英雄の告白
『英雄の告白』
私が初めて世間から英雄と称されたのは、小学五年生の夏だった。
もうすぐ夏休みになる頃、体調不良で早退する事になった。
一人うつむきながら帰宅の途に就くと、暫くして後方より女性の声で『誰か! 引ったくり! 助けてー』
そう聞こえ、思わず振り向いてしまった。
そこには、バックを抱えた腕とベルトが見えた。
咄嗟によけようと体をひねる、しかしその前に『どけ!くそガキ』と聞こえたような曖昧な記憶。
ドン。
私は逃げる男とぶつかっていた。
仰向けに倒されるところ、瞬間パッと伸ばした手は、男の腰のベルトを掴んでしまった。
二人はごろごろと転がりながら道に倒れた。
『放せこの野郎!』
男はそう喚くと、寝転がりながら、左足で私の顔と肩を蹴り付けた。
私はなぜか、男の右足の膝にしがみついていた。
驚きと痛みと恐怖で、私は固まってしまったのだ。
何度蹴りつけられたか。
意識が飛びそうなとき。
「おい、おっさん」
違う男の声が聞こえたとたん、バチン!鈍い音と共に、私を蹴る足が止まり、男の上半身が一瞬浮上がり、倒れてきた。
「がんばったな、坊主」
そう声をかけられた。
恐るおそる顔を上げると、右目が腫れて見えない。
男の脚に押し付けていた左目は、強く押さえつけていたため最初は焦点が合わなかった。だが段々と、ぼんやり視界が戻ってきた。
大きな手が見える。
差し出してくれているのだ。
輪郭がはっきりしてくる。助けてくれたのは、見覚えのある人だった。
駅前でよくたむろしている高校生だ。
いつもなら絶対に目を合わせないようにしているから、はっきりとは分からないが、多分そうだ。
高校生は、固まって動かない私を、両手で抱えて起こしてくれた。
体に着いた埃を、無造作に叩き落としてくれている。
「おばさん、この子がバックを取り返してくれたよ」
その高校生が、やっと追いついたおばさんに声をかけていた。
私の手には、おばさんのバックの紐が絡み付いていた。
「お前、酷いケガだな。でも頑張ったな」
その一言で、緊張がほどけた。
そのあとの記憶は断片的で、警察官が到着し、救急車が来て、気が付けば病院のベッドで、横で、母が泣いていた。
病院での検査入院と事情聴取が終わり、久しぶりに学校に行くと、私は英雄のような扱いになっていた。
全校生徒の前で警察署長と校長先生から賞状を渡された。
思いがけず、私は正義の象徴になってしまった。
その後は、警察官になるのが当たり前になっていた。
中学校に上がると部活は剣道部に入り、放課後は柔道の道場にも通った。
正義を行うには、単純な強さが必要な局面があることを実体験していたからだ。
道場には外国人の師範もいて、その師範の子供たちと一緒に英語とポルトガル語も習った。
今とは比べ物にならないほど情報が乏しい社会だったので、子供の私はとても興味を持ち、熱心にすべてのことに打ち込んだ。
剣道、柔道、ともに段位を習得し、英語、ポルトガル語も、同年代の異国の子と切磋琢磨していれば、おのずと日常会話程度はマスターしてしまった。
高校卒業するまで、その生活は続いた。
卒業後、私は警察官になった。
警察官になった私には、射撃という分野に新しい芽が出た。
抜群という評価をいただき、射撃の楽しさも知った。
武道の必要段位と語学が堪能なため、私は警備部警護課へ配属になった。
特に柔道は、五輪の代表選手候補に名が上がるほどだった。
春の日差しが、睡魔を誘う心地良い昼下がり、まだ慣れない私は拳銃を携え先着警護の周囲索敵をしていた。
ふと見ると、道の向こうでおばあさんが、両手に大きな段ボール箱を抱え、郵便局の前で扉を開けれずに困っているのが見えた。
自動ドアではない時代だ。
他の通行人は、気が付かないのか足も止めない。
職務規定に違反するかもしれないが、駆け寄って郵便局の扉を開けてあげた。
「親切に、ありがとうね」
お互い微笑みあったのもつかの間、ドアの向こう側は、異様な気配だった。
「なんだぁ、お前、兄貴のまわしモンかぁ!」
カウンター前には、左手で女性の髪の毛を無造作につかみ、その女性の首筋に包丁を突き付けた男が立っていた。
男の眼は完全にイッてしまっている。
口からは、だらしなくよだれが垂れている。
薬物中毒者か。
男は、顔だけをこちらに向け、背後はがら空きだった。
今だ!
男の腰に体当たりをかまし、素早く刃物を持つ手を抑え、確保しようとイメージを脳内に浮かべ、一歩を踏み出す瞬間だった。
「ひえぇえー」
横にいたあげたおばあさんが、両手の荷物を放し、私にしがみついてきた。
駆け出した私を、手綱を絞る騎手のように上着を掴んだおばあさんが押しとどめた。
上着は私の背中側に捲し上げられた。
すると、携帯した拳銃が顕わになってしまった。
「てめえ、やっぱり兄貴の……。組の金と薬を盗んだことを俺の所為にして、俺を消そってんだな」
男の顔はみるみる赤くなっていった。
「キャー」
吹き出す鮮血が、カウンター越しの受付局員にかかる。
切りやがった。
遠心力の無くなった独楽のように、グルンと回転し、首を切られた女性が倒れた。
男は、腹巻から拳銃を取り出すと、狙いもつけずにバンバンと撃ち始めた。
上着を脱ぎ棄て、拳銃をホルスターから抜き出すと、片膝をついて男を狙って引き金を引いた。
ドン
それだけで、男の命が呆気なく、消えてゆくのが分かった。。
首から出血する女性に駆け寄り止血を試み、局員に緊急通報するように叫んだ。
泣き叫ぶ子供、腰を抜かす男性、念仏を唱える老婆。
混沌と無常。
私は、その責任を全て自分に置いた。
そして自分の中のどの行動が、今回の悲劇を起こしたのか、謹慎中に考えた。
考え抜いた結果、携帯した拳銃にたどり着いた。
おばあさんに手を貸したことも、一時は余計なことをしなければと考えたが、親切心を無くしては、そこに正義はない。親切心は悪くない。では何がいけなかったのか。
拳銃が犯人の目に晒されてしまったこと、それによって相手が恐怖を感じたこと。
拳銃に対抗しようと、犯人も拳銃を使ったこと、拳銃で犯人を撃ち殺したこと。
私の中に、ここを撃てば相手を無力化する(死なせる)ことが出来るイメージが浮かび、それを実行する射撃能力が備わっていて、悪を滅するために躊躇なく引き金を引ける冷徹な心があることを、恐ろしく思えた。
その悪が、些細な勘違いで突っ走っていることを知っているのに、安易な解決を選んでしまった自分を恥じた。
拳銃さえ無ければ、きっとこんな結末にはならなかったはずだ。
首を切られた女性は、一命はとりとめたものの結局一度も意識が戻らぬまま八年後に亡くなった。
犯人の撃った弾の跳弾が足に当たった子は、野球選手になる夢を諦めた。
血を浴びた受付局員は、あれから出勤出来なくなったと聞いた。
私の五輪の話も無くなった。まぁ、それはどうでもよいことだった、被害者の苦痛に比べれば。
私は自分を保つために、拳銃を憎み、嫌うようになった。
拳銃に頼らぬ力を手にするための努力を、日々惜しまなかった。
いつしか私は無手で、相対するものを無効化する術を手に入れた。
同時に私は、『今三四郎』などと呼ばれるようになった。
全部守る。
目の前にある命すべてを、たとえ犯人であっても。




