悪役令嬢のトリガー
暗いです
義妹の顔との初対面で、前世の記憶を思い出した。
父に似た緩やかなカーブを描く金色の髪に、空色の瞳。健康的で艶のある美しい肌。明るく朗らかな彼女には誰もが好感をいだき、鈴を転がすような声で笑うと誰もが惹きつけられた。向日葵のような女性。
そして、癖ひとつない真っ直ぐな銀色の髪に、グレーの瞳。陶器のような色白で滑らかな肌。感情に左右されない姿は淑女の鑑であり、御令嬢達は洗練された仕草に憧れを抱いた。氷のような女性。
前世で借りた恋愛小説の登場人物である。
ヒロインは平民から貴族となった女性イザベラ。慣れぬ貴族生活の中で屈辱や無念さを味わう中でもがき苦しみながらも、持ち前の気立ての良さに周りがどんどん彼女の味方になっていく。最終的には第二王子のエドワードと婚約するというシンデレラストーリー。
イザベラの義姉はシャーロット・トンプソン公爵令嬢であり、エドワード王子の婚約者であった。しかしイザベラを貶めた行為を悪役令嬢として断罪され、6日後には処刑された。
目の前にいるのがヒロインであるイザベラで、私が恋敵にあたる氷のような女性シャーロットであることを思い出した。
「初めまして、フェルナンお兄様、シャーロットお姉様。お会いできて嬉しいです」
覚えたばかりと思われる挨拶をたどたどしくする姿は見るものの気持ちを暖かくした。氷の公爵と呼ばれた父の目尻が下がり口元が軽く綻ぶ姿は天変地異の前触れのようであった。
「初めまして、イザベラ。素敵な挨拶をありがとう。僕のことはフェル兄様と呼んでごらん」
これまた氷の貴公子と名高い兄が頬を緩める姿は衝撃的ではっと立ちすくむほど驚いた。
(私も、人のことは言えないけど、父も兄も笑うことが出来たのね。この10年の人生の中で作られていない笑顔をしている2人を初めて見たわ)
(もうすでに2人はイザベラに懐柔されてるのね。父はともかく初対面である兄まで誑かすなんて。
小説ではこの初対面が分岐点となって、シャーロットが孤立化していくのよね。ここが肝心だから間違えないようにしましょう)
「初めまして、イザベラ。丁寧な挨拶ですわ。私のことはロティ姉様とお呼びなさい」
笑顔が引き攣ったのはともかくそつなく受け答えができたのではないかしら。
「ロティお姉様、未熟な挨拶で不愉快な思いをさせてしまったらすみません」
「何だ、シャーロット‼︎イザベラが愛らしく挨拶をしているのに、何か不満でもあるのか⁉︎ほんとあの女に似て忌々しい‼︎」
「お姉様を責めないで、お父様。お姉様が不服に思われても当然ですもの」
烈火の如く怒る父を、イザベラが宥める。
「こんな傲慢な姉を思いやるなんて、優しい娘だ、イザベラ」
「ロティが不遜な態度で嫌な思いをさせてごめんね。それに比べてイザベラ、君はなんて慈愛に満ちているんだ」
「お父様!お兄様!」
感極まってイザベラが目を潤ませると、父と兄が慈しむ。金色の髪を持つ父と兄と義妹を見ていると、色の違う自分は異端児であり疎外されているようだった。
イザベラを取り巻く暖かい空気とは対照的に、シャーロットは心が冷えて石のようになるのを感じた。
「ロティ、次のお茶会にはイザベラ嬢もぜひ呼んで欲しい」
婚約者としての定例のお茶会でエドワード王子が突然の要請をしてきた。
「イザベラですか?」
「うん。フェルが義妹イザベラことばかり話してくるから、少し興味が湧いてね。冷酷無比な氷の貴公子の心を溶かしたのがどんなご令嬢なのか…それに君の義妹ならいずれは僕の義妹にもなるんだから、今のうちに仲良くしておきたいしね」
「イザベラ、次のエドワード王子とのお茶会よろしければご一緒してもらえるかしら」
「ロティお姉様、ご一緒させていただきます。とても楽しみですわ」
夕食の会話の中心はいつもイザベラであり、シャーロットはひたすら聞き役にまわることが多かった。ちょっとした発言で父が憤り彼女を攻撃することが多々あった経験から沈黙を貫くことにしたのだ。
しかし、さすがに王子とのお茶会への招待で叱咤されることもないだろうと、内心油断していた。
「なんだ⁉︎その企んでいる笑顔は⁉︎また、イザベラを貶めようとしているのか?性根の腐りきった娘がっ!」
「お父様そのようなことは仰らないでくださいませ。きっとわたしに至らないところがあったのです」
「おお、イザベラ。お前には不十分なところなどどこにもないよ。ただ、お茶会といえば新しいドレスが必要だな。シャーロット手配をして、イザベラが恥をかくことのないように配慮しなさい。ああ、シャーロットはドレスをたくさん持っているから新調する必要はなかろう」
「わかりました、お父様」
「お茶会日和だね。今日は招待ありがとう、ロティ」
「エド殿下、こちらこそ来てくださりありがとうございます。イザベラ、こちらが第二王子のエドワード殿下です。エド殿下、こちらが義妹のイザベラです」
「イザベラ、何てあどけなくて愛らしいんだ。私のことはエドと呼んでくれ」
「エド様、わたしのことはベラと呼んでくださいませ」
「ベラ‼︎なんて可愛い。そのグリーンのドレスもよく似合っているね」
「エド様、ありがとうございます。こないだ初めて作っていただいたドレスなのですが褒めていただいて光栄です」
「なんと!トンプソン公爵家ともあろうものが娘に一着しかドレスを持たせていないのか!いやロティは何着か持っていただろう?」
「お姉様のお母様は貴族ですから当然ですわ。わたしは所詮平民の娘ですから、この一着をいただけるだけでとても幸せですの」
「同じ娘なのにこの待遇の違いはなんだ⁉︎平民の娘などと蔑ろにすることはあってはならない。まさか、シャーロットが?」
「お姉様は…いえ、お姉様は悪くありません。わたしが悪いんです。わたしがいたらないからお姉様が…」
「ああ、ベラ、かわいそうに。シャーロットに冷たくあしらわれていたのだろう。それなのに逆に庇うなんて、なんと心根の優しい少女なんだ。何か私に出来ることならなんでも言ってくるがよい」
「エド様、いいえ、何もいりませんわ。ただエド様がお姉様に会いにくるついででよいので、わたしにも拝顔させていただけたらそれで心が満たされます」
「それだけでよいのか⁉︎なんと欲のない清らかな娘なんだ。あぁ、きっと会いにくるよ」
「楽しみにしています、エド様」
我が国の学園は12歳からの入学である。本来入学するのは、エドワードとシャーロットであったが、1歳下のイザベラも特別試験をうけて同時期に学園へ通うことになった。
シャーロットは少しでも小説のストーリーと話をかえようと、留学先を探したり、1年先に入学するように働きかけたがうまくはいかなかった。
イザベラの入学も阻止したかったけど、そんなことしたら父の怒号が飛び交うことから提案すらできない。
(どんだけしても運命に抗うことはできないのかしら)
エドワードが馬車で迎えにくると、当然のようにイザベラの手を取ると横の座席へエスコートした。続いてシャーロットの手をとり斜め前の座席に座らせた。
「シャーロット、どうぞ」
「エドワード殿下ありがとうございます」
シャーロットがエド殿下と会話をしたのはこの一言だけだった。
「初めての学園とても緊張しますわ」
「ああ、そうだね、ベラ。国中からたくさんの令息令嬢が集まってくるからね」
「わたし、仲良くやれるかしら」
「大丈夫だよ。私が側についているからね。何も心配いらないよ」
「エド様嬉しい」
馬車の中ではイザベラとエドワードが密着し手を握りあって会話をしている。まるで恋人2人しかいないかのような甘い空気を醸し出している。
シャーロットの婚約者とシャーロットの義妹が。
顔合わせから急速にイザベラとエドワードは接近していった。定例のお茶会でも、おざなりにシャーロットへの挨拶をすると、すぐにエドワードはイザベラのところへ向かった。
明らかに距離感のおかしい2人を、シャーロットの父も兄も疑問に思わない。
イザベラの心根が優しいからエドワードがイザベラに、惹かれるのは当然であり、エドワードの心を繋ぎ留められないのはシャーロットの責任なんだからシャーロットは受け入れるべきだと会話をしているのを聞いたことがある。
一度イザベラをエドワードの婚約者にする様に提案をしたが、鬼のように反対された。
婚約者と自分の義妹が仲が良いのは良いことなのに、そんなうがった見方をするなんて性根が腐りきっている。エドワードの心が離れたのはシャーロットのせいなのに、努力もせずに義妹に押し付けようとするのはどういうことか、と。
(いずれ、イザベラがエドワードの婚約者になるのだから早めに交替しても問題ないかと思ったけど、ストーリー通りに進まないとダメなのかしら。
物語の中では父も兄も婚約披露する2人を涙を流して喜んでいたから2人が上手くいくを望んでるはずだもの)
シャーロットは目の前の親密な2人から窓の外へ目を向けて遠い目をした。
エドワード、シャーロット、イザベラともに同じAクラスであった。
物語の中では、この教室で伯爵令嬢のキャロラインと知り合いになる。キャロラインを駒のように扱い、イザベラに対し心ない言葉や嫌がらせ、時には私物を隠すなどの陰湿な嫌がらせを繰り広げるのだ。
(ストーリーに逆らうためにも、キャロラインには近づかないようにしなければ)
教室ではエドワードとイザベラの周りに自然とクラスメイトが集まり会話が弾んでいた。エドワードの豊富な会話に話が盛り上がり、イザベラの可愛らしい相槌や微笑みは周りも笑顔にし、場を柔らかなものにしていた。
(ムードメーカーって2人のことを言うのよね。こんなにお似合いなのに、小説の中のシャーロットはよくこんなお似合いの2人の邪魔が出来たわね。ほんと勇者だわ)
「ふふっ婚約者でもない男性と親密にされるなんて、平民出身の方は奔放でいらっしゃるのね」
突然キャロラインの声が響き、教室がしんと静まり返った。
(えー⁉︎なんで⁉︎私キャロラインと接触していないのに‼︎ストーリー通りの発言をするの?ここで、物語ではシャーロットはキャロラインの横で同じようにイザベラを見下す発言をするのよね。私はこのまま黙って見守るかイザベラを庇う発言をしてこの流れをかえなければ!)
クラスメイトの視線がキャロラインからシャーロットへ移ってきた。
「キャロライン様、うちの義妹を咎めるような発言はおやめください。公爵令嬢ですのよ。それに殿下とシャーロットは身内のようなものですから、仲良くして何が問題となりますの」
(これでキャロラインとイザベラは関係ないとアピール出来たはず)
「お姉様、わたしのことそのように思っていたんですね」
「シャーロット、君は最低な人間だな。義妹のことをそんな風に考えていたなんて!もしや、キャロライン嬢に言わせたんじゃないだろうな。ベラかわいそうに、私が君を守るから」
(やはりこの展開なのね。あぁ、失敗したわ。たしかにキャロラインはイザベラのことだとは言ってなかったわ。でも、平民出身で別に婚約者のいる男性と親密にしてるって言ったら、イザベラのことを指しているって明白だと思うけど。物語の展開を知ってたから余計にイザベラのことだとしか思えなかったのよね)
手を取り合うエドワードとイザベラだけでなく、その周りを取り囲むクラスメイトもシャーロットを軽蔑した目でみている。
「シャーロット・トンプソン公爵令嬢、貴女との婚約を破棄する」
高らかにエドワードが宣言する。その腕にはイザベラが寄り添っている。
「私とイザベラが仲良くしていることに嫉妬をして、イザベラへの嫌がらせや悪評を流し、罵倒し、ついには階段から突き落とすなどの暴力行為にまで及んでいる。許されざる行いであり、王子妃として相応しくない」
怒りのこもった声ですらすらと罪状を述べるエドワードにすがるようにイザベラが腕を絡ませている。
長かったわ。どんなに足掻いても運命は変えられないのね。
噂話を流した?私には話すような友達はいないのに。
イザベラを罵った?家でも学校でも、イザベラは誰かに守られているから、イザベラと2人で話すことなどできないのに。
イザベラの教科書を捨てた?鍵のかかったロッカーにしまった私物を取り出す技術なんてもってないわ。
呼び出して階段から突き落とした?そもそも鉄壁のガードがあるのだから呼び出すことすら出来ないわ。そう言えば廊下を歩いていたとき階段下の方から悲鳴が聞こえたことがあったけど、あれがイザベラだったのかしら。エドワードのつけた護衛がいるのだから、私が原因でないことは明らかなはずでしょう。
どうせ反論をしてもシャーロットの声は届かない。シャーロットはほとほと疲れ果てていた。
むしろ、ここで断罪され処刑されることで、辛かった5年のシャーロットとして人生を終えられることに安堵していた。
私は悪役令嬢なんだから、悪役令嬢としての役目を果たすべきなのよね。
ヒロインと王子の幸せのための必要悪なんだわ。
これからクライマックスにむけて悪役を演じきろうと、イザベラの顔に目を向けた。イザベラは口の端をあげニヤニヤと薄笑いを浮かべている。
その表情をみてハッとした。
イザベラも前世の記憶があるのね。そういえば、いつも私を庇う素振りを見せつつも、私に悪感情が向かうように誘導していたわ。
私がストーリーから離れるよう働きかけるように、イザベラも物語通りに進むよう導いていたのね。
イザベラは私が苦しむのをみて笑っていたんだわ。
嫌よ!このままあの女の思うとおりにさせてなるもんですか!
どうすれば…
断罪は終わったからあとは6日後の処刑ね。牢に入れられたら自由は利かないから、このパーティ会場が最後のチャンスね。
シャーロットはイザベラへと掴みかかった。シャーロットがイザベラのブローチを奪い取るのと、エドワードがイザベラを腕に抱えるのはほぼ同時であった。
シャーロットはブローチの針を外すと思い切り自分の首を掻っ切った。
血飛沫が飛び散り、会場は騒然とした。
すぐに医師が駆けつけるも、シャーロットは事切れていた。
赤く血に染まった中で笑みを浮かべているのが異様であった。
公爵令嬢の葬儀は身内のみで小さく執り行われた。
緘口令が敷かれたが、卒業パーティーの噂は急速に広まっていった。
エスコートをしない婚約者。
義姉の婚約者に同行する義妹。
そのことを咎めない家族。
本当に亡くなった公爵令嬢は義妹を虐げていたのだろうか。事実だから反論をしなかったのではなく、反論出来ぬほど追い詰められていたのではないか。
死んで抗議をするより方法がなかったのではないか。
義妹は公爵令嬢が死ぬようにブローチを渡したのではないか。
噂が大きくなり、当人たちの耳にも入ってくるほどになった。
公爵家のメイドや使用人がどんどん辞めていった。
次に公爵家はお茶会に誘われなくなり、公爵家の周りから友人・知人は離れていった。
エドワードは血に染まったシャーロットの姿が脳裏に焼き付いていた。死に際の笑顔が瞼の裏に焼き付いて頭から離れる事がなかった。自分がしでかした事の大きさを認識し徐々に病んでいった。
公爵や兄のフェルマンははじめて自分たちの行動を省みた。自分は噂のようにシャーロットを蔑ろにしていたのか。ここ5年間シャーロットの誕生パーティーを開かなかったことに何の疑問も抱いていなかった。仲の良い友達がいないのだから開催しなくても問題ないように思っていた。亡くなった正妻の娘、亡くなった愛人の娘、立場の弱い愛人の娘を気遣っていたはずが、いつのまにかシャーロットを追い詰めていたなんて。公爵はフェルマンに爵位を譲り、領地へ隠居した。フェルマンは実の妹を虐げていたと噂され、婚約者に婚約破棄をされた。
イザベラは義姉の婚約者をたぶらかし、死ぬように脅した悪女と噂された。
ヒロインなんだから、わたしは正しい。悪女は死んだシャーロットの方であると、文句を言ったが、余計に悪女として認識されていった。
ある時、街で強盗にあい、抵抗したところナイフで刺されて死んでしまった。
それは、断罪から6日後の本来シャーロットが処刑される予定の日であった。