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「アノヒトキタン 2」  作者: 新開 水留
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「いいーーたあーーったた」

「い、つー…」


 数段とは言え、大人を一人抱えて階段を飛び降りたのだ。顔面強打とまではいかないまでも、両手両膝を強く廊下に打ち付け、痛みにもだえ苦しんだ。これならまだ、三本線の傷をつけられたほうがマシだったかもしれない。

 僕らの側に駆け寄った村尾教諭のサンダルが目に入った。しかし彼女は僕たちに手を差し伸べるどころか、しゃがみ込むことすらせずぼーっと立ちすくんでいた。

 見上げると、村尾教諭はこちらが恐怖に凍り付く程、青ざめた顔面を歪めて階段の上を睨み付けていた。


 村尾教諭が普段使用している準備室に移動し、絆創膏を借りた。教諭が席を外して戻るまでの間、僕と辺見先輩は二人きりになった。

 先輩はしきりに膝小僧を手で揉み解しながら、静かな口調で話しかけてきた。いつもはやたらと明るい人だが、やはり少なからずショックを受けていると思われた。


「ありがとう、新開くん。痛かったけど、助けてくれたんだよね。ありがとね。…痛かったけど」

「すみません。僕、運動神経悪いんで、上手く飛べませんでした」

「そんなことないよ、咄嗟の判断だったわけだし。それに、…何か見えたんだね?」

「……はい。確かに、白い腕が」

「ガッと、払うように足を引っ掛けられたんだ…」

「ええ。……え?」


 ありえない、と思った。

 僕は確かに見たのだ。白い腕が僕らの後方から伸びてきて、僕の頬を掠めて辺見先輩の後頭部につかみ掛ろうとした。足を払うなんていう動きではなかったし、そもそもそんなに低い位置じゃない。どう説明したものか迷っていると、村尾教諭が戻って来た。

 教諭は並んで座る僕たちの前に腰かけ、絆創膏の箱を手でもてあそびながら、辺見先輩を見つめた。


「あなたを見ていると、思い出すわ。本当はこんなことを、生きているあなたに言ってはいけないのだけど、羨ましいほど綺麗なあなたを見ていると、本当、不思議と記憶がよみがえって来る」

「先生ソレ、ください」

「ああ、ごめんなさい」


 受け取った絆創膏の箱を開けながら、辺見先輩は顔を俯かせたままこう切り出した。


「さっき一緒にいた子は、オカルト研究会の生徒で、以前美術部に在籍していた女子生徒が亡くなったと、教えてくれました。私が似ているのは、その人ですか?」

「そうです。ごめんなさいね、亡くなった人間に似ているだなんて」

「先生が、指導されていたわけですね?」

「当時は私の前任として、別の男性教諭が顧問をつとめていました。あまり生徒から人気のある方ではなくて、すぐに転勤されたけど。私はその後ですね。だけど、その生徒もすぐに亡くなってしまい……」

「いじめが、あったそうですね」


 すると村尾教諭は伏し目がちな顔をさっと持ち上げ、いえ?と困惑気味の答えを返した。


「いじめなどありませんよ。その女子生徒が亡くなったのも、そういった事とは無関係です」


 僕と辺見先輩は顔を見合わせ、頷いた。


「これ使いなよ新開くん。絆創膏」

「ありがとうございます。…えっと、村尾先生」

「ええ」

「先ほど先生は、僕たちのいた階段踊り場を見上げて、とても怯えた顔をされていましたね。何を見たんです?」

「…時計」

「へ?」

「……腕時計よ」


 僕は困惑し、会話の取っ掛かりを失ってしまった。

 僕はこう考えていたのだ。大貫が話して聞かせたようないじめの事実はなかった。となると、現役の生徒を脅かす幽霊の攻撃理由は、復讐や怨念ではない。プラス、辺見先輩が受けた怪奇現象だ。僕は確かに伸びて来た白い腕を見た。そして先輩は、足を引っ掛けられたと言う。導き出される解答はひとつだ。

 幽霊は、《《二体出現している》》のだ。

 生徒を転ばせる奴、そして倒れた人間を突飛ばし、三本線の傷をつける奴だ。一体だと思っていた幽霊を二体同時に目撃し、村尾教諭は死ぬ程驚いたことだろう。

 …というのが僕の推理だった。

 ところが、村尾教諭はなんと言った?


「腕時計? なんですか、それ」

「人づてに聞いた話だから信憑性は薄い。だけどずっと心の片隅にあり続けた、そういう苦い記憶です」


 決して他言してはならないと釘を刺した後、村尾教諭は知っている話を僕たちに教えてくれた。

 亡くなったという美術部の生徒は、いじめで死んだわけではない。

 通り魔に殺されたのだという。

 

 ……通り魔? そんなのそもそも、学校関係ないじゃないか。


「踊り場にある鏡から幽霊が出るという噂は私も聞いたことがある。もちろん今日この目で見るまでは、頭から信じてはいるわけではかった。だけど…」


 そこから先の話は、なるほど、これは他言出来ないと納得した。納得せざるをえなかった。

 通り魔に殺された生徒は美術部の元部員で、村尾教諭が顧問となる前に受け持っていた男性教諭とは、折り合いが悪かったそうだ。授業中によく議論を戦わせている場面を見ていたし、何度かボイコットしているとも聞いていた。学生とはいえ成人していたから、各々が自己責任で行動する分には口を挟むまいと、特に周囲も問題視していなかった。

 しばらくして前任の男性教諭が転任し、村尾教諭が顧問となった。すると亡くなった女子生徒は打って変わって可愛げのある明るい人間性の持ち主だと知れ、講義以外の時間にも色々と話をするようになった。が、そんな幸せな日々も束の間、その女子生徒は通り魔の被害にあい、命を落とす…。


「聞いた話です。犯行が行われた日、その女子生徒は仲の良かった友人と二人で公園を歩いていました。するとそこへ刃物を持った犯人が現れ二人を追いかけてきた。亡くなった女子生徒は、震えて動けなくなった友達を突き飛ばし、逃げるように叫んだそうです。そして、自分は犠牲になった。しかし…」


 僕と辺見先輩は何も言葉を発さず、村尾教諭の話に耳を傾けた。


「狂人による犯行だったと聞いています。被害者は一人ではない。友人をかばい、突き飛ばして捕まった生徒、そして結局は逃げそびれて捉えられた生徒。その二人ともが犯人の凶行に命を奪われた。発見された時、その女子生徒たちは体中の骨を折られて公園のゴミ箱の中に捨てられていたそうです」


 無惨な殺され方をした死者が、二人……。

 やはり階段踊り場の幽霊は、二体いたのだ。


「腕時計って、なんです?」


 辺見先輩の質問に、村尾教諭の肩が震えた。


「聞いた話です。…犯行が行われた日、女子生徒二人の命を奪った犯人は、右手に金の腕時計をしていたそうです」


 まさか。

 ……まさか、そんな。


「この目で見るまで、鏡の中から現れる幽霊なんで、昔からよくある学校の七不思議程度の噂だと思っていましたが、今日自分の目で見て、ああ、こういうことは実際にあるんだなって、痛感した」


 先生、それって、つまり。


「幽霊は、……《《三体いるんですね》》?」


 辺見先輩がそう聞いた。

 村尾教諭は震えながら頷き、自分の両腕を抱きしめながら立ち上がった。「今日のことは、他言無用です」


「先生最後に一つだけ」


 辺見先輩の問いかけに、村尾教諭の両目がちかりと光った。「なんですか」


「転任された前の顧問の先生は、……今もお元気ですか?」


 知りません。

 村尾教諭は即答し、口元を押さえながら準備室を飛び出して行った。


 僕と辺見先輩は再び美術棟二階の階段踊り場へ向い、大鏡の前に立った。


「いやあ、怖いねえ」


 そう言いながらも、辺見先輩は鏡から目を逸らそうとしない。

 僕はいつ何が飛び出してくるか分からない恐怖に、階段の前にはじっとしていられなかった。最悪、今度は先輩の身体を受け止められるよう身構え、階下で待機する。

 辺見先輩が、僕に問う。


「何故、この鏡なんだと思う?」

「……へ?」

「へじゃないよ。不思議だと思わないのかい? 被害にあった女子生徒が学校の外で亡くなったんなら、地縛霊は普通公園で化けて出るよね。どうしてここなんだろうね?」

「…さあ、何かのメッセージでしょうか。あるいは、この鏡に思い入れがあるとか?」

「美術部だもんね、ありえるだろうね」

「そんなことよりも、僕がずっと気にってることは別にあります」

「村尾先生かい?」

「先輩も、…気づいちゃいましたか」

「気づくよ、あれだけ《《聞いた話》》を連発されちゃあ、誰だって疑うよ。それに、腕時計だよね。あんな話、実際に《《その場で》》見でもしなけりゃあ、証言出来るはずもない」

「この鏡から飛び出した幽霊のうち一体が、村尾先生に見覚えのある腕時計をはめていた、と…」

「でもって公園で殺されたはずの女子生徒が、美術棟の大鏡から出て来る。つまり」

「犯人は、学校関係者…」


 折り合いが悪かったという前任の顧問、ということか。


「……怖いねえ」


 誰が呼び始めたか分からない『三枚刃』というニックネームも、センスは悪いが的外れではなかったのだ。三体の幽霊に、刃物による殺傷事件。殺された二人の女子生徒と、その犯人。

 祟りなのかなんなのか、辺見先輩が前任顧問の現在を尋ねた時、村尾教諭は動揺し、知らぬと即答した。おそらくだが、その前任はすでに死んで、女子生徒とともにこの鏡の中にいる。古巣に戻ってきたのだ。いや、引きずり込まれたのだろう。

 そしてやはりと言うべきか、僕たちが最初に抱いた違和感にも、理由はあったのだ。

 幽霊は階段でこけた生徒に襲い掛かってくるのではない。

 その場で留まり動けなくなった友人を助けるべく、犯人から遠ざけようと突き飛ばしているのだ。

 つまり幽霊は、犯人、友人を助けようと突き飛ばした生徒、恐怖でうずくまりその場から動けなかった生徒、この三体なのである。


「なんにしろ、この先無意味な犠牲者が増えることはなくなるかもしれないね。良かったね、新開くん、四枚刃にならなくて」


 辺見先輩はそう言うなりくるりと振り返って、大鏡に背を向けた。「あとは、時間をかけて成仏してくれるのを待つか……あるいは。あ、そう言えば新開くん、君、今日ひげを剃り忘れてない?」




 ……いや、待ってくれ。




 仮にだ。

 仮に、《《犯人が別にいたら》》どうなる?

 反目しあっていた生徒らと教諭が実は、仲睦まじく公園で逢瀬を重ねていたのだとしたら?

 それを、《《理解者であるはず》》の別の誰かが見ていたとしたら? 裏切りだと思い込んでしまったとしたら?

 だって変じゃないか。

 刃物を用いての凶行で、なぜ全身の骨を折るなんてバケモノじみたことをする必要がある?

 そこにあるのは失望からくる相当な、怒り。


 三本線の傷の意味するところはつまり、


「彼らは三人ともが、被害者…?」


「何か言ったかい? どうした新開くん。さては君、幽霊でも見てるのかい?」


 そう言って笑う先輩を見上げる僕の目の端に、黒い影が映った。


「先輩」


「ん? ……ああ、先生どうしました? 《《まだなにか》》?」


 影が走る。


「先輩!」


 白い腕が伸びる。


「僕に向かって飛ぶんだッ!先輩!」


「大丈夫だよ新開くん……」


 ……悲しいねぇ。


 涙声でそう呟いた辺見先輩の背中が押され、


 そして、





 村尾教諭だけがいなくなった。


 





       『アノヒトキタン 2』、 了







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