清水美紀 2
ホテルの一室で、呼吸を整えた美紀が、チースから聞いた父の死の真相の続きを語り始めた。
チースはまるで、懺悔を神父に聞いてもらうかの如く、私に事故のことを話した。
残念だが先輩は事件の真相までは、知らなかった。
「あん時はよ、金が無くて。お前に金借りようと思って行ったんだよ、お前んち」
借りる? たかるだろ、お前の場合。俺はそう思ったが、そのまま黙って聞いた。
「そしたら、お前の親父の秘書がよ、事故を起こせば金をくれるっていうから、やったんだ。そしたらよう、相手が腎臓破裂とかで死んで俺は刑務所行き。だけどよ、事故直後、あのオヤジ、平気そうに喋ってたんだ。それが急に死んで、おかしいと思ってたんだ。ところがその後、お前がお前の親父さんと腎臓移植だって。しかも親父さん、そのおかげでイメージアップして総理大臣になってんじゃん。俺はよ、全部分かったよ」
先輩は、ただの推測で強請ってきただけだった。
突き出した一万円札を、先輩のポケットにねじ込んでその場を立ち去った。
だけど、それは真実なんだろうな。
そのあと、親父の秘書を脅して聞いたけど、全然取り合ってくれなかった。
親父が本当のことを言うわけがなく、しばらくもやもやした気分で居たが、真相を今更究明したって、何かが変わるわけでもあるまいと、半分諦めかけていた。
そんな時、銀座で大川のおじさん会って、状況が変わった。
親父の盟友、財務大臣の大川さんが、俺がこの真相を嗅ぎまわっているのを知って、教えてくれた。
その事故の執刀医の元愛人が、大川さんの行くクラブの娘で、大川さんにもパトロンになってもらう代わりに、親父の秘密を教えてくれたんだって。
詳しくはその後に親父の秘書から聞き直したって言ってた。
大川さんに凄まれたら、親父の秘書もゲロっちまったみたいだった。
先輩は、ドラッグが止めれなくて、方々に金借りて、首が回らなくなった。
元々どんくさいビビりな奴でさ、恐喝や、窃盗もうまくいかず、俺んちの前でうろうろして、結局訪ねてはこなかったみたいだし。きっとそのときに秘書の奴に目をつけられたんだな。
途方に暮れて、ガード下に蹲っていたら、そこに俺の親父の秘書が現れ、お前の父さんの車のナンバーと、時間、交差点名の書いた紙を渡された。
その車に、用意した車を当てればいい。
それだけだ。
それだけで、先輩の借金を帳消しにし、その倍の金も用意してくれる。
そう唆された先輩は、あの日、お前の父さんが運転する車に突っ込んだんだ。
ブレーキもかけずに正面から。
事故ってしまえば、あとは息のかかった病院で、腎臓の必要な部分だけを頂く算段だったんだ。
ところが、手術のことを知らない先輩が突っ込みすぎて、お前の父さんの腎臓が傷ついてしまった。
その傷では、移植に必要な分を取ってしまったら、生きていられない。
しかし、代わりは居ない。
医師たちはお前の父さんの命と、俺の親父の依頼を天秤にかけ、俺の親父の依頼を優先したんだ。
お前の父さんを殺したんだ、俺のために。
いや、俺の親父のために。
それを取り繕うように、お前の父さんは腎臓破裂で死亡。
カモフラージュの為に、他の臓器も、どこかの患者に移植された。
そう聞かされているはずだ。
チースは語り終えると、私の飲みかけのミネラルウォーターをゴクリと一口飲んだ。
「なんでお父さんなの」
私は絞り出すような声で聴いた。
「お前の父さんは、俺と同じでちょっと珍しい血液型だったんだ。もともと俺に腎臓を提供してくれる契約をしていた。腎臓を俺に大金で売る契約だ、誰にも内緒で。違法だからお前たち家族にも言ってないはずだ。手術の日取りも決まっていた。ただ急遽、国会が解散になり、手術の前に選挙になってしまった。手術を早めるよう、親父の秘書がお前の父さんと掛け合ったが、お前のダンス発表会の後ならと、数日術日を早めた。でもそれではあいつにとっては遅かった、ほんの数日遅かったんだよ。ただそれだけの理由で、お前の父さんは殺されたんだ」
そんな理由で、私たちからお父さんを奪ったの。
そんな理由で。
私はその場に泣き崩れてしまった。
チースは慌てて背中をさすってくれた。
「俺も、術後に魅せられた親父の腹の傷にすっかり騙された。でも術後もあいつの態度は今まで通り、俺に見向きもしない、最初っから違和感だらけだった。でも親父を信じたかったんだ。ごめんな」
私の脳裏に、蓋をして沈めておいた苦い記憶が、チースの話を聞くたびに掘り起こされるのが分かった。
あの保険金は、この対価として支払われていたんだ。
学校に行けているのは、お父さんを奪った奴らからのお金だったんだ。
私の感情は、記憶の奥底で熟成されたとても歪な物と混ざり合い、得体のしれないモノになっていた。
憎い、許せない、悔しい。
それらを抑え、平常心を保つのに一月掛かった。
美紀はグラスの飲み物を一気に飲み干し、目をつむった。
初美は、美紀に寄り添ったまま話を聞いてくれていた。
それまで黙って聞いていたルワンが、テーブルの上で結んでいた手を握り替え、いつものあの口調で語りだした。
「美紀、覚えてるかな、君の好きなお話『王者と王様』、あれね、実話なんだよ。ナキ王国の古い王様と、その王弟のお話なんだ。擬獣化とでもいうのかな。あの王様達は、版図を広げるために戦争を繰り返していたんだ。でもあるとき、遠くの国まで遠征し、大敗して帰ってきた。それ以来、ナキ国王は国を出ず、戦争をやめ、内政に努めやっと国に平和が訪れた」
美紀は、ルワンが言いたいことが、今一呑み込めなかった。
それを察したようにルワンは詳しく教えてくれた。
「――私は、ナキ王家に代々仕える語部一族の出身なのです。国を出なくなった王家の代わりに、我々一族は国内外問わず旅をして、民話、神話、伝承、歴史、昔話まで集め、王家に奏上することを生業とする家系です。そのおかげで、色々な国の言語がしゃべれるのです。美紀は、『ツァーリアの黒梟』のお話し、覚えていますか」
美紀はコクンと頷いた。
ルワンが足元に置いてある鞄を膝の上に置いて仰々しく何かを取り出した。それをテーブルに広げた。
古い小さな羊皮紙で、丁寧に方角を合わせているようだった。
異国の文字で文章が三重の円に描かれており、羊皮紙の四隅には、人のような絵がそれぞれ一人ずつ描かれていた。
よく見ると一人だけ、人ではなくそれは丸みをおびた鳥であった。
梟だ。
ルワンは、キスチョコのような小さな黒い重りを三つ、四隅の人の場所に置いた。
使われているインクは古いはずなのに、色褪せもせずとてもどこまでも黒く、まるで羊皮紙の向こう側に暗く深い光の届かない穴でも開いているかのように感じる。
中央部分の異国の飾り文字は、きっとこう書かれているのだろう。
『ツァーリアの黒梟』
全知全能の大神オルノスが全知であるのは、知の女神ツァーリアが常に其の傍に侍っているからである。
ツァーリアには星と同数の純白の梟が仕えていて、女神の目となり耳となり世の中を飛び廻り、絶えず新たな知識を届けていた。
一羽の白梟が木陰で休んでいる。
日中とても暑い日で、日が暮れる少し前の時間に一息入れることにしたのだ。
「いやー、いかんものを見てしまった」
そろそろ、飛び立とうかと思っていると、木の下から男の声が聞こえてきた。
どうやら男がこの木の下に座り、なにやら呟いている。
「まさか靴屋の女房が太陽神と……」
聞き耳を立てたが、うまく聞こえない。ただ興味を惹かれる話であることは間違いない。
神々は人間と交わることを禁じられている。
「大神オルノス様に御知らせすべきか、でも太陽神に恨まれても困るし、どうしたら良いか、さっぱり分からぬ」
男は頭を抱えて動かなくなった。
「何か、お困りですか?」
突然、頭上からした声に、男は『ひぃ!』と飛退いた。
「怖がらなくてもよいぞ、吾は美しき博識の女神ツァーリア様の眷属である。お前が見聞きしたものを教えよ。太陽神に恐れることは無い。ツァーリア様の庇護の下、暮らせるように取り成してやるから安心いたせ」
男が座った木の一番低い枝に、突如現れた白梟が優しく言いました。
「この地上で暮らす身では、太陽神から逃れることは出来ません。姿が見えなくなれば良いかもしれないが、その様なことは有り得ないし……」
「大丈夫ですよ。太陽神はツァーリア様の弟神で、ツァーリア様には絶対に逆らいません」
「いいや、貴方達は、翼もあり、姿も消せ、直接ツァーリア様ともお話が出来る。太陽神に掴まる恐れを理解できないのさ。私に貴方の能力の一つでもあれば話は別ですが」
男はなかなか喋ってくれない。
「お前は、何が言いたいのだ?」
とうとう白梟は声を荒げてしまった。
「せめて太陽神の目に留まらぬ様に、私に何か頂けないでしょうか」
そう答えると、男は白梟の首に掛かっている銀のネックレスを見つめた。
「よし分かった。では、太陽神が大神オルノス様に裁かれ、お前に手を出させぬ様に取計らって頂くまで、このモンドの首飾りを貸してやろう」
首から器用に首飾りを外すと、嘴で銜え、男の頭の上に音も無く停まった。
「では、話を聞こう。お前が話し終わると、この首飾りはお前の姿を消し去る。誰もお前を捕まえることが出来なくなる。これで良いな」
コク、コクと男は二度頷き、喋りだした。
『海と大地が交わる園に、靴屋の若い未亡人が一人、転寝をしていたところ、一頭の獅子がやってきて、添い寝を始めた。しばらくすると奥方は寝乱れ、呼吸が荒くなった。獅子はいつの間にか、若い美しい青年に姿を変え、目を閉じたままの奥方と交わっておった。其の腕には、太陽神がしている黄金の獅子頭のブレスレットがされていました。私は恐ろしくなり、息を殺し、後退りしてここまで逃げてきました』
「ほーう、それは大変なものを観てしまわれたな……。 でも吾が悪いようにはせん、しばらくは其の首飾りで姿を隠しておれ」
白梟の嘴よりするりと滑り落ちた首飾りは、男の首に掛かっていた。
一瞬後頭部に重みを感じ、ふっと重みが消えた。
小さいと思われたが、不思議とぴったり男の首に収まっている。
燻し銀の、短い円柱を軽く潰した形状の物に、ジェルマ文字が刻まれた二十六のピースを繋ぎ合わせたシンプルな物だ。
「お主、名は何と申す」
「蕎麦引きのゲアンと申します」
「うむ、ゲアンや、『ミナーク』そう呟けばその首飾りをした者の姿と気配は完全に消える。三日後の晩、又この木の下へ戻ってこい、大神オルノス様よりの褒美と自由を持ってまいる」
「ありがとう御座います」
「では三日後にこの木の下で会おうぞ」
「三日後に」
そういうと白梟は元の木の枝に止まった。
「ミナーク」
ゲアンが唱えると、体が霞のように霧散して静寂だけがその場に残った。
大神オルノスの住む虚空の白亜宮『オルタニス』に白梟が戻ると、すぐさま大神オルノスの傍らの知の女神ツァーリアの許へ向かった。
そして、蕎麦引きのゲアンに聞いた事を、自分が見たかの様に話し始めた。
女神ツァーリアは直ちに弟神を『オルタニス』へ呼付けた。
「吾の眷属が、お前が人間と交わったと証言している。申し開きをしてみよ」
女神ツァーリアの冷たい眼差しが太陽神を捉えている。
神々と人間の交わりを禁ずる前までは、神々と人間の間に仔が出来ることが在った。
しかし、その混血児は親神の巨大な能力と、人間の弱心がバランスを保てず、度々大事件を引き起こしていた。
その為、大神オルノスは、知の女神ツァーリア・太陽神アキゼム・大地神グリウス・海神プリマル・暗黒神ゼクターン・月の女神ハールル・竜神グレンの七主神と、愛・戦・火・風・水・雷・土の七元神と、人間の王エルノス=フォーンを虚空の白亜宮『オルタニス』に招き、七日間の話し合いの下、神々と人間の交わりを禁じた。
これがかの有名な不文律=グスワークの語源、『ゲイン・ソムエル・ワーキ・シーム』(神人分交七夜会談)である。
「姉神ツァーリアよ、私が人間と仔を生し、悲劇が起きたのをお忘れか?二度と人と交わることを拒む為、この身を絶えず燃やし続けている私が、何故疑われているのか? 返答次第では、姉神といえども覚悟めされよ」
太陽神アキゼムは、深い失望と言い知れぬ憤怒の感情を姉神に向けた。
これには女神ツァーリアも目を開き、視線を同席した白梟へ向け発言を促した。
太陽神アキゼムの迫力と、自身の後ろめたさに耐えきれず、白梟は早々に白状した。
「実は……、蕎麦引きのゲアンという人間の男に聞いたことでして、実際に私が見たことでは無いのです」
「何という事を……。 あれほど、自分で見聞きした事だけを正確に伝えよと、お前達に常に申していたではないか!」
女神の吊り上った眼が白梟を貫いた。
「太陽神アキゼムよ、申し訳ない。詫びとしてこれを貰っておくれ」
そう言うと、おもむろに知の女神ツァーリアは、自らの右目をえぐり差し出した。
「真実を見抜く瞳も、驕り慢心した吾には使いこなせなくなった物である。お前の炎で灰燼とかせ、さすれば吾も、戒めとし、この身に刻まれよう」
右目より滴り落ちる鮮血は、床に落ちる寸前に、ジェルマ文字の形をした真紅の宝石となり、まるで床が高貴な楽器の様に快音を奏でた。
ジェルマ文字は、哀しみと後悔、失望と憤怒を謳う詩を形成していた。
「姉神ツァーリアよ、もう十分である。疑いが晴れたのだ、それでよい。過去を考えれば、過ちを犯したことのある身、疑われもしよう」
太陽神アキゼムは姉神ツァーリアの右手を取り、その手に握られた目玉をそっと右目に近づけ、優しくふっと息吹をかけた。
すると、目玉は元の場所に戻り、鮮血は透きとおった涙へと変わった。
「姉神ツァーリアを傷つけた報いは請けてもらうぞ」
太陽神アキゼムがそう吐き捨てると、白梟を燃え盛る腕で鷲掴み、モンドの首飾りを虚空より取り出しその首に巻きつけた。小さな声で呪を唱えると、虚空の白亜宮『オルタニス』の外へ投げ放した。
白梟は太陽神アキゼムの炎に身を焼かれ、体全身が卸し金で擂られたようにヒリヒリと痛む。
首に巻かれたモンドの首飾りは溶けて皮膚に溶着している。
命があっただけましかと、思いつつ、自らの巣へ戻った。
巣の前では一族が出迎えている。なんとも情けない姿を晒してしまう事か、仕方が無い、慾をかいた己が馬鹿であった。
しかし、一族は目の前まで来ている自分が見えていないように振舞っている。
「あいつも馬鹿な事をしたもんだ、一族の恥じゃ」
「我等にもお咎めは有るのかねぇ」
「分からぬ、我等の主神ツァーリア様を騙し、汚し、太陽神様を辱め、人間にモンドの首飾りを騙し取られたとあっては、奴一羽の命では到底償いきれぬだろう」
「どうなるのやら……」
「太陽神様からの伝令で、一族総出で出迎えろとあるが、いつまで待てばよいのやら。」
どうやらモンドの首飾りが姿を消し去っているようだ。
暫くすると日が暮れだした。すると幼馴染の者と目が合うようになった。
そいつは嘴をパクパクさせて、羽をこちらに突き出しながら、卒倒した。
「何じゃ、どうした」
「いきなり倒れてしまった。……こいつ死んでいるぞ!」
一族はざわめきだした。一羽、又一羽と倒れ、死んで逝く。
「くそ、あいつの所為だ、トー……、 何だっけ、あいつの名前」
「ト……、だろ! あれ、何だっけ?」
自分と目が合った者が次々と死んで逝く。恐ろしくなり、物陰に身を潜めた。
又、自分の名前が忘れられてゆく事態を頭の中で反芻すると、ある答えが導かれた。
ゾッとする。
自分の存在が完全に抹消され始めている。
カタン、焼け焦げた翼が何かに当たり音を発した。
一族の目が音のした場所に集まる。
バタバタバタと倒れ、死んで逝く。
薄暗闇に何かが居る。
絶対的な恐怖。
一族は数羽を残し息絶えてしまった。
自分の記憶を一族から無くし、自分の方を見ていない者のみが生存している。
この死を撒き散らす恐怖の存在が、自分自身だと気付くのに一体何羽の白梟が犠牲になったのだろう。呆然と立ちすくんだ梟は、すっかり闇が支配する空を見上げた。
「この償いは、あいつにも負ってもらわねば、一族の魂も浮かばれぬ」
そう呟くと、痛む羽を伸ばし、暗闇へ飛び立った。
蕎麦引きのゲアンは、モンドの首飾りで思いつく限りの自分の欲望を満たしていた。
肉屋に忍び込み、上質のハムを頂き、酒屋では樽に寝かせてある五十年物の酒を煽り、靴屋の未亡人の湯浴みを覗き、長老会に無断出席し、王宮の寝所で昼寝をした。
暫くし、起き上がり、王族御用達の葉巻に火をつけながら、さてお次は何をしようかな、と思案をしていると、ゲアンは背後に気配を感じた。
「振り向けば、お前は死ぬぞ」
首筋に鋭い何かが当たっているのを感じている。
「よくも騙してくれたな。……おかげで一族は皆殺しの憂き目に会い、吾は呪われた存在となった」
あの白梟の声だ。
「待ってくれ、本当に見たんだよ。獅子の腕輪の男が靴屋の未亡人と……」
「黙れ、お前が靴屋の未亡人に恋焦がれているのは判っておる。しかし相手にされず憂さ晴らしをかねた嘘である事は、既に知の女神ツァーリア様に知られておるわ!」
白梟の語気に力が入ったと思ったら、ゲアンの両目に、焼けるような痛みが走った。
涙があふれる前に、黒い羽が見えた気がした。
「昨夜、お前の息子は高熱にうなされ亡くなった。馬鹿な親父の嘘の代償に、その心臓を太陽神に焼かれてな! 又、愛想を尽かして出て行った嫁は、人ごみの中、急に炎に包まれ灰になったと聞く。お前のような奴には勿体無いほどの器量良しだったが、致し方あるまい」
ゲアンは梟の言うことが、よく呑み込めていなかった。
「まだだ、お前の両親と兄弟は、朝日が昇ると家ごと焼失した。他の親族も陽が昇る毎に焼け死ぬだろう」
人影の無い煌びやかな寝所に、静寂が一瞬戻り、弾けた。
「嘘だ。ただの嘘なんだよ。嘘には嘘のお返しというわけですか? あんたも嘘をついてるじゃないか、この首飾りをしていれば、誰にも見つからないって言ったのに、なんであんたは俺を見つけられるんだよ……。おい!嘘だといってくれ! 俺はただ嘘を言っただけじゃないか! 毎日、毎日、粉まみれになって一生懸命働いて、もらえる給金が僅かだからって、嫁にも馬鹿にされ、挙句、一人息子を連れて出て行かれた男が、気晴らしに吐いた嘘じゃないか! ああ、靴屋の未亡人に現を抜かしたさ! 嫁に相手にされなくなったとき、初恋の相手が未亡人と知ったら、誰でも気にするだろう? 大体お前も気付けよ、ツァーリア様の白梟が、人間の嘘も見破れず、どーすんだ! 職務怠慢じゃないか! 何で俺だけ、……嘘だろ」
ガクリと膝を突き、うな垂れ、開かない両目からぼろぼろと涙が溢れていた。
「お前だけではない、責は吾も受けている。これから我々は辛く苦しい長い時間が待っている。モンドの首飾りは、三日以上姿を消していると、体が霧と化し、二度と戻れなくなる。そうなってしまっては、物を掴む事も、喋る事も出来ず、ただ寿命を待つ思念体として浮遊するのみ、食べたり飲んだり出来ず、一生空腹と渇きが続く。眠ることも出来ない。眼も潰したので、見ることも儘ならず、物の気配に脅え、移動は風任せ。下手をすれば、かび臭い忘れ去られた部屋に、自分の時間が終わるのを待つ事だってありえる。今日中に首輪を外せなければ、お前はそうなる。でも吾は絶対に、お前に解除の呪文は教えない」
ゲアンは初めて恐ろしくなった。
そして気付いた。自分は、してはならないことをした事に。
「分かった、悪かった、許してくれ。お前の言うとおり何でもする。だから教えてくれ、首輪を外してくれ」
手探りで声の主を探す。
「駄目だ! 一生恐怖と、絶望を味わえ。お前が苦しんでいると思えば、今しばらくは、死神と化した吾を慰めれよう」
立ち去ろうとした気配が、一瞬止まった。
「吾はお前には嘘を申しておらん。お前は見えておらぬよ。ただ其の方の行動は読める。この様な場所の中空より吐き出される煙は、浅ましいその方しか居まい。そして、お前はせいぜいあと四十年も漂えば、寿命が尽きるであろう。吾は女神の眷属ゆえ、寿命の概念がない。神々に命を奪われるまで、霧となり半永遠に彷徨うことになろう」
そう吐き捨てると羽音も無く気配が消えた。
ゲアンは一人取り残された。
暫くすると、巷でこんな噂話が広まった。
「黒梟を見てはならぬ。見たものは数日中に命を落とす」
「死神が梟の形を成し、徘徊している」
「どうやらツァーリア様を裏切った梟が、暗黒を纏い、死を撒き散らしているようだ」
「黒梟の名を言うだけで、死者の帳簿に名が書かれる」
黒梟は何処にいるのか?度々未開の地や、遺跡に踏み入った者達が不可解な死に遭ってはいないか? 彼は人が入っては来れない、忘れ去られた場所にこそ安住の地があると、そこを求め彷徨っている。
——美紀が気になった話の一つだ。
父を亡くした当初に芽生えた悲しみや憎しみ、痛みや恨みの感情は、当時の美紀には受け止めることが出来ず、自分のその感情から目を背けた。その負の感情を見えないものとし、生活に追われていると、その感情はいつの間にか、美紀の体に中に細分化し、どこかに消えてしまったように思われた。
そうしなければ自分を保っていられなかったからだ。
でも不意に、悲しみに襲われることがある。
未開の地に踏み込んだ探検家の様に、霧と化した黒梟に襲われるように。
人には説明のできない自分の苦しみを、黒梟に勝手に重ね合わせていた。
「この黒梟のお話は、先祖が遠いある国から仕入れた神話の一つです。そして、これも実話です」
ルワンは、顔の表情を変えずに、美紀を見つめた。
「私が幼いころは、悪さをすると親に納屋などの暗がりに押し込められ、ウェンブリウスの使徒、黒梟が来て地獄の門が開くぞ。と言われたものです」
そう語ると、昔を思い出したのか、ルワンの表情が露骨に曇った。そうとう怖かったんだな。
「あぁ、ウェンブリウスとは地の底、地獄のことです。もし、あなたが復讐を考えているのなら、この黒梟にお取り次ぎしますよ」
美紀はますます混乱した。
「黒梟は存在するのです。遠い時を経て、人の形を得、世界中で死神として今も暗躍してのです」
人々が、文明の発展とともに、遠くに、高くに、深くに、より奥に行けるようになり、それらを競い合う時代に、未開の地に遺跡を求めたある国の探検隊一行が、未知の王の墓所に辿り着き、世紀の大発見と喜び勇んだ。
しかしその発見は悲劇をもたらす。
随行した現地案内人一行三四名が突如探検隊を襲い、双方おびただしい人数の死者を出した。
生還できた探検隊員四名は、当初その発見と殺戮の悲劇を公にはしなかった。
しかし、その四名も、一人、また一人と悲劇に見舞われ、命を落とした。
残った二名のうちの一人が、その墓所の発見と、殺戮を遺書に記し、自死した。
最後に残った探検隊長は、一文を残し、人々の前から姿を消した。
≪黒梟・帰還≫
政府は、告白者が残した資料を基に、墓所の確認を行ったところ、確かに未発見の王の墓所と、現地案内人一族が住んでいたであろう部族の集落は確認できたが、生存者は確認できず、このスクープをさらに追った随行記者も、現地の他の部族に皮を剥がれ生贄にされ殺害されたという。
政府は箝口令を布き、この事実を封印した。
しかし、しばらくすると巷では、どんな要人でもいともたやすく暗殺を遂行する黒衣の男のうわさが流れていた。
対象者の命を捥ぎ取る様は、人の形をした死神そのものである。
依頼の際、部屋の隅の暗がりに、梟のように音も無く現れる黒衣の男は、どことなく行方不明になった探検隊長の面影があったと、ある依頼者が語っていたとか。
黒衣の男は、眼を見ることを許さず、その為しっかりと顔を確認できなかったが、探検隊の出港式を見たことのあるこの依頼者は、その時声高に未開の地への踏破を誓ったあの探検隊長の面影を、その黒衣の男に感じたそうだ。
やがて人々は、その暗殺者を“Black Owl„と呼んだ。
暫くすると、その名は忌み名となり、口にするのを憚り、代わりにB―OWL、『ボル』と呼称するようになった。
語り終えたルワンは、静かに目を閉じた。
美紀は、自分自身の中にはっきりと感じ取った。
沸き立つ雷雲のように歪で醜い感情が満ち満ちてゆくのを。




