第二章 2 城悠邸
放課後が近づくにつれ、僕の緊張感は高まっていった。
なにせ、彼女たちの実家にいってご両親に挨拶するのだ。そもそも結婚すると決まっていればまだわかるが、この段階で何を話すのだろう。まだ娘さんを貰うかは決めていませんが、事前予約させておいてください。とでも言うのだろうか。それって突き返されるだけなのでは?
そして初日だと言うのに、向かう先は城悠邸である。
大女優、城悠凛子がそこにいるのだから緊張するなという方が無理だ。放課後になり僕と月夜は双葉とともに、校門の脇に停められたリムジンに乗り込んだ。相変わらずの豪奢な車の中で、僕は双葉に尋ねた。
「双葉のお母さんって、どんな人なの?」
「何も考えていない人だよ」
双葉からは、思ったよりも辛辣な言葉が返ってくる。
「何も考えてないのに大女優になったんだ」
「そう。何も考えてないから、大女優になれるの」
当たり前だが、双葉の家は大邸宅だった。東京の一等地の住宅街の細い通りを入っていくと、奥にその邸宅がある。塀も高く東京にもかかわらず木々に囲まれたその敷地はプライバシー的にもバッチリだ。高い門扉の向こうに広がる庭には、精緻に手入れされた日本庭園があり、石の小道が雅やかに蛇行している。家は平屋の和風建築。東京の馬鹿高い土地を偉く贅沢に使用したものだ。
玄関の前に双葉の両親が立っていた。お辞儀をしたので、僕も慌ててお辞儀し返した。
改めて見ても城悠凛子は美しく、そして若い。双葉と姉妹だと言われればそう見えるし、意志の強そうな目元も黒くて艶のある髪もそっくりだ。
隣の双葉のお父さんも美形だった。身長が高く、モデルと言われればそう見える。もっとも彼は、凛子のマネージャーだと聞いているが。
「今日はきてくださってありがとうございます。会いたかったわ」
「いえ、こちらこそ。急なことに付き合わせてしまい申し訳ございません」
「まさか! ぜひ来て欲しかったの! 上がってくださいな」
僕たちはリビングへ案内された。
吹き抜けには信じられないほど開放感があり、自然光が気持ちいい。家具もどれも特注のように部屋にぴったり合っている。座敷につくと、執事らしき人が煎茶とお茶菓子を運んでくれた。ぜひ月夜には、その技を盗んでもらいたいところだ。
テーブルを挟んで城悠夫妻が座り、こちら側に双葉、僕、月夜の順で座っていた。
「本当は手作りのお菓子でも出せればよかったんだけど、あんまりそういうのは得意じゃないの。でも、いいものだわ」
「ありがとうございます」
高級そうな包み紙のどら焼きに、僕は齧り付く。おいしい。大豪邸で、大女優とその娘がいて、確かに緊張はする。しかし、柔らかな光や美味しいお茶菓子は、少しだけ僕を和ませてくれる。
「ところで結婚式はいつがいいかしら」
いや唐突だな! 凛子はニコニコしながらそんなことを言ってきた。
「あなたたちは高校二年生だけれど、十八歳で結婚するって聞いてるわ。それなら早く素敵な式場を予約した方がいいじゃない? ここなんてどうかしら」
凛子はパンフレットをテーブルに出す。そこにはヨーロッパの式場が紹介されていた。
「ちょっとママ。私たちまだ結婚するって決まったわけじゃないんだよ?」
「あら、そうなの……? それじゃあ、大喜仰さんのところの娘と結婚するのかしら? まぁあの子はとても綺麗だものねぇ」
一華のことだろう。その名前が上がると、双葉は動揺したようにびくりとした。そして、僕の方を見た。
「そうなの?」
いやこれ、針のむしろ過ぎでは? しかし、ここは変に誤魔化さずに正直に言うしかない。
「誰と結婚するかは決めていないです。その判断材料のために僕がここにきたこと、わかってますか?」
「あら〜、すごく偉そう! さすが王沢ね!」
僕の言葉に、凛子さんはすごく楽しそうだ。逆に双葉は頭を抱えてしまっている。
「お父様もそうだものねぇ」
言うと、凛子さんは月夜の方を見た。
「いえ、私はお会いしたことがございませんので、なんとも」
月夜もなぜかテレたようにたじろいでいる。さすがに大女優に緊張しているのだろう。
「あら、そうなのぉ」
凛子さんはなぜか本当に楽しそうだが、それよりも。
「王沢豪一郎に会ったことがあるのですか?」
王沢豪一郎は名前こそ知られているものの、その姿がメディアに登場することはない。決して表舞台には姿を表さないので、それは架空の存在なのではないかと言われることさえある。
もっとも母はいると主張していたし、こうやって月夜が派遣されるくらいだから本当にいるとは思うが、こうやって会ったことがある人を見たことはなかった。しかし、それが城悠凛子であれば会っていてもおかしくはない。
「もしよければ、どんな人だったか聞いても?」
「そうねぇ。私が出会った時は五十歳くらいだって聞いたけど、本当にお若く見えたわ。異常、なほどに。きっと最新の美容医療を受けていたのでしょうねぇ。それにとっても美形」
見た目かよ。
まぁ見た目がよかったのは想像できたことではある。僕の母親も豪一郎とは二十以上年齢が離れていたはずだし、別れた後も彼に執着していたくらいだ。母は結構面食いでもある。
ただ、聞きたいのはそう言うことではない。
「……性格的には、どんな人でしたか?」
「ううん、それがちょっとしか話したことがないからあまりなんとも言えないのだけれど」
少し考えるようにして、彼女は言った。
「たぶん、私と似たところがある。きっといつも、その場に相応しい自分を演じているような人だった」
「……そうなんですか? 偉そうだったのでは?」
さっきそんなことも言っていた気がするのだけれど。
「必要なら偉そうにするんじゃないかしら。怜くんもそうでしょう?」
「はい、全くその通りです」
「怜君はナチュラルに偉そうだよ」
いや双葉反応早いな。
もっとも否定はできないのだけれど。しかし、そんな双葉に顔をしかめたのは凛子さんだ。
「そりゃ、選ばれないわよね。双葉ちゃんは」
「……は、はぁ⁉︎」
「またもっていかれちゃうかもね〜、大喜仰さんとこの娘に」
凛子さんが笑いかけると、双葉は顔を真っ赤にした。少し怒っているみたいだ。
話を変えた方が良さそうな気がする。
「と、ところで、ご両親は僕と双葉さんが結婚することに対してどう思っていますか? 賛成なのでしょうか」
一応ご両親、と尋ねたが答えるのは凛子さんのようだ。というか、お父さんの方はほぼ隣でニコニコしているばかりで、二人のパワーバランスが伺える。
「それは双葉ちゃんが決めることだからね。ただ、決めたことであれば、結果を出す必要はあると思うのよ〜」
「……結果?」
しかし凛子さんはそれには答えてくれず、ニコニコしているばかりだった。
お茶菓子を食べ切り、夕食前に城悠邸を後にした。
帰りはまたリムジンで送ってくれるらしく、そこで月夜が言った。
「それにしても素晴らしいお宅でしたねぇ」
「まぁ……そうだなぁ」
贅沢な話ではあるが、別に住む場所がいいからどうとは思わない。ただなんとなく、自分は馴染めなかったし、なんなら双葉も居心地が悪そうな気がしたのは気のせいだろうか。
「それにしても旦那様は一切喋られませんでした。凛子さまの強さが垣間見えます」
「旦那さんは元マネージャーなんだろ? そうだなぁ」
双葉と結婚したら、僕もあんな感じになるのだろうか。彼女の横にたってニコニコしているばかり。それはなんとも、楽そうだ。ただ。
「王沢としては、いただけないな」
主導権は、僕だ。僕は、王沢なのだ。
 




