フロント 3
『フロント』が去った後も、暫くは警視庁外事三課の渡辺は席を立てなかった。
彼らが、いや、彼が冗談をいう人間ではないことは知っている。その彼が最後に言ったことに捉われてしまった。その意図をつかみ取ろうと。
渡辺自身、『ボル』については「特秘重要警戒人物リスト」で目にした程度の知識しかない。
亡国の知の女神の眷属で、不死の暗殺者。
ひどすぎる都市伝説だ。一国の捜査機関の書物の中でそのような非現実的な一文を目の当たりにしたとき、先人の悪戯心を鼻で笑った覚えがあった。
公安部にもユーモアのある先輩が過去には居たのかと。
でもそれが真実であれば『ボル』の復活は、国際社会にっとっては、重要な意味を持つ。
裏社会を知る人間には、ある種の信仰のようなものなのかもしれないが、日本においては、それでも対岸の火事であった。
これまでは。
渡辺は上司への報告と情報収集の為、警視庁へと戻った。
急ぎ公安のデータベースへアクセスし、『ボル』の記録を探った。
戦後からの電子データでは『ボル』の記録が残っているものは無く、辿り着くのに時間を要した。
明治時代、警視庁がまだ東征大総督府と呼ばれる時代までさかのぼる。
紙による捜査資料をスキャンした中から見つけた。
第九十六号事案
当時、幕府方に与した者を匿った村が、一夜にして壊滅する事件が多発した。
二十から三十人単位の村々がやられた。
それも同一犯による一人の犯行と断定された。
幕府方を匿った村人は、どの死体にも特徴的な同じ切り口があったからだ。
鮮やかな袈裟切りと、平行な切上の切り口だ。
しかも同一の太刀によるものとされている。
通常このような場合、二刀流の使い手によるもので、下の傷口は小太刀によるものがほとんどとされる。
同一の太刀ならば、平行ではなく『レ』状の切り口になる。
しかしこのときの二本の傷口は、どれも水平で逆方向への切り口かつ、同一の深さであった。
わざわざその様な切り方をするのは、相当な手練の者の仕業である。
そんなことができる者など、この世にそうそういないだろう。
その他の村人たちは一様に突然死。遺体に損傷はなく、ただ息絶えていたと書かれている。(当初は毒や凍死とされていたが、それらの痕跡はなく心臓麻痺であった。)
また、どの村の入り口にも、黒い羽根が何本か落ちていたと記されている。
最初は気に留める者もなかったが、周辺五村が一晩でやられた地域で、若い邏卒がその羽根に気が付いた。
祖父が猟師をしていたその若い邏卒は、幼い頃よく量に連れて行ってもらったため、獣や鳥類に詳しく、異常に黒い羽根を見てすぐに梟の羽根である分かった。
風切り羽根と呼ばれるもので、梟特有の鋸歯状構造が見られた。
報告に上がっていない被害村もその後の調査で黒羽が回収されたと
当初犯人は攘夷派の士族クズレと推測されたが、襲われた村々はかくまっていた幕府方を新政府に売り渡していた。
徳川家の怨霊ではとささやかれだしたが、近くの外国人居留地の住人たちは、口々に『ボル』の仕業と噂した。
長旅の船内で聞かされた死神の名前である。
当時の調書には、外国船より紛れ込んだ密航者の中に殺人鬼が紛れ込んでおり、その者による連続大量殺人事件と結んでいる。
邏卒達は、一向に捕まらない連続大量殺人犯を、外国人が噂する異国の死神、黒梟、すなわち『ボル』であったと結論づけた。
約三年の間に、百以上の村や集落が襲われた。
当時の世情は、徳川の世が終わることを願っていたのか、または、厄介ごとを金に換えた市井の人々が多かったのか。それだけ人々の心は荒んでいたんだろう。
この時、『ボル』によると思われる被害者数は、なんと二千九百六十人に上ったと記されていた。
捜査資料から目を離した渡辺の脳裏には、フロントの言葉の意味が理解できた。
偶然の一致か、意図したものかはわからぬが、たぶん後者だろう。もし本当に知の女神の眷属だったものなら、こいつは相当ふざけた奴だろう。
ナキ国大使館襲撃未遂事件のあの風船に書かれた“096Z-96„の謎がこの瞬間、渡辺の脳内で解けた。
最初にあの風船の文字に気付いた警護官の読み方に惑わされてしまった。
完全なミスリードだ。
あの佐藤とかいう奴もふざけた野郎だ。しかし相当の切れ者であるに違いがない。
自分が感じた違和感は、文字を反対側から見た時にZが2に見えていたのだ。
正しくは96-2960 クロ-フクロウ 黒梟すなわち、『ボル』だ。
自分の中で答えが出て、渡辺は動きを止めた。
頭の中で思考を巡らせている。
どういうことだ。
ボーダーファミリーは、いや、アメリカは最初から日本に警告していたのではないか。
あの『フロント』の表情はこれを伝えるため、つまり、暗殺者は一人。
『ボル』
アメリカは平和ボケした同盟国日本に、その危機を伝えるため一芝居を打った。
きっと最初から人では無い『ボル』が総理大臣を狙っているなど忠告しても我々は冗談とし真剣に対処しないだろうと分かっていたのだ。




