レディー 1
レディーこと島袋ナオミは、シーマこと島袋朱美の実娘である。
シーマとジェイが創った多国籍ギャング団、ボーダーファミリーは、人種、国籍、宗教の垣根を越えて、相互理解を求めることを信念に結成されたギャング団である。
即ち、しがらみが無い。節操も無い。
地域、人種、宗教などに縛られた既存ギャング団から弾き出された厄介者達は、これまで、影に生きてきた。しかしそれら厄介者達を、SNSを通じ結びつけ、巨大な組織に纏め上げたのだ。登録された構成員を的確に送り込むことで、作戦の成功率を上げ、既存組織までも取り込み、猟場をアメリカ本国から地球全体へと広げた。
一匹狼として組織から弾かれていた者達は強い。
組織外でも生き残る、個としてのスキルを身につけているので判断が早い。
イレギュラーの多い犯罪現場にはうってつけであった。
彼らを指揮官、又は兵士として各地に送り込み作戦を遂行する。
個人の利益率も高い。
組織の取り分はフリーマーケットの手数料ぐらいの比率である。
あとは作戦実行者が山分けする。
情報提供者への報酬も高い。
現代社会には、ことのほか受けが良く、瞬く間に全米の闇の隙間に染み渡っていった。
このウィルスのような組織の誕生から今までを、最も近くで目にして来た自負がレディーにはある。
組織のために、志願して従軍し激戦地へ渡り、スキルを磨いた。
今、両手は手錠がされているだけで、捕縄は解かれている。
ここは、警視庁本部庁舎内の独居房であろう。
あの年老いた刑事は、マスタークラスの化け物だな。
ブラザーAは大丈夫だろうか。
護衛の任務を全うできず、苛立ちに壁を三回ほど蹴りつけたが、徐々に冷静さを取り戻していった。
気が付いてから一言も喋っていないが、日本語と英語で話しかけられたことは、少々驚きであった。
素性がばれている可能性が感じられたからだ。
外に人の気配を感じた。
ピー、ガチャリ。
電子音が鳴り、扉が開いた。
「出ろ」
部屋から出るようにと、扉を開いた男が促した。
捕縄をつながれ、両脇に女性警官が、前後に男性警官がついて移動した。
取調室に行くのだろう。
エレベーターに乗ると、滑らかに静かに降って行った。
着いたフロアは、何種類かの灰色と黒色しかない、どことなく寂しげな雰囲気がした。
廊下の端のドアが開き、出てきた男は少し笑みを浮かべている。
「ご苦労様、ここからは我々が引き受けます」
四人にそう言うと、部屋からぞろぞろと六人の男が出てきてレディーの縄を奪うと、文字通り引っ立てて部屋へ消えていった。
バン。
大きな音を立てドアが閉まった。
「さてレディー、と呼べばいいのかな」
男は薄笑みを絶やさずに言った。
「佐藤英司は、協力的だったよ。君はどうかな」
部屋には机と椅子が壁際に備え付けてあるが、レディーが座る椅子はなかった。
ただの取調室ではないようだ。
部屋自体は天井も高く、広い。ドアは入口とは反対側にもひとつあるだけ。
窓は無い。殺風景な部屋だ。
「身体検査は、女性警官がしてくれましたね。ここからは能力検査です。お付き合い下さい」
そう言うと、薄笑みの男は背を向け部屋から出て行った。
残った六人の男たちの一人が、ナオミの手錠と捕縄を解いた。
スピーカー越しに薄笑みの男の声が聞こえた。
「これから質問するが、答えれない場合は、その中の一人を倒せばその回答を拒否できる。約束は守る。“ハンデ”として、君にはその格好で戦ってもらう。イッツ ショータイム。米軍上がりの格闘スキルを存分に堪能させてくれ」
まるで、安っぽいイベントのDJのようだ。
見わたせば、六人の男たちはそれぞれ体型が違う。
「質問一、あなたのお名前は?」
——
「黙秘ですか、では鈴木行ってみよう」
鈴木と呼ばれた男が前に出てきた。
「押忍!」
両腕をクロスしてから、両肘をわき腹に納め、レディーに対峙した。
「はじめ!」
スピーカーから薄笑みの男が号令をかけた。
鈴木がにじり寄り、右膝が動いた刹那左回し蹴りがレディーの鳩尾に吸い込まれた。
鈴木の左踝は、砕けた。
レディーの鳩尾に当たる瞬間、見事な体捌きで半身となり、右膝と右肘で、鈴木の踝の付け根を鋏み砕いた。
鈴木の声にならないうめき声だけが、部屋に漂う。
「すばらしい! いーね。眼福、眼福。じゃあ次の質問」
薄笑みの男の声は嬉々としている。
鈴木の心配はまったくしていない。
「質問二、今回の作戦に関わる人数は何人?」
——
「また黙秘ですか、では鈴木行ってみよう」
今度も鈴木と呼ばれたが、さっきとは違う男が前に出てきた。
「お願いします」
レディーと対峙すると一礼してから、両手を広げ向かってきた。
この鈴木は柔道家らしい。
右手でレディーの奥襟を、左手で胸倉をつかむと、くるりと背を向け背負いの体制に入った。右手を滑らし、胸元で両手をしっかりと合せ完璧に投げた。
レディーはその流れに逆らわず、しかし両手で鈴木の手首を持つと、鈴木の背の上で方向転換をした。
背中から落ちるはずが、つま先からすとんと鈴木に対峙するように立った。
その勢いのまま膝を曲げすばやく後方へ体を倒すと、自然と鈴木の腹の下にいた。
相手の両腕は持ったままなので、自然と間接は極まっている。
右足を鈴木の骨盤に沿えるように当てるだけで、ぽーんと男は飛んでいった。
「一本!」
スピーカーからは、けらけらと笑い声まで聞こえる。
「凄いね、強いな~。次、質問三、今回の作戦の指揮官は?」
——
「鈴木、準備できてる」
いつの間にかに、壁際の机には、数種類の武器が置いてあった。
「好きな武器を選んでね。こっちの鈴木は、竹刀、そうバンブーソードOK」
机の前に立っていた鈴木は、左手で竹刀を腰骨の辺りで握っていた。
机の上には五種類の長さの違う短剣やナイフと、トンファー、ヌンチャク、メリケンサック。
壁に立てかけてあるのは、三種類の長剣と三種類の槍、長さの違う棒が五本。
当然、どれも刃は落としてある。
レディーは迷いもせず、刃渡り約四十五センチのオンタリオ社製 ミリタリーマチェット一八を手に取った。
マチェット(マチェーテ)とは元々、枝などを打ち払うための鉈である。
それを軍用に改良し、密林などで重宝された。細身の刀身は艶消しの黒、米軍御用達の品である。
ヒュルンヒュルンと器用に片手でマチェットを振り回し、重さを確認した。
「宜しいかな。では、始め!」
鈴木はレディーの前に歩み出て、一礼をし、半歩下がった。
中段の構えである。
対してレディーは、まだマチェットを回していた。
「ちぇーすと!」
鈴木の咆哮と共に弾き出された肢体は、一筋の矢のようにレディーの喉下を急襲した。
一拍子の打突である。
飛び込んでくる竹刀の切先に、レディーは手首を返しただけでマチェットの面を合わせると、しゅっと、鈴木の向こう側に移動していた。
すれ違いざまにパチリと音がしたように感じた。
マチェットを持った腕は、背中側に伸びきっていた。
鈴木が崩れ落ちた。
その左あごから左耳にかけて、肌が五センチほどの巾で、赤い帯状に変色し、ジワワと隆起していった。
痛痒そうな蚯蚓腫れだ。
「何でも出来るんだね、君は」
感嘆の声を放った。
「質問四、今回の作戦の依頼人は?」
——
「一兵卒には、この情報は降りてこないよね」
薄笑みの男は、少し馬鹿にした口調だ。
「でも大丈夫、鈴木―やっちゃって」
そう言うと、奥のドアが開いた。
細身の男がレディーの前に来て、付いてくるように促した。
奥の部屋は、射撃場だった。
中央の二台に拳銃が用意されていた。
回転式拳銃M360J SAKURAだ。9mm口径、装弾数五発。
二十メートル先に吊るされたマンターゲットが静かに時を待つ。
「では、準備でき次第はじめて下さい」
鈴木が拳銃を構え、射撃体勢に入った。
パ~ン、パ~ン、パ~ン、パ~ン、パ~ン。
心地よいリズムで発射された弾丸は、マンターゲットを打ち抜いた。
レディーは拳銃を手に取ると、右手、左手と持ち換え、重さを確かめた。
片手で狙いを定めると、躊躇なく引き金を引いた。
一発、二発と間隔を確かめるように撃つと、残りの三発は一気に連射した。
ジーと長い音が部屋に鳴り、マンターゲットがレールにぶら下がり近づいてきた。
「鈴木五十点。内インナーテン一発」
「レディー、四十九点。インナーテン三発!」
「よって鈴木ウィン。残念だったね、試し撃ちがあれば君が勝てたのに」
二枚の人型が描かれた紙は、中央部分にいびつな穴が開いている。
「負けたので、答えてもらうよ。依頼人の名前」
薄笑みの男の声に、微かに怒気が混じっている。