、決めるときが来たのかもしれないと思いました。そしてなんと大変なことでしょう。そこにあるのはチャンスのみで、私は自分の努力と御坊ちゃまの気まぐれによって、それが決定することとなったのです。
それでも、私はこのチャンスをものにしたかった。
ただ現実は残酷で、チャンスをものにしたいと思えば思うほど何もできず、最初などはただただ感極まって泣いてしまう始末でした。何か喋ろうと思っても、積年の思いが邪魔をして言葉が出なかったのです。
私はあの時、御坊ちゃまの家族になれて嬉しかった。
私はあのあと、御坊ちゃまに美味しい料理を食べてもらうためたくさん練習しました。
王沢として御坊ちゃまに危険が及ばないよう、実務の鍛錬も怠りませんでした。
どんなところにも潜入できるよう、勉学を疎かにすることもいたしませんでした。
だからこそこうやって再びチャンスをいただけたのだと解釈しておりますが、しかし御坊ちゃまの前の私はただのボンクラでしかありませんでした。
それに引き換え、他のお嬢様方の絢爛さたるや……。
お美しいのはもちろんのこと、私などと比べるべくもないお家柄に、男子の興味をそそる属性や、快活なおしゃべりで御坊ちゃまを楽しませることなど、私が持ちようもないたくさんの素敵な部分をそれぞれお持ちでした。
私はそんなお嬢様方が、御坊ちゃまと喋るのが苦しかった。なんと傲慢なのでしょう。私は御坊ちゃまを心の中では独占したいと思っていたのです。その思いとは結局、私が彼女たちに明らかに負けているという劣等感の裏返しに他ありません。
だから、ここまで残ることも奇跡と言えます。それだって、私が御坊ちゃまに好かれたわけではなく、御坊ちゃまがそうした方が良いとそれ相応の理由を見出してくれたおかげにすぎません。私が他のお嬢様に勝っていたわけでは、決してないのです。
そして最後の二人に残ったのが私ともう一人。
大喜仰一華様。
誰がどう見ても美しく、明るくさっぱりとしていて性格も気持ち良いお嬢様。
私は彼女が毎日御坊ちゃまと一緒に登園していたことも知っております。彼女はお嬢様でありながら、そう言った地味で足を使うことも厭わない、いやらしさのない女の子です。
その上で、御坊ちゃまは言っておりました。
『一華は、特別だったんだ』
何が特別かといえば、彼女には王族の権利が効かないとのことでした。御坊ちゃまはその能力を使うことを、ある意味で忌避しているのは知っています。その上で、それでも王沢として、使ってしまう責任に押しつぶされそうになっているのも知っています。
でも一華様に関していえば、その判断をする可能性さえまったくないのです。御坊ちゃまにとって、これほど心休まるお相手が他にいますでしょうか!
私は今回の王沢の伴侶選びにおいて、一人の少女として御坊ちゃまと出会いたかった。それでも最後の最後、御坊ちゃまは私を、あの日の片側月夜だと言い当てました。
私はそれで満足です。それだけでもう、心が満たされているのです!
夕方の風がキンセンカを揺らします。
御坊ちゃまは時折パレードの光を受けて煌びやかに輝いています。
機が熟したというように、今代の片側月夜が始めました。
「さて御坊ちゃま。王沢の伴侶選びもついに二人の素晴らしいお嬢様に絞られました。しかし運命は無常であります。御坊ちゃまはともに人生を歩むお一人をここで決断しなければなりません。それぞれのお嬢様で思い描く未来は変わるでしょう。御坊ちゃま、あなたはどんな未来をご所望でしょうか」
御坊ちゃまは顔の前でくるくる回していたキンセンカを下ろし、月夜の方を見ました。
「その前に、一つはっきりさせなきゃならないことがあるんだけど、いいかな?」
「ええ、それがフィアンセを決める際に必要なことであれば何なりと」
仮面越しにも、月夜がにっこりと笑ったのが分かります。
そんな彼に対して、御坊ちゃまは声を抑えて言いました。
「おまえは……誰だ?」
その言葉に対し、月夜が首を傾げます。エレクトリカルなパレードが少しずつ離れていき、ドップラー効果よろしく不穏な音を響かせていました。
「……不思議なことをおっしゃいますね。私は片側月夜ですよ。ああ、いえ。それが役職名であることはすでにお話ししましたよね? そういう意味では私にも生まれたころに与えられた名前がございますが、残念ながらセキュリティ上、それをお教えすることは叶いません。ご納得いただけますか? 御坊ちゃま」
「いや、構わないよ? ただ、思い返しておかしいなぁと思ったんだ。おまえはそういえば僕のところに来たときから付き人とは思えない振る舞いを繰り返していたなって。正確にはお目付役なんだっけ? それにしても、一緒に暮らしても家事をやるのは僕だし、朝起こすのも僕っていうのはあまりにも職務怠慢なんじゃない?」
「それを判断するのは豪一郎様ですから、御坊ちゃまにその権限はございません」
「いや、おかしいんだ。だって僕は後継者候補なんだろ? もし僕が実権を握れば立場が逆転するわけだ。それなのにおまえときたら何もできはしない。ただただ一緒に寝て起きて、しまいには学園で遊んでいるだけだ。それは少なくとも夢羽とは違うし、他のどの片側月夜とも違うんだよ」
「……黙っていたことはお詫びしますが、片側月夜は複数人いるので、当然誰が演じるかによって性格が変わるのはしょうがないことではないですか?」
「多少はそうであったとしても、お前に関しては明確に引き継ぎも足りない。過去の記憶もすっぽり抜けてるみたいだしな。あまりにもおかしいことには大抵相応の理由がある。
「だから理由を考えたんだ。それですぐに思いついたのは敵のスパイに取って代わられていることだ。王沢の後継者候補であれば、その情報が必要な輩はいるだろう。
「ただ何ヶ月も王沢本陣営にこのことがバレないとは考えづらい。そして僕は別の可能性に思い至った」
御坊ちゃまは月夜の正面にたちました。
そして、なんということでしょう。
御坊ちゃまは突然、月夜の顔面を殴ったのです! 鈍い音がして、月夜が尻餅をつきました。
「ちょっと怜! 何してんの!」
一華様の荒げた声が耳に届きました。
私は一歩でも早く月夜に近づいて、後ろから押し倒し地面に組み伏せました。
月夜は驚きの表情を浮かべました。
「おい、夢羽ちゃ〜ん! 王沢への恩を忘れたのかい!」
「私は王沢の付き人である前に、御坊ちゃまの家族なのです! 御坊ちゃま、いかがいたしますか⁉︎」
「そのまま抑えておいてくれ」
「ちょっと待って、意味わかんない。さっきから怜の言ってることも、やってることも意味わかんないんだけど」
取り乱す一華様を片手で制し、御坊ちゃまが言いました。
「とにかくこれだけわかってくれればいいよ。片側月夜は時折入れ替わり、そして本人が誰だかわからないようにしている。そして王沢の伴侶選びの特等席において、彼が誰なのかは極めて重要なんだ」
そして、御坊ちゃまは私には想像もできなかったことを言ったのです。
「なぁ、王沢豪一郎」
……王沢……豪一郎?
「恋愛リアリティショーの鑑賞は楽しかったか? 母さんがどれほどおまえに苦しめられたか……。おまえなんて親じゃない。謝れ」
御坊ちゃまが尋ねると、月夜は笑い出しました。
「ふふ、ふふふふ」
そして次の瞬間、私の体は強く地面に叩きつけられました。そして気がつくと月夜と立場が入れ替わり、私は組み伏せられていたのです。
「や、やめろ!」
御坊ちゃまが叫びました。
「別に何かするつもりはないさ。大切な息子のフィアンセ候補だからなぁ」
見上げると彼は、パレードの光を浴びてテラテラと七色に光っていました。笑っているのにものすごい強いプレッシャーを感じるのは一体どういうことでしょうか。
そして彼は、左手で顔を覆うマスクに手をかけ、ついにそれを剥がしていったのです。
その素顔が顕になりました。
驚きました。
少年としか思えないのです。肌艶はまさに十代のそれで、全くもって六十を過ぎているとは思えません。だからこそ、というべきか。彼は御坊ちゃまに大変よく似ておりました。ただし御坊ちゃまよりも自信に満ち溢れ、洗練されており、輝くような美しさ。
それでも確かに御坊ちゃまとの血のつながりを感じさせました。
「はっはっは」
笑い方がだんだんと大きくなり、見開いた目で御坊ちゃまをいぬきました。
「怜ちゃ〜ん。せっかく出会った父親に殴りかかるだなんて行儀わるいんじゃな〜い?」
私は彼を止めることができませんでした。
言うが早いか、彼の拳が御坊ちゃまの頬をとらえました。ばきりとはっきり聞こえ、御坊ちゃまが倒れました。
「御坊ちゃま!」
助けなきゃ! 私は立ち上がり、再び彼を捕縛しようと試みました。しかし、それは服を引っ張られ止められました。
「一華様、何を!」
「やばいよ、豪一郎様に逆らうのはやばい! 夢羽がじゃないよ? 怜がやばい」
一華様程度であれば、力を入れれば簡単に振り切ることができたかもしれませんが、その言葉は私の勢いを削ぎました。確かにその言葉はその通りかもしれません。
倒れた御坊ちゃまに対し、浴びせかけるように月夜が言いました。
「躾が悪すぎるよね〜バカ息子ちゃ〜ん」
「あやまーー」
胸を踏みつけられ、御坊ちゃまは息を吐き出しました。
ああだめだ。私は一華様を振り切り、彼に飛びかかりました。何も考えていないフライングハイキック。しかしそれが見切られるのは当然で、私の足を簡単につかみにかかります。
ここです。私は中空で体を回転させ足を引っ込め、逆足の踵を彼に叩きつけます。
それは彼の額をかすめました。うっすらとおでこに傷が入っただけでした。
「躾がなってないのは使用人もだったか〜い?」
「私は御坊ちゃまの護衛をせよとの任なので」
「五年前の話だね〜」
「では今の感情の話です」
「素敵だね〜。怜ちゃんは女の子をこんなにも魅了したんだね〜」
「馬鹿にして!」
「馬鹿にしてはいないさ〜。王沢の伴侶選びはまだ続いているんだよ〜」
軽薄な言葉に反して、彼はプレッシャーを放ち続けています。
彼は言いました。
「僕は近い将来殺されるのさ〜」
パレードの楽しい音楽に乗せて、楽しい踊りの最中に。
彼は言いました。
「王沢豪一郎だから命を狙われるのは当然だけどさ〜、今度のはマジなんだよね〜。だから怜ちゃんが僕の後継者に相応しいか確かめたかったのさ〜」
「こんな時間のかかる方法で?」
「人間の本性なんて金かセックスしかないのさ〜。フィアンセにはどっちも詰まってるからね〜。怜ちゃんが誰を選ぶか。それが真剣であればあるほど、怜ちゃんの中身が知れるってわけ〜?」
「クソみたいな冗談を」
「真面目な話さ。僕は怜ちゃんに期待してるんだよ〜」
おかしな論理。現実的でない催し。それでもなお、だからこその王沢。
そこに真実を見たのは、私だけではなかったようです。
「さて、お嬢様方の本性も知れたしね〜」
パレードが近づいてきます。その中心を走る陸を走る船から、キャラクターがぴょこぴょこと降りてきました。その数総勢二十。可愛らしいそれらはしかし、豪一郎の近くで跪きました。
「怜ちゃ〜ん、決断のときだよ〜。改めて手に取るんだ。キンセンカを」
パレードのキャラクターは豪一郎の部下。
私では豪一郎一人でさえ対処できないのに、あの数は暴力的でさえあります。
御坊ちゃまは言いました。
「……それは、困るな」
「わかってくれたかな〜?」
「おまえのことなんか一ミリもわからないが、死んでもらうのは困る?」
御坊ちゃまはチラリとこちらを見ました。
なるほど御坊ちゃまのその表情の意味を私は知っています。御坊ちゃまは私に気を使ったのです。私がまた暴れて、あのキャラクターたちに危害を加えられないように。
「それはどうしてだ〜い」
「……母さんは、おまえに会いたがってるんだ。おまえを母さんに会わすまで、死んでもらうわけにはいかない。……それに、相手はもう決めてるんだ」
御坊ちゃまはキンセンカを拾い上げ、この催しのエンディングへと向かいました。
わかっていることでした。
受け入れていることでした。
諦めがついていると、思っていたことでした。
一歩二歩と歩みを進め、御坊ちゃまは私の前に立ちました。
「さよなら、夢羽」
私は泣きそうになるのを堪えました。それでも涙は止まってくれません。喉を抑えて嗚咽をとめようとしますが、それは一切いうことを聞いてくれません。
「ヒッヒッヒ、おぼっ、ちゃ、ま」
「またいつか、会えることを楽しみにしてるよ」
あまりにも鮮やかなキンセンカ。
近づくとそれは、吐きそうになる異臭を放っています。あまりにも今の気分にぴったりでした。
私はそれを受け取りました。
言わなきゃ。最後の一言を。
あのとき私の家族になってくれて、ありがとうって。
でも、感情の昂った私はそれさえできない。
キンセンカの腐敗臭と、パレードの楽しげな音楽が私の五感を殺し続けました。




