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明日、僕は君に恋をする  作者: 志波咲良


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プロローグ・記憶と君と

「……――それでは、ただいまより第三十回、佐倉小説記念ノミネート作品の授賞式を執り行います」


 天才、と呼ばれる人間を目の当たりにしたことがある人は、どれくらいいるだろうか。

 ネットやテレビを通してではなく、間近で。真横で。目の前で。

 努力や才能を嘲笑うが如く、当然のように頂点の座に就く。不公平だと嘆く間もなく、これまでの常識が移り変わってしまう。


 そんな存在を目にしてしまったとき、僕が願ったことは――。


「優秀賞は、九条瑞希先生の“一等星の君へ”です。恋愛小説で有名な九条先生ですが、今回は……――」


 司会の言葉を聞きつつ、僕は壇上へ向かうためにゆるりと腰を上げる。そのとき、隣に座っていたスーツ姿の担当が耳打ちをしてきた。


「おめでとうございます、九条先生」

「ありがとうございます」


 礼を返す僕に対し、担当は申し訳なさそうに眉尻を下げた。


「すみません、私の力不足で先生に大賞の盾を……」

「その話、もう散々聞きましたよ。充分光栄です」


 嘘ではない。ノミネートされること自体が光栄な賞において、一番でなければ納得がいかないと駄々を捏ねるほどの傲慢さは持ち合わせちゃいない。


「それに……僕自身も、あの作品には何か足りないと自覚していますから」


 それだけを言い残し、席を離れる。

 案内に沿って壇上に上がれば、客席側からいくつかの見知った顔が嬉しそうに手を振っていた。気恥ずかしさで首をすくめて見せ、集合写真の列へと並ぶ。


「いやあ、今回は九条先生に負けたなぁ。佳作止まりとは思わなかったなぁ」


 先に列に並んでいた隣人が、悔し気な声をあげた。隠すことない感情を言い合えるほどには交流がある先輩作家だったので、僕も気兼ねなく口角を上げる。


「先生こそ、受賞作のドラマ化の話が来ているって小耳にしましたけれど?」


 実は僕、メディアミクスはまだなんですが。との念を込めて言葉を返せば、彼は照れた笑みを見せた。


「バレたか」

「バレバレです」


 マイクには乗らない作家同士の立ち話を、客席側の取材陣が物欲しそうな目で眺めてくる。

 そんな彼らを見た隣人が、先ほどよりはずっと小声で僕に語り掛けてきた。


「ところで聞いた? 大賞受賞者の話」

「いえ?」


 担当が何か言っていたような気もするけれど、覚えていない。そこまで他人に興味がないといえばそれまでだが、聞こうとしなかったというほうが正しいようにも思える。


「デビュー受賞だって。しかも、今まで本を書いたことない人らしいよ。本当の本当に処女作」

「……へぇ」

「たまにいる天才のお披露目会にぶち当たるこっちの気持ちったら、ありゃしないよなぁ」


 彼の口調に同調するほど、僕はなんら感情を抱かなかった。

 この世界には、一番になるべくしてなる人間がいくらでもいる。何事にも順位が存在する人間社会の仕組みにおいて、理とも言うべき不変の事実だ。


 二番手でいい。一番に相応しくない理由は自覚している。挫折とは縁遠い、納得感。

 大人になるにつれ、僕は。僕たちは、そうやっていつの間にか無自覚に、心の落としどころとやらを身に着けて生きてきた。


「九条先生が一番悔しいんじゃないの? だって、同じ恋愛のジャンルで……――」

「それでは、大賞受賞者を発表いたします」


 彼の声は、司会のひと際張り切った声によって遮られる。


「栄えある大賞に選ばれましたのは、星野光先生の作品『あの日の僕たち』です。おめでとうございます!」


 今までの受賞者とは違う、ひと際大きな拍手が会場に鳴り響く。

 無名にして大賞。たった一握りの天才は、一体誰だ。そんな周囲の興味の声がこちらにまで響いてくるような気がした。


 万雷の拍手の音を聞きながら、僕はそっと目を伏せた。


 僕は、いつだって二番手だった。

 何においても、常に頂点の人間を支える土台でしかない。

 なぜ一番にはなれないのか。そんな根本的な悩みすら抱かなくなったのは……。


「……あの」


 壇上を上がってきた受賞者の足音が、僕の前で止まる。それと共に頭上から聞こえた声に、思考の波が遠ざかった。


 何か立ち位置を間違えてしまっただろうか?


 慌てて顔を上げ、途端に僕は息を呑んだ。


 高い背丈に見合った長い手足は、その男のスタイルの良さを体現していた。

 おおよそ文芸の世界に造詣が深そうには思えない明るい金髪は、髪質の柔らかさに合わせて緩いウェーブを描いている。彫刻のような整った目鼻立ちと、右耳にいくつか開いたピアス。


 ここが授賞式の場でなければ、僕のような中肉中背の黒髪モブにヤンキーがカツアゲしているようにしか見えなかっただろう。


 いつもの僕であれば、見知らぬ人間から話しかけられた動揺で、一歩後ずさり目を逸らしてしまっていた。

 しかし、どこか幼さを残した垂れ目と特徴的な泣きボクロに……忘れ去っていたはずの記憶が脳内に満ちていく。


「……久しぶり、九条」

「あ、おい……」


 二番手でいい。何か足りていないことなんて、自分が一番分かっている。今更悔しさなどと付き合う気力も体力もない。何かしらの評価の土台に上がれたのなら、充分だ。それ以上を望む傲慢さなんて、とっくの昔に捨て置いてきた。


 僕がそう自分の人生に納得を付けたのは、君という天才を目の当たりにした日からだった。



 君という存在を殺したいと願った日に、僕は僕の人生から逃げた。


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