ボーダーファミリー 2
〈九月二十二日〉
「パパ、まだAを救出しないの」
咎めるようにレディーはパパを睨みつけた。
「まだだ、全く、日本の警察はなぜまだ気づかない、あんな簡単なコードが。」
苛立ちを隠さずパパが言った。
「やっぱり、漢数字の方が良かったんじゃない、あいつ字が下手だから。」
Bは、小ばかにしたように言った。
「もうっ。じゃアタシ、これから出勤なんで」
「行ってらっしゃい」
ヒデさんがレディーを送り出す。
「何かあったら連絡してね。すぐ駆けつけるから」
三日前、警視庁の見学団体に紛れ外に出たレディーは、日比谷のショッピングモールに向かい、指定されたブランド店は入った。
スマートフォンのキャリア決済で服を買い、その服を着て帰ると店員へ伝え、身に着けていたものを紙袋に入れてもらった。
その後、手はず通りに、一番近くのトイレに入った。
入ってすぐの洗面台の下に、さっきまで身に着けていた一切合切が入った紙袋を置いた。
スマートフォンさえシムカードだけ抜いて紙袋に入れた。
四つあるトイレの二つが埋まっていた。
一つはベビーカーがドアの前に置いてあった。
迷わずベビーカーの置いてあるドアを開け中に入った。
中には大きな黒いバックがあった。
バックの中身は別の着替えだった。
買ったばかりのブランド服とは違い、いつも着ているレディーの私服である。
また着替えるの? そう思いながら、ジャストフィットする服に着替えた。
隣の個室から、水を流す音とドアの開閉音が聞こえた。
着替え終わり、ブランド服をバックに仕舞おうとしたとき、一瞬レディーはビクッとその手を止めた。
バックの中に赤ちゃんのつぶらな瞳が、レディーを見上げている。
精巧にできた赤ちゃん人形だった。
「驚かさないでよ」
思わず口にしてしまった。
バックの外ポケットにあった鏡を見ながら、同じポケットに入っていた変装樹脂パックを上手に顔に張り付ける。
ウィッグ付きの帽子をかぶり、赤ん坊を抱き、バックを置いて個室を出た。
尾行しているであろう日本の警察を、仲間のサポートのもと撒いたレディーは、溜池山王駅に隣接するホテルに一泊した。
国会議事堂が一望できるロケーションだ。
議員たちも頻繁に利用するホテルだ。
部屋には着替えや身分証明書、スマートフォンが入ったキャリーバックが置かれていた。
次の日の朝、完全に尾行をまいたことがわかると、九時半にチェックアウトを済ませ外に出ると、仲間のドライバー、トラがグラファイトブラックガラスフレークのレクサスLS500hに乗って迎えに来てくれていた。
後部座席のチャイルドシートにベビードールを座らせて、その横にレディーが乗り込んだ。
トラはその間にベビーカーとキャリーバックをトランクへ仕舞った。
二人と一体はそのまま都心環状線にのった。
他のアジア圏と違い、クラクションは鳴り響かないが、まるでリュージュの様に狭いコースを堪能した。何週か制限速度を大幅に下回る高速道路を回遊したあと、高速を降り、見晴らしの良いオフィスがあるビルの地下駐車場に着いた。
正午を少しまわっていた。
エレベーターに乗り込み、目標階のボタンを押し、目を閉じる。
ポーン、エレベーターのドアが開くと、他の四人が笑顔で迎えてくれ、再会の抱擁をした。
「状況はどう?」
「君とAは、東京拘置所へ移送されたことになっているよ」
「私も‼」
「そう。君を再逮捕したことになっている」
「最低、失敗の隠蔽ね」
「実際にはAも警視庁の中から移動していない」
Bが、モニター前に座り直しながら言った。
「B、ごめんなさい」
レディーはBに頭を下げた。
人差し指を立てたBはモニターの隙間からその指を振ると、
「大丈夫、Aはしぶといし、抜け目がないから」
そう言って笑った。
五日後に迫る国会までの柿本総理のタイムスケジュールが、Bの見ているモニターの一つに映り出されていた。
先日通った警視庁の廊下が映し出された九分割画面の別モニターもある。
「依頼人から新しい情報はあるの?」
レディーはパパに聞いた。
「いや、ステイツも情報収集はしている様だけど、進展なさそうだ」
パパは残念そうにレディーの肩にポンと手を置いた。
「一度おさらいしよう。NAS(アメリカ国家安全保障局)が監視対象下に置いている、あるアカウントが二年ぶりに反応した。それが、日本からのアクセスに対してで、依頼内容が現日本国首相の消去。つまり柿本の暗殺だ」
「まったく。――デジタルネットワークなんて、いくら暗号化しても、筒抜けなのね」
「それどころか、デジタル放送になってからは、誰が、どこで、何のチャンネルを見ているか、そいつの趣味は全部筒抜けさ」
「全部とはいかないけど、いくつかのキーワードに絞れば、ほぼ筒抜けっていえば筒抜けだね」
「同盟国の日本のネットワーク網なんて、本国と変わらないほど可視化されてるのでしょうね」
みんなその意見には同意の様だ。
「だがそこが、今回の件をややこしくしている。まさか同盟国のデジタル情報をオールスキャンしていましたなんて言えないだろ。だから小出しに、また俺たちみたいな非政府機関、むしろ真逆の犯罪者集団からこの国にヒントとして情報を提供しているのさ」
「面倒さいわねー。でも、本当に存在するの、その『ボル』っていうの」
「いる。この国で過去に大量殺人を犯している、だからあのメッセージなのだ」
「でもまだピンと来ていないみたいよ」
今回組織への依頼人は、軍人時代のパパの元上司、現アメリカ合衆国国家情報長官。
日本国首相柿本を狙う暗殺者の存在確認。
暗殺者と柿本の生死は問わず。
報酬は、ボーダーファミリーのボス、『ジェイ』の居場所。
最優先すべき任務は、暗殺者の解明につながる情報。
同盟国日本へは、最小限の情報提供。
「後日、同盟国なのに情報を何もくれなかったと騒がれたくないからな」
どの時代でも世界中で似たような悲劇が散見されていたが、確たる伝聞は少ない。
何せ生存者が殆どいない為、集落単位の大量死亡事件と、現場周辺で発見された黒い梟の羽根が、噂に聞く異国の死神の仕業とされてきた。
いつから存在し、どのくらい罪を犯してきたか皆目見当がつかない。
その出現は不規則で、数百年以上も話題に上がらぬこともあった。
ただ、大航海時代からこの死神に変化が起きたようだ。
この死神が係る事件と匂わせる情報が増えた。
形なきモノから、人の形をした黒き厄災へ、と。
無差別大量殺戮から個人の暗殺へと、振り撒く死の形も変わった。
変わらないのは単独行動で、対象者を暗殺する際その周囲の人間の命もまとめて奪うこと。
どこに隠れようが、どんなに守りを固めようが、その死からは逃れることは出来ない。
そんな彼との接触も、稀ではあるが出来たようだ。
対峙した依頼者たちが口をそろえるのは、絶対的な恐怖と、対象者に死を与えてくれる確信。ただし、容姿に関しては黒衣の男としか無い。
依頼を受けるかどうかは、本当に気まぐれで、立て続けに依頼をこなす時もあれば、何年も依頼をほったらかしにすることもある。
報酬は、その者の持つ記憶と云われている。
知識に対し、異常なほど執着すると言われている。
その為、興味の惹かぬ記憶しか持たない者の依頼は受けない。
暗殺者B‐OWL『ボル』。
もし実在するのなら、為政者にとってはこれほど恐ろしく厄介なものはない。
その存在確認は、急務であろう。
存在確認が取れれば、懐柔か抹殺か。
また、犯罪者たちにとっては、どうにかコネクションを持ちたい相手だ。
なにせ、どんな依頼も邪魔者はこの死神に排除してもらえば良い。
このジョーカーさえ持っていれば、世界を統べることも容易なことと思えるだろう。
今回、アメリカ合衆国と犯罪組織ボーダーファミリーは、利害が一致したのだ。
ただし、暗殺者『ボル』の存在確認後、それぞれの思惑がぶつかり合うことはお互い承知の上で。




