第三章 3 特別な正ヒロイン
テーマパーク内に入場し、僕はベンチに座るよう指示された。今日は一華と夢羽、順番に遊ぶらしい。もちろん、ただ遊ぶだけではない。どちらかと遊ぶのはこれで最後になる。この日の夜にパーティをおこない、さよならをして終わりである。
そして、僕の前に一華が現れた。彼女はいつみても本当に華やかだ。
ダークレッドのニットにブラックのロングスカートなんて服装はシンプルなものだけど、逆にそれが彼女のスタイルを際立たせる。海外の俳優と並んでも間違いなく見劣りしない。
何度見ても、綺麗だ。
「いこっか?」
「うん」
「ハリランはよく来るけどさ」ハリーランドの略称だ。「でもデートでくるのは初めて」
「……意外だな。女の子は付き合った相手と真っ先にきたい場所じゃないの?」
尋ねると、一華は妙にモジモジしながら言った。
「てゆーか、デート自体初めてだもん」
言って、後悔したかのように顔を両手で覆って「もうバカバカ! そんなこと言わせないでよ!」と慌て出す。
いや、言わせてないけど⁉︎
「とにかくどこ行く⁉︎ 怜君は乗りたいのあるの?」
僕たちはフリーフォールの列に並んだ。ファストパスを使っても少し待つ時間があるらしい。
「もうさ、どっちと結婚するかは、決めてるの?」
そんな質問を平気でしてくるので、僕は少し戸惑う。
「どうだろうな」
といいつつ、もう真剣にどちらか選ばないといけないのは確かだ。いつも朝、僕を出迎えてくれて一緒に登校した一華。正直、全くなんの申し分もない少女だ。その容姿も、家柄も。彼女を好きにならない男なんて、世界にどれほどいるのだろう。
しかし、僕は王沢だ。だからきっと、彼女と対等にはなれない。
また何か気に入らないことがあれば、僕が彼女を捻じ曲げるようなことをしてしまうかもしれない。それなのに、対等な関係など築けるわけがないのだ。
だから僕はどうしたって一本線を引いてしまうし、それはいずれ軋轢になるだろう。
「聞きたいんだけどさ、結婚するってことは多分つらいこともいっぱいあると思うんだ。一華は僕と、そういうの、乗り越えることを想像できる?」
「ぜんぜん!」
即答かよ!
あまりにも可愛らしく言うものだから、僕は一瞬肯定的な意味なのかなと勘違いしそうになるが、彼女の答えはあくまで『ぜんぜん』である。
「乗り越えられないのに結婚っておかしいだろ!」
「ううん。そうじゃないよ。そんなのぜんぜん想像してない。あたしはただ、問題を一緒に乗り越えるなら怜がいいなって、思ってるだけ」
あまりにも爽やかな回答。彼女は続けた。
「未来のことなんて知らないよ。でもきっと大丈夫。だってあなたは王沢怜で、あたしは大喜仰一華だよ?」
言っている間に、順番がきて僕たちはマシンに乗り込んだ。二人がけの座席に座り、安全バーをおろす。
「ねぇ、ところであたし、絶叫ダメなんだけど」
マシンは徐々に上昇し、両足はぷらぷらだ。確かに、一華の顔は青ざめていた。
「どうして乗ったの?」
「だって、怜が乗りたいって言ったから!」
自然と一華は僕の手を握っていた。
だんだんと高くなっていく。いや待てよ、なにこれ足ぶらぶらするちょー怖いんだけど!
高度が上がるたびにバクバクと鼓動が強くなる。眼下に広がる景色に映る人々は小さい。まるで人がゴミのようだ。いやもう見れない無理。この高さからもし事故で落下すれば、僕たちの命はないだろう。
下が見えないので横を見る。
一華はゆっくりと首をこっちに回し、言った。
「ねぇ、あたしたち、死ぬのかな」
「……たぶん」
一華は握っている僕の手にグッと力を込めた。
僕たちはあの世でずうっと一緒だね!
急に、僕の体の中にぽっかりと穴が空いたような感触があった。内臓の位置がめちゃくちゃになったのだ。それを、マシンの安全バーが僕を地面に叩きつけんと剛力を持って押さえつける。
「「ぎやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」」
「いやーホント楽しかったね! はじめて乗ったけど楽しい! もう一回乗ろうよ」
「なんでそんなに元気なんだよ……」
落下後、僕は内臓がシェイクされた感触に耐えられずトイレに行った。胃の内容物を吐き出し、戻ると一華はなにやら写真を持っていた。落下中に撮られた写真らしい。
「ほら見て、あたしたち、めちゃブサイク」
どれどれ、と見ると確かにそれは酷かった。
僕は口をだらしなく広げ白目を剥いている。ただ一方の一華は正直に言えばもっとひどい。大きく開いた口は下からの風邪で頬が膨らみ、髪の毛は全て逆立って見るも無惨なものだ。
いや、鼻のあなも広がってるしよだれも出てて、本当に無惨だな。女の子って自分のひどい顔をこんな風に見せられるものだろうか?
「ひどい顔を見られるのって嫌じゃないの?」
尋ねると、彼女はハッとした。
「普通嫌か! たしかに! 面白かったからつい見せちゃった」
自分をよく見せたいというより、面白いものを共有したいが勝つ。それはなんて素敵なことなんだろうなと、僕はこっそり思った。
「それよりさ、アイスでも食べようよ。吐いてお腹空いたでしょ?」
……確かにそんな気もするな。
僕たちは売店でソフトクリームを買った。僕はチョコレートで、彼女はバニラだ。ハリーランドはそこかしこにハリーの丸まったシルエットであるギザギザの丸があしらわれている。水玉模様の一つだったり、あるいは柵の形状がその形に曲がっていたり。いわゆる隠れハリーだ。
アイスを食べながら、隠れハリーを探した。
一華は見つけるたびに「あった!」と嬉しそうに教えてくれた。彼女はお嬢様なのに、無邪気で子供っぽさを残している。付き合って、結婚できたら楽しいだろうなぁと不意に思った。
「ねぇ、チョコも一口もらっていい?」
彼女が聞いてきたので、僕はそれを渡したら大きめの一口で大部分を奪い去った。
「随分もってくなぁ」
「まぁまぁ怒んないで。ほら、バニラあげるから」
いうと、彼女は手に持っていた食べかけのバニラを僕の口に押し込んだ。口いっぱいにバニラの味が広がるし、間接キスだからドキドキもした。一華はそれを気にする様子もないし、僕たちははたから見ればどう見ても本当のカップルなのだろう。バニラの味を感じながらそれを嚥下する。
そんな僕に、彼女は尋ねた。
「もうどっちを選ぶか、決めてる?」
不意に尋ねられ、僕は言葉に詰まった。今の感情を正確に伝えるのであれば、僕は絶対に一華を選ぶだろう。付き合うことも想像できるし、きっとそこから先の結婚生活での問題も乗り越えられる。たぶんその先には幸せな家庭が待っている。
一華は素直だし、喧嘩になることもあるだろうが、その後で仲直りすることだってきっとできる。
ーー本当に?
そのときに僕は、彼女を捻じ曲げはしないか。
まかり間違って善良な彼女を、僕の都合でいいようにしないだろうか。
その上で僕は、その能力を使ったことを自分の適当な解釈で正当化するのではないだろうか。
僕と彼女は立場が違う。
僕は、王沢なのだ。
「……あたしのこと、嫌いなの?」
「まさか!」
僕は咄嗟に首を振った。そうだ。言わなきゃダメだ。これはおそらく、僕が一人で抱え込むことじゃない。それを言うのが、誠実さと言うものだ。
その結果、僕が化け物だと忌み嫌われるのだとしても。
「……パーティのときにさ、苺が急に自白したのもさ。栞が急に強気になったのも……僕がやったことなんだ」
その場に一華はいた。だからその様子を見ていたはずだ。そうなれば、僕が何かしたことは感づいていただろう。黙って耳を傾けてくれる。
「王沢は特別な力を使えるんだ。それを使って、彼女たちを変えてしまった」
言ったら嫌われるかもしれない。
だがそれを隠したままフィアンセになれというのは卑怯だ。
「苺は暗殺者だった。だから変えてもいいと思った。栞は極端に弱気だった。だから変えたほうがいいと思った。本当に? 僕は自分の決断で他人を変えてしまえるんだ。きっと間違えることだってある。……もしかしたら一華だって変えてしまうかもしれない。それって対等っていえるのか?」
怖かった。
もう嫌われただろうか。自分の意思に反して人格を変えられてしまう。それはものすごい恐怖だ。そして現に、一華の目の前で少女の内面の一部を変えてしまった。それも、一人はまったく善良な少女である。
いつそれが一華自身に向くかもわからない爆弾。
「僕は君を、不本意に変えてしまうかもしれなじゃなないか」
まるで僕は振られたいみたいに、一華に対して泣き言を言う。しかし、勝手に言葉が溢れ出した。
そんな僕に対して。
一華は。
不意に、僕の体は温かくなった。なんだろう、と思ったら一華が僕に抱きついていたのだった。
一華は優しく言った。
「怜が怖かったんだね」
なんで。
なんで君はそんな言葉を僕にかけることができるんだ? 僕のことが、怖くないのだろうか。
「だからずっと虚勢を張ってるんだよね。でも別に、そんなことしなくていい。あたしには素直になればいい」
「そんなこと……。僕の能力が……嫌じゃ」
「怖がる必要ないよ。いっそ試してみればいい。あたしを変えてみて」
信じられない言葉だった。
一華の顔を見た。少し紅潮していたが、至って真面目な顔だ。ただしその表情はいつにもまして美しい。
「そんなこと、できるわけない」
一華は完璧だ。
彼女の立ち位置がわかったとしても、どう変えていいかわからない。
しかし、一華は。
「いいから。そうして欲しいの」
言われたら、なぜか抗えない言葉。まるで特殊な力に絡め取られているのは僕であるかのように、一華の言葉の通り体が動かされる。
僕は、彼女を抱き返す。女の子らしい華奢さと、ふくよかさが同居する壊れそうなそれは、僕の心を破裂させようとする。
それでも集中し、僕は理解しようとした。
一華を分かろうと。
君の立ち位置はーー。
「……なんで?」
なんのイメージも湧いてこなかった。
「君はどこに立っているの?」
僕は一華がどこに立っているのか、一切わからなかった。
「言ったじゃん。怖がることないって。怜はそんなにすごくないんだよ。あたしにとって」
「……僕は……王沢だ」
不意に、月夜の言葉が頭の中で反芻した。
『王沢の血族に王族の権利は効きません』
それはつまり、君は。
「兄妹じゃないよ。あたしは君のはとこ。豪一郎さんのおじいさんが、あたしのおじいさんでもあるってだけ。それだけ」
彼女にも流れる、王沢の血。
僕と彼女のほんの少しの繋がりが、僕の能力を阻んだ……のか?
「僕たちは……対等なの?」
「そうだよ。どう? 結婚相手なんて、あたししか考えられないでしょ?」
僕は泣きそうになるのを堪えた。
僕は王沢だ。だから、僕の力を正しく使わなきゃいけない。それが王沢としての僕の宿命だ。
でも僕は。
一華に対しては、そうじゃなくて、いいのだ。




