さくらメディカルセンター 5
SAT隊と合流した宮地は院長室前の廊下に二十四人の精鋭と共に待機していた。
建屋外には、五名の狙撃手が室内を狙っている。
屋上には垂直降下部隊が二十名スタンバイしている。
先に突入した薮田班からの合図を待っていた。
が、時折聞こえる銃声と壁や床に打ち付けられる音が聞こえる。
狭い室内に被疑者は一人、あの今さんが捕り逃すとは考えられないが、黒衣の男が、梶野が騒ぎ立てる黒梟という化け物ならそれもありうる。
最悪の場合は、この二十四人と垂直降下部隊二十名で、狭い室内を挟撃し制圧しなくてはならない。
たった一人に。
音が止んだ。
しかし気配はする。
このヒリ付く感じは、今さんの仕掛ける時の空気感だ。
――ズッダーンンン、ドシャッ
入口扉の傍に何かが激しく衝突した音だ。
コンマ何秒かの静寂で、宮地は悟り隊長に合図を送った。
「音響閃光弾用意。これより三十秒後突入する」
隊長の指先がくるくると二回廻って同じく二回縦に振られた。
廊下の緊張感が、深くより濃く広がった。
「三・二・一、Go」
院長室の扉が開かれ、タタッタと軽い銃声は院長室の天井照明を破壊した。室内は闇に包まれたはずだ。扉はすぐに閉じられ、同時にスタン・グレネードが室内へ投げ込まれた。
一瞬の静寂の後、耳を劈く爆発音と長く尾を引く嫌な音と、扉の隙間から溢れ出る閃光が、その威力を推し量る。
ゴーグルと耳当てをした四名がすばやく室内に入る。
次の四名も滑り込む。
音と光が収まると同時に、窓が割れる音が続く。
タタタタタッ。タンッ。タタタタタッタ。タンッ。
自動小銃と拳銃の音だ。
信じられないことに、黒衣の男が抵抗しているのだ。
耳と目が麻痺し、常人なら五、六秒は麻痺し身動きは取れないはずである。
ドサッドサッ
外に何かが落ちる音が響く。
その状況の中、SAT隊は淀みなく室内に突入する。
身を屈め、宮地班も突入した。
扉は半開きで全開ではない。
開いているほうには折り重なった隊員が倒れている。
半開きなのは、扉の裏側にも同様に屍があるのだろう。
硝煙と血の臭いが入り混じり、空気は赤錆びて淀んでいる。
血煙は湿度を持たせ、体にまとわり付き、体が重く感じる。
廊下とこの部屋は別の空間のようだ。
一体個の短時間でどれだけ命が消えていったことか。
何かがまだ動いている。
黒い人型の影が蠢いているようだ。
窓の外、上空へ向けて発砲している。
ドサササッ。
人の落ちる音だった。
バシュッ。バシュッ。
窓の外に乗り出している人影に、狙撃手の正確無比な弾丸が命中している。
しかしその人影は構わず上空への発砲をやめない。
ドサッ。
垂直降下部隊二十名最後の一人が落ちた。
それを確認するように人影は、その影を脱ぎ捨てた。
いや、それは解放されたと言った方が正しいだろう。人影の左手小指一本に引っかかっていた体がその小指から解き放たれたのだ。ゆっくりとぐらつきながら音もなく倒れるのは、真っ黒な衣服の顔半分吹き飛んだ野尻だった。
盾として、使われたのだ。
気が付けば、最後に突入した宮地班四名しか部屋の中で生存していなかった。
その黒い人影からまた、闇のように黒い影が剥がれ落ちた。薮田班の新六だ。
そこで宮地は理解した。黒衣の男は、室外と室内の両方に発砲していたのだ。
腕が四本あるのか。
人間二人をどうやって自らの盾として使い、同時に二丁の銃、それもMP5を自在に操れるのか。
黒衣の男に握られたそれはSAT隊が装備していた自動小銃だった。
ありえない。
さらに宮地を驚愕させたのは眼鏡を掛けているが、その黒衣の男が見知った人物だったからだ。
「黄島次官。……お前が黒梟、だったのか」
宮地は臓物が煮えたぎるのを押し殺し聞いた。
「九六-二九六〇号とも言うようだ、この国では」
黒衣の男は窓と窓の間の柱に身を移し、床に転がる死体を脚でつつきながら宮地を見た。
「他国では『ボル』とか、死神と云われる事が多いな」
「死神め」
宮地は吐き捨てながら、累々たる屍を観察していた。
ほぼ即死である。全ての死体が。
そして順序良く排除されている。
ひとつのドアから順次突入される敵を、都合よく各個撃破出来るような動線を、その屍で作り上げている。
あの閃光と爆音の中、どれだけの修練でこの様な、人外の技を習得できるのか。
「千年の時を刻めば、お前も我に触れられるだろう」
「心も読むのか」
「いや、皆そう思うようだ」
カカカカカ、黒梟は笑った。
宮地の脳裏に撤退の文字が浮かんだ。
しかしそれは瞬時に消えた。
出口が狭すぎる。
半開きのドアはまるで漁具の返しのようで、脱出を拒む。
「お前の目的は何だ。首相の暗殺なのか、それとも他に目的があるのか」
宮地は銃を降ろし、班員にも同様にするよう指先で指示した。
「賢明だな。無駄に部下を死なせることは無い」
黒梟は銃を持ちながら腕組みした。
「柿本は殺す。依頼があったからな」
「その依頼の倍額で、という取引には応じないのだろ?」
宮地はだめもとで聞いてみた。
「倍かー、でもダメだ。この商売は信用と畏怖がものを言う」
「畏怖」
「そうだ、畏怖だ。それがなければ裏切られ仕事の後に消されるだけだ」
死神も裏切りは怖いのか。
「カカカカカ、冗談だ。この依頼は我がツァーリア神の名のもとによって成立した神聖なもの。金など要らぬ、諦めよ」
宮地は、黒梟に少しずつ近づいてゆく。
「そもそも、お前は人間なのか」
「人ではないわっ!」
それは、黒梟の機嫌を損ねる質問だった。
その圧に押され、宮地が一歩下がってしまうほどだ。
「すまない。お前に興味が湧いてしまった」
宮地は体が意に反し、退ってしまったことを恥じた。気を引き締め直し、一歩、二歩と近づいてゆく。
「カカカっ、正直者だな」
黒梟の足元に、見慣れた顔が横たわっていた。鼻から下はいつもと違い、赤く潰れていた。
宮地の視線に黒梟が気付いた。
「そいつは知り合いか?」
黒梟は、つま先でつついた。
「尊敬する先輩だ」
「うむ。こいつは良い目をしていた。善い殺気を放っていた」
中山を見下ろしながら黒梟は言った。
「こいつは最後まで、我を生け捕ろうとしていた」
何の感情もその顔から読み取れない。それが余計に腹立たしく、宮地はぎりぎりと奥歯をかみ締めた。
「我々を生かしているのは何故だ」
黒梟に手が届きそうな所まで、宮地は近づいていた。
「優秀、優秀。分かってるね」
黒梟は、大袈裟に感心してみせた。
「さっき大事な〝眼〟を君たちに回収されたので、柿本の本当の居場所が分からなくてね」
黒梟が黄島の顔で、いつもの媚笑いを見せた。
銃を持った手を広げて、しかしその顔とはそぐわぬ口調で黒梟はゆっくりと恫喝した。
「柿本の居場所、さっさと教えろ」
空気が、瞬く間に又、あの重くまとわり付く冷気を帯びた。
中山は、意識を取り戻しつつあった。
誰か、聞き覚えのある者たちの会話だ。
それと同時に、自分の体の異変を感知した。
下半身の力が入らない。
極力微動だにしないようにしながら、体の隅々に神経の伝達の有無を探った。
今、自分のおかれている状況をすばやく思い出し、最善を尽くす。
対象者と交戦中に、意識が無くなったのを思い出し、自身の敗北も理解した。
横たわる場所が、意識が途切れた場所と違うことも薄く開いた左目で把握した。
今、自分のすぐ傍に、奴が居る。黒梟が。
そして自分自身の命の灯火は、消えかけていることを察した。
右大腿部からの出血。
あと十数分で、再び意識が落ちることが推測される。
その後適切な処置が無ければ、出血多量で死ぬであろう。
きっと気を失っている間に、撃たれたようだ。
……会話は、宮地と黒梟でされているのか。
「柿本首相は、もうこの建物には居ない。お前をはめる為に囮になっていただけだ」
宮地は、黒梟のすぐ前に立ち、残った部下を隠すように手を広げた。
「カカカカカ。自分自身を囮に使うなんて、少しは面白い奴だったか」
黒梟は、うれしそうに手をたたいた。
「お前にはフェイクは通じない」
「そうだ。だから本当のことを今すぐ言え」
黒梟は、何の警告もなく左手の銃を宮地の左脇に向け撃った。
広げた宮地の左脇を斜めにかすめその後ろに居た部下が一人崩れ落ちた。
(やめろ、やめてくれ。若い命をもうこれ以上奪わないでくれ)
中山は心の中で叫んだ。
自分の目の前にある血だらけの右腕は新六のものだ。
「分かった、だからもう俺の部下を殺すな。これを使って自分で聞け」
そう言うと、宮地は片手を黒梟の方へゆっくりとかざし、黒梟を制止し、もう片方の手に握られていた銃を床にそっと置き、その銃を自分から遠ざけた。
耳にかかったインカムの電源を切って外した。
インカムを注意深く警戒しつつ黒梟に手渡し、両手はすぐに広げた。
「よし、長生きしたくば我のことは他言無用。そうすれば今ここで生きているもの全てを見逃しても良い。しかしその禁を破ったものは地獄というものに連れて行く」
宮地は黙ってうなずいた。
「オンして、発砲二射後、各位、容疑者射殺せり、救護要請、宮地班三名のみ生存、マルタイの状況は」
宮地の瞳は静かな怒りで溢れている。
「そう言えば、柿本総理の今の居場所が分かる」
「なるほど」
黒梟はインカムをしげしげと眺めたが、納得したのか銃を両手に持ったまま器用にそれを耳に装着した。
「嘘ついたら、部下もろともあの世行きだ」
なんと、黒梟から今度は宮地の声が響いてきた。
インカムの電源を入れる。
黒梟が銃を床に向け二射し、今まさに喋ろうとした時、宮地はその広げた手で、黒梟を正面から有らん限りの力をこめて抱きしめた。そのまま窓際まで電車道のごとく寄り切った。
「今さん、今だっ! 俺ごと撃ってくれ」
タン、タン、タン。
宮地に腕ごと体を締め上げられた黒梟だが、手首のひねりだけで宮地の腰に銃口を向け容赦なく撃ち込んだ。
宮地が力なく崩れ落ちる。
黒梟の視界が開けた時。その正面の床に、まだ諦めずこの化け物を討つ覚悟を決めた男の両目がぎらついて見えた。男は両手で銃を構え転がっている。
中山だ。
ダン・ダン・ダン。
宮地は崩れ落ち、片膝立ちの状態になりながらもなお踏みとどまり、黒梟の腰のあたりを握り締めていた。逃げ場を失った黒梟は、中山の放った弾丸を避けることはできなかった。
「――少し人間を、ナメテイマシタネ」
黒梟の口元から一筋の赤黒い血が流れ落ちた。
その黒目が徐々に広がり、ふっと瞳の光が消えた。
〈我のことは他言無用だ〉
中山の脳裏に直接黒梟のメッセージが響く。
ダンッダン。ダダン。
外からの援護射撃か。
まだ生き残っていた狙撃手がいたのか。
弾かれた黒梟の、黄島防衛事務次官の体は、宮地の屍に阻まれ、室内に倒れることはなく、反対に、割れた窓側にその体が揺れると、そのまま宮地の腕をすり抜け窓の外へ。
地面へと落下していった。
終わったのか。
途切れかける意識の中で、中山は宮地へ礼を言った。




