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「アノヒトキタン 2」  作者: 新開 水留
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 平成十一年、七月。

 僕がまだ大学の一回生だった頃のことだ。ようやく学生生活にも慣れ、暑い夏の到来と共に周囲の空気も浮つき始めたその時期、一部の学生の間で囁かれているという、とある噂を聞いた。


「……三枚刃(さんまいば)


 同じ学年の知人で、大貫という名のオカルト研究会の生徒が僕の所へやって来て、興奮気味にこんな話を聞かせてきた。

 芸術棟の二階、階段踊り場にある大きな鏡の中から、出て来る、というのだ。


「……何が?」

「なにがって新開、お前、そりゃないだろう。幽霊だよ幽霊!本物の!」


 この季節の風物詩ともいうべき、怪談話というわけだ。僕はあまりそっち方面に明るいわけではなかったが、頭ごなしに突っぱねられる程まっとうな道を歩んでこなかった。

 つまり、僕は見える側なのだ。だからこそ、大貫の持って来た話には乗っかりたくなかった。

 ところがだ。


「あ、階段だけにぃー?」


 と僕の背後から顔を出し、そう茶化して来たのは辺見という名の女性だ。彼女は僕と大貫より一つ年上の先輩で、僕と同じ文芸サークルに所属する才女だ。見目麗しいとは使い古された言葉だが、彼女のためにこそ生き残っている表現だろう。社交的な性格が災いし、友達がおらず根暗な僕を見兼ねて何かとかまってくれるのだが、おかげで学内でも少し浮いてしまっているように思う。普通にしていれば、周りに自然と人が集まってくる、そういう人だと思うのだが…。


「おお、先輩も興味ありますよね? ちょっと手伝ってもらえません? この件是非ともオカ研であるウチで解決に導きたいと思ってるんです!」

「大貫くん、悪い事は言わない。手を引いた方がいい」

「……え?」


 驚く大貫と僕を交互に見、辺見先輩は自信たっぷりにこう言い放った。


「君たちのどちらかが犠牲になり、そいつぁ『四枚刃』と呼ばれるようになるぜ?」


 僕は今一つ理解ができず、大貫は目を見開いたまま「はは、はは」と乾いた笑い声を上げた。

 いやいや、先輩、……なぜ僕が?


 僕は普段、芸術棟には足を踏み入れない。

 講義を受ける中央講義棟か、食堂、あるいは文芸サークルの部室がある学芸棟にしか用事がないからだ。何故美術棟の階段にだけ踊り場に大きな鏡が設置してあるのか、確かなことは、だから分からない。一説には学園祭の準備や舞台装置、衣装などの制作時に、姿見として使用するために学生発信で学校側に要請した、と言われている。

 大きな鏡である。横は大人が並列して四人分の幅。縦などは三メートル近い。上記の用途を目的として設えたならかなりの大盤振る舞い、というより明らかに必要以上のサイズだ。鏡の前に立つだけで、息を呑む程圧倒されてしまう。

 えー、ただいまの時刻、夕方の四時二十二分です。大貫が興奮した面持ちで腕時計を覗き込んで言う。


「大貫、他の部員は来ないのか? もしかして、僕と君と、辺見先輩の三人で調査しようってのかい?」

「いやいや、あとで来るさ。今まだ皆講義中だから」

「僕だってそうさ。講義中にも関わらずどうして僕は引っ張って来られたのかな?」

「一人より二人、二人より三人が良いって言うだろう?」

「じゃあどうして辺見先輩なのかな? この人全く霊感がないって豪語してるけど」

「男三人は駄目、紅一点あれば良しって言うだろう?」

「誰が言ったんだ? 連れて来てくれよ」

「うー、るー、さぁーい、よぉー?」


 極小規模で揉める後輩二人をなだめ、辺見先輩は腕組みをして鏡を睨んでいる。

 鏡にはもちろん、僕たち三人の姿しか映っていない。


「時に大貫くん。この鏡から幽霊が飛び出してくるんだとして、どうして三枚刃なんていうオッサン寄りなネーミングが付いたんだい?」

「あ、それは…」


 大貫の話はこうだ。

 この芸術棟で居残り作業をしていた、数人の女子学生の目撃談に端を発しているという。

 鏡のサイズに比例して、あるいはその逆かもしれないが、僕たちが今立っている踊り場はかなり広い。演劇の舞台で用いる書き割などの大道具も、地べたに置いて数人で作業出来る程だ。

 ある晩ここで、くだんの女子学生たちがどこからともなく声を聞いた。空耳かと思い、止まった手を動かそうとした時だった。階下から登って来た一人の友人が足をひっかけ、踊り場でこけた。

 その瞬間、鏡の中から真白い腕がにゅっと飛び出し、倒れ込んだ学生の身体をドンと突いた。目の前で起きた怪奇現象に女子学生たちは悲鳴を上げて逃げ惑う。やがて倒れて突き飛ばされた学生に恐る恐る歩み寄ると、その学生の腕には三本線の傷が出来ていた、という。


「大貫、順番がおかしくないか?」

「なにが」

「だよねえ、私もそう思う。大貫くん、話間違ってない?」

「辺見先輩まで? いやあ、どうしてっすか?」

「その女の子が階段でこけて、踊り場に倒れた後に、白い腕が出て来たの?」

「はい」

「倒れた女の子を、突き飛ばしたのかい? 突き飛ばされて倒れたのじゃなく?」

「……あああ、なるほど。気付きませんでした」


 そう、辺見先輩の言う通り、「追い打ちをかける幽霊」の話など聞いたことがない。そして引っ掛かりのある個所は、他にもある。


「だけどまさか、その三本線の傷から取って『三枚刃』なんてネーミングを付けたなんて言うんじゃないよね? もしそうならなんと言うか、センスがもう……」

「俺が付けたわけじゃないんだから、俺に言うなよ。だけどどうよ、新開。お前は霊感あるもんな。実際ここに立って、それらしいもん感じるか?」

「それらしいもん、ねえ…」


 確かに、大貫の言う通り僕には霊感がある。幽霊、つまりこの世ならざる者の姿を見る事が出来るのだ。それもいわゆるぼんやりとではなく、恐ろしくはっきりと、くっきりと、である。


「なんとなく、他の場所とは違うなあという気配はあるよ。その女子学生の話がどこまで本当なのか分からないけど、何か出て来てもおかしくはないね」

「ほお、やっぱりそうか! いやね、最初に体験した学生たちだけじゃなくて、その後何人もここで同じ目に合ってるんだ。だからここを通る生徒は誰もが階段を走らない。慎重に、慎重に歩くようになったんだ」

 

 僕は脅かしの意味も込めて答えたのだが、大貫はなぜが頬を染めて喜んだ。制作現場としても重宝される階段の踊り場を誰も走らなくなったのだ。なんというか、教訓をもたらす幽霊なんて実に道徳的じゃないか。

 ……何人も?


「同じ目にあうって言うけど、大貫くん。全く同じなのかい? 誰か生徒がこけて、幽霊の手が出て来て、三本線の傷をつけられる…?」

「はい、そう聞いてます」

「どうしてだろうね?」

「さあ。だけどこの目撃談にはいわゆるバックグラウンドがあるんですよ。昔この棟に通っていた美術部の生徒が、酷いいじめを受けていたらしいです。鏡から突き出てくる腕の正体は、そのいじめられていた生徒のものなんじゃないか、って」

「ふーん。そのいじめを受けていた生徒は、死んだの?」

「そう聞いています」

「本当に誰か死んだのかい?」

「理由までは分かりませんでしたけど、確かに、亡くなった生徒はいたようです。美術部で」


 恨み、ということなのだろうか。

 いじめを受けて死んだ生徒。自殺なのか、行き過ぎたいじめによる事故死なのか、それは定かではない。しかしまだ若い大学生が、平和な気持ちで死んでいったとは考え辛い。青春を謳歌する同じ美術部員たちを狙って攻撃している、そういう話なのだろうか。だけどそうなると、なにかが、どこかの辻褄が、合わない気がするのだ。


 そこで何をしてるの?

 声をかけられ、振り返るとそこにはベテランの女性教諭が不安げな視線をこちらに向けていた。直感で、この人は鏡の噂を耳にしているのだと思った。

 眼鏡をかけたその女性教諭は、名を村尾という。確か美術部の顧問だったと思うが、いかんせん目の前に突っ立っている生徒三人は、文芸サークルとオカルト研究会だ。確かに、「何をしているの」だろう。


「あー、俺、ちょっと他の奴ら迎えに行ってくるわ、ごめんな」

 

 大貫はそう言うと、眉間に皺を寄せている村尾教諭の横を肩を竦めて通りすぎ、振り返りもせずに階段を駆け下りていった。残された僕と辺見先輩は溜息をつき、顔を見合わせた。「まあ、問題解決は早いにこしたことはないねえ」「ええ、確かにそうですね。引っ張った所で、また大貫に絡まれて付き合わされるんでしょうから」そんなことをブツブツ言い合う僕らに痺れを切らし、


「あなたたち、早くそこからおどきなさい」


 と注意を促した。

 へえへえ。

 僕はそんな言葉づかいはしない。辺見先輩が僕にだけ聞こえる程度に小声で言い、階段へ左足を下ろした、その時だった。

 突然辺見先輩の態勢が崩れ、僕の頬を掠めるように背後から白い手が伸びてきた。

 村尾教諭が叫び、僕は辺見先輩の身体を抱きかかえて階段から飛んだ。









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