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さくらメディカルセンター 4

 本部からの要領を得ない道案内で、到着予定時刻を大幅に遅れて、さくらメディカルセンターにSAT隊が到着した。

 新規開業前の特別医療機関なので、ナビゲーションシステムがアップデートされていないとの言い訳を何度も聞かされた。

 ストレスを掛けられ、それでも平常心を保っていた隊員たちも、ロビーに入ってすぐ、この大幅な遅れに対する代償を目の当たりにする。

 受付カウンター内に十四人の死体が放置されていた。

 一人は佐倉医院長である。

 彼だけ苦しくて首元のネクタイを緩めようとしていた様だが、他の者は皆ただ死んでいる。

「隊長、だめです。まだ体温を感じますが、生存者はいません」

 数名の隊員が被害者のバイタルチェックを行ったが、誰一人呼吸も脈もなかった。

 そこへSAT隊の到着までにピルバグズを掃討しておこうと院内を駆けずり回っていた宮地班が駆けつけた。

「宮地、どうなっているこれは」

「岩永、いや 隊長。院長たちは?監視カメラに黒衣の男がこのロビーを通り過ぎたと連絡を受けて……」

 宮地はそこで言葉を切った。

 佐倉院長達の亡骸を確認したからだ。

「惨いな」

 宮地は一言そういうと瞼を一瞬閉じ、岩永隊長へ視線を移した。

「隊長、先ほど無線で説明した通り、被疑者九六―二九六〇号、通称『黒梟』と、呼ばれていた暗殺者だ」

「宮地、暗殺者などではない、よく見ろ。奴は大量殺人鬼だ。奴は今どこだ」

 SAT隊隊長岩永は、憤怒の形相で宮地を睨みつけた。

「今、薮田班が二階の院長室に誘い込んでる。我々も急ごう」

 岩永隊長と同じ気持ちである。一刻も早くこの悪鬼羅刹の如き者を取り押さえねば、平和など、今後この日本には無いといえよう。


 カカカカカ。

 不気味な音が院内に響き渡った。

 岩永隊長の停止の合図で、全体の動きが止まった。

「今のは何だ。」

「我々も初めて聞く音です。何かの鳴き声ですかね。」

「あぁ、鳴き声にも聞こえるが、俺にはその黒梟とかいう者の笑い声に聞こえる」

 隊長は、より慎重に隊を先に進めた。

 宮地班とSAT隊が二階院長室前の廊下に到着したまさにその時、薮田班が院長室に突入するときだった。

 宮地は最後尾の野尻と視線があった。

 先に行きます。そんな言葉が聞こえるようだった。



「投降せよ。周囲は囲まれている。もう逃げることは不可能だぞ」

 拳銃を構え薮田が扉から勢いよく黒衣の男の背後に詰め寄った。

 新六は薮田の右わきを素早くすり抜け黒衣の男の右側面を抑えた。

 最後に野尻が黒衣の男の左大腿部へ銃を向け包囲を完成させた。

 バタン。

 薮田の背後で扉が閉まった。

 三人の突入でバインダーは外れてしまった。

 素早く〈新六〉が窓際に走り遮光カーテンを開けた。

 日光に晒された黒衣の男は、三人の見知った顔であった。

「黄島防衛事務次官、あなたが」

 喪服かと思うほど濃い黒色服を身にまとっていたのは、確かに黄島防衛事務次官本人であった。

「黄島事務次官だと」

 野尻の呟きに、黒衣の男の背後にいた薮田が反応した。

「班長、違います。この男は黄島防衛事務次官ではない。黒梟と呼ばれる化け物です」

 中山は即座に否定した。

「今さん。どう見ても黄島さんじゃん」

 新六は不用意に黒衣の黄島事務次官に近づきすぎた。

 それは一瞬の出来事だった。

 黒衣の男は右腕をガっと伸ばし、その長い指先で新六の顔を掴んだ。

 親指と人差し指が新六のこめかみにミシミシとめり込む。

 新六はその手を解こうともがく。

 中山は新六を黒衣の男から離そうと駆け出していた。

 ぶんっ。

 新六は床から二センチほど浮いていたであろう。

 右側へ、中山めがけて平行移動され投げ捨てられた。

 ガシャン、ダン、ダン。

 中山と新六は重なり合いながらル・コルビジェデザインの家具に打ち付けられた。

 美しい曲線を描くステンレス部分がこんなにも痛いとは。

 薮田は拳銃を構えたまま新六が居た方向へ移動しつつ、黒衣の男から距離を取った。

 野尻は引き金を引くことが出来なかった。

 黄島防衛事務次官の姿形をした人物が、自分の予測を超える速さでその位置を変えたため、撃てなかったのだ。

 そう、彼が黒梟で間違いない。

「お前たち、この男のことを、どこかでなめ切っていただろう。ならばこの男の生きざまは正しかったわけだ」

 黒梟は、誰を見るでもなく語った。

「この男が唐手の有段者であるとは、露にも思わなんだだろう」

 カカカカカとまた笑った。

「人の記憶は良いものだ。この男のようにたまに思いがけず我を楽しませてくれる。この男は五十年間周囲を欺いてきたのだ。そこの新六とか呼ばれている三橋のような若造に見下されれば見下されるほど、この男は自分自身が正しいと感じていた様だ。このような時のためにな。」

 薮田班一同がぎょっとした。

「なぜ、俺の名を」

 新六はまだ痛む両こめかみを押さえながら立ち上がった。

「さっき、貴様に触れたであろう。肉体の細胞には記憶があるのだよ。神々はそれほど繊細に貴様たちを創ってくださったのに」

 黒梟は天井を見上げた。

「貴様たち人間は嘘を吐く。そして裏切る。だから神々に見捨てられたのだ」

 黄島防衛事務次官の口から発せられるその声は、新六のものであった。

 こいつは、梶野が言うように本物の化け物なのか。

 それとも形態模写も黄島事務次官の隠していたスキルなのか。

「そうだ、中山。この男は面白い。面白いぞ」

 中山の考えが手に取るように分かると言わんばかりに今度は中山の声色で話しかけてきた。

「黒梟、貴様の真の目的は何だ。どうしても柿本総理を殺すのか。」

 中山はこの隙だらけの怪物に、一歩を踏み出す機会を探った。

 新六を助けるためには踏み出せた一歩を、この化け物を捕えるために踏み込めるまで気を練っていた。

 それは時間が経てば経つほど増す恐怖とのせめぎあいでもあった。

 それは他の三人も同様であった。

 そして、新六がそれに耐えきれなくなった。

「うぁあー」

 ダン。

 黄島防衛事務次官の右胸部を狙った照準に、新六が引き金を引いた時にはすでにそこに黒梟は居なかった。

 瞬間に黒梟は右後方へ飛び去り、薮田の顔面を右拳で打ち抜きくるりと反転すると薮田の背後に回り、両腕を薮田の両腕に這わせた。

 二人が密着すると、不思議なことに闇が薮田を侵食するかのように衣服の色が濃く黒く変色し始めた。

 タン。

 四人が意識を薮田の変化に取られた一瞬の隙に、四本の腕で握られた拳銃から発せられた弾丸は、野尻の心臓を打ち抜いていた。

「野尻――っ」

 薮田の悲痛な叫びとはお構いなしに銃口は次なる獲物新六を狙っていた。

 その銃口から新六が消えた。

 いや、中山が身をかがめ黒梟の死角をつき、一気に薮田ごと黒梟の足を蹴り薙ぎ払った。

 薮田は中山の動きを瞬時に察し、バランスを崩しながら背後の黒梟の動きを封じ込めようとした。

 しかし黒梟は左手を薮田から離しただけで、右手は薮田の右手を上からすっぽり覆いつくしい、まるで岩に手を包まれたようにびくともしない。

 なんという握力だ。

 黒梟は左手一本を床に着いて転倒を免れた。

 二人で握る銃口はまた新六を捉えた。

 薮田は右手を預けたまま反転し、至近距離で黒梟と向かい合いその視界を遮った。

 目の前の顔はどう見ても黄島防衛事務次官だ。

「お前が黄島次官ではなく、黒梟などという化け物だというのか」

 薮田は右手を包み込む黒梟の右手を、左の手刀で払い落とそうとした。

 しかし同時に、薮田の喉仏に黒梟の刀峰が極まった。

 その長い人差し指と親指が、薮田の喉を潰す。

 ガフッ

「その笑い顔はやめろー」

 新六が叫びながら二発目を撃つ。

 その弾道上に薮田の背中が滑り込む。

「ぐっ」

 黒梟は薮田を盾に使ったのだ。

 薮田の左腕が力なく落ちた。

 中山はその時、黄島、いや黒梟の背後に回っていた。

 三人の一瞬の攻防の隙を突き、中山が右手で黒梟の腰を掴んだ。

 すかさず左手を黒梟の左脇から胸襟へ。薮田の喉を掴む腕を押し上げ剥がした。

 中山への対応のため、黒梟は右手も薮田から離した。

 そこを中山は見逃さなかった。後ろから抱えるように黒梟を裏投げ。

 ゴッツ。

 二人は床に打ち付けられた。

 中山はそのまま右手を移動し背後から黒梟を締め上げようとした。

 しかし、黒梟は打ち付けられながらそのまま後方へ一回転して、中山の抱え込みから逃れた。

 二人の目まぐるしい攻防に、完全に新六はついてゆけない。

 また、薮田班長を撃ってしまったショックで完全に我を見失っている。

 黒梟は、院長室の中央で無防備に立ち上がった。

 中山も即座に起き上がり、拳銃を構えたまま固まっている新六に声をかけた。

「新六! しっかりしろ。今は考えるな。私の指示通りに動け」

 新六はもう、この場では戦えないだろう。

「距離をとれ。私が仕掛ける。お前は私が奴を取り押さえたらすぐに宮地班を呼べ」

 中山はそう指示を出すと、黒梟との距離を詰めていった。

「せっかく、そこの班長の体を頂こうとしたのに、もったいないことをしたな、貴様」

 黒梟は新六の方を向き、中山を気に留める様子はない。

「―—気が変わった。貴様たちを生きて逃がすこともできる。どちらかが体を我に捧げる。もう一人はそのことを生涯他言無用で過ごす。これを約束できれば、貴様たちを見逃そう」

 黒梟は、まだ二人に囲まれた状況下で、一方的に提案をしてきた。

「何を言っているのだ貴様は」

 中山は、間合いを図りながらその真意を探る。

「まだ魂の繋がる黄島にこの体を返し、新しい体を寄越せと言っているのだ」

 黄島防衛事務次官に全ての罪を擦り付け、自身は薮田班の生き残りとしてこの場を去り、後日また、柿本総理を襲撃する。こいつはそう言っているのか。

「班長と野尻さんを殺された上、お前にやる体は、今さんも俺も持ち合わせてはない!」

 新六の激情は、止めることが出来なかった。

 タンッ。

 銃声と同時に中山が黒梟に体当たりをかました。

 こいつは今、黄島防衛事務次官に体を返すと言ったのか。

 戻ることが出来るのか。

 その思いが、中山の反応を遅らせた。

 体当たりしたはずの黒梟の体は、新六の横に立っていた。

 その新六の首から上が体とは不釣合いな方向を向いていた。

 一瞬で奴は新六の首をへし折ったのだ。

 中山の怒りは頂点に達した。

 黒梟は向きを変え、そんな中山を見据えた。

「その体を寄越せ。随分面白い造りのようだ。他言無用さえ約束すれば、いずれ体は返す。悪くないだろう」

 媚笑いの黄島防衛事務次官の顔で黒梟がほざいた。

「馬鹿な」

 そう一言、中山は吐き捨てた。

 中山は大きく一息吸い込んだ。抑えがたい憎悪の念を、肺に含んだ大量の空気と共に吐き出し、冷静さを取り戻した。

「貴様は人間の法の下で裁かれねばならぬ。それがこれまでに貴様が奪った命への代償だ」

 中山が秘中の構えをするために、足を前後に広げ、腰を落とした。

 一撃だ。

 たとえ化け物だとしても、人間の体であれば動きを止めることはできる。

 この一点、一撃に中山の全てを集中させた。

 一呼吸、二呼吸、三呼吸。

 シZツ

 その場に他の者が居たとしても、その動きは目で追うことは出来なかっただろう。

 もう六十になる男の動きではない。


 その神速の中山の拳は、しかし黒梟の残像を撃つだけだった。

 グシャリ。

 鼻と上唇の間に黒梟の拳が穿たれた。

 中山の体は、大きく弾き飛ばされ、強かに扉の真横の壁に打ち付けられた。

 音は聞こえないが、喉に熱い鉄臭のする粘液がゴブっと落ちた。

 中山の意識もそこで完全に落ちた。

 中山の人生で、初の敗北である。


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