第二章 7 さよならのパーティ②
御坊ちゃま。
ああ、御坊ちゃま。
新生活には慣れましたでしょうか。まだ入園して二週間しか経っていないけれど、少女と出会い、互いにわかりあい、あるいはわかりあえず、場合によってはわかりすぎてさよならを告げた方もいらっしゃいましたね。そういう意味で、前回の決断自体は簡単だったかもしれません。決断後の状況を受け入れるのはその限りではないとはいえど。
部屋には今回も腐った果実のような、甘ったるい匂いが溢れています。そこには狂ったほどに美しいキンセンカが3本鎮座し、新しい持ち主に渡ることを今か今かと待ち侘びています。ただしその持ち主に渡ったところで、花々はきっと幸せにはなれないのですが。
御坊ちゃまは言いました。
「今週はみんなの家にご招待ありがとう。僕は結婚を前提に付き合う相手を探しているから、できれば望まれた結婚であればいいと思っている。結果としてどこでも僕は暖かく迎え入れて貰えたけれども、それぞれのご両親のスタンスも色々だった。
「その中でもさ、今回みんながどんなスタンスでこのゲームに望んでくれているかがわかったのはよかったと思ってる。
「だから、スタンスが違う人は去って貰おう。今回も、二人だ」
御坊ちゃまがいうと、少女の間に緊張が走ります。
また二人。それはつまり半分になるということなのです。
御坊ちゃまは一本のキンセンカを手に取り、それをくるくる回しました。そして少女たちの前に歩みを進めます。
一人の少女の前に立ちました。
「さよなら、双葉」
少女の中でも屈指の美人である城悠双葉様。いつも凛として、堂々と胸を張っており、王沢になったとしてもなんら違和感のない女性の一人です。有名女優の一人娘で、ご自身もタレントとしてのキャリアをスタートし始めておられました。
だからこそ、どよめきがありました。彼女は間違いなく、素敵な女性なのですから。単純に考えれば、もっと落とすべき人がいるんじゃないかと思うのも当然の話です。しかし、当の双葉様は堂々とした態度を崩しませんでした。
「ええ、さようなら。楽しかったわ、怜君」
いうと、御坊ちゃまが差し出したキンセンカをあっさり受け取りました。信じられないことに寂しささえも感じられません。御坊ちゃまとの別れだというのに!
「さようなら」
御坊ちゃまが両手を広げました。
すると、その中に双葉様が収まり、そして逆に御坊ちゃまを抱き返しました!
ななな、なんてことを! 別れるというのに、ななな、なんてことを!
それが終わると、双葉様はヒール音をたからかと響かせて少女たちの列に戻りました。
「ここまでありがとう双葉。このゲームに参加してくれて光栄に思うよ。別に僕と結婚したいわけでもなかったのにね」
「……別に否定はしないけど、怜君のことを嫌いだったわけじゃないわ」
「そうだよな? 君の目的は僕と結婚することじゃない。『一華を落とすこと』だったんだからね」
「ええ? あたし⁉︎」
唐突に吐き出された、御坊ちゃまの言葉。一華様を落とすこと?
それはどう言うことでしょう。私と同様に、一華様も驚き声をあげました。もし御坊ちゃまの仰ること本当だったとして、一華様はそんな意識はつゆほどもなかったのかもしれません。
ただ、双葉様の顔はうっすら紅潮いたしました。
「はぁ? そんなわけないでしょ。一華を意識? この城悠双葉が他人の足を引っ張るような卑怯なことはしないけど」
誰に劣ることもない。自分こそが一番である。だからこそ王沢も必要ない。そんな傲岸ささえ、すべてが魅力であるかのように彼女を特別に引き立てます。
しかし、御坊ちゃまはとまりません。
「『一華を落とす』には何も、自分自身が僕のフィアンセになることがすべてではない。他の候補者が勝ち、一華が落ちればそれで満足だった。だから双葉は、『奴隷』を使った。そして当然、『奴隷』はフィアンセ候補の中にいるんだ」
奴隷、という場違いな言葉に双葉様がぴくりと反応します。
「確かに双葉も悪い。だが同時に僕はそんな奴隷もこのゲームから外れてもらわなきゃならない。なぜなら僕のフィアンセは王沢になるんだ。そんな人はは王沢に相応しくない」
御坊ちゃまはさらに一本のキンセンカを手に取り、そして一人の少女の前にたちました。
「さようなら、栞」
香澄栞様。
彼女はその意味がわからないかのように、キンセンカを受け取って硬直しておりました。香澄様は言いました。
「……わたくしが、去るのでしょうか」
「そうだよ」
「どうしてですか」
「君は王沢のフィアンセに相応しくないからだ」
「……そうですか。いえすみません。わたくしごときが、ここまで怜様のお時間をとってしまい……。わたくしなんて、これっぽっちも怜様に釣り合わないのに」
奴隷と呼ばれた少女はしかし、震えながら自分を卑下するような言葉を紡ぎます。それは見ているこっちが辛くなるような光景でした。そんな香澄様を御坊ちゃまははっきり見つめます。
「君ともっと喋りたかった。君の言葉を、君の行動をもっと知りたかった。君が保健室で裸だったとき」
「え? 怜って栞の裸を見たの? へ、変態!」
一華様が怒り出しました。自分もそう思います。御坊ちゃまの変態!
「いやいや、僕が覗いたからとかそういうのじゃないからね! ただ、あそこで君は裸でいることはおかしかったんだ」
御坊ちゃまは少女たちの非難がましい視線を無視して続けました。
「あれは体育の授業でのことだった。あのとき僕は軽い怪我をして保健室に向かった。体育は二コマの百分で、僕が怪我をした時点で授業はあと三十分くらい残っていた。
「栞は最初は気分が悪くなったから保健室にいるといったけど、その後ダンスをサボりたかったから保健室にいるって白状した。
「いいかい。栞は途中で怪我をしたり、気分が悪くなったわけじゃない。
「最初からダンスをサボりたかったのさ」
栞様の顔色はどんどん青くなっていきます。
「何言ってるかぜんぜん意味わかんない。私ぜんぜん関係なくない?」
噛みついた双葉様に、御坊ちゃまが笑いかけます。
親しみをこめた笑みではありません。その表情は悪魔じみておりました。
「ほぼ最初から保健室でサボっていた。それなのに、残り三十分のときにたまたまベッドで着替えようとしていた?
「ありえないね。
「誰かが僕が来るタイミングで指示を出したんだよ! 『今着替え始めろ』」
「カーテンを開けたとき、栞は上半身裸で両手を下ろしていた。まるで『気をつけ』をするみたいに。着替える最中にそんな姿勢になることはあるかな? まぁ、あるかもしれない。でもこういう考え方の方がはるかに現実的だと思うんだ。
「すなわち、裸の上半身を見せつけるために、僕がカーテンを開けるまでじっとその姿勢で待っていた。
「そしてその指示を出したのは双葉だ。なぜなら、そもそも僕が保健室に行くきっかけになったのはサッカーの試合中、双葉に転ばされたからだ。そのタイミングで、栞に指示をだしたんだろう。
「怪我も大したことないのに、双葉は僕に保健室に行けと強く要求した。
「君は絶対に、僕と裸の栞を鉢合わせたかったからだ。それで僕が強く栞に魅了されると信じてだ」
御坊ちゃまは強く言い切ると、部屋は一瞬しんと静まり返ります。
そして、最初に口を開いたのは一華様でした。
「保健室で裸になれって、双葉が指示したってこと? そんなのいじめじゃん」
双葉様は鷹揚に言い返します。
「そうだね。もしそれが本当ならそうかもね。でもさぁ、別に保健室にきた怜くんに、栞がただ裸を見せたかっただけかもよ」
「……え、それってめっちゃエッチじゃん」
なぜか一華様が顔を赤らめてしまいました。
「待ってください! わわ、わたくしは!」
「自分からそうしたんだよねぇ? 怜君が好きだから」
双葉様に見つめられると、栞様はとても小さくなるようです。栞様はごくりと唾を飲み込み、そして、震えるような声で「はい」と言いました。御坊ちゃまは、言いました。
「だからね栞。僕はそうやって、誰かの指示でしか動けない人を、王沢に迎え入れられない」
ただでさえ泣きそうな栞様に、御坊ちゃまは厳しい視線を向けました。
御坊ちゃまは、厳しい人です。王沢の血を引いているからそうなのかもしれない。すごいプレッシャーがかかっているから、そうなっているのかもしれない。
でも、泣きそうな女の子をさらに追い詰めるような言い方をする必要はあるでしょうか。
そして、私は御坊ちゃまのことを理解しきれずにいたのです。御坊ちゃまはきっと、私とは別の視座で生きていたのです。御坊ちゃまは栞様の方に向かい、彼女の手を取りました。
「君を理解してるんだ。ごめん。この間抱き合ったときに理解した。君は素敵な少女だから、あるいは君がどんな少女だったとしても、もっと人と対等に接していいんだ」
「…………え?」
私は次の瞬間に、栞様に嫉妬しました。
「頭が低いんだよ」
私には正直、何が起きているかはわかりません。御坊ちゃまの手から、栞様の手に何かが伝わって彼女を変えようとしているのか。あるいは手は飾りなのかは知りません。
王族の特権。それが栞様に影響を与えているのは明らかで、それが栞様とどんな繋がりをもたらすのか。決して知り得ない私はそれに喉が渇くほど嫉妬してしまうのです。
栞様は、ふっと顔をあげました。
「ーー確かにそうかもしれないですね」
栞様の声から震えが消えました。さらに彼女は言いました。
「城悠さん。大喜仰さんが勝つのが嫌だからって、わたくしを脅迫するのはすっごくダサいですよ」
本人による自供。一瞬のことでした。ただしその静寂は一瞬のみ。
双葉様は顔を真っ赤にして、この遊戯室から走り去っていったのです。
「……脅迫?」
そう呟いたのは一華様でしたが、私もまったく同じ気持ちでした。




