3話:無防備な会話の話
中野の、三叉路角にある店で、焼鳥の串を持ち上げかけた時だった。
「そういえば、とうとう行きました」
「行ったか」
街中で人がしている無防備な会話に気がつけば聞き耳を立てている時がある。
しがないライター稼業の哀しき習性だった。いつでも飯の種になりそうなものを探している。
左隣りに座る、黒っぽいスーツを着た四十絡みのサラリーマン二人組だった。
染みのついたカウンターに、食い散らかした後の串だけを残す長方形の皿を数枚積み上げ、ウチのが部長がとはじまる愚痴の合間に湯気ではなく指の跡に曇る焼酎の湯割の入ったグラスを緩慢な動作で持ち上げては下ろしていた。
彼等がふと声を潜め、黙り込んだ。安酒に酔って、店に充満する鶏皮の焦げる煙の匂いに辟易している様子にも見えるが奇妙な沈黙だった。
すぐ隣に座る男はやや面長、もう一人は丸っこい以外に特徴のない顔した男達を横目に見れば焦点の定まらない目で前を向いて、酩酊より恍惚に近い表情をしている。
暫くして、悪くなかっただろと面長が呟くと少し間を空け丸顔は溜息で肯定した。
いかがわしい店の話かと損をした気分で串の肉を食い千切ってすぐ、違うと反射的に喉から飛び出しかけた言葉を肉と共に飲み込むことになった。
「いい話だった」
粛然とした丸顔の声。
どこに行って、なにが悪くなかったのだろう。いい話とは。
ほんの一瞬、気になって胸をかきむしりたいような焦燥と衝動に襲われたことに驚いた。
無防備な人の会話に飲み込まれた僅かな時間は、奇妙で些細な記憶として残った。