デッサンの狂ったボクは
読んで戴けましたら倖せでございます。
『ボクの世界は歪んでいる
以前はそうではなかったけれど……………』
柴崎大学付属高校の廊下を歩く二人の生徒がいた。
新海時理の後ろを、香坂風人は首を垂れて歩いていた。
時理は風人を振り返ると微笑み、足を止めて風人を待った。
風人が追い付くと時理は横に並んでまた歩き出した。
時理は風人に笑顔を向けると言った。
「ちゃんと首上げて、並んで歩け
オレが嫌な奴に見えるだろ、出来損ない」
風人はボソリと言った。
「………………ごめん」
この二人に上下関係があるのは周りも気付いていた。
あるお節介者が風人に忠告した事があった。
「あんな香坂を下僕みたいに扱う奴の傍に居たってロクな事無いよ、いい加減離れろ」
風人は俯いてボソリと言った。
「時理はボクを理解している……………」
お節介者は呆れて去って行った。
それ以来、時理と風人の関係に付いてとやかく言う者は居なくなったが、この二人を見て眉をしかめない者は、この学校に居なかった。
授業が終わり、時理は風人の傍に行くと言った。
「今日もオレの家に来るよな、出来損ない」
「……………ああ」
「今日は生徒会があるから、いつもの処で待ってろ
解ったか、出来損ない」
「解った……………」
風人はグラウンドの土手に座りノートを取り出すと絵を描き始めた。
『歪んだ世界……………
歪んだ、ボク……………………』
暫くして時理が迎えに来た。
「また、絵を描いていたのか? 」
時理は絵を覗き込み、そして眉をしかめた。
そこには歪んだ人間と歪んだ建物が描かれ、その上をぐしゃぐしゃの曲線で黒く塗り潰されていた。
「また、こんな訳の解んない絵を……………」
時理は風人からノートを取り上げると絵が描いてあるページを破り捨てた。
風人はぼんやりとそれを眺めていた。
ノートを風人の手に戻すと座る風人の腕を掴んで無理矢理立たせた。
「帰るぞ、出来損ない
こんな酷い絵を描いた罰として今日もオレの部屋の掃除をさせてやる! 」
帰り道、二人が並んで歩いていると風人が言った。
「こんなボクといつも一緒に歩いていて、恥ずかしく無いの? 」
時理は立ち止まった。
そして風人を見ずに言った。
「出来損ないは、余計な事考えるな」
風人は笑って言った。
「ははっ、そうする」
風人の歪んだ視界の中で一つだけ歪んでいない物が在る。
それは時理だ。
『トキは中学の頃からボクの存在確認してくれる
トキだけはボクの扱い方を間違えない』
時理の家に着くと風人は風呂の脱衣所に置いてあるバケツに水を入れ雑巾を持って二階の時理の部屋に行った。
風人は雑巾を濡らすと絞って床を拭き始める。
時理は机の椅子に座り、風人の行動を目で追った。
風人のか細い背中や少し薄い口唇や折れそうな首を見詰めていた。
時理は立ち上がると雑巾掛けする風人の前に立ちはだかった。
風人はそれに気付いて頭を上げる。
時理はそこにひざまづき、ゆっくりと風人が持つ雑巾を取り上げた。
風人の腕を掴んで、自分と同じ体勢にさせて、哀し気な表情を浮かべ風人を見詰めた。
その顔を風人は不思議そうに眺めた。
「目を閉じて」
風人は従った。
時理はそっと口唇を風人の口唇に押し当てた。
それは次第に熱が籠って時理は風人を抱き締めていた。
ドメスティックヴァイオレンス、今では珍しくも無いこの単語は、風人の家では特別な意味で響いていた。
風人の幼少期の頃から父親の風馬は事あるごとに暴れた。
何が不満なのか?
何を誇示したいのか?
弱い存在を痛めつける事で何を得たいのか?
母親は夫に怯える余り、風人を殆ど構わなかった。
風人の心は成長するごとに混沌に飲み込まれて行った。
風人は愛が解らない。
優しさが解らない。
時理が優しくすればするほど、風人は戸惑い時理を避ける様になった。
人を好きになるのに理屈は無い。
時理は避けられれば避けられるほど、風人に惹かれて行った。
優しさを知らない風人にとって優しい感触は居心地が悪いだけだった。
時理はやがて風人の扱い方に気付いた。
風人の劣等感を刺激すると、風人は信じられないほど時理を求める様になった。
中学の頃のある夜に風人の家の近くを通り掛かり、時理は悪戯心が湧いて風人の家を覗いた。
カーテンの陰から見えるそこには父風馬が母親を足で蹴り続け、怯えた風人は部屋の片隅に張り付いて身を小さくしてそのさまを見ていた。
怯えている筈の風人の顔に表情は無く、それなのに身体を消えてしまいそうなほどに縮め涙を流していた。
時理は風人を助けたかったが、まだ十三にも満たない時理にも風馬の形相は巨大な恐怖に映った。
時理は涙を溢し、声無く泣いた。
口唇を離すと風人は問う様に時理の目を見詰めた。
時理は風人の肩に顔をうずめ言った。
「屈辱を与えたんだ
好きだろう?
侮辱されるのは……………」
時理の目から涙が溢れた。
そして、訳が解らないと云う表情を浮かべた風人の目からも涙は零れた。
『デッサンの狂ったボクは……………
涙の意味さえ解らない………………』
fin
読んで下さり有り難うございます。
短いですが、これはめちゃめちゃ苦労しました。
でも、とても気に入ってる作品です。