九月二十六日
〈九月二十六日〉
あと三時間後には、国会が始まろうとしていた。
結局国会開会までに犯人たちを捕まえることはできなかった。
柿本総理は開会前に、記者団を集め今国会の重要性を説く記者会見を開く予定だ。
テロリストに狙われているというのに大胆な。
警護課の者は呆れるしかなかった。
情報規制が敷かれているらしく、テレビラジオはもちろん、ネット上でもテロのテの字も出てこない。
薮田班は、後方支援に割り振られた。
どうも、中山が容疑者を確保してから反対に首相警護から外されている感がある。
さらに自衛隊の第一師団が首相警護に動員されているのではないかと噂が流れる始末だ。
そんな中、中山に品川署の刑事、渋谷巡査部長から連絡があった。
「今さん、朝早くからすみません。いよいよですね。こちらは先日お話しした、管轄内で起きたヤクザと若いもんのいざこざの件で進展がありまして、結構な数の死傷者が出ていたのは聞いていると思いますが、行方不明者が一人いて、どうも柿本総理のご子息ではないかと」
「本当ですか。そんな情報はまだこちらには上がってきていませんね」
「ご子息は三男の柿本崇 二十四歳。意識が回復した生存者の一人が、眼鏡をかけた黒ずくめの男に崇君が拉致されたと。その黒ずくめの男に皆がやられたと証言しています」
「眼鏡をかけた黒ずくめの男、それも初耳ですね」
中山は頭の中で情報を整理しようと努めた。
「ヤクザ者と半グレをその男一人で」
「えぇ、真っ黒の上下で黒ぶち眼鏡を掛けた、普通の『おっさん』だと生存者が言っていたそうです。警護課には真っ先に情報が回ってると思いましたが、そうですか」
渋谷は余計なことを漏らしてしまったかなと一瞬は気にしたが、やはり納得がいっていない様だった。
「どうもおかしいんですよね。上の方で何かやってるようですね」
「うん。渋谷さんもそう思いますか」
電話の向こうで渋谷巡査部長の不満げな顔が想像できる。
「実は私たち薮田班は、総理の警護から外され現在待機中なんだよ」
「えっ、やっぱりおかしいですね。……今さんこれから出てこれませんか、総理会見場周辺の捜索に」
渋谷の誘いに中山は躊躇した。
「今さん、どうしました」
薮田班長が中山の表情に何かを察した。
「品川署の渋谷巡査部長から、総理のご子息が先日の品川区暴力団及び準暴力団抗争殺人事件の容疑者に拉致された可能性がある。と、これから会見場の周囲索敵に手を貸してもらえないかと」
中山は、今の会話を薮田に掻い摘んで説明した。
薮田は数秒沈黙したが、すぐに答えを出した。
「今さん、行きましょう。どちらにしろ、総理の近辺に居ることには変わりないので、ここよりは近くで待機しているとすればいいので。苦しい言い訳ですが」
薮田も何か異変を感じている様だ。
薮田班は首相官邸の周囲索敵に出動することにした。
薮田班が首相官邸の周囲を歩いて感じたのは、異様なもの静けさだった。
周囲の建物から通常感じられる何気ない音、それが全く無い。
それなのに微かではあるが、人がまとう気配のようなものは感じられる。
それも大量に。
きっと我々以外の部署の者たちが配備されているに違いがない。
だがいつもの警察のそれでは無い。
もっと熟練した、ばらばらの意志ではなく、一つの生き物が息をひそめているような。
しかし、中山は少し安堵した。
きっと今回の件で、上層部に危機管理の意識改革が少しは起きたのだろう。
配備されているのは、SATクラスの護衛達か、又は噂されている第一師団の方々か。
柿本総理が記者会見する場所が、首相官邸二階南側のホワイエの外、南庭と今朝の連絡事項であった。
通常の会見場所と違い、建屋外の空間で、射線がいくつも考えられる。
ご子息が拉致されて、犯人の要求があったと仮定すれば、急遽会見場所が変わったことが、腑に落ちる。
薮田班が外されたのも、犯人の要求だったかもしれない。
中山は総理を狙撃するにはどこが良いか、一つのビルに目を付けた。
最初、少し離れたコンサートホールのある超高層オフィスビルと考えたが、距離的に現実的でないと判断し、より官邸近くの建て替え予定の旧損害保険ビルを調べることにした。
梶野に周囲の警備体制を探らせても、外堀通りと国会通り、首都高速都心環状線に囲まれたその三角州だけ、どうも警備の穴が開いている様だと連絡があった。
南庭の目の前のビルを警備対象から外すなどますます怪しく感じる。それも犯人の要求かもしれない。
周囲のビルで感じられた静けさは同じだが、この国会後に取り壊し予定のビルには生き物の気配すら無い。
目で見える警備の警官も配置されていない。
中山は、近くに来ているはずの渋谷に電話をかけ、官邸前の旧損保ビルに向かうと告げた。
旧損害保険ビルは、取り壊し準備のため周囲を工事の防音パネルで覆われていた。
しかし出入り口は施錠されておらず、正面ロビーのドアは開放されていた。
中山は右の眉毛を人差し指と中指でこすりながら、もう一度周囲を見渡した。
怪しさを増す無人のビルに薮田班は侵入した。
「おい黄島、我が第一師団は、うまく配備できたか」
「はい、すでに広報担当の者が各メディアの社長室を押さえております。また官邸周囲と皇居周辺のビル内に人員は配備しております」
「そうか、ご苦労」
柿本は満足そうに頷いた。
「辺見はちゃんと手配したんだろうな」
「そちらも大丈夫です。総理がお立ちになる所より、左手に見る手前の旧損保ビルの屋上に、選りすぐりの者を配置したと辺見さんから連絡を受けております」
うやうやしく黄島がそう答えると、柿本は顔をしかめた。
「馬鹿、余計なことを言うな。その方角を意識してしまうだろ」
「申し訳ございません」
黄島が小さくなった。
「誰が俺を撃つか、そんなのは知っている。俺が直接許可したからな。俺が聞きたいのは、彼奴のことだ。警護課の爺さんだよ。うまく今回は警護から外してくれているんだろうな」
五つも下の中山を爺さん呼ばわりするとは。
「あっ、薮田班ですね。大丈夫です。彼らは部署で待機させたと、こちらも辺見さんから聞いております」
黄島は額の汗をぬぐった。
「あの爺さんは鼻が利くから、せっかくの大舞台が台無しになりかねないからな」
柿本は防弾チョッキを着せられながら、笑った。
「総理、今からでも考え直しませんか。なにも総理が実際に撃たれなくても、それこそメディアに言って、特殊効果班にそれっぽく弾けるベストを用意させればよろしかったのでは」
黄島は伏し目がちにそう進言したが、柿本は一笑に付した。
「お前は分かっていないな。はったりは、中途半端がいけない。実際に身を切るから実が生まれ、自分の記憶さえも書き換えることが出来る。自分が信じてこそ、赤の他人が信じるのだ」
「黄島、お前は総理のことを何も分かっていない」
総理のそばにそれまで黙った立っていた佐倉が割って入ってきた。
「総理はこれまでも、国の為、国民の為、あえて身を切ってきてるのです」
「佐倉君」
柿本は佐倉を制した。
穏やかな笑みを浮かべてはいるが、その目は危うさをその瞳の奥に宿している。
「総理、会見前に少しだけお人払いを」
佐倉が柿本に願い出た。
柿本はそれを受諾して、一時他の者に退出するよう秘書指示した。
「総理、先ほどはすみません」
「いや、いい」
佐倉は一礼した。
「総理にお伝えしたいことは、先日総理がナキ大使館へ足を運ばれた日に、崇君の移植手術の際、ドナーを執刀した医師団が、全員死亡しました」
「――ほう」
少し間を持って答えた柿本の口角が微妙に上がった。
「たまたま今回あの時と同じチームで急患を出迎えた際、患者を運んでいた救急車の運転手が心臓発作を起こし、暴走した救急車に全員ひかれ亡くなったそうです」
ほんの一瞬だが、柿本の眼が開いたように感じた。
「因果応報だな。これで、あの件の真相を知る者は君ぐらいだろ。私と崇を執刀した医師たちは、ドナーがどこの誰かなんて知らせてないからな。こちらが提供した臓器を、私のモノとして崇に施術するように言っただけだったよな」
当時、医師出身の比例議員に過ぎなかった佐倉は、総裁選に出馬する柿本から連絡を受けた。替え玉手術を受ける腕のいい信頼できる医師を用意できるかと。
それも二チーム。
その内容を聞き、さらに驚愕したが、総理就任後、大臣の椅子を確約する。
その一言で、佐倉はこの勝ち馬に乗ることにした。
佐倉は自分の先輩や元同僚から、腕が立ち、融通の利く者たちを選任した。
金と圧力をかけて。
柿本自身が実際に開腹手術を受けるとは信じられなかったが、目的のためには、いとも容易くそれをしてしまう柿本を目の当たりにして驚いた。
頂点をとる者の覚悟と狂気を感じつつ、その計画全てを瓦解する秘密を、私だけに見せてくれた。そんな彼をより一層崇拝してしまうのは致し方ないことだろう。
たとえ、切開後またすぐ縫合するとはいえ、体力は低下するし、発熱もする。当然痛みやかゆみも伴う。
それらすべてを解った上での行動だった。
実際柿本は、術後高熱が数日続き、傷口の治りも遅かった。
しかし、表面的には涼しい顔で、メディアに受け答えをしていた。
各議員達にもあいさつに回った。
強く優しい男を見事に演じ切って、覇者の椅子を手に入れた。
今回死亡したチームは、ドナーとなった会社員の臓器を無理やり奪った方だ。
まさか殺してまでそれを行うとは、佐倉も当初思ってもみなかった。
因果応報、まさにその通りね。
佐倉はほんの一瞬、その場で彼らに黙祷した。




