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⑴『ペットボトルのお茶狂い』・・・生活におけるお茶の位置
『ペットボトルのお茶狂い』
・・・生活におけるお茶の位置
㈠
いつからだろう、毎日、スーパーやコンビニで、白昼のために、ペットボトルのお茶を購入している。毎朝、缶コーヒーを飲んでいる為か、白昼は、割とあっさりとしたお茶が体に馴染むのだ。スーパーでは、一本、種類にもよるが、68円、73円、程度で売られている。
㈡
自分は、ほぼ、原価の安い68円のものを選んで購入しているが、ともかく、体が、すっきりして、とても健康に良い気がするのだ。美味しい、と、健康を兼ね備えた、ペットボトルのお茶は、白昼には無くてはならない存在である。その点で、ペットボトルのお茶に狂っていると言えるだろう。
㈢
毎日飲んでいると、朝の缶コーヒー、昼のお茶、という風に、バランスの取れた狂いが発生する。このバランスは、まさに、生きている、という衝動と軌を一にしている。誰にも分からないであろう、この狂いが、脳漿を削ると同時に、その脳漿こそが、狂いなのだ、と、ペットボトルのお茶は、自分に語り掛けてくる。