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1話・出会い

――第一章


「えっと。美術室、ってここで合ってる?」


 校舎内に残る学生も少なくなった放課後の暮れ。

 恐る恐るといった表情で入り口から顔を覗かせたのは、僕と同じ学年を示す色の上履きをはいた一人の男子生徒だった。


 キャンパスに向かい合っていた僕は、一拍置いて答えを返す。


「……合ってるけど」

「よかったぁ」


 小型犬のようなフワフワとした髪を揺らがせ、彼は心底安堵した表情で笑う。


「さっき間違えて、第二音楽室のほうに行っちゃってさ」


 訊いてもいないのに、彼は勝手に経緯を話し出す。

 都内屈指のマンモス校である本中学校は、いくつかの校舎が立ち並ぶ複雑性ゆえか、新任の教師でも迷子になっているのを度々見かけたことがある。


 新入生ならともかく、中学二年の後半になっても覚えられない奴がいたのか。と内心の気持ちを抱きつつ、僕は視線をキャンパスへと戻した。


「えっと、先生は……?」

「帰ったよ」


 ご覧の通り、美術室には僕しかいない。三十分前ならば数人の同級生たちもいたが、みんな帰ってしまった。僕は鍵係を担っているおかげか、こうして居残りで作業をしていることが常だった。


 僕の一声を聞いて、彼はがっくりと肩を落とす。


「マジかぁ。間に合わなかったぁ……」


 再び、チラリと入り口を見る。彼の手には、提出物であっただろう画用紙が握られていた。


(……そういえば、期末試験が赤点だった人には課題があるって言ってたな)


 義務教育なので落第というわけではないが、美術の先生は意外と厳しいことで有名だ。

 明日にでも呼び出しを食らうことが目に見えている。


 僕はしばし考え、ゆっくりと口を開いた。


「……先生、明日まとめて見るって言ってたよ」

「へ?」

「だから、ほら。そこの中に適当に紛れさせていれば分からないんじゃない?」


 視線を教卓へと動かす。そこには提出物をまとめた箱があり、先に提出していた人たちの画用紙が重なっていた。

 誰が提出済みかのチェックはしていなかったし、きっと先生なりの救済措置なのではなかろうか。


 僕の勧めに、彼は一気に目を輝かせる。


「お前、いい奴だな!」

「……どうも」


 ご機嫌で美術室に入ってきた彼は、教卓には向かわず僕の方へと歩みを進めてきた。


「名前は? 同じ学年だろ? 俺は、佐藤葵(さとうあおい)ってんだ」

「……九条祐樹(くじょうゆうき)

「かっけぇ名前!」


 どうも、と義務的な礼を返す。


「この学校、佐藤なんて苗字、山のようにいるだろ? 俺のことは葵って呼んでくれよ」


 じゃないと、わからなくなるだろう? と言いたげな顔で、葵は笑った。

 こくりと頷けば、満足げな笑みが返ってくる。


 自分とは真逆な存在だな。と初対面ながら察した。

 明るく、社交的。きっとクラスの中でも中心的な人物なんだろう。今日のような偶然がなければ、交流のこの字さえない存在だ。


 葵はふと僕のキャンパスを覗き込み、さらに目を輝かせる。


「すっご……!」


 キャンパスに広がるのは、海だ。定番の題材であるが、基礎を固めるには丁度いい。


「ただの筆馴らしだよ」

「手癖でこのレベルだったら、天才だろ!」

「大げさだなぁ……」


 葵のオーバーなリアクションに眉をひそめていると、彼はハッと何かを思いついたような顔をして、持っていた画用紙を僕に見せてきた。


「これ、追試合格いける!?」


 簡易的な採点でもしてほしいのか。願うような視線に負けて、僕は画用紙に視線を向けた。


「まあ……大丈夫なんじゃない?」


 課題は確か、リンゴの絵だったはず。追試者に合わせた簡単なお題で、よほどのことがない限り不合格にはならない。

 葵のリンゴは、可もなく不可もなく。という塩梅だった。


「でもさあ、なんか足りない気がすんだよなぁ」

「影、じゃない?」


 リンゴとしての形状と赤さは演出できているが、立体性がなく全体的にのっぺりとしている。修正する方法はいくらでもあるが、影を付けるのが一般的で分かりやすい改善方法だろう。


 僕の声に、葵は「ああ!」と納得した声を上げた。そして次いで、僕が持っていた筆を物欲しげに眺める。


(コイツ……図々しいな)


 僕はため息をついて、筆を葵に渡した。


「絵具はここに適当にあるから」

「さんきゅー! お前、マジでいい奴!」


 必要な道具をいくつか渡せば、葵は早速近くの机に画用紙を広げた。


(なんか、雑に扱いそうだな)


 そんな偏見を持ってしまったばかりに、筆のことが心配で僕も椅子から立ち上がって葵の隣に立つ。葵は鼻歌を歌いながら、ご機嫌に迷わず二つの絵具を手に取った。少量を混ぜ合わせ、画用紙のリンゴに修正を加えていく。


「……へぇ」


 筆を折られでもしたらどうしよう。そんな僕の考えは、すぐさまに消える。代わりに出てきた感嘆の声に、葵は嬉しそうに歯を見せた。


「え、もしかしていいかんじ?」

「正直、黒で塗りつぶすと思った」

「あはは。リンゴに黒い部分なんてないっしょ」


 葵は、所謂補色を用いて影を表現していた。影を入れる場所も問題はなく、一気にリンゴに立体感が生まれる。


「なんで追試になったの?」


 純粋にそう思った。上手い下手はともかくとして、これだけの色彩感覚を持つ生徒に美術の先生が赤点を出すわけがないと思ったからだ。


「俺、期末テスト受けてないんだよね」

「え?」

「転校生。まあ、こんだけ生徒がいたら知らないか」


 いや。聞いたことがある。二学期の途中で入ってきたイケメンがいると、最近女子がクラスで大騒ぎしていた。毎日の話題で嫌でも耳に届くので、ある程度内容を覚えていた気がする。


 高い背丈と色素の薄い茶色の地毛。特徴的な垂れ目と涙ぼくろが、母性本能をくすぐるだとかなんとか……。何より、スポーツが万能で……。


「ああ。バスケ部の?」

「え、俺のこと知っててくれたの!?」

「いや、名前までは……」


 転校生ながら、入部して一週間でレギュラー入り。部員数の多いバスケ部では、三年生であってもレギュラーに入るのが難しいと有名だ。

 それがなおさら人気に火を付けているようで、一日一回は教室のどこかで「転校生が」と誰かが言っている。


 葵は僕に筆を差し出しながら、嬉しそうな顔で口を開いた。


「俺もお前のことが知りたい。だから……友達になろうぜ」


 これが、佐藤葵との出会い。彼のはた迷惑な社交性のおかげで、本来混ざり合うはずのなかった色同士が混ざってしまった瞬間だった。



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