時に顔の良さは悪女断罪も無に返す
息抜き短編。古き良き少女漫画の瓶底眼鏡の下が美少女を悪化させた話。悪役令嬢断罪物を一度書いて見たかった。
何があっても「そっかぁ」と受け入れて読んでいただけると嬉しいです。
突然だが、私は顔が良い。
……いや、何を言ってるのかと、そんな顔で見ないで欲しい。事実、顔が良いのだ私は。簡単に例えるならば、私は神作画と称される程度の顔面偏差値を保有している。そういう、神絵師と呼ばれる人間たちが何百人も集まり、そうして人生の集大成を賭けて描いた顔面の良さがあるのだ。私には。
例えば朝起きて鏡を見れば、今でも即座に目が覚める。この体になって十六年、されど未だ自分の顔の良さに自分ですらも慣れていない。うわ、顔が良い。そんな思考と共に私の目は覚める。だって顔が良い、それに尽きるのだ。
当然、張本人である私がこうなのだから両親なんてもっと酷い。母は私を産んだ瞬間に顔の良さに卒倒し、父は私の顔を見た瞬間本当にこれは自分たちから生まれた存在なのかと、いやそもそも本当にこれが現実に存在する生き物なのかと疑ったそうだ。
安堵すべくは、砂糖も吐き気を催すほどに家の夫婦がおしどり夫婦だったことである。明らかに遺伝子配列がバグったとしか思えない私の顔の良さでも、母の浮気が疑われることは無かった。これは私達の愛が産んだ奇跡の結晶なのだと、相変わらずのラブラブさで両親は私に一心の愛を注いでいる。どこかお花畑な思考だが、私は二人がそんな思考に至ってくれて良かったと今でも思っている。さすがに生まれた子供の顔の良さで一家崩壊は笑えない。
まぁ両親がこれなのだから、血の繋がらない他人は更に酷いもので。私が生まれた家は古くから伝わる名家と呼ばれるような家柄でこそないものの、成金と言われる程度にはお金持ちな家だった。故に家には使用人と呼ばれる存在が居り、彼らもまた私の顔の良さに狂わされた哀れな人間たちだった。
私が生まれた瞬間から、元々真面目だったのが更に真面目になった彼ら。なんでも、神が施した奇跡の結晶たる私に、自分たちの仕事のミスで何かしらの不備があってはいけないから、ということらしい。しかも身を粉にして働いているのに、給料すらも要らないなどと言ってきた。なんでも、私の顔の良さを拝めることが有り余りすぎる程の褒美だからということ。
流石に他人の顔を眺めるだけでは人間生きていけないので、給料はちゃんと受け取ってもらっている。慈悲深いと滂沱の涙を流されたが、いつかこれは当たり前のことだと理解して欲しい。私が見ている限り、当分は無理そうだが。
さて、いよいよ宗教じみて来たが話はまだ終わらない。私にいくら神が人類に施した奇跡レベルの顔の良さがあっても、所詮は人間。つまり義務教育を施され、いつかは社会人として生きていかなくてはいけない。つまるところ、私は学校に通ったのだ。それが私が、狭い屋敷から外に飛び出した初めての時と言えよう。
ちなみに幼稚園は両親が誘拐されては危険だと通わせて貰えなかった。尚これは、後から無用の心配だったと知る。
結論から言おう。初めての外の世界で私は大惨事を引き起こした。入学式の司会進行を務める教師は私を見た瞬間目を開いたまま卒倒し、それの代打も、またその代打も、またまたその代打も、その全てが卒倒した。目を開いたまま倒れるところに、私の顔の良さを見ていたいという執念を感じる。その時の私は、視線が強くて怖いな、と思ったものだ。
しかし影響は若い教師だけに及ばない。熟練の初老の教師も、校長や教頭を務める年配の教師も、若手には及ばずとも私の顔の良さに調子を狂わされていた。校長先生が新入生に向けた祝辞を何回噛むか、百方から向けられる視線の中数えていたのはいい思い出である。多分三桁は噛んでた。
幾らか分別のある大人たちがそうなのだから、好奇心の塊とも呼べる子供たちがどうなるかなんて想像に難しくはないだろう。私はとても罪深いことに、小学校への期待やら不安やらを胸に抱えたその純粋無垢な心を打ち砕いた。
結果として出来たのが、異様な静けさの中私を真顔で見つめてくる子供たちである。ぶっちゃけあの時はどこのホラゲーの世界に迷い込んだのかと、そう思うくらい怖かった。私より年上の在校生も、新入生の親御さんたちも、その全てが真顔オンステージ。いやステージに立ってたのは、彼らからすれば私なのだろうけど。
他にも私の顔の良さに惑った担任がまともに授業ができなかったり、バレンタインには男女関係なく心のこもった私宛のチョコが机どころか教室を埋めつくしたり、私の顔の良さを近くで拝みたいと席替えクラス替えが熾烈の争いを極めたり、語るに困らないほどにエピソードは色々あるのだが置いといて。
まぁとにかく私は顔が良い。周りが争いを始めた瞬間に困った笑顔の一つでも見せれば、老若男女種族関係なく平伏するくらいには。故に私は過去、何度も誘拐未遂にあった。だが、全ての事件は未遂のまま犯人はお縄に着いている。
勘のいい人ならわかるはずだ。私は顔が良かった。ぐへへ顔の良い子供が居るぜと近づいてきた悪人に涙の一つでも見せれば、罪悪感なんて知らなかった真のクズすらも土下座で謝ってくる程に。過去何百件と起こった誘拐未遂は、そうして全て未遂のままに終わったのである。
ここまで話したが、つまり端的に告げれば私は顔が良い。美人やイケメンは人生イージーなんて話を聞くが、結局そのほとんどはその美しさから妬みや下卑た欲望を買うという。結果として楽な人生なんてないのだろう。だがそれでも、私の人生は真の意味でイージーモードだった。美人なんて、その程度ではない。ただ、圧倒的に顔が良いから。それだけのことである。
気になった物に視線を向ければ道を歩いていた名も知らぬ通行人がその対象を捧げ、1+1を解くだけで熱狂的な拍手が送られる。大概の人は微笑むだけで私にプラトニックな熱意を捧げ、そこから外れた一部も私が拗ねて見せればあっけなく陥落する。つまり私はぶっちゃけ、表情一つでこの世界を生き抜けるのである。しかも誰よりも高水準で快適な環境で。
……だがはっきり言えば、そんなのに耐えられるのは真っ当な人間ではない。ここでとんでもないことを言うが、私には前世の記憶があった。こんな人生イージーモードどころかフルフラット状態として生きる前の、ただの平凡な人間の記憶が。
その人間は凡人だった。人より得意なものと人並みにこなせるものと人より苦手なものがあり、顔は普通。だがそれでもその人間は幸せだった。記憶を全て追体験した私が言うのだから、それは決して間違いではない。
反抗期を迎えたり、しょっぱい恋愛経験をしたり、先輩や上司に殺意を抱いたり。そんなこともあったが、彼女は彼女に似合いの凡庸な幸せを迎えて死んだのだ。そして私はそれがどれだけ彼女にとって大切なものだったのか、その記憶を抱えて生まれ落ちた。文字通り、神の美貌と共に。
だからこそ、私は平凡に憧れがあった。こんな美貌を持って何をと言われるかもしれない。人生フルフラット、それで最高だと言われるだろう。必死に手を伸ばさずとも、周囲が勝手に差し出してくれる状況。それは只人がどれだけ望んでも、決して手に入らない水面に映る月のような存在で。
それでも心のどこかで、私は平凡に憧れている。簡単なことを成して熱狂的に褒められるのではない。難しいことを成して、よく頑張ったと労わって欲しい。上手くいかないことを悔しく思い、その上でその壁を越えたい。いくら贅沢と吐き捨てられても、憧れは千差万別。その気持ちを持つこと自体は罪ではないと、私はそう思うから。
だから私は、そんな憧れと共に「普通の女の子」として高校に入学したのだ。
吸い込まれそうだと称される瞳には、フィルターをかけるかの如く分厚いレンズの眼鏡を。高い鼻や薄く形のいい唇はマスクで蓋をして。そうして最高級の絹糸にも勝ると言われた髪は、自由な校則を盾にパーカーのフードで覆い隠す。そこまでやって鏡に映ったのは、人を卒倒させない地味な人間。
全てを覆い隠したせいで性別も定かではなく、制服を着ていなければぶっちゃけ不審者。でも私はその姿に感動した。だってこれならば、人を卒倒させることは無い。熱狂的で宗教めいた偏愛を受けることも無い。この姿を取っている限り、私は普通の女の子なのだ。
泣き叫びながらも私が望んだことだからと尊重してくれた両親や使用人に見送られ、県外へ。どうしてもと譲ってもらえなかったせいで良家の子どもたちが通うような私立の高校に入れさせられたが、それでもたかだか成金の家の娘のことを知る者なんて地元を離れれば誰も居ない。私は晴れ晴れと、普通を満喫するべくその学園に足を踏み入れたのだ。そうして二年生の夏を迎える今日まで、多少のトラブルがあれど学園生活を楽しんでいた。
そう、今日この日までは。
「日下部香澄! 貴方には彼女、桜庭優をいじめた罪で退学してもらいます!」
「…………」
昼下がりの食堂。生徒たちの楽しげなざわめきで満ちていたその場は、その切り裂くような声によってしんと静まってしまった。目の前で繰り広げられるのは、何かの劇のリハーサルだろうか。思わず啜っていたうどんから目を離し、私は声が聞こえた渦中の方へと目を向ける。そこには五人の男と、二人の少女が立っていた。いや正確には一人の少女を守るように立ち囲む五人の男たちに、一人の少女が立ち向かっていたという方が正しいか。
その先頭の眼鏡の男がびし!と少女に指を突きつける。ドヤ顔なのがなんとも痛々しいと言うか、青々しいと言うか。正しく勝利を確信した顔は、あまり美しいとは言えなかった。まぁもっとも私の顔面と比べてしまえば、大概のものは美しくないに分類されてしまうのだけれど。
「……どういう、意味でしょうか」
差水を刺されたかのように静まり返った食堂に、凛とした声が響き渡る。それは五人と一人に剣呑な視線を向けられても、一切怯むことのない少女の声だった。
そんな少女の姿になにやら呑気にうどんを食べてる場合ではなさそうだと、私は箸を置く。野次馬根性と言うべきか否か。先程まで大好物のうどんに一心だった私の興味は、一気に中央で行われる寸劇へと傾けられていった。いや正確にはその中心で凛と背を伸ばす、私から見ても綺麗な彼女の方へとではあったが。
「どうもなにも、お前が優を虐めていたことには裏付けが取れている」
「日下部ちゃん、無駄な抵抗はしないほうがいんじゃない? 俺たちまぁまぁお怒りだから、さ」
男1を退け、奥から影しか見えなかった二人の男が出てくる。男2は硬派そうな見た目で、鋭いその目で少女を睨みつけ。男3は2とは真逆の軟派そうな雰囲気。だがしかしその瞳の奥に眠る氷のような冷たさは、2と同じような怒りを纏っていた。
「絶対、許せません……!」
「くだらない嫉妬で身を落とすとは、我が婚約者ながら馬鹿な女だ」
そうして私が観察している家に、しかし更に奥からもう二人でてくる。男4はどこか可愛らしい雰囲気の少年。しかしいくらその容姿が可愛らしくても、その瞳に滾らせた怒りは他と同様で。
そして真打と言うべきか、横柄そうな雰囲気を浮かべた男5。それは心底侮蔑しきったような瞳を、立ち向かう少女へと向けた。その視線に、一瞬少女の瞳が悲しそうに揺れる。しかしそれは一瞬のことで。凛とした色を彼女はまたその瞳に宿して、そうしてきっと正面を睨みつけた。恐らくはここからでは顔が伺えない、中心で守られている少女を。
「日下部さん……! 大人しく、罪を認めてくださいっ!」
そうしてその睨みに触発されてか、響いたのは鈴鳴りの声。だがそうして声だけが聞こえても、依然として中心人物の顔は見えないまま。姫のような立場の少女を拝むには、壁のように立ちはだかる男たちがただひたすらに邪魔だった。
だがどう足掻いても見えないものは見えない。故に私は、ひとまず静観することを決めた。渦中に飛び込むには、情報が足りない。私はこの争いを無に帰す方法を持っているし、なんなら今やっても後でやっても、それは結果として変わらないだろう。当然、一人孤軍奮闘をする少女が哀れだという心もある。だがそれでも情報がないことには、正しいことをしたくても出来ないのだ。
「っ私は、貴方を虐めてなんか!」
「見苦しいな、証拠があるというのに」
「……たま、き」
「……不快だ。一時は婚約者だったとはいえ、二度と俺の名前を呼ばないでもらおうか」
「っ!」
そうして私が考えているうちに、しかし劇はどんどんと進んでいって。怒りに震えながら、否定を口にした少女。だがそれは、男5に切り捨てられた瞬間に勢いを無くす。
縋るような声は、悲しむような顔は、一瞥もされないまま全てを拒絶された。それに傷ついたような表情を浮かべても、彼女のことを誰も助けない。男たちも観衆も私も、皆が皆少女をそれぞれの視線で見つめるだけ。それは切り捨てられた彼女にとって、傷口を抉られたも当然だろう。案の定強く唇を噛み締めた彼女は、視線を落とした。まるで全てを諦めたかのように。
「貴方が茶会と称し欠席した生徒会の会議。しかし肝心の茶会の場に貴方は訪れず、その間に優の教科書はぼろぼろに引き裂かれていましたよね」
男1の言葉に少女は答えない。ただその手が、強く握りしめられる。その手は遠目からでも、ペンだこで痛そうに腫れているのが分かった。きっと彼女は、勉強に重きを置くような人間なのだろう。
「女子生徒を脅し優に水をかけたことも、命令された当事者から話は聞いている。誓って嘘はないそうだ」
男2の言葉に、少女は答えない。ただ噛み締めすぎた拍子か唇が切れて、赤が乾いたそれを濡らす。嘘つきの人でなしの血は青いのだと、どこかで聞いた気がする。赤い血が通っている彼女は少なくとも、嘘に囚われた悪魔では無いのだろう。
「あとなんだっけ? そうそう、優が階段から落とされたやつ。あれだって近くにいたのは、日下部ちゃんだけだったよねぇ」
男3の言葉に、少女は答えない。ただ崩れ落ちてなるものかと、その足に力を入れていた。その足は傷と包帯だらけ。それは例えるならば、階段から落ちようとした誰かを守ろうとした物のようにも思えた。そんなのはただの推測でしかなかったけれど。
「……優さんが二週間前体育館倉庫に閉じ込められた時も、その後に日下部さんが帰る姿が目撃されてます」
男4の言葉に、少女は答えない。ただその頬を、汗が伝っていく。今日は夏日、恐らく彼女は暑いのが得意では無いのだろう。そんな彼女が人を、猛暑の倉庫に閉じ込めるだろうか。夏に死の危険があるのを理解してるその人が、いくら憎くても誰かをそこに閉じ込められるのだろうか。
「学園パーティーの日、優のドレスがあった部屋に入ったのだって本人以外はお前だけ。しかも当日のお前の鞄にナイフが入っていたことに関しても、証言は上がってる」
男5の言葉にも、少女は答えない。ただついにその視線を真下へと向け、抵抗を諦めたかのように震えた息を漏らすだけ。よく研がれたナイフでその心を、ズタズタに切り裂かれたように。行き場も逃げ道も最初からなかったことを嘆く、ドレスのように。
……成程、話はわかった。つまり、優とやら(恐らく男達の中心で守られている彼女)を少女が虐めた。それでこれはその罪を暴く断罪ショーとでもいうのだろうか。こんな大衆の中、わざわざ辱めるような舞台を用意するなんて発案者は大分性格が悪そうだ。
そんなことを考えながらも、私はいよいよ席を立つ。もう事情もあらかた悟ったし、これ以上は時間の無駄だろう。がたんとした音の後、後ろからもう一つ似た音が聞こえたことにマスクの下小さな笑みを浮かべて。
そうして誰もが当惑したように動けずにいる舞台の中、私はそれを我が物のように歩いていった。疑惑と不信と失意が遍く食堂の雰囲気は、しかし段々とその視線は中心を闊歩する私への困惑で染まっていって。だがそれでも私は怯まずに、ただひたすらに中心へと向かった。
視線が向くステージを歩くこと、それに関してはこの世界で誰よりも慣れている自信がある。だって私は、顔が良いから。
「……なんですか、貴方」
当然、当事者たちの視線もまた渦中へと飛び込んでいく私に吸い込まれていって。それも当然だろう。瓶底眼鏡にマスク、深く被ったフード。制服を着ていなければ不審者と通報されるそんな出で立ちが、目立たない訳はない。最も、素顔を晒すよりは千倍マシなのだけれど。
だがそんな剣を帯びた視線に臆する程度では、この顔を抱えて生きていくことなんて出来ないのだ。私は不審そうに声をかけてきた男1を無視して、くるりと少女の傍に立つように彼女の正面に立った。五人に守られ、怯えの底に愉悦を隠した美しくないお姫様を。
「……ねぇ」
さらりと、声を零す。言い忘れていた。私は顔良いが、声も良い。低くも高くもない、掠れなどない甘やかな声は腰を溶かすとまで言われてしまうほどだ。
当然、こんな不審者の出で立ちからそんな声が漏れるだなんて想像もしていなかったのだろう。愉悦は消え、お姫様は酷く困惑したような瞳で私を見つめてくる。先程まで少女を嗤っていたその姿を消して、ただ私だけを。そうしてそれが姫として傅かれていた彼女ににとっての、運の尽きだった。
分厚い眼鏡を外す。邪魔がないクリアな視界に、思わず息が零れた。マスクを外す。ぶっちゃけうどんの汁で濡れて不愉快だった。そうして髪を解放するかのように、フードを解く。閉じ込められていた絹を超える髪が、ふわりと花の香りと共に舞った。
瞬間に世界から音が消えたのは、決して錯覚なんかではない。私は知っている、私の顔がどれだけ良いかを。そうそれは、人間程度の呼吸なんて呆気なく奪えてしまうほどに。
私の瞳を、誰かはこう例えた。どんな価値の高い宝石よりもその色彩を極め、どれだけの精彩なカットでさえも叶わない輝き。それは私が持ち主でなかったら戦争が起こるほどの、オブシディアンだと。
私の髪を、誰かはこう例えた。触れることすらも躊躇うほどの、滑らかな輝き。それはまるで職人が生涯をかけて追い求めるような、繊維の最高位のようだと。
私の顔立ちを、誰かはこう称した。もう例える言葉もなかったのだろう。その誰かはただこう言った。その美貌の前では全ての花も星も絵画も、美しいと言われている全てのものがその美しさの体を示せないと。土俵にすら上がれない、そんな勝負だと。
お姫様は私を見ていた。いいや、全てが自分の思い通りになるなんて思い違いをしていた可哀想な子は、私をただ見ていた。はくはくと、その口が魚のような呼吸を繰り返す。その頬は次第に、薔薇色に染っていった。まるでこの世界に存在しない、そんな奇跡を見たかのように。
私はそんな彼女に、そしてこちらを凝視している五人の男たちに、微笑んだ。少しだけ悲しそうに、寂しそうに。それを見れば更生しようのないクズでも、罪悪感という感情が刻みつけられる。そんなのは過去の経験で、これ以上ないほどに知っていた。
そうして私はそっと、隣の彼女の手を取る。だが彼女もまた、私の登場に先程までの絶望をすっかり忘れ去ってしまったらしい。真っ赤な頬で、孤軍奮闘をしていた少女はただ私を見つめる。凛とした姿とのギャップが可愛いなと思わず微笑めば、その瞳は白黒と揺らいでいった。
さて、ここまでの仕込みは上々。軽く視線だけで見渡せば、観客たちもまた一人を除いて私を真剣に見つめている。私から目を逸らせない、そんなのは当然だ。なぜなら私は顔が良いから。
さて、ここまで来たのなら、後はひと押し。文字通りその全てを、塗り替えてしまおうではないか。
「こんなところで一人の女の子を虐めるの、良くないと思うよ」
甘やかな声を紡ぎながら、にこり。少しだけ寂しそうに、悲しそうに。加害者とされていた彼女の手を優しく握って、そのおとがいを指先で掬って。その行動に触れられていた彼女が意識を落とすのがわかったが、私は根性で崩れ落ちていくその体を支えた。劇のフィナーレに、不備があっては行けない。やるなら全力だ。
そうして体が引き攣りそうになりながらも、それでもただ心に訴えかけるように、私はひたすらに全力で顔を作った。そうしてそのままお姫様を、男達を、観客を、ゆっくりと見渡す。向けられた百を優に超えるその瞳たち、それらは全て私を見ている。まるで魅入られてしまったかのように。
……ところで、私の顔を見た人間がどうなるか。ここまで聞いてくれた貴方ならきっと分かっているだろうけれど、それでも再び注釈を付けさせてもらおう。
まず第一に、私から目を離せなくなる。見たくなくとも、瞳が逸らしてはくれないのだとか。そうして次に、私という存在を幻覚か何かだと思い込もうとする。そうすることで脳を守ろうとするらしい。けれど残念で素晴らしいことに私は存在しているので、やがてそれを理解してしまう。
「あ、」
そうなれば後はつまるところ、卒倒だ。
私はこの日、食堂に集まっていた加害者被害者観衆、一人を除いたその全てを卒倒させた。ついでにその騒ぎを聞いて駆けつけてきた教職員、果てには救急隊員。それら全てを余すことなく。仕方ないことだ。なんせ私は、顔が良いので。
**
「良かったのか?」
「うん、まぁ」
じゅうじゅうと、鉄板の上でお肉が焼けていく。その焼け頃を真剣に見極めていた私に、掛かる声が一つ。私はその声に、そっと顔を上げた。テーブルとその上に乗ったホットプレートを挟んだ向かい側、そこには一人の青年が居る。いかにも好青年とした雰囲気を醸し出す、まぁまぁ端正な顔立ちの青年だ。最もそのイケメンぶりも、私の前では無に等しいのだが。
彼は私の顔を、何も隠していないその顔を、ただ冷静に見つめていた。他の人のように固まることも、頬を染めることも、崇めることもしないまま。初対面の時は驚いたが、それが彼にとっては当たり前なのだ。彼は私が出会ってきた人間の中で唯一、私の顔の良さに惑わされない人間だった。
「だってお前、普通が良かったんだろ」
彼、如月宗司は言う。少し困ったような笑みを、その顔に浮かべて。その表情はよく知っている。彼とは小学校の頃からの付き合いだが、その表情は私の顔の良さに惑わされる人間を前に彼が良くする表情だった。
つんつんと箸で肉をつつきながら、こちらを見つめるその瞳。そこにあるのはただひたすらに案じる色だ。良かったのか、言葉に出した通りの色を、彼はその瞳に浮かべる。
「……よくは、ないけど」
「うん」
その瞳を見てしまえば、誤魔化しは効かないことがすぐに分かってしまって。故に私は、そっと本心を零した。焼肉の臭いがする、彼と私しかいない部屋だからこそ零せる本音を。
ぶっちゃけ今の状況は良くない。私は普通を望んで、わざわざ地元から遠く離れたこの県まで来た。周りに手を差し伸べられてばかりの甘ったれのくせに一人暮らしを選んでまで、それでもここに来たのだ。それは全て、普通というのを味わってみたかったから。
いやまぁマスク瓶底フードが普通じゃないのは、少しはわかっている。でも多少怪しい目を向けられるくらいは、気にならなかったのだ。それでも私が今まで暮らしてきたそれよりは、前世の彼女が送っていた普通に近かったから。
だがそれも、今日で終わり。バレたのなら隠す必要は無いし、私はここでもまた顔の良さという名の嵐を引き起こすことになるだろう。ファンを産み、信望者を産み、取材に来た記者を顔の良さで送り返し、ストーカーに懺悔させ、誘拐犯をお縄に掛ける生活に。
憧れの普通はあっという間に終わりを迎えて。惜しくないと言ったら、当然嘘になる。見た目の怪しさから多少遠巻きにされてはいたが、この世界では誰も私を贔屓しなかった。だがそれも今日で終わり、明日の私は神様の美貌を持った奇跡の存在。そうしてまた日々を送ることになる。
ただ、それでも。
「でもさ、何も悪くない子が酷い目に遭うのは、もっとよくないと思う」
揺らめくお肉が焼ける煙。それをぼんやりと眺めながら告げた言葉は、紛れもない本心だった。そう、例え明日から憧れが一気に遠のいたとしても。それでもあの時あの子を見ないふりして、そうして自分の平穏を守るだけの日々に戻るよりは余程いい。
私には力がある。それは物理的な物でも精神的な物でも、社会的な立場でもない。顔だ、顔が武器なのだ。幼くとも老いても、それでも全てとは一線を引くほどに美しい。そんな力を持って生まれたのなら、それを正しく使いたい。それをどうか、偽善と呼んでくれるな。偽とは人の為と書くのだから。
「……うんうん、そうだな」
「……私が助けなくても、宗司が助けたかもだけど」
相槌が返る。目の前の幼馴染殿は、肉をひっくり返しながらも優しく笑っていた。その笑顔は、私の行動が間違っていなかったことを認めてくれているようにも思えて。
少し気恥ずかしくなって、つっけんどんに言葉を零す。とはいえそれは、実際に思っている事だった。この好青年を絵に書いて生きているような男は、実際優しい。捨て猫捨て犬を見つければ必死に駆けて里親を探し、荷物を持つ年配の人が居れば嫌味なくそれを運ぶ。誰かに悪口を言われても、決してそれを返そうとはしない。善人とは、彼のことを言うのだろう。
だからこそあの瞬間、全てをこの男に任せて。そうして私が彼女のことを放っておいても良かっただろう。そうすればこのお人好しは彼女へと手を伸ばし、その偽りの罪を解いてくれたはずだ。私ほど鮮やかで呆気なくはなくても、それでも必ずいつかは。彼は、そういう人だから。
「まぁな。でもお前ほど、あの人に傷を残さずには助けられなかったと思うけど」
私の言葉に、彼はからりと笑って。ただそれでも、この男は私を褒めることをやめてはくれないらしい。ホットプレートに牛タンが5枚。綺麗に焼けた方の三切れを私に、少し焦げた二切れを自分に。そういうことを自然にする男なのは良く知っているが、やはりどこか照れ臭い。言及するのはごめんなので、無言のままお肉は頬張らせて貰ったが。
そうしてもぐもぐとする私に檸檬を差し出して、彼は今にも歌い出しそうな程機嫌良く笑う。そうして笑顔をそのままに、彼は私にトドメを刺した。
「やっぱお前、かっこいいよな! 美桜」
「……!」
不意打ちに少し噎せた。瞬間差し出された水に何とも言えない気分になりながらも、それを口に含む。中で揺れる氷の涼し気な音が、全く耳に入らない。耳の奥で反芻するのは、かっこいいというその褒め言葉だけ。
私は顔が良い。故に人に寄せられる褒め言葉は大体、美しいとかそんな感じで。何十の宝石に例えられ何百の花に例えられ、私はその美しさを讃えられ続けてきた。だが所謂かっこいいとか、可愛いだとか、そんな言葉は私に届けられることはない。だって私の顔の良さはそんな大衆向けの言葉が似合わない、そんな美しさだから。
ただ今目の前で心配そうにこちらに視線を向ける男、宗司だけは違う。彼が私の美に魅せられないのは、一重に彼が顔の良さというものを理解できない人種だから。いわゆる彼は、美人やイケメンというものを知覚できない人間なのだ。そういう人間も、たまにはいるらしい。彼に出会ったばかりの時、熱心に調べたからよく覚えている。
だから彼は、私の顔の良さを褒めない。一番に褒めてしかるべき部分なのに、ただそれが理解できなくて褒められない。だから彼は、私の内面を褒める。やったことをかっこいいと、すごいと、そう褒めるのだ。私をただの人のように、褒めてくれる。
「お、照れてる。可愛げもあって最強だぜ、幼馴染殿」
「……うるさい」
……さて、察しのいい皆様。私の反応から何かお分かりになったのなら、どうか何も口にせず口を噤んではくれないだろうか。この美貌に免じた願いである。そうして出来れば、可愛い可愛いと私を褒めるこの男の口を塞いではくれないだろうか。……いややっぱり、塞がなくていい。
ぶっちゃけよう。私はこの男が好きである。神の奇跡たる美貌を持つ私が、私の美しさを理解できない人間に恋をした。それは何の因果かそれとも必然か。やっぱり必然のような気がする。私は私を見てくれる人を、ずっと求めていたのだから。
でもそれは彼が私の顔の良さがわからないから、と言うだけではなくて。例えば当たり前のように焦げたお肉を私に与えないところだとか、あの食堂の事件の際にも何も言わず私の後ろを歩いてくれたりするところだとか。
……例えば、一人遠方に行く私を心配して進路を変え、自ら私に着いてきてくれたところとか。そのために努力を重ね、学費がお高い私立校の推薦枠をもぎ取るとことか。
つまり、そういうところが好きだ。善人で優しくて、私を普通に褒めてくれる彼が、ただひたすらに大好きだ。好きにならない方がおかしいとすらも思う。私の顔の良さがなければ、この世界をフルフラットで歩くのは彼だったと、そう思うほどに宗司は魅力的な人間なのだから。
「……焦げたの、ちょうだい」
「だーめ。今日は美味い肉だけ食いなさい」
皿を伸ばす。しかし彼にも美味しいお肉を食べさせたいという要求は、どこか甘い声音で跳ね除けられてしまって。ちょっとぶすくれて頬を膨らませても、目の前の男はくすくすと笑いを零すだけだ。他の人間なら私がこんな顔をした瞬間、すぐに土下座で要求を呑むのに。
でもそれがいい。宗司は、そうであってほしい。私のファンや信望者の焦げるほどの熱意にドン引きして、記者から守ろうとしては顔の良さに卒倒して帰るその背中を見送って、ストーカーの涙ながらの懇願にその背を叩いて、誘拐犯の懺悔にそっと交番を指差す。そんな彼の隣が、私は大好きだ。
「明日は、何にするか」
「なんでもいいよ」
「それが一番困るんだよ」
目の前にはホットプレート。外では隣同士のアパートの二室のその表札を、如月と八神という苗字が飾っていて。明日の献立に困ったように微笑む宗司に、私は笑い返す。こんなの実質同棲だ、なんてのは考えない。考えれば恥ずかしさで憤死してしまうので。
私、八神美桜。ただひたすらに顔が良い高校二年生。普通に憧れ遠くの地に幼馴染と訪れたが、その普通は今日を持って崩壊した。まぁそれも、悪くは無いと思う。
だってたとえ普通の生活を送れなくなっても、隣には宗司がいる。宗司がいる限り、この狭いアパートという箱庭の中で私は普通だ。それならばまぁ、二人になれる遠方の地にわざわざ来た甲斐があったというわけで。
ふと、部屋に置かれた置き鏡に目を向ける。焼肉の匂いが付かぬようにと衣類は閉まった閑散とした部屋の中、一人ぽつんと置かれたその存在に。
やっぱりそこに映るのは、当人ですらも目を剥くほどの圧倒的な美貌。宗司と二人だと忘れがちになるが、やっぱりそういうことなのだ。ぺたと頬に手をやってお肉を味わいながらも、私は鏡に向けて微笑んだ。鏡の中の女神もまた、微笑み返す。卒倒してしまいそうな美しさをその身で一身に受けつつも、肉汁と共に私は事実を噛み締めた。
私はやっぱり、顔が良いのである。
※二人は付き合ってません
人物紹介
八神美桜
某TRPG旧ルールで言えばAPPが36くらいある女子高生。好物はうどんと焼き肉。
如月宗司
人の美醜がわからん男。幼馴染を溺愛してる良い奴。好物は牛タン。
日下部香澄
悪役令嬢。全部の罪は優のでっちあげで正真正銘無罪。幼馴染で婚約者の環のことが好きだったが美桜の顔の良さで全てが塗り替えられた。作中で一番ファンサを貰った。
桜庭優
ヒロイン() よくいる性悪ヒロインだがかなり狡猾で、悪役づくりの証拠作成に余念がない。だがその性悪な性格も美桜の顔の良さで全て塗り替えられてしまった。
男1~5
ハーレムメンバー。騙されてるが頭が悪いわけではない。優が狡猾だっただけ。ただ今回の件で優への恋心を全て塗り替えられてしまった。