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⑶『ペットボトルのお茶狂い』・・・終わりに
⑶『ペットボトルのお茶狂い』
・・・終わりに
㈠
ペットボトルのお茶狂いとして、述べてきた訳であるが、物事は難しいもので、お茶に狂っていることを、狂いとまで言えるのか、という判断が当初あった。お茶は人間の日常に根差しているし、いつでも飲もうと思えば、どこでも飲めるのである。
㈡
しかし、その、どこでも飲める、が人間を狂わせているのであって、特に、ペットボトルという便利な物質によって、持ち運びが出来るということにも述べた。狂いの本質は、常に日常的なものであって、不自然なことなどありはしない、寧ろ自然な狂いだからこそ、恐ろしいのでもある。
㈢
どこへ行っても、お茶、どこで飲んでも、お茶、そういった、人の神経を麻痺させる様な、お茶の存在は、人々を勤勉から堕落へと誘ったかのようだ。それでも、ペットボトルのお茶狂いの程度では、非常に心地よい、健康的な狂いなのであって、深刻に考えることは必要なさそうだ、という結論で、終わりとする。




