5話・君もおなじ
「お疲れ様」
試合が終わり、それぞれが帰路に付き始めた頃。僕は会場の外で座り込んでいる葵に声をかける。
「お、来てくれたんだ。ありがとな」
「知ってただろ」
「まあな」
ペットボトルを呑みながら、葵は空を見上げる。冬の風に揺られて揺れるフワフワとした髪と横顔が、どこか物寂しさを物語っていた。
「勝って嬉しくないの?」
「うーん。どうだろう。九条にかっこ悪い姿見せたなぁって気持ちのほうがデケェかな」
おじさんの言う通りだった。葵の表情からは喜びは感じられず、いつぞやに葵が僕に言った「もっと喜べよ!」とのお節介を言いたくなる。
「俺さぁ、最後に迷ったんだよな」
「迷った?」
「ラストシュートんとき。俺の代わりで入ったセンターは、ディフェンスが外れてがら空きだった」
相手選手も葵の一挙手一投足に気を張っていて、思い返せば確かにあれほど強固だったゴール下のディフェンスが緩んでいたように見える。
「入るかどうかわからない外のシュートより、ゴール下から確実に点を取りに行った方が勝てる」
「でも、入ったじゃん」
「結果論だろ。俺さぁ……俺が打たなきゃ。俺が打った方が、って思っちゃんだ」
自虐的な笑みを浮かべ、葵は頭を掻く。
「俺の我儘で仲間をポジションから下ろして、俺の我儘でセンターを任せた」
俺の代わりに入った人、俺が来る前まではレギュラーだったんだぜ。と葵は告げる。
「俺のためにしかならないって分かりきった交代をさせられて……だから俺が勝たなきゃって」
「葵……」
「最低な試合だった」
葵にとっての正解は、パスを回すことだったんだと思う。仲間が自分のために動こうとしているのだから、自分も仲間のために動きたい。仲間に任せる判断を取ったとしても勝てたであろう最終局面で、葵は背負うほうを選んでしまった。
「俺がアイツだったら、バスケ辞めたくなってんじゃないかな」
あはは、と自虐的な笑みを浮かべる葵の表情がやけに痛々しかった。
「なんで俺は、最後の判断だけ間違うかなぁ……」
そう呟いて、葵は顔を俯ける。
奇策を取ったまでは正解だった。全員が勝つことだけを目標に同じ方向を向いて決断をしたのだから、その判断を議論するのは水掛け論にしかならない。
「……で。葵を責めた人はいるわけ?」
僕は夕暮れの空を眺めながら、葵に尋ねる。
「葵は決して、自分が勝ちたいためだけに策を練ったわけじゃないんでしょ。チームで勝ちたいから、自分が勝利の駒になることを選んだんでしょ」
「そう、だけど……」
「じゃあ、それで葵が憎いって責めた人はいたわけ? 少なくとも、僕にはそう見えなかったけど」
試合終了後、真っ先に葵に飛びついて喜びを露わにしたのは、交代選手であるセンターの人だった。凄い、凄いと客席にまで聞こえる大げさな声で、葵の頭を撫でていた。
葵のためにポジションを譲った人も、誇らしげな顔で葵の背中を叩いていた。「お前、外してたら首絞めたかんな」と冗談交じりの叱りも、その場で受けていたように思える。
人間だから、腹の底がどうだとかは分からない。笑顔の裏に嫉妬心を燃やした人もいたかもしれない。それでもチームは、未熟である葵の判断を受け入れた上で、勝利を喜んだんじゃないか。
「おじさんがね、「おじさんが思うよりずっと、子供たちの方が葵君のこと理解してるね」って言ってたよ」
「誰だよ、おじさんって……」
「正解を全部教えてくれる凄い人」
「いや、誰だよ」
僕だって、誰の保護者かなんて知るもんか。とそれ以上の情報は明かさない。
葵は、誰からも好かれる才能がある。転校生だとか関係なく、すでにチームメンバーとの信頼関係を築けている。葵との接点が少ない僕ですらそう思えるのだから、毎日の練習を共にする仲間たちは僕より強くそれを実感しているのではなかろうか。
「だからさ……勝手にチームメンバーの気持ちを汲んだような気になって、勝手に落ち込んでいるほうが、仲間に失礼なんじゃないの」
仲間のために戦いたかったんでしょ。そんな意味を込めた視線を送る。僕と目を合わせた葵は、しばらく呆然とした表情をしたあと、泣きそうな顔で口角を上げた。
「俺さあ……今のチーム、好きなんだわ」
「うん」
「だから、大切にしなきゃって」
「うん」
「俺……みんなにちゃんと謝ってくる」
葵が立ち上がれは、ひとたび僕が彼を見上げる形となる。先ほどまでの苦し気な表情は消え、どこか晴れ晴れとした笑みだ。
「いってらっしゃい」
「おう!」
葵は鞄を担ぎ上げ、先に帰宅した仲間らを追うべく、走り出す。しかしすぐに足を止め、僕の方を振り返った。
「ありがとな、九条! 俺、やっぱお前と友達になれてよかったわ!」
大きく手を振る葵を見て、僕も笑みを返した。
(いいなあ、お前は)
誰かのために本気で悩んで、誰かのために本気でぶつかろうとする。
問題から目を背けず、当然のように向かい合っていく。そして、そんな葵を受け止めようとしてくれている人がちゃんといる。
愚直で、誠実で、模範的な人だ。
早く行けばいいのに、葵はまだ何か言い足りないというかのように、大声を続ける。
「お前がいなきゃ、勝手に一人で落ち込んでた! 俺、お前みたいな考え方ができるの羨ましいわ! すげぇな、九条!」
それだけを言い残し、今度こそ葵は立ち去っていく。
羨ましい。僕がストレートに伝えられない想いを、葵は意図も簡単に口にする。
「こっちの台詞だ、馬鹿」
ヒエラルキーの上を見上げるとき、僕はいつだって惨めな気持ちになっていた。たどり着けない自分。相応しくない自分の姿を見て、暗くなる心を誤魔化すのに必死だった。
でもどうだ。葵の口から僕と同じ感情が吐かれたというだけで、まるで「仲間」だったかのような意識が芽生える。
なんだ、お前もか。って、笑えた気がした。