第二章 4 おすすめの女の子
翌日教室に入ると、「お、おはよう!」と挨拶してきたのは夢羽だ。苺と珊瑚がいなくなって以来、夢羽はよく話しかけてくれるようになった。僕が席に着くと何やらそわそわしながら僕の方を見ていた。
「何か聞きたいことでもある?」
「あ、あの、今日はウチです」
「うん。お邪魔します」
「はい。……あの、お二人のお家は、どんな感じでしたか?」
お二人というのは、もちろん一華と双葉のことだろう。
「どっちもすごい豪邸だったな。本当に二人ともお嬢様なんだなって思ったよ」
「……そ、そうですか」
夢羽は少しシュンとしてしまう。
「あの、ウチはあまり裕福ではないので、見劣りしてしまうかもです」
「そうなんだ。でもまぁ、フィアンセを相手の実家の豪華さで決めるわけじゃないからなぁ。第一、僕だって母子家庭の普通の家の出だしな」
「憧れとかないですか。お金持ちの、お嬢様に……」
「ううん、よくわかんない。なんていうか、六人もいっぺんに女の子を紹介されたでしょ? その中には、今まで会ったことのないようなお嬢様が何人もいたわけ。そうするとさ、もう憧れもなにもないよなぁ?」
「……じゃ、じゃあ。私にもチャンスはありますか」
「……そりゃ、もちろん」
言ったところでチャイムが鳴った。彼女は嬉しそうに自分の席に戻っていった。夢羽が自分に好意を向けてくれているのはわかっている。それは嬉しいし、贅沢な悩みではあるんだけど、まだ夢羽とはやっと少し会話ができるようになった程度の間柄でもある。彼女のことは、よく知らない。
本当に偉そうで申し訳ないが、もっと頑張れ、夢羽ちゃん!
さて、午前中の授業が終わって昼休み。今日も一緒に食べようと夢羽が近くにやってきたが、「ちょっといいかしら」と割って入ったのは双葉だった。
「昼休み空いてるでしょ? 付き合って」
「いや、これから夢羽とご飯を食べるところなんだ」
「そんなの明日でいい」
いや今日の昼飯の話だぞ。
「別にいいよね、宮仕さん」
すると夢羽は寂しそうに頷いた。うーん、もっと頑張れ、夢羽ちゃん……。
「明日また、いっしょに食べてください」
まぁ夢羽がそう言うならと思い、双葉に付き合って教室を出た。どこに行くのかと思ったら、彼女は学園の門から外に出た。
「別にどこでもいいんだけどさ、その辺で食べようよ」
言われ、僕たちは適当なファミレスに入り、四人がけのテーブルに対面して座った。
「こういう店にもくるんだな」
「別にこないよ。怜君に合わせただけ」
「……それはどうも。ここのハンバーグは大好物だから嬉しいよ」
皮肉で返し、タッチパネルを操作して実際にそれを頼む。もっとも実際、半熟目玉焼きの乗ったハンバーグは大好きなのだけど。双葉にもメニューパネルを渡したが、彼女はドリンクバーしか頼まなかった。
「昼食食べないの?」
「ダイエット中だからいらない」
「そうなんだ」
「怜君て、私のこと嫌いでしょ?」
唐突に、そんなことを言ってくる。
「え、どうしてだよ」
僕は唐突になんとも言えない言葉を返す。
「別にわかるけど。でもわかるから、本当につまんない」
「そんなこと言われても……。双葉は本当に綺麗だし、とても素敵だと、思ってるけど」
「まじでつまんないムカつく。そうやって口で言ってみてもさ、どう考えても四人の中で一番じゃないよね?」
はっきりと、目を見つめられて言われる言葉にけおされる。濁すこともできるだろう。それが通じるかは別として。ただ、僕は単純にそれをやり切る自信がなかった。
「……今の所は」
「ダッサ。何その、まだ可能性は残ってるよみたいな言い方。引くんですけど」
「いや、だってそれは」
「まぁいいよ。で、今のところ誰なの? 一華? あー……やっぱりそうなんだ」
いやまだなんの反応もしてないんだが⁉︎しかし双葉は僕の反応を待たずに勝手に続けた。
「でも迷ってる子、いるでしょ? 私はそっちの子、おすすめだよ。女子の評判もいいしね。一華は……どうかな」
なんとも歯切れの悪い言い方だ。
「迷ってる子?」
「いいよ、そういうの。あ、きたきた。食べなよ」
熱々のハンバーグは熱々のうちが一番うまい。僕はお言葉に甘えてそれを食べ始めた。
「我が家の味だ」
「へー一口ちょうだい」
彼女はそう言って、スプーンでハンバーグととろとろ卵の黄身のところを持っていった。え? そこ持ってく⁉︎ 一番楽しみなとこなんですけど⁉︎
「結構うまいじゃん。またこようかな」
そう言われると、なんだか許したい気になってしまうんだよな。
僕は黙々と食べ続け、双葉はそれをじっとみていた。なんとなくだけど、彼女はもともと僕と結婚したいわけでもなかったんだろうなと、そう思えた。双葉は唐突に言った。
「リムジンの中で月夜君と喋ったことはさ、私に伝わるからね」
言われ、僕はすごく肩身が狭くなった。確かにそこには運転手さんがいて、彼に尋ねれば僕たちが言っていたことが伝わるのは明白だ。
何を言っていたか覚えていないが、僕は彼女にとって嬉しくないことを言ったのかもしれない。その結果、彼女は僕と結婚したくなくなったのかもしれない。だとすれば、彼女は本当につまらない思いをしたのだろう。
居心地の悪さを感じながら、僕は最後のハンバーグを食べ切った。
今日の午後は体育で、他クラスとの合同だ。
サッカーかダンスを選択でき、僕は人前で踊るのは恥ずかしいタイプなのでサッカーにした。サッカーは男女混合で、夢羽と双葉も一緒だった。
そこで、宮仕夢羽の凄さを知った。
僕と夢羽は同じチームで、僕はディフェンスで夢羽はオフェンス。それもフォワードのポジションを立候補で勝ち取っていた。
そして、ホイッスルの直後にボールを受けて男子サッカー部をスルスル抜き去り、あっという間にシュート一閃。キーパーは一歩も動くこともできずボールはサイドネットに突き刺さった。中央にボールが戻され、そして再びホイッスルがなるとすぐさま夢羽がボールを奪い、まるでリプレイでも見ているかのように彼女はあっさりとゴールを決めた。
え、ちょっと待って運動神経良すぎでは?
そう言えば、初めてパーティで会ったときも月夜が彼女は文武両道だっていっていた気がするな。まぁそんなレベルを超えている気がするけれど。
「やっぱりすごいな宮仕さん!」「世界クラスでは?」「男子サッカー部はいって!」
もともと運動神経がいいことはおなじみだったのだろう。それにしても、普段は地味なのに彼女はグラウンドの真ん中で輝いて見えた。
意外な一面は彼女を魅力的にした。だから逆に、僕は運動神経がいい方ではないので鈍臭さで彼女を幻滅させないか不安、まである。と、そんな僕のぼんやりディフェンスに切り込んできたのは双葉だ。彼女はミッドフィルダーのポジションからドリブルで駆け上がり、そして僕のところへ。
ボールを足元でトントンとタッチし、それにつられて僕の体の重心がおかしくなる。
「あ、え?」
押された? バランスを崩した僕はあっさりと倒れた。しかしホイッスルは鳴らない。僕を抜き去った双葉は冷静にボールを味方にパスし、見事に一点返された。そして耳にたからかとホイッスルの音が響く。
「いてて」
「ご、ごめん、怜君! 大丈夫?」
「運動神経、すごいんだな双葉は」
「そんなことないよ、普通だよ! 50メートル走は7秒フラットだけど」
めちゃくちゃ速いな……。最近のお嬢様ってみんなそんななの?
「膝擦りむいてるし、保健室いきなよ」
膝を見ると、確かに多少芝に塗れているが、それほど大したことはなさそうだ。
「いや、これくらいなら別に大丈夫だーー」
「いいから!」
「はい!」
双葉の強い勧めもあり、僕は保健室にいくことに決めた。
途中、ダンスを行っている体育館を覗けたのだが、そこでは月夜が楽しそうにブレイクダンスを決めていた。いやほんと、付き人ってなんだっけ?
誰もいない廊下を歩き、僕は保健室へと向かった。
ノックして入ると、わずかに特有の消毒液の匂いが鼻腔を満たす。しかしそれだけだ。昼間なのに妙に暗いのは、カーテンが締め切られているからだろう。窓のカーテンも、ベッドを囲むカーテンも全てが閉じられている。
「誰かいませんかー?」
尋ねても、なんの返事もなかった。保健の先生はどこかでサボっているのだろうか。戻ろうかなとも思った。何せ傷も大したことないし。ただ体育がそれほど好きでもないので、サボるにはいい機会かもしれない。
とりあえずベッドでも借りるか。ということで、手前のベッドのカーテンを引いた。
そこには半裸の少女がいた。知った顔だった。栞だ。目があった。
栞はこっちを見て目を丸くしていた。足は布団の下でよくわからないが、上半身は何も身につけていなかった。
もう一度言う。上半身は何も身につけていなかった。要するにそこには生まれたままの胸が顕になっており、その年にしては非常に大きなそれが、彼女が小さく動くたびに揺れていた。
いやまったく意味がわからない。綺麗な肌にはブラジャーの跡一つなく滑らかで、すべてが一切隠されることなく僕の網膜に焼きついた。
廊下から声が聞こえた。壁を挟んでいるのでぶつ切りで、何やら授業をサボってどこかに行く男子二人組の声だった。逆に窓の外からは、微かにホイッスルの音が届いた。
「……あ、あの」
栞は自分の胸を隠すように両腕で胸を潰した。それを見てやっと、僕は正気を取り戻した。
「ごめん! そこにいるとは思わなくて!」
カーテンを閉めると、僕は自分の胸が破裂するほど高鳴っていることに気が付く。女性のそんなものを生で見たのが初めてだったので、それ以上なんと言葉を返していいのかわからない。
いや、こんなところにいたらダメか。早く離れた方がいいだろう。
「すぐにここからいなくなるから!」
「いえ、待ってください! すぐに服をきますから」
言うと、衣擦れの音が耳朶に届く。さわさわというそれに、僕は再び正気を飛ばされそうになるのを堪え、僕は言われるがまま待っていた。
「あの……怪我されているんですよね? お膝……」
服をきた栞が、カーテンを開けた。
白い体育着を着た彼女の姿があった。ブルーのブラジャーが透けており、その中に豊満なそれが収まっていると思うと僕はそれを直視できない。彼女を見ると、どうしても先ほど見た裸体を思い浮かべてしまう!
「ああ、でも大した傷じゃないんだ。本当に」
「一緒に、保健の先生を待ちましょう……。ごめんなさいごめんなさい、勝手にベッドを独り占めしてしまいました。それに大変お見苦しい姿を」
「そんなことはないよ!」
勢いよく言ったが、その後に続く言葉が出てこない。だって『とてもいいものを見せてもらった!』っていうのも違うよねぇ。
僕が言い淀んでいると、栞は続けた。
「よろしければ横に座っていただけませんか?」
「あ、ああ」
言われるがまま彼女の横へ。
「実は、わたくしも体育の授業中に気分が悪くなってしまって……それで楽な格好に着替えようとしていたところでした。けけ、決して露出の趣味があるわけではございませんよ!」
「もちろん、理解しているよ。僕が悪かったんだよ、勝手にカーテンを開けたりしてさ。でも、声をかけたのにどうして言葉を返してくれなかったの?」
「そ、それは……急に気分が優れなかったので、咄嗟に声が出なかったのですっ!」
その割に元気だなぁ、と僕は思った。今日の授業はサッカーとダンスの選択だ。
「栞はダンスだよね。ひょっとして、サボってたんじゃないの?」
「ば、バレてしまいましたか……」
栞は顔を真っ赤にした。
「意外だなぁ。真面目に出席するタイプかと思ってた」
「いえ、ダンスが得意な人なんて、この世界にいるのでしょうか?」
「まったく同感」
なぜか頭の中に先ほど楽しそうに踊っていた月夜が浮かんだ。人前で楽しく踊れるなんてそんなの、人間技ではないだろう。なんのスキルもない高校生にみんなの前で踊れなど、地獄でしかいない。
ふと横目に見ると、彼女は体操服を着て笑っている。その度に揺れる胸元から気合いで目をそらし、僕は言った。
「僕も体育は苦手でさ、転んでこのざまだしなぁ」
急に、栞は僕の膝を触った。
「痛そう……」
彼女の体がググッとこちらに近づいた。顔が近づき、僕は自分の呼吸を乱さないようにするのに必死だった。本当に美人だ。切れ長の目に長い黒髪。そしてこのプロポーション。転校してきたばかりで良く知らないが、彼女はきっと男子たちの憧れの的なのではないか。
ふと思ってしまう。そして思ってしまったことが自然と口をつく。
「栞は本当に僕のフィアンセになりたいの?」
「……当たり前じゃないですか」
彼女は僕から目をそらして言った。
「みんなそのつもりで集まっているんです。怜様は堂々としていればいいのです」
「でも僕からは一方的に振られることもあるわけでしょ?」
「その時は、その時でしょうがないことだとは……ああ、いえ。違います!」
慌てたように、栞は首を振った。
「今わたくしの裸を見ましたよね、せ、責任とってください!」
いや急だな!
「え!」
「そ、それはだって、そうですよね? だって、わたくし、殿方に胸を見せたことなど、これまで、一度もーー」
「は〜い、交尾はそこまでにしてね〜」
ガラガラガラ、とドアが開くと、そこから白衣の女性が入ってきた。おそらくは保健の先生なのだろう。金髪でとてもファンキーだ。僕にとっては、栞になんと返していいのかわからなかったので助かったタイミングではあるが。
「交尾って、してないですよ。ほら僕怪我人ですから。見てくださいこの膝」
「はぁ? 自分の唾つけときゃ治るんじゃないの? ああ、もう舐め合いっこは終わったあとなんだっけ? とにかく健康体の人は出ていってくださーい!」
そうやって、僕たちは保健室を追い出された。
「とりあえず、体育見学しようか」
「……そうですね」
僕たちは体育館とグラウンドに別れた。
グラウンドでは相変わらず、夢羽と双葉が躍動していた。
『迷ってる子、いるでしょ?』
双葉の言葉が思い出された。
それが栞を意味するのならば、確かに彼女は魅力的だ。




