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さくらメディカルセンター 2

 看護士と秘書二人が柿本の乗るストレッチャーを囲み押してゆく。

「総理、安全な場所へ避難します。もうしばらく辛抱ください」

 佐倉大臣がその後ろを付き従いながら、声をかける。

「こっちの部屋なら、テロリストも気づかないはずです。病室ではないから」

 そう言って入っていった先は、二階の奥にある立派なドアで、院長室とプレートに書いてあった。

 佐倉大臣はドアの前で止まり、震えながら周囲を警戒している。

 健気にも、門番を買って出たようだ。



 柿本を載せたストレッチャーが出た後、宮地班と中山も病室から出た。

 宮地が廊下でピルバグズを一体発見した。

「おい、袋の中のピルバグズを確認しろ」

 班員が、袋の中を確認すると一体足りない。

 袋の端が少し破れていた。

 先ほどストレッチャーを動かしたときに引っかかって破れたようだ。

 慌ててその一体を捕まえ、他の袋に入れた。

 残りのピルバグズも、破れた袋ごとその袋に入れた。


 宮地達はエントランスまで降りていき、公安車にてSATの受け入れ準備に取り掛かった。

 現在の柿本の待機場所及び、黒梟と呼ばれる暗殺者の単独犯という情報をSAT隊と共有した。

「隊長、宮地班の宮地です。院内にピルバグズと呼ばれる小型ドローンが少なくともあと十六体います。到着後排除願います。こちらもそれまでにできるだけ排除しておきます。また、犯人は黒衣の男性の単独犯です。それと、被疑者の目を見ないように注意されたし。絶対に被疑者の目を見ないように」

 そう無線に呼びかけると、宮地班は車を降りた。


 秘書二人も柿本の元を離れ、ピルバグズを探しに部屋を出た。


 院長室は扉を開けた正面に、黒とシルバーを基調としたカッシーナ社製LCシリーズの応接セットが出迎えてくれる。一人掛け二脚、二人掛け一脚、ガラス板のテーブル。外壁面は腰壁から上はガラス張りで開放感がある。右の少し離れに同色の休憩椅子シェーズロングが横たわり、あの院長の大きな体をそこで休める様は、少し想像すると滑稽である。そちら側の壁には書棚があり、医学書がきれいに並んでいる。

 左の壁には奥の間が見える。実際の院長室はそこなのだろう。垣間見えるのは、艶があり重厚で赤黒い木肌の、大きな机がデンと構えている。アンティークマホガニーのデスクと、その奥の黒いタイムライフチェアの為にこの部屋が作られたかのようなつくりは、近未来的な最新技術の詰まったこの病院と調和がとれている空間に感じられる。

 その部屋だけ窓枠に黒く塗装された木材が使用されていて、重厚感を演出している。

 ただし、明かりを消されてはその医院長の美学を堪能することはできない。

 薄明りの中、柿本総理は手前の部屋のシューズロングに薄い毛布を掛けられ横たわっている。


「あっ黄島さんでしたか。どうしたんですかその眼鏡、誰だか一瞬分からなかったよ」

 一階エントランスの受付裏に、職員と共に退避していた佐倉院長の目の前に、あの黄島が立っていた。

「どこに行かれてたのですか。茜が、いや佐倉大臣があなたを探していましたよ」

 佐倉院長の問いに対し、黄島は無言だった。

 その顔にはいつもの媚笑いがへばりついていたが、どこか暗い。

「あぁ、安心してください。総理は生きていますよ」

 黄島の全身を見て院長は察した。

「しかし、あなたもあわてんぼうだなぁ。そんな恰好、佐倉大臣に見られたらまたヒステリックにどなられますよ」

 佐倉院長は両手で角を作り、頭上に掲げて見せた。

「大臣の癇癪は、昔っからだから、でも根はいい奴ですから、話せば分かってくれますよ」

 佐倉院長はそう慰めると、上階を指さした。

「総理は私のオフィスにいます。あぁ、待ってください。ネクタイだけでも私のモノに替えて、そんで、早く行って、佐倉大臣の機嫌を直してくださいよ」

 佐倉院長は自分のネクタイを緩め外そうとしたが、黄島は院長が指さしたほうを向くと、おもむろにその似合わない眼鏡を外し、一度ちらりとこちらを見た。そのまま無言で、まるで幽鬼のように音もなく駆け出して行った。

「なんだいあれ。感じ悪いね、彼。だいたいワイシャツまで黒い奴は、私は好きじゃないんだよね」

 そうぼやくと、一緒に隠れていた職員に同意を求めた。


 さくらメディカルセンター二階の廊下に、靴音が響く。

 この階だけは病室がない。だからか、院長の趣味であえて靴音が響く設計になっている。その廊下にカツン、カツン、と一人分の靴音だけが木霊する。

 しかし、院長室のドアの前に一人いる佐倉大臣の耳には届かない。


 何やってんだろ私、出しゃばってこんな所に残るんじゃなかった。あの宮地とか言う警護官の言う通り、総理と一緒にいればよかった。もともとビビりな私が、家柄だけで取り繕って、馬鹿にされないように威張り散らしてきたのに。

 医大を何とかギリギリで卒業し、伯父さんの病院でそれなりに患者を診て、同僚たちには恵まれ、本当に何不自由なく過ごした二十代、それがいけなかったのかな。

 佐倉大臣は恐怖と心細さから、現実逃避を始めていた。

 学生時代はそれなりに遊べたし、少し怖いスリルも味わったけど、どこか満たされなかった。

 実力もないのに、私はもっと何かできるんだ。もっと、もっと。

 そう、どこかで焦っていた三十代に、突然転機が訪れた。あるタウン誌のインタビューを受けた時から。

 明らかに人生の潮目が変わった。美人女医が語る。マスメディアが私に気が付いた。そこからはとんとん拍子。会う人からはより一層ちやほやされ、一介の医師では会うこともない人たちに囲まれた日々。これこそ私が求めたいた日常。

 しかし、それも三年たてば旬が過ぎたと自分自身で感じた。

 新しく近寄ってくる人間が、うさん臭くなってきたから。

 露骨に『脱ぎませんか』なんて聞いてくる奴も出てきた。もう潮時かな。

 でも今更、あの過酷な医師の日常に戻れる自信はなかった。

 そんな時、伯父の本家の邸宅に呼ばれた。

 元々柿本家とは面識はあったが、そこで初めて柿本彦麻呂と対面した。

 一 回り以上違うのになぜか若々しく、この国の未来について昭和の青年のように熱く夢物語を語っていた。

 そして自分がよりよい未来を創るんだ、ぜひ協力してほしいと、気が付けば両手を握られていた。

 私が持っていない本物をこの人は持っているんだ。たぶん私はこの人について行って、一緒にこの国をより良くするために生まれてきたのだと、なぜかその時確信した。この人の夢が私の夢。そこから私はこの人に身も心も捧げてきた。

「あの人の言うことは絶対だから」

 そう自分に納得させるように口に出していった。

 多少の罪悪感はあるが大義のため、犠牲はつきもの。そう自分に信じ込ませ自分のできることを精一杯やってきた。あと少しで私たちの本当の物語が始まるのに。

 伝説の暗殺者っていったい何。

 黒梟?ボル?目を見てはいけない?

 あの爺さん真顔で何を言っているの、皆殺し、心臓麻痺。あーイライラする。

 情報多すぎて私では無理、対処不能。

 あー、早く私の警護班が到着しないかしら。

 大臣担当の警護第二係佐倉大臣担当班は、元々の予定通り官邸での狙撃後は攪乱のため別行動をとらせていた。それが裏目に出た。

 全く何やってるの!

「だいたい黄島はどこほっつき歩いてるの。総理の第一師団をどこに展開しているの。全くあの役立たずめ」

 佐倉大臣は自己中心的な怒りにより、いつからか思いが口からあふれ出ていた。それは同時に自身の活力を取り戻した。

 そして一緒に取り戻した聴力に響いたのは靴音ではなかった。


「お前の警護班は到着することはない」

 佐倉大臣の耳元、声息が感じられるすぐそばでそう囁かれたのだ。

「――――っ」

 佐倉大臣はそのまま硬直して大きな音を立て卒倒してしまった。

 そのあと廊下は静寂を取り戻した。


 カチャリ。

 院長室の重厚な扉は、心地良いラッチ音のみ響かせ、静かに開いた。


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