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レディー 2

 薄笑みの男は気を取り直したように、明るい声で言った。

「あなたのお名前、島袋ナオミ。二十九歳、元米軍最強の特殊部隊に所属し、身分を偽り外人部隊に入隊してシリア内戦に参戦、きっと任務だったのでしょう。帰国後すぐに除隊してますね。現在は実母『シーマ』の組織、ボーダーファミリーの幹部。つまり、ただの戦闘員でなんかでは無い。一兵卒なんてありえない」

 スピーカー越しでも分かる。大げさな身振り手振り。

「今回の作戦人数は、七人。指揮官は『パパ』、依頼者は、アメリカ合衆国、そしてターゲットは、日本国内閣総理大臣柿本彦麻呂」

 スピーカーからは、また人を馬鹿にした、けらけらと笑い声が聞こえる。

「佐藤君から、先に聞いてましてね。 噂で聞く、米軍特殊部隊の実力が知りたくて、ちょっと意地悪をしました。なんせ、うちの警護課の老いぼれに捕まったと聞きましたので。米軍の質が下がったのではと、心配になりましてね」

 くくく。嫌味な笑い声が漏れている。

「まさか射撃で君が負けると思わなかったので、最後の質問に取っておいて聞きそびれました。私のいけない癖ですね」

 男は深呼吸でもしているのか、自分の気持ちの高ぶりを抑えるようにゆっくりと優しく聞いてきた。

「風船に書かれたあの英数字の意味がどうしても解らない。それだけは教えてくれませんかね」

 男の声は懇願しているのか、その振れ幅にさすがのレディーも一瞬引いたように顔をしかめた。

 そして一言「嘘だろ」思わず口から出てしまった。

 しかし気を取り直してレディーは持っていた拳銃を、目の前の鈴木に投げつけると、入ってきたドアに向かって駆け出した。

 扉は開いた。

 ドアを前転しながら通り抜けると、すぐさま武器の置いてあった机を見た。

 やはり、すでに武器は片付けてあった。

 追ってきたのは、まだ手合わせをしていない二人と、柔道家の三人だった。

 二人は腰から拳銃を抜き、射撃体勢に入ろうとしていた。

 シュッ。

 レディーは、先ほど武器を選ぶ時に盗んでおいたナイフを投げつけた。

 刃が落としてあるとはいえ、十分な凶器である。

 ナイフは、拳銃の狙いを定めようとしている男の、胸骨柄を見事に打ち砕いた。

 男は胸元を掻き毟るようにして倒れた。

 あわてた一人が引き金を引いた。

 パン キーン。

 敵味方が入り混じる室内で、むやみに発砲すると外れたときの兆弾が怖い。

 柔道家が、もんどり打って倒れこんだ。太ももを押さえ、もがいている。

 その隙にレディーは引き返し、ナイフとその近くの拳銃を回収した。

 射撃場からは、顔を押さえた射撃の名手鈴木が出てきたが、すぐまたレディーに顎を思いっきりかち上げられ、なすすべなく倒れた。

 二発目が打てない鈴木を尻目に、レディーは引き金を引いた。



 佐藤英司は、医務室のベッドで目が覚めた。

 鈴木と呼ばれる男たちに、鳩尾を蹴られ、背中をしこたま床に叩きつけられ、得物を持った両手の甲をはたかれ、手を開いたしまったその時、パパンと心地よい音が鳴り響くと同時に、意識は消え失せていた。

 頭頂部がジンジンと熱い。

 脳天を打たれたのだ。

 面というやつだ。

 わが祖国、日本は存外物騒な国なんだな。

 昔テレビで見た刑事ドラマにたびたび映っていた警視庁の建物に留置されるとは、少し感慨深い。

 薄く開いてしまった目を再び閉じ、辺りの気配をそっと探る。

 近くに二人、看護師がいる。

 付き添いの刑事はベッドから少し離れ、スマートフォンで何処かと会話しているようだ。

 目が覚めたのが分かれば、どこかに移動させられるみたいだ。

 それにしても、今日は散々な目にあったな。

 このまましばらく休んでいたいが、プランBを速やかに遂行しなくてはならないな。

 佐藤はゆっくりと、体のダメージを推し量る。

 脚のつま先から、順番に意識と表層筋のシンクロをはかり、ミリ単位で動かしてみる。

 痛みが出るのは腹部、頭頂部。違和感は両肩。肩の脱臼は癖にならなければいいな。

 手首にはひんやりと金属が当たっているのを感じる。

 佐藤はおもむろに、むくりと上半身を起こした。

「気持ち悪」

 両手で口元を押さえる。

「大丈夫ですか。こちらに吐いて下さい」

「刑事さんっ、目を覚ましました」

 看護師が、あわてて銀色のトレーを差し出した。

「いや、トイレまで我慢します。うっぐ」

「立てますか」

 看護師二人が両脇を支えてくれた。

 そろそろと立上り、多少ふらつきながら歩くと、出入り口付近にいる刑事によろめきぶつかった。

「あぁ、すみません。おっえ」

 思いっきり刑事の胸元に吐き掛けてしまった。

「すみません。すみません。うっ」

 口元を両手で押さえた。それでも相手の汚れをどうにか拭こうとあたふたすると、とうとう刑事は怒鳴り声を上げた。

「早くトイレへ行けっ」

 刑事は上着を脱ぎ、看護師はペーパータオルを何枚も重ねて刑事に渡し、余りで刑事の胸元を拭いていた。


 トイレから帰ると、刑事が廊下で目を皿のようにして何かを探していた。

「先ほどはすみません」

 佐藤は頭を搔きながら詫びた。

 刑事はシャツを替えたようだ。

「お前、スマートフォンどこにやった!」

 刑事は佐藤の胸倉をぐいっと、ねじ上げた。

「痛い、痛い。刑事さん何」

 佐藤は刑事の手を振りほどこうと両手で、刑事の手首をつかんだ。

「お前とぶつかったあと、俺のスマホが無くなったんだ。」

「知りません! 私の両手はふさがってるでしょ!」

 やっとのことで刑事の手を振りほどいた。

 シャツを直し、息を整えると、刑事の後方のキャスター付きの椅子の下に、黒く薄い長方形が見えた。

「刑事さん、後ろ。あの椅子の下にあるの何」

 佐藤は指差した。

「あっ」

 刑事は小さく呻くと、しゃがみ込み、スマートフォンを拾い上げた。

「割れてる」

 スマートフォンの液晶画面を佐藤に向けながら、刑事が睨み付けてきた。

「電源も入らないじゃねーか!」

 大声で喚きながら何度も電源ボタンを押したが、起動しなかった。

「だー、くそっ。ちょっと電話を貸してくれ」

 看護師にそう言うと、近くの電話を取った。

 刑事がどこかに電話している隙に、佐藤は看護師に囁いた。

「この場合、スマホ代も請求されますかね。私」

 看護師はなんともいえない顔をした。


「すまない、スマートフォンの替えを貰って来るから、少しの間、彼を見ていてくれるかな」

 刑事は二人の看護師にそう言うと、廊下を駆けていった。

「あの人、いつもあんな感じなの?」

 佐藤は二人の看護師に聞いた。

「初めて。公安さんがあたふたするのって新鮮よね」

「公安さんなの」

「あら、だってあなたテロリストでしょ」

「あっちのドアの外に二人、まだいるから、変な気起こさないでよね」

 指差したドアが開き、男が足早に入ってきた。

 平静を装っているが、急を要するようだ。

「おい佐藤、移動するぞ、立て」

「ダメですよ、これから彼、脳のCT撮らなきゃいけないんです」

「関係ない。行くぞ、おらぁ」

 男は佐藤を強引に立たせた。

「わぁ、靴、靴を履かせてください」

 佐藤はベッドの横の靴をつかむと、片方だけ何とか履いた。

 二人の看護師に手を振ると、男の後をケンケンで付いていった。

 ——がしゃん。

 佐藤はバランスを崩し、倒れた。

 今度はパソコンのモニターを倒してしまった。

 幸い、倒れただけなので、こちらの画面は無事であった。

 ただ、誰かの飲みかけのコーヒーが書類を濡らしている。

 こちらは無事ではない。

「テロリストって、何でも壊すのね」

 看護師は呆れてしまった。



「おっ、ブラザーがやりましたよ」

 見晴らしの良いオフィスビルの一室で、五人の男がパソコンモニターの前に集まった。

「へー、これは警視庁の医務室みたいだね。ここからは、僕の仕事だね」

 Bがキーボードを、リズム良く打ち始めた。

 カチカチタン・カタカタカタと、タイピングの音だけが部屋に響く。

 他の四人は、手持ち無沙汰に画面を覗いている。

「何だな、いい大人が、分かりもしない文字列だけの画面を、雁首揃えて無言で眺めているって、ケツの穴がむず痒くなるな」

「だいたい五分ぐらい掛かるから。出来たら呼ぶよ」

「おう。そうしてくれ」

 一時停止から開放されたように、四人はバラバラに散っていった。



「入れ」

 佐藤は独居房へ連れて行かれた。

 最新式の電子制御独居房だ。

 一面の壁には、凹凸が何も無い。

 埋め込み式の監視カメラ、スピーカー、マイク

 明り取りの窓さえ、壁とツライチに仕上げされた百ミリのアクリル製のようだ。

 ドアはヒンジの無いように、自動スライド式だ。

 もちろん鍵穴など無い。

 独房での自死防止策なのだろう。

 佐藤は、備え付けのベッドに腰掛け、肩をすぼめ、膝の上で手を組むと、左の親指の爪を右手の親指で軽くこすった。

 不安な時の彼の癖なのだろう。


「皆さんお待たせしました。警視庁データベースへアクセス完了です。日本全国の監視カメラと準天頂衛星「みちびき」の管理画面です」

 見晴らしの良いオフィスビルの一室の四台のパソコンモニターの前に、残りの四人が集まった。

「Aのやつ、もう一個やってくれました。スマートフォンを一台乗っ取ったみたい」

 別のモニター画面には、女性警官を下から見上げる画像で、微かだが会話が聞こえる。

 Bがイコライザーを調整すると、はっきりと看護師の会話が聞こえた。

 〈外事課がやらかしたみたいよ〉

 〈どうしたの〉

 〈さっき捕まえたテロリストを一人逃がしてしまったって〉

 〈えっどっち。男、女〉

 〈女の方。せっかく今さんが捕まえたのにね〉

 〈大方、女だと思ってなめてたね。あいつら本当に、女性をお茶酌みと書類代打ちマシーンとしか思ってないのよ〉

 〈ちょっといい気味ね〉

 〈ほんとソレ、いつも無愛想でね〉

 〈でも、まだ庁内にいるかもしれないって〉

 〈そういえば、警報なってないじゃない。あいつら隠蔽する気〉

 〈今さら慌ててもう一人を東京拘置所に移送するって〉

 〈何やってんだか。逃げたのは、どんな女なの〉

 〈私、連行されるとき見たよ。ジェイ・ピー・エヌの白いエナメルのワンピースで、長い黒髪のスタイル良い人だった〉

「あら、レディー逃げたって。B、庁内の監視カメラでレディー見つけてあげて。早くっ」

 女性口調の男が、Bの肩をゆすった。

「今やってる。ヒデさんは落ち着いて」

 五人の目が、九分割された四台のモニター画面を隈なく捜した。

 五度画面が切り替わった時、ヒデがレディーを見つけた。

「あそこ、右の真ん中の画面!」

 画面には、スーツ姿の長髪の青年が映っていた。

 Bの巧みなキーボード操作で、その監視カメラの映像が中心の大モニター一面に移り、周辺の他の映像が、その監視カメラ周辺の映像に切り替わった。

「やっぱりレディーよ。あの体のライン、歩き方。私には分かるの」

 モニターの映像は荒いが、他の四人にもレディーだと分かる。モニター画面はレディーと思われる人物を自動追跡している。

「レディーはどっちに向かっている。外か、中か」

「中です」

「あー、こだわっちゃう、そこ」

「レディーにハッキング完了って伝えられないかしら」

「やってみます」

 Bがキーボードを弾くと、レディーの居る廊下の照明が三度点滅した。

 一瞬レディーは立ち止まったが、すぐに歩き出した。

 廊下のドアが一部屋だけ静かに開いた。

 すばやくレディーは部屋に滑り込むと、ドアは自動でしまった。

 ポケットからこのスーツの持ち主のスマートフォンを探り出し、SIMカードを抜き、左脇に右腕を突っ込むと、そこから取り出したSIMカードに差し換えた。

 電源を入れると、スムーズに立上り、電話を掛ける。

 Bのパソコンから着信音が鳴る。

「ハロー、レディー」

「パパごめん、捕まった」

 悔しくて泣きそうな声だった。

「大丈夫。おかげでこうしてハッキング出来たから、むしろ作戦がやり易くなったよ」

「いつでもAは逃がすことが出来るから、レディーは一旦建屋外に退避。サポートするから」

 レディーのスマートフォンには廊下の監視カメラの映像が送られてきた。

「レディー、このあと、カウントダウンするから、ゼロで廊下に出て右に。突き当りを左、三番目の右側のドアを開けて入って」

「——四、三、二、一、ゼロ」

 カウントダウンと同時にドアが開き始めた。ゼロで人が通れる隙間になった瞬間、レディーは素早く廊下に出ると、音も無く廊下の突き当りまで進み、方向を変えると目的のドアを見つけて、開いてその部屋へ忍び込みドアを閉めた。

 使われていない会議室である。

 レディーが息を潜め辺りを見わたしていると、廊下で声がする。

 スマートフォンの画面には、先程までいた廊下に、三人の男が話しながら歩いているのを斜め上から映した画像が映っていた。

 気付かれていない。

 レディーは、棚にあった書類を脇に抱えた。

 Bからの指示を待った。

「今度も、出て右に進み、突き当りを左に曲がる。エレベーター横に階段があるからそれを三階分上がる。上がりきる五段前で待機」

 五段前まで駆け上がると、その歩みを止めた。

「六秒後、その階の廊下に出て右から左へ行く三人組の後ろを二歩離れて付いていって、開いているエレベーターに乗って」

 レディーは、三人組の後ろにうまく付きエレベーター前に着くと、扉の閉まりかけたエレベーターがいる。慌てず中にするりと入り込むと同時に扉は閉まりきった。ボタンが押されていた。

 点灯階数は『5F』現在の階数は地下三階

 警視庁本部庁舎は、江戸城跡地の皇居外苑、桜田門前に位置する。そのフォルムは先端が切り取られた様で、屋上には建物との比率が合わない大きな通信施設がある。公称では、     鉄骨鉄筋コンクリー卜造り 地下四階 地上十八階。

 警視庁創立百年を記念して一九八〇(昭和五十五)年六月に、新しく建て直された庁舎であるが、現在では老朽化が目立つ。

 平成の大改修のさい、空調設備、通信設備、耐震構造の他に、地下にも大規模な変更を行ったようで、二〇二〇年東京オリンピックに合わせ、再拡張工事も行った。

「レディー、五階に着いたら見学者の居る場所に誘導するから、その間にジャケットだけでも女物を調達してね」

 レディーはジャケットを脱いで、ネクタイを外し、ワイシャツのボタンをひとつ外した。

 ポーン、扉が開く。

 ジャケットを左腕にかけ、書類を右手で胸の前に抱え、素早く視線を右から左に流す。

 その歩行は早くも遅くもなく周囲に同調し人ごみに紛れていった。


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