4話・バスケの試合
――第二章
『なあ。バスケの試合、観に来ねぇ?』
冬休みに入ってから数日もしないある日のこと。そんな急な連絡と共に、試合会場の地図が添付されていた。
「分かったって、返す僕も僕だな」
断る理由が見つからなかった。家から思ったより近い場所だった。そんな言い訳がましい頭の奥底には、「気晴らしがほしい」との本音が顔を覗かせる。
塾を抜け出した関係で開始時刻よりは随分と遅れてしまったが、どうやら丁度試合は盛り上がりを迎えていたらしい。観覧席では学年を問わず女子生徒がごった返し、一様に「葵!」と名前を叫んで歓声を上げていた。
そんな集団とは距離を置き、大き目の黒いジャンパーに身を包んでコソコソと眼下の試合を観察する。
相手は学校名からして他県。スマホで学校名を検索すれば、全国大会常連校のようだ。スコアボードの差は僅差で葵たちが負けている。
そしてその差は、試合経過とともに徐々に広がりだしてしまった。
「こりゃだめだな。完全に十番の子の対策をされちまってる」
近くにいた親御さんらしき人らの声が耳に届いた。
「葵くんだっけ? うちが勝つにはあの子にボールを回すしかないって、相手もよくわかってんなぁ」
「リング下でああも押さえこまれちゃ、センターとしての機能は死んだなぁ」
バスケのルールは授業で習う範囲しか分からない。立ち聴きを頼りに、今一度コートに視線を落とした。
味方のチームメンバーは、パスやドリブルを続けながらも、常に葵の方を確認しているように見える。そんな葵は、二人がかりで常に相手からのディフェンスを受けていた。リング下で足を一歩動かすたびに、相手からのボディブロックを受ける。体格負けこそしてはいないものの、ボールが葵に届くことはなかった。
思うように動けない。そんな苦し気な気持ちが葵から伝わってくる。
(あんなにぶつかられて……痛そう)
ピーっと、小休憩を知らせる笛が鳴る。体育の授業では汗一つ見せなかったはずの葵は、汗だくでベンチに座り、水分補給を行っていた。
「あ、あの! 葵のポジションって……」
途中観戦として、状況がもっとよく知りたい。僕は立ち聞きをしていた相手に思い切って声をかける。するとおじさんらは、柔らかい笑みと共に状況を教えてくれた。
「葵のポジションはセンター。分かりやすく言えば、根っこみたいなもんかな。リング下でゴールチャンスを窺ったり、仲間が打って外れたボールを取る大事な役目なんだよ」
「な、なるほど」
「根っこが機能しないと、チーム全体の戦略が機能しなくなる。ディフェンス力はこっちも負けていないから、相手の守りをどう突破するかが試合の鍵だねぇ」
葵は、マネージャーや仲間らから団扇を仰がれたり、氷の山を頭や足首に当てられたりしていた。
「い、痛くないんですか? あんなに中央で揉まれて……」
「痛いさ。うちの子はレギュラーじゃないけれど、それでも痣だらけで帰ってくることもしょっちゅうだ」
わざわざそんな一番きついことを。という言葉を飲み込む。そんな僕の様子を見たおじさんは、フッと目を細めた。
「痛くても苦しくても。仲間のために勝ちたいと一番強く思える子に向いているポジションだよ」
仲間のために。葵らしいと、素直に思えた。休憩終了を知らせるブザーが鳴り響き、審判が試合の再会を告げる。
「さ。泣いても笑っても、ラスト八分だよ」
まあ、練習試合なんだけどね。とおじさんは呑気に笑った。
僕は先ほどよりは前かがみで柵に身を預ける。すると、コート内に戻ってきた葵がふと、観覧席を見上げる。女子らが手を振る光景に笑みを返した後、視線が僕の方へと移る。
あ、目が合った。そう自覚したとき、息が詰まった。
葵は随分と嬉しそうな顔で、僕に向かって手を振る。いつもの体育の授業ならば「構うなよ」と嫌悪するところだったが、僕は大きく口を開く。
「が、がんばれ!」
普段大声を出さないせいか、僕の声は思ったより小さく、周囲の歓声にかき消されてしまった。それでも口の動きで言葉が伝わったのか、葵が口をパクパクと動かす。
「ま、か、せ……ろ」
それは仲間に言ってやれよ、と僕の頬が緩んだ。
再開した試合は、休憩を挟んだからかある程度の軌道修正が行われたかのように思う。
おじさんが「ディフェンス力は負けていない」と言った通り、相手の攻撃ターンでは自陣が守りを固め、相手のゴールは中々決まらない。
攻撃のときは、リングから遠く離れた場所からのシュートに専念しているようだった。
「よし、また葵くんがボールを取ったぞ!」
相手のシュートが外れ、それを葵が奪う。素人でも、葵のキャッチが僕たちの攻撃の合図だと理解できた。
一分、二分。試合はあっという間に過ぎていき、ついには半分を切ってしまう。
スコアボードの差はじわじわと埋まり始めたが、それでも今のペースでは間に合わないんじゃないかと思った。
「あ、葵たちは大丈夫なんですか?」
僕の質問に、おじさんは難しい顔をする。
「どうだろうねぇ。一番焦っているのは生徒だからね。外からのシュートの集中力が切れ始めている」
さきほどまで軽快なシュートを決めていたプレイヤーは、ボールがリングに弾かれて悔しそうな顔をしていた。
(このままじゃ……)
負けるのだろう。客席側にもそんな空気がにわかに漂い始める。
ボールが外にでたタイミングに合わせて、こちら側の監督がタイムアウトを取ったようだ。コートから戻った生徒らは、監督を中心として輪になって会議を進めていた。
話し合う仲間らの中に混ざりつつも、葵は何かを考え込んでいる様子を見せる。
何を考えているんだろう。お前も話し合いに加われよ。そんなお節介が募ってしまう。そして、タイムアウト終了間近にして、葵は監督に何かを告げた。
傍から見ても、監督は驚いた表情をしている。だがすぐに頷き、葵の意見が通ったことが僕の目からでも確認できた。
笛がなり、審判が試合再開の合図を告げる。だがそれと同時に、選手交代の合図もあった。
「え、葵君を下げるのかい!」
交代席に立ったのは、葵くらいに背の高い生徒。バスケはある程度背丈でポジションが決まる関係上、交代選手の顔を見て、おじさんはどのポジションが入れ替わるのか分かったみたいだ。
「まあ、試合をフルで継続するには確かにリスクが……」
自問自答で納得しようとしていたおじさんだったが、言葉が途中で止まる。そして大きく目を見開き「まじか」と呟く。
僕を含めた観客側の女子生徒らを置き去りに、真っ先に保護者陣がおじさんと同じような驚きを露わにした。
「葵君をシューティングガードに移動するのか!」
交代選手とハイタッチをしてベンチに戻ったのは、葵ではなかった。さきほどまで、外からのシュートに徹していた同級生だ。
シューティングガード。言葉通り、メンバーの中で最もシュートを得意とし、外からの攻撃の圧をかける役割を担う。体格は小柄な生徒であることが多く、機動力を生かしたスピード感を活かした動きで相手を翻弄することを得意としている者が多い。
条件だけを見れば、葵とは真逆であるように思えた。
「中からの動きを封鎖されているのなら、外から壊す……」
自分なりに導いた答えを呟く。相手選手の葵へのディフェンスは、試合終了まで変わらないだろう。正方向でぶつかり合って変えられないのであれば、奇策でチャンスを産んだ方がいい。
相手選手らは困惑するどころか、互いに顔を見合わせてリラックスした表情をした。ポジション違いの選手が正当なポジション選手以上の力を発揮できるわけがない。
そう高をくくった表情だ。
だがそんな相手の悠長さは、試合再開と共に焦りへと変わる。
コート外から投げ込まれたボールを受け取った葵は、体格に一切見合わない俊敏さで、たった一度のドリブルで相手ディフェンスを抜き去った。
「……まじか」
素直な驚きが僕の口から零れ落ちる。どこぞの漫画でしか見ないような、一瞬にしてコート内を駆ける姿。一人、また一人と躱し、葵はシュートラインよりはるか遠くから鮮やかなシュートを決める。
ボールが葵に渡れば勝ち。回ってこないのなら、自らボールを手にするポジションに行けばいい。攻守が入れ替われば必ずと言っていいほど葵主導のドリブルが始まり、結果としてみるみる間に点差は埋まりだした。
「か、勝てそうです!」
僕は興奮気味におじさんに話しかける。おじさんも頷きつつ……だがどこか寂しそうな顔をした。
「葵君も、チームメンバーも。どっちも悲しくなる勝ち方だねぇ」
「え?」
「バスケはチームゲームだよ。勝つためとはいえ、誰か一人が全ての責任を負っているような……。誰か一人のためだけのゲームメイクは、喜びより悔しさのほうが勝るもんさ」
葵がいればいい。葵さえ動かせれば勝てる。
仲間のために、ではなく葵のために。そして葵もまた、それに応える覚悟を持って、ポジション交代を進言したのだろう。
奇策とはまさに諸刃の剣であり、葵一人が全ての責任を背負う形の結論だった。
「結果をどう受け止めるかは、彼らの信頼関係次第だよ」
試合時間は残り十秒。点差は一点差。最後のパスが、葵に回る。
葵の手から離れたボールは……気持ちいいくらいの音を立てて、リングをくぐった。