第三章 4 特別じゃない正ヒロイン
交代の時間になり、僕は再び入り口近くのベンチで待っていた。
一華は近くのホテルで待機しているらしく、そこに向かってしまった。僕はそわそわしていた。僕はもっと一華と一緒に過ごしたかった。彼女の話をもっと聞きたかった。
そして、僕の前に夢羽が現れた。
グレーベースで細かい花柄のワンピースは相変わらず地味なチョイスだ。前髪で隠れた顔も見えづらく、それも彼女の印象をさらに薄くしてしまう。
それでも夢羽は姿勢がいいし、実はスタイルもいい。冷静に一般的な女の子と比べれば可愛いのだと思う。
夢羽はなにも悪くはない。
それなのに、一華の後だと霞んでしまうのだ。
「あ、あまり見られると、恥ずかしいです」
「ああ、ごめん」
失礼な視線を思わず向けてしまっていたようで、僕は思わず避けた。それを彼女がどう受け取ったかはわからないが。
「あの……なにに乗りましょうか? 私は……絶叫に乗りたいなって」
「さっき乗ったばかりなんだ」
「……え、ああ、そうですか」
ダメだ。気分が上がっていかない。僕の中で、フィアンセが誰だか決まってしまったのかもしれなかった。
夢羽を見る。彼女はそわそわしている。きっと不安と期待でどうしていいかわからなくなっている。今この瞬間、彼女にこんな表情をさせるのはダメだ。
「お化け屋敷行こう」
「ええと……はい!」
ハリーランドのお化け屋敷は本格的だ。
なんでもハリーランドは映画配給会社がライセンスを持っているため、そこで制作されたキャラクターや世界観は自由に再現することができる。有名なゾンビ映画も作っているため、可愛らしいハリネズミからは考えられないようなお化け屋敷がそこにはあった。
僕たちはシューティングゲーム用のガンを持っている。これで打てば襲いかかってくるゾンビを撃退できるらしい。舞台は廃病院で、消毒液系の匂いまでも再現されており、暗い照明や恐怖を煽る心臓の鼓動のような効果音。雰囲気は抜群だ。
「で、でないよなぁ。ゾンビ……」
「出ますよ。いつ襲いかかってくるかわかりませんが、私が撃退いたします」
いやこの夢羽の頼もしさはいったいなんなの?
僕は夢羽の腕にしがみつき、彼女の陰に隠れながら細い道を進んだ。
なんでも手術室に次の場所に進むための鍵があるらしく、僕たちは侵入する。
「おい、入って大丈夫なのか?」
「入らないと、鍵が手に入りません」
夢羽は手術室のドアに手をかけた。その瞬間だった。
「ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
僕の背後から血まみれの白衣を着たゾンビが咆哮をあげた。
いや、せっかく夢羽の背後に隠れていたのに。
後ろからくんのかよ!
そうだ。打たなきゃ! 僕はそれを必死に構えようとしたがしたが、慌ててそれを落としてしまった。
「ああ!」
ゾンビが襲いかかってくる。え? 本当に? 僕はここで、死ぬの?
しかし、気づくと夢羽と位置が入れ替わっていた。どんな魔法を使ったのか、僕の前に立つ夢羽が余裕をもってゾンビに発砲。ドドドド、という音とともにゾンビは「ウォオオオオオ」と倒れた。
「ふん。余裕、ですね」
なにこの子、頼もしすぎでは?
その後も僕が叫び声をあげるたびに、夢羽が対処してくれた。夢羽は一切声をあげることもなく、淡々とゾンビを処理し、脱出の仕掛けを探し、そして無事に再び陽光の元へ戻ってきた。
「いや、お化け屋敷ってそういうもんだっけ⁉︎」
「え、どうしましたか!」
「僕は楽しませてもらったけどさ、夢羽は淡々としすぎでは⁉︎ 絶叫とかなかったし、対処が完璧すぎるだろ!」
「あれ……? 違ったのですか。私なりに、全力で挑んだのですが……」
頭の中のイメージではむしろ、ゾンビを怖がる夢羽を僕が守る感じだったのだが、現実は真逆どころではない。なんなら僕は警護されていたようだった。
夢羽はまたそわそわした表情を見せ、しかしすぐに明るい表情に変わった。
「あの、観覧車はどうでしょうか! 乗ってみたくて」
「……ごめん、高いところは……。さっきのトラウマが」
「そうでしたか。ごめんなさい」
それは彼女が謝ることじゃないが、僕はなんだかモヤモヤした。そう思いたくはないが、目の前に夢羽がいるにも関わらず、心の中には一華がいるのかもしれなかった。
「あ、あれくらいなら乗れるよ」
それは船のような乗り物で、色々な映画の世界観を楽しむ乗り物だ。
狭いトンネルのようなところを船が通り、キャラの人形が可愛らしく動いて僕たちを歓迎してくれる。そこを通るだけで幸せになるようなアトラクションである。
「……やっぱり私と一緒にいてもつまらないですか」
しかし、どうやら僕の心は表情に出てしまっていたらしい。
「そうじゃないよ」
「いいえ、一緒にいてわかります。それに私だってそこまで自惚れておりません。私が一華様に勝っている部分なんて、これっぽちもないことくらい」
「……夢羽」
船に揺られ、ハリネズミのハリーが恋人のトゲちゃんと幸せそうな笑顔を浮かべている。
それを見て僕は、どんどん気分が下がっていく。
まるで言い訳をするかのように、僕は口を開いた。
「……一華は、特別だったんだ」
夢羽は寂しそうにもせずに頷いた。
「僕は、自分の能力で誰かを傷つけてしまうのが怖い。でも一華には、それが効かないことがわかった。僕は夢羽を傷つけてしまうかもしれなかったんだ」
どうしてこんなことを口にしているんだろう。自分で自分が情けなくなる。
少なくとも今デートしているのは夢羽で、その彼女とのムードを間違いなく壊しているのはこの僕だ。
僕は首を振った。はっきり言わなきゃダメだ。
「夢羽、ごめん。たぶん、君とのデートはこれで最後だと思う」
いうと、彼女は顔をこわばらせ、何かを堪えているようだった。しかし一つ息を飲み込み、そして満面の笑みで言った。
「あなたに出会えて、本当に嬉しかったです!」
僕はなんて卑怯だろう。
その笑顔に、僕の心がえぐられるのは、単なる自分可愛さじゃないか。
そのアトラクションを終え、時間もお昼どきになってきた。
「最後に何か食べる?」
と尋ねたら、
「実は作ってきました」
とのこと。僕たちは開放されたテラスのテーブルでそのお弁当をいただくことにした。
そこに入っていたのはハンバーグとか卵焼きとか、お弁当の定番の具材だった。ハンバーグを箸でひとかけらつまみあげ、それを咀嚼した。
「う、うめぇ!」
なぜだろう。このハンバーグは冷めているのにひと噛みごとに肉汁が溢れ出してくる。それだけではない。胡椒とナツメグの香りが鼻いっぱいに広がり、濃いめのデミグラスソースと相まってとにかくご飯が進むのだ。
それを見越したようにご飯は奇を衒わない白米。炊き具合も完璧で、一粒一粒が立っている! あまりにも、完璧だ。僕はそれを狂ったようにかっこんでいた。
ふと視線をあげると、夢羽がニコニコしながらこっちを見ていた。
「……なんか僕、変だった?」
「いいえ、嬉しいなって、思ったんです。料理、一生懸命練習したんです」
本当に、不思議だ。
どうして彼女は僕のためにそこまでするんだろう。
だって僕は、つい最近まで彼女を知らなかった。最近出会った、控えめで泣き虫な女の子が宮仕夢羽だ。
彼女のような少女を僕は知らないし、そもそもこれまで女性と深い付き合いなんてしたことはない。
だから、彼女がこれほど献身的に僕に接しているのは、決定的におかしい。
もしかすると、彼女は知り合いなのだろうか。深い付き合いの女性はいなかったとしても、クラスメイトに女の子がいなかったわけではない。それほど自惚れるわけではないが、クラスメイトに密かに好かれていた、なんてことがあるのだろうか。だとしても、彼女の態度がおかしいことには変わりないが。
僕はただただ、理由が知りたかった。その思いが形になって、僕は自然と彼女の顔を隠してしまう前髪を持ち上げていた。彼女の目鼻立ちや、おでこまではっきり見えるように。それは女性に対して失礼なことかもしれないが、とにかく彼女が知りたかったのだ。
宮仕夢羽と目が合った。
やや小ぶりな鼻と口に、意外にも大きくクリっとした目。白皙の肌は知ってはいたが、そこに収まる一つ一つのパーツが恐ろしいほどに整っていた。
僕はこんなことも知らなかった。
宮仕夢羽は、可愛かったのだ。
そして。
「ねえ」
「……は、はい」
「……僕たちってさ……会ったことある?」
見覚えが、あった。
生涯でほんの一瞬だけ、その顔を見たことがあった。それは確かに一瞬ではあったが、僕にとってはとても印象深い思い出だった。
しかし同時に、僕は目の前の現実に思考が追いつかなかった。
夢羽は、答えた。
「はい」
そうだ。
僕たちは出会ったことがある。それもただ出会っただけじゃない。僕たちは親密だった。僕には親密になった女性はいないと思っていた。
でも、本当はそうじゃなかったのだ。
「君は、片側月夜だ」
彼女は頷いた。
そして両目からボロボロと大粒の涙を流し始めた。
僕は彼女のことをずっと男児だと思っていた。しかし小学生のその年で、男女間の性差はほぼないこともある。それを彼女は隠していた。
小学生のある日、僕は彼女を家に誘った。その日、母親が仕事で帰りが遅かったため一緒に食事をしようと思ったからだ。そしてその時、いつもしているマスクを後ろからこっそり引き外した。
その顔は、女の子みたいだと思った。
はっきり言って、そのとき僕の心はときめいた。しかし彼女を男児だと思っていたのでその心は封印していた。
もし僕に初恋があるのだとすれば、その相手は、間違いなく目の前の少女だ。
「御坊ちゃま……お慕いしておりました。私にとって、御坊ちゃまは初めての家族だから」
相変わらず涙をボロボロと落としながら、次第に「ヒッヒッヒ」と嗚咽をあげながら彼女は目元を擦っていた。
僕は目の前の少女に対する愛しさと、この状況への混乱と、勘の悪い自分への失望でどうしていいかわからなくなっていた。
無情にも時間ばかりが流れ、僕と夢羽は引き離された。
しかし僕は、夢羽ともっとたくさん話がしたくなっていた。




