おはよう
「ずる休みというのかしら。なんだか気分がいいわ」
ふふふっと笑うと、修が紅茶を淹れてくれた。
「たまにはよいかと。お嬢様は出席日数を気にされておりますが、十分足りていると思います。今日はタブレットのみご覧ください」
学園は休みでも会社は休まない。
そういうことで手を打ったの。
どちらもしないだなんてそれこそずる休みだわ。
「でも、こういう日に限って仕事の連絡って来ないのよね。ほら。予定。何もないわ」
正面に座る修にタブレットを見せた。
静かにうなずいて、ケーキを食べるよう促した。
「本日はレモンタルトにございます」
一口。
うん。おいしい。
「ご気分はいかがでしょうか?」
「問題ないわ。とても落ち着いている。……ふふふ」
思い出して笑ってしまった。
「どうされました?」
「ううん。違うの。……今日、学園をお休みするから いつもより遅くまで寝ていたでしょ? 修が起こしに来たのなんていつぶりかしらって」
修だけがそばにいて。
修だけが私のことをしてくれる。
それに甘えてはいけないから、自分のことは自分でするようにしているけれど。
それでもあんな風に起こしてもらうのは嬉しいもので。
「お嬢様が望まれるのであればこれからも起こしにまいりますが?」
「とても魅力的なことだけれど、お断りするわ。自立しないとね」
修にはいつまでもそばにいてほしいけれど、それはかなわない。今は私のだけれど、私が結婚したら修は我が家のものになる。
私個人のものがなくなる。
それに。
私は繰り返さないと決めたから。
足るを知る。
その通りだ。
わかっている。
それでも、つい手をのばしてしまう。
「どうされました?」
私をまっすぐ見つめる修に微笑む。
「ふふふ。修。おはよう」
「おはようございます。お嬢様」
今日何度目かわからない朝の挨拶。
機嫌が良さそうだ。
すでに20回をこえる挨拶をしたところで、崩れた原因に触れるかどうか迷っている。
また、なるかもしれない。
せっかく戻ったんだ。
可愛い可愛い、愛すべきお嬢様に。
「修。聞きたいことがあるのなら声に出すべきよ? 私相手ならなおのこと」
アフタヌーンティーとしてケーキをつまみながら、お嬢様がおっしゃった。
「何のことでしょうか?」
しらをきる。
表にはだしていない。
「私の変化に気づくのは修だけ。そんな修の変化に気づくのは私だけ。そうでしょ?」
ふふふっと笑って。
まっすぐこちらを、見ている。
「参りました」
降参と手を上げる。
その手から指輪を抜いて。
「昨日。何かあったのか?」
詳しくは言わない。
それで通じる。
「……ふふふ。修は本当によく見てくれているのね。ええ。少しだけ。……少しだけ。嫌になったの。家のお見合いだから、私の家を見ているのはわかる。むしろそうしてほしいと思っている。私を見ないでほしいと。なのに、みなさん私を見るんだもの。修が見立ててくれた服を着て、修が櫛でといてくれた髪で、修が選んでくれたアクセサリーで、修が綺麗にしてくれている私を見て。そちらに興味をうつすのだもの」
俺がしたことのように言っているが、そんなことはない。
もとから和音のもつ美しさ、目を引くものなのだ。俺がしてることなんて焼け石に水程度だ。
「家の結婚なのに、どうしてそんな風に見るのか。私にはわからないけれど、でもそんなこと表にはださないわ。だしてはいけないと。そう言われているから。だから私は変わらないでいたのだけれど。なにを考えているのかわからない。怖いと言われたわ」
……殴りたくなる衝動を抑えて。
俺も和音にならって表に出さない。
「不思議に思ったの。まだお会いして、少しだけお話ししただけなのに。それなのに、わからなくて怖いだなんて。わからないのは当然だわ。だってわかるほど知らないのだから」
落ち着いている。
声も目も。
一晩おいたのは正解だな。
「だから私。私に何か問題でもあるのかしらって思ってしまって」
純粋な疑問だろう。
ただそう思ったのだ。
……怖い。か。
わからなくもない。
和音は少しだけ見方が違うんだ。
自分の価値がどんなもので、どう見られているか。それを小さい頃に教えられ、それをしっかりと理解して。
だから自分が知らない価値を見いだされると、どうしてってなる。
その価値が、自分自身のものだとなおのこと。
自分に価値がないと思っているから。
前に教えてくれた。
「お父様がね、当主になったのは、修のおかげだから。私の頑張りじゃないから。そこに私の価値はないって。どんなに業績があがっても。それは社員の頑張りだから。私の頑張りじゃないから。だからそれは私のものじゃないからって。私に価値はないって」
それを話してくれた時の和音は、なんの感情のなかった。
ただただ淡々と。
その時の和音はまだ小学生だった。
その時の和音を俺は怖いと思ったけれど。それを表には出なかった。
それ以上に、和音をキレイだと思ったからだ。
「和音。価値はある。たとえ和音の頑張りでないといわれも。それを手に入れることができたのは和音だからだ。和音が当主になることを望まなければ、何もなかったんだ。だから全く和音の力がないわけじゃない。望んだから今があるんだ。和音が全くの無価値じゃない」
「でもそれを与えてくれたのは修でしょ? 私が望んで。叶えてくれた。私は望んだだけ。それ以上でもそれ以下でもない」
ああ。だめだ。
また。
「和音。やめろ」
「修?」
「たとえ旦那様が言おうとも、誰が言おうとも、和音が無価値なんてありえない。和音。お前は存在に価値があるんだ」
「そんなのおかしいよ。お父様にもお母様にもそんなこと言われたことないよ。お兄様たちだって。だれもそんなこと言わなかった」
言われなかった理由が俺なのはわかっている。
俺が叶えたから。
「言われる、言われないじゃない。みんな等しく。生きてるだけで存在してるだけで価値があるんだ。それに」
「それに?」
……。
俺を見る目が。
すがる目。
その目は好きだけれど。
俺だけを見てくれるのは嬉しいけれど。
俺に確かめるときのすがる目は好きだ。
俺がいなくならないことを確かめるときの眼だ。
でも今俺に向けている目は、違う。
自分の存在を確かめる目だ。
自分が思っている自分であることを。正しく認識できているということを確かめる目。
第三者目線と自分の目線が同じであることを。
……異質でないことを確かめる目だ。
「和音」
「なあに?」
「俺に指輪をくれたよな」
「ええ。執事の証として」
「俺は、和音の執事だ。俺にとって、和音は主人だ。他のやつからみても、その関係性は変わらない」
「そうね」
「和音のいう通り、よく知らないのだから、わからなくて当然なんだ。それを知りたいって思って話をしてたんだと思う。和音に興味をもったのは、わからないから知りたいってなったんだよ。それだけのものが和音にあるってことなんだ」
「修が整えてくれた私に?」
「俺はただ手を貸しただけだ。和音自身のものだ。俺に指輪をくれた。俺に執事という役割をくれた。和音は俺にとってそういう存在だ。役割をくれて、俺の存在を認めてくれた。俺の願いをかなえてくれる。そういう存在だ。そこに価値はないっていうのか?」
手をとって。
「和音。俺はお前のために生きる。側にいる。お前が誰と結婚してもそれは変わらない。お前のもののままだ」
和音が自分に価値がないというのは、親からのものもあるけれど。実際所有物は少ない。
この第一の屋敷と土地。個人の預貯金。俺。俺が誕生日に贈っているもの。
それだけだ。
会社はもちろん、他にもある屋敷も土地も全部旦那様名義だ。当主ではあるけれど、相続税だのなんだので、名義は旦那様なのだ。だから、はたから見れば当主は旦那様で。
無欲であるのは俺に当主を願ったから。
それをかなえられたから、足るを知る。
そのために、自分のものを極端に減らしている。
失うことが怖いから。
「本当に私のもののまま?」
「ああ。そのままだ。和音。何度だって言おう。俺はお前の執事で、お前のものだ。和音の価値は、会社だけじゃない。当主だからだけじゃない。和音がきれいで、聡明で、優しくて。他の人にはないものがある。そこに惹かれて、知ろうとしたんだ。でも和音はそれがわからなかったんだよな。自分が思っても見なかった点を言われたから。かみ合わなくて怖いって思ったのかもしれないな。わからないって。でもそれをちゃんと乗り越える人がいいと思う。和音が結婚したいと思う相手は、そういう人であってほしいと思う。これは望みじゃないから、かなえなくていい。そういう考え方もあるだってだけのことだ。和音の思うように生きたらいい。当主として必要なことがあるから、なにもかも思い通りってことではないだろうけれど。それでも。和音は願ってくれ。欲を持ってくれ。望んでくれ。俺にかなえさせてくれ」
初めて会ったのは、和音が小学生で。俺は中学ぐらいで。
卒業したら、働くことにしてたから、そこが和音の家だった。
兄にもあった。
でも俺がいいと思ったのは、和音だった。
屋敷の庭で花を見ていた。
その横顔に。
身の回りのお世話係と言われていた。
だから、兄を選ぶだろうと思われていたけれど、俺は和音しか目に入らなかった。
働き始めてすぐに和音が願ったんだ。
当主になること。
嬉しかった。
頼ってもらえたこと。
俺を見てくれたこと。
だからかなえた。
当時当主だったおじい様に懇願した。
その時にはすでに和音は片鱗を見せていた。
だから案外簡単に話は進んだ。
和音は俺が叶えたっていうけれど、ちゃんと和音にそうなるだけのものがあったからだ。
和音のために生きたいと思った。
俺の存在意義なんだ。
だからそれを奪わないでほしい。
「いなくならない?」
「ならない」
「はなれない?」
「側にいる」
「かなえてくれる?」
「ああ。それが俺の願いだから」
「なら。お願いがあるの」
「なんだ?」
「毎朝、私におはようっていってほしいの」
「毎朝、いってるだろ?」
「これからずっとよ」
「ああ。これまでも。これからもずっとだ」
「毎朝よ」
「ああ。毎朝。おはようっていうよ」