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2話:不思議な場所の話

 あ、行けるな——って。

 何故かそう思ったの。


 親戚の、おじさんが急に亡くなって、翌日学校を休んでお葬式に車で向かっている途中だった。

 結構大きな古い日本家屋に近づいた時に、ふっと。

 到着したら、台所が土間で広くて、親戚中の女の人が食事の準備で忙しく立ち働いていたんだけど、まだ私は小学生だったからなんの手伝いもできなくて。むしろ邪魔? みたいな感じで外で遊んでなさいって庭に追い出されたのね。

 けど、同じ年頃の子がいなくて。

 庭に作られた池の鯉とか眺めてたんだけど、すぐに飽きちゃって、どうしようかな……って思った時にふと家の門から外の道を見て。

 あ、あそこに行こうって思ったの。

 けど。

 あたしがその親戚の家に行ったのはその日が初めてで、もちろん周囲になにがあるのかなんて知らないし。

 なのに。

 まるで3Dの映画みたいに、こう……目の前に道が地図となって見えた気がして。

 こう行ってここを曲がったら公園があるなって、なんかわかっちゃって。

 何か大人同士の話をしていたお父さんのところへ近づいて。


 ——公園で遊んできていい?


 そう聞いたら、お父さんは変な顔して公園なんかあるのかって。


 ——うん、ある。


 答えたら、ますます怪訝そうに知ってるのかって聞いてきたから。

 知ってるし見た、って答えたら納得いかないような様子だったけど、誰かに教えられたか来る途中で見たのかなとでも思ったのかな、近くならいいって言ったの。


 ——うん。


 そう返事して、親戚の家を出たらまた頭のなかに道がね、道順を矢印が示すように頭に浮かんで見えて、あ、この道だ、今度はこっちって辿っていったら公園に辿りついた。

 よく晴れた日で。

 誰もいない真昼の公園は乾いた土が白くて、影が濃くて……あれ、なんていうの? 丸とか四角とかの輪が鎖で繋がれたくぐったり登ったり出来るやつ。

 その影と檻に入ったみたいなあたしの影がくっきり、線で描いたみたいなのを蹴散らして遊んでたの。 

 でも一人で遊んでても楽しくないからすぐ飽きちゃって。

 帰ろうって、来た道を戻ったつもりだったんだけど、どう間違えたんだろ……田んぼのあぜ道みたいな小道に出て。

 そこに、辿り着いたの。

 

 不思議な場所だった。

 休ませてる畑かなにかだったのかな、草が一面に生えていて、一部、蓮華草(れんげそう)がたくさん咲いている場所があった。

 奥に溜池があって、絵の具のビリジアンみたいな色の水は何故かお湯だった。

 触ったわけじゃないけど湯気が立ってたからきっとそうだって思った。

 池の真上に夏蜜柑(みかん)の木があって、実が鈴なりになって二三個池に浮かんでた。

 その向こうは薮になっててちょっとよく憶えてないけれど、(やぶ)を囲うみたいに白い水仙の花が咲いてて、池のすぐ側に鳥の巣みたいな枯れ草を丸く敷いた場所に、大きな薄い翡翠(ひすい)色の卵が一つ乗ってた。

 普通の卵の二倍くらいの……なんの卵かはわからない。

 少し気味が悪くなって近づいた池から離れて蓮華畑に行った。 

 白詰草は近所でよく見かけても蓮華草はちょっと珍しかったから、沢山摘んで花冠(はなかんむり)作って帰った。

 よく見たら松葉牡丹がところどこに咲いてるあぜ道を引き返して、今度は普通に帰れた。

 家を出てから帰るまで、誰とも会わなかったし見かけもしなかった。

 次の日もまた、行った。

 道はわかった。

 公園と同じ、ナビの目的地を入力し直したみたいに迷い込んだその場所への行き方がわかった。

 また同じように蓮華を摘んで、花冠は昨日作ったからもっと長く編んでみようなんて、ひたすら花を編んでいたら溜池の方向から風が吹いて……顔を上げたんだったかな? 気味が悪いなって思ったはずなのに気がついたら編んだ花を手に池に近づいてた。

 やっぱり湯気が出ていて、昨日見た時よりももっと朦々(もうもう)(けぶ)ってて。

 池の中心からちょっと薮に寄った場所にぽこぽこと水……お湯だったのかも、が湧き出てるのが見えた。

 温泉?

 単純にそう思った。

 湯気の中でもとても目立つ鮮やかな黄色の、ぷかぷか浮いている夏蜜柑をちょっと好奇心で取ってみようか、なんてなんとなく思いながら池を覗き込んだけれどお湯や湯気の熱は感じなかった。

 ふーん、ってなんとなくそんな呟きを漏らして、その日は帰った。

 出掛けてから帰るまで、その前と同じく誰とも会わなかった。

 帰った家でどう過ごしたか、誰がいたかもあんまりよく覚えてないから、戻ってすぐ寝ちゃったのかもしれない。

 次の日も、また同じ場所へ行った。

 今度は辿り着いてそう時間も経たないうちに人に会った。

  

 ——こんなところで遊んじゃだめよ。


 言葉は優しいけれど、なんか……厳しい剣幕だったから、びっくりして蓮華畑に伏せていた顔を上げて立ち上がったら、あぜ道に人が立った。

 白い服を着た、色白で細くて、長い黒髪の女の人。

 いま思えば、人の土地に勝手に入って遊んでた後ろめたさもあったのかもしれない。

 じっと無表情にあたしを見詰めている女の人の、黒々とした、どこか焦点があっていないような目を見ていたら。

 これまで見てきた色々なもの——やけにくっきりした影や、唐突に現れたあぜ道、蓮華草、緑の池とその蒸気、鮮やかに黄色い夏蜜柑、翡翠色の卵、暗い薮に水仙……そういったもの全部——が渦を巻いて一気に押し寄せてくるような錯覚に、突然叱られて驚いた事もあったんだろうけど、なんか言いようのない怖さを感じて。

 わっ、って叫んで家に向かって駆け出しちゃって。

 女の人は動かずにあたしを振り返ることもしなかったと思う。

 いくらか……たぶん数メートル走って、ふとなにかがぷつりと途絶えたような感覚に思わず立ち止まって振り返ったら、女の人の姿はなかった。

 あぜ道もなかった。

 ただアスファルトの道がどこまでも伸びていて、駆けてきた方向からやってきた白い車が、ぽかんとしていたあたしを追い越して通り過ぎていった。

 覚えている道順を辿って戻ってみても、その場所はみつからなかった。

 運転手の父にはじめて来た場所でよくどこに公園があるかわかったなって、感心されながら車で自分の家に帰った。


 ——道が、読めた。


 そう、答えたことを覚えてる。


*****


 ジジッとノイズが入ってボイスレコーダがその後の雑談までを記録している。


『……えーと……おわり……なんだけど』

 

 戸惑っている少女に通り一遍な礼を口にする自分の声。

 何度聞いても、録音した自分の声というのはどうにも妙な違和感を覚える。


『最後のあたりとか逆流夢っぽいな……小学生って何歳くらいの話?』

『うーん、まだ低学年の頃じゃないかな』


 曖昧な答えを返す少女の声。

 この話は実はこれからが本番だ。こういったことは往々にしてある。

 取材そのものよりある程度信頼関係を結んだ後の雑談に妙味のあるような。

 一時的な信頼関係のなかで語られる話。

 小学校低学年……物心はとっくについている。

 全ての記憶が鮮明に残っているわけではないのは自身を顧みればわかることだが、それでも親類が亡くなった葬式だ、いつの事くらいはわかりそうなものだ。


『覚えてないの?』

『うん……あ、えっとさ……』

『ん?』


 この後だ、躊躇(ためら)いがちな問いかけこそが、本物だ。


『普段、交流もなかった親戚の、お葬式のために三日もそこにいるってある?』

『まあ、田舎の立派な家なんかだとたまにあるが……最近じゃめっきり見聞きしなくなったけど。せいぜい通夜と葬儀に出席して一泊くらいはあるかもだけど』

『だよね……そんなに学校休ませるのもおかしいし、あたしよりお父さんそんなに仕事を休めないと思うし』


 だからよくわかんない。


『三日間の検証もだけどさ』

 

 首をひねっている少女に口を挟んだ。


『その遊んでた場所ってなんか変じゃないか?』

『え、うん。たしかに何度か行ったのに、行けなくなるってちょっと変だけど……子供だったし叱られて動揺してたから道を間違えたのかもしれないし』

『ああ違うよ、そうじゃなくて……』

『そりゃ……池がお湯だったり、変な卵があったりしてたけど……』

『あれ、もしかして気がついてない? 休眠畑かなんか知らないけど蓮華草が茂るくらい自然放置されてる場所で、季節バラバラなの』


 そう、少女が描写した情景は季節がちぐはぐだ。

 蓮華草は春、話から察するにたぶん日本水仙は冬、松葉牡丹は夏に咲く花だ。群生して咲く時季が違う。

 

『あのさ……さっきも言ったけどよくわかんないの』


 親戚の家に行って帰ったのはたしかなんだよね、と少女はきっぱりと言った。


『半分夢かもとか、思ってたんだけど……お葬式の記憶がないんだよね。外に遊んでたままとか夢見て寝てたかもだけど、子供一人どっかに置いて大人がみんなお葬式とか火葬場行っちゃうとか有り得なくない?』


 やっぱりおかしい、とボイスレコーダーから流れる少女の声が繰り返す。

 あの、外で遊んでいた事以外の記憶がほとんどないんだよね、三日もどこで泊まってどう過ごしていたとか、なに食べてたとか、どんな服を着たとか、ああ、あとっ!

 そう、区切った少女の声が一段低く流れた。


『亡くなった親戚の家にいる間の、台所で支度してた女の人達や座敷にいた男の人、一人も、父や母まで含めてどんな顔してたのか誰がいたのかさっぱり覚えてないんだよね……』

『それ、夢かなんか混じってるんじゃないかな』

『でも、出掛けたのはたしかなんだよねー。学校を休んで、図書室で借りた絵本を返す日だったからそれは覚えてて……でも、だったらさ』


 ――どこからが夢で、現実で、三日も……どこでどうしてたんだろ?


 訴えるような調子ではなく、虚ろに、呟くような少女のノイズ混じりな言葉に、不意に、怖気を覚えてボイスレコーダーに思わず手を伸ばしてしまった。

 はぁ……と、少女の途方に暮れたように吐いた溜息を最後に、音声データは止まった。



 


 




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